今日は終戦記念日である。私は終戦から8年7ヶ月後に生まれた。第二次世界大戦が終わってから、まださほどたっていない時期に子ども時代を過ごしたことになる。あのころ、戦争の影はまだ濃かった。
私が小学生のときに住んでいた家には、よく知り合いではない白い服の帰還兵の人たちが訪れ、祖母が「どこから帰ってきはったん?」「どうやって帰れたんですか?」「えらいことでしたなあ」などとたずねてながながと話を聞き、いっしょに涙していた記憶がある。祖母が「からだには気ぃつけてお過ごしくださいね」と言って、おそらく金一封を包んだ封筒を渡していた光景も、記憶に残っている。
往来の激しい駅には、よく傷病兵らしき人が物乞いをしていた。祖母をはじめ、そっとお金を入れる人たちも少なくなかった。そんな時代だったのだ。
祖父母は戦争中に長男を病気で亡くした。いま92歳の母の兄、つまり私にとっては伯父にあたる人だ。もちろん私は写真でしか知らない。どうして亡くなったのか、どんな人だったのか、孫にあたる戦後世代の私たちは最近になるまで知らなかった。祖父母がけっしてその人の話をしなかったからだ。
私が知ったのは、7、8年前のやはり終戦記念日のころ、母が唐突に自分の兄が亡くなったときの話を始めたからだ。
「あんなに悲しかったことはなかった。お父さんもお母さんも(つまり私の祖父母)兄さんが亡くなって人が変わってしまった」「お父さんが戦争を始めた政治家たちのことを激しくののしるようになって、その2世政治家がテレビにちょっと映っただけでテレビ画面めがけてものを投げつけるようになったのも、兄さんのことがあったからや」「戦争がなかったら、兄さんはまだ生きとった」
どうも結核ではなかったかとは母はいう。まだ10代だったその人は丈夫なたちだったとは母はいうが、戦争中に食べ物があまりなくて栄養がとれずに体力が失われ、咳が止まらなくなっても医者に見せることもむずかしく、ましてや薬など手に入らず、あれよあれよという間に衰弱して亡くなったのだそう。
私にとって「戦争」は、帰還兵の人たちの姿と、写真でしか知らない伯父の話、そして広島で被爆した親戚が語る話を通して、まだ記憶になまなましい。戦後の生まれではあるが、戦争を体験してきた人たちの話を聞いて子どもたちや孫たちの世代に伝えることが、私たち世代にとっての使命なのではないか、と思う。