1970年、私が高校1年生か2年生だったころのこと、倫理社会の授業で先生が「あなたが一番たいせつにしている行動は何ですか?」みたいな質問をして、クラス全員に一人ひとり答えさせたことがあった。質問の文言はうろおぼえなのだけれど、それに対する答えがほぼ全員「人に迷惑をかけないようにすることです」と答えたことは妙に鮮明に覚えている。
1970年当時、「清く正しく美しく」「良き子、良き妻、良き母に」という歌詞が織り込まれた校歌を歌っている女子校としては、「人に迷惑をかけないように行動すること」という答えは時代的にも環境的にも模範回答だったのではないだろうか。
公共の場(登下校の道中はもちろん、校舎内のほぼ全域も含む)で騒いだりむやみに走ったりしない。陰口、悪口を言わない。先生、親、上級生のいうことに従う。意地悪なことを言ったりしたりしない。人に暴力を振るわない。それが「人に迷惑をかけない」ことだといわれたような気がする。うろ覚えだが。
そしていま、私の同年代の人たちは「歳をとって、子どもや周囲に迷惑をかけたくない」と一様に口にする。もちろん私も子どもに迷惑をかけたくない一心で、断捨離をして、規則正しい生活をして、健康に気を配っている。親である私の家の片付けで手間をかけたり、介護で悩ませたりするのは「迷惑」だろうと思うから。
でも、どれだけがんばっても、生きていれば人に迷惑をかけてしまうのではないだろうか? ましてや高齢になってからだも心も老いていけば、周囲に「迷惑」をかけまくってしまうだろう。それはもう必然。
そこでまた疑問がわいてくる。そもそも迷惑ってどういうこと? 私がちっとも迷惑だと思っていない行動が、相手に「それ、迷惑なんですけれど」といわれたら、どうしたらいい? 反対に「これは迷惑だろう」と忖度していても、相手がまったく気にしていなかったら、それは迷惑ではなくなるのだろうか?
高校生だったときの自分が、先生の質問に「人に喜んでもらえることをすること」と答えたことも、なぜかとても鮮明に覚えている。でも、それに対する先生の反応は覚えていない。自分では人と違った答えをしたことに得々としていたはずだが、いま振り返ると「迷惑をかけない」こと以上に「喜んでもらう」行動基準もあいまいで、よくわからない。
私が「きっとこれは喜んでくれるはずだ」と思い込んでいたやったことが、人に響かないどころか、どーでもいい、もしくは迷惑だと思われたことだってよくある。
それでもやっぱり、私はこれからも「人に喜んでもらう」ことを一番に考えて行動していきたいな、などと思っている。同時に、ほかの人たちの行動に喜ばせてもらいたい。喜んでもらったり、喜ばせてもらったりすることが、私にとって「あ〜〜生きている!」と実感できることだから。
1970年当時、「清く正しく美しく」「良き子、良き妻、良き母に」という歌詞が織り込まれた校歌を歌っている女子校としては、「人に迷惑をかけないように行動すること」という答えは時代的にも環境的にも模範回答だったのではないだろうか。
公共の場(登下校の道中はもちろん、校舎内のほぼ全域も含む)で騒いだりむやみに走ったりしない。陰口、悪口を言わない。先生、親、上級生のいうことに従う。意地悪なことを言ったりしたりしない。人に暴力を振るわない。それが「人に迷惑をかけない」ことだといわれたような気がする。うろ覚えだが。
そしていま、私の同年代の人たちは「歳をとって、子どもや周囲に迷惑をかけたくない」と一様に口にする。もちろん私も子どもに迷惑をかけたくない一心で、断捨離をして、規則正しい生活をして、健康に気を配っている。親である私の家の片付けで手間をかけたり、介護で悩ませたりするのは「迷惑」だろうと思うから。
でも、どれだけがんばっても、生きていれば人に迷惑をかけてしまうのではないだろうか? ましてや高齢になってからだも心も老いていけば、周囲に「迷惑」をかけまくってしまうだろう。それはもう必然。
そこでまた疑問がわいてくる。そもそも迷惑ってどういうこと? 私がちっとも迷惑だと思っていない行動が、相手に「それ、迷惑なんですけれど」といわれたら、どうしたらいい? 反対に「これは迷惑だろう」と忖度していても、相手がまったく気にしていなかったら、それは迷惑ではなくなるのだろうか?
高校生だったときの自分が、先生の質問に「人に喜んでもらえることをすること」と答えたことも、なぜかとても鮮明に覚えている。でも、それに対する先生の反応は覚えていない。自分では人と違った答えをしたことに得々としていたはずだが、いま振り返ると「迷惑をかけない」こと以上に「喜んでもらう」行動基準もあいまいで、よくわからない。
私が「きっとこれは喜んでくれるはずだ」と思い込んでいたやったことが、人に響かないどころか、どーでもいい、もしくは迷惑だと思われたことだってよくある。
それでもやっぱり、私はこれからも「人に喜んでもらう」ことを一番に考えて行動していきたいな、などと思っている。同時に、ほかの人たちの行動に喜ばせてもらいたい。喜んでもらったり、喜ばせてもらったりすることが、私にとって「あ〜〜生きている!」と実感できることだから。
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