Glamorous Life

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ささやかな日常

ガンバ所属(まだ所属していますよね)のアデミウソン 選手が(まだ選手でいいよね)、試合後に繁華街に繰り出し、朝までクラブやバーをはしごして酒を飲み、そのまま車で練習場に向かう途中の高速道路で車に接触し、気づかぬままクラブに行ったあとに警察から任意聴取された、という事件がありました。
もう残念でなりません。
残念なのはアデミウソン がガンバの選手だから、というだけでなく、またプロスポーツ選手というだけでなく、社会人としてやってはいけないことをやったことが残念でならない 。
飲酒は習慣になります。習慣にしてはならないことなのに、習慣になります。
そしてお酒が入ると、人間、ろくでもないことをします。
でも「酒を飲む」ということが、大人の、とくに男らしさの証明みたいに考える文化がある地域は非常に多い。
しかも酒を飲んでロクでもないことをやっても、それを「お酒のせい」として許してしまう文化がある地域もまた驚くほど多い。
酒は飲んでも飲まれるな、というのは正しい。
一回でも酒に飲まれた経験があるのならば、もう「基本、飲まない」という自制が必要です。
そう、わかっちゃいるけれどね、私もお酒が好きだし、暑くなってくるともう我慢できずに、1日働いて帰ってくると缶ビールのタップを抜いてぐびぐびが習慣になってました。それでまた「酒飲まないでやってられるかよ!」と自分に言い訳しながら飲むお酒は美味しいよね、と本当はたいして美味しくないのに美味しいと無理やり自分に思わせて飲んでいました。
 実は私、昨年から少しずつお酒を控えるようにしています。基本、家では飲まない。コロナ禍のせいで外で飲む機会もほとんどありませんが、外で飲むときにはどれだけ飲んだかを頭の中で計算し、からだに聞いて飲みすぎないようにしています。(実は結構な量が飲める大酒飲みなんだわ)
歳をとってそんなに飲めなくなった、ということももちろんあるのだけれど、自分で自分のからだや精神をコントロールできないと、それこそロクでもないことになる、という例を身近で見たことが大きい。
飲酒の習慣を頭が正常に働いているうちに断たないと、それこそロクでもない末路になる、という実例が実は私の身近に何例もあるのです。
悪い習慣を断つにも、体力と気力が必要です。飲酒習慣を断つのはいましかない、と決意し、かつコロナ禍で飲む機会が減ったことも幸い(?)して、「基本、飲まない」ことを数ヶ月続けています。基本、なので、もちろん例外はいっぱいあり、外食のときや友達と会うと飲みます。そういうときのお酒って、ほんとに美味しい。お酒の美味しさを味わうためにも、飲酒を習慣にしないことは大事だな、と思っています。

でもって、アデミウソン 、今からでも遅くない。
これを機会に飲酒習慣を断ってほしい。
まだ26歳。スポーツ選手としてどうなるかはわからないけれど、あなたの人生はこれからじゃないですか。 

 下の子が高校を卒業して朝のお弁当作りから解放されたとき、やれやれ、これで朝ゆっくり起きられる、と思って心底ほっとしたのを覚えています。それ以来、ずるずると深夜まで起きて本を読んだりテレビを見たり、ビールを飲みながら録画しておいた映画を見てからようやくベッドに入り、そこからまた本を読んでそのまま朝の雀の声を聞いて眠るとか、こと就寝と起床に関してはめちゃくちゃな生活を送ってきました。
 それが今年は一変し、いきなり早寝早起きの元子さんになったのです。原因は3つ。1つは認知症が進行した母が昨年から早朝深夜を問わず電話をかけてくるようになり、「夜は電話をしてくるな」と対面で言い聞かせても、電話で怒鳴っても、手紙で切々と訴えても、夜中の2時3時、時には早朝4時5時から電話が鳴り響くようになり、ついにケータイも家電も夜は電源を切るようにしたことです。2つ目に、新型コロナウィルスの感染拡大で外出が制限される中、人とあまり接触しない時間帯に体を動かしたいと早朝に公園までウォーキングして太極拳をし、帰ってきてからゆっくり朝食をとる習慣がようやく身についたためです。 3つ目は、言うまでもなく、年寄りになったからです。何で年寄りはあんなに朝が早いのだろうと思っていたら、今は自分が年寄りになってよくわかるようになりました。幼児と同じで、お天道様に合わせた体内時計になっちゃうんですよね。
 夜10時〜11時に電話がかけられる機器の電源を切り、朝6時まで入れないことが習慣になると、電源切った途端に眠気が襲ってくる、というのはどういうことなのでしょうか?電子機器というのは、やはり現代人の睡眠に何らかの影響を与えているのかな?
 早寝はともかく、早起き(最近は5時に起きてしまう)になってこれまでまったく気がつかなかったいろいろいろいろなことに気づき、敏感になりました。
 1つは、音です。 
 早朝、人が活動を始める前に鳥や虫が早々と活動開始して、しかも日中よりも気のせいか活発に鳴き交わしていることに気づきました。朝目が覚めて、ベッドの中でセミや雀やよく知らない鳥や虫の声を聞いていると、大げさですが、そうかこの世界では人間も生き物の一つにすぎないのだなあということを実感します。生き物の声だけでなく、風や雨の音も早朝ははっきりと聞こえて、その日のお天気が予想できます。
 2つ目は、光です。
 日の出時刻が6時すぎになった今でも、明け方には夜の闇とは異なり、かと言って太陽が昇ったあととは異なる光があるのだ、ということにこの年まで生きてきて初めて知りました。 そして、私は夜から朝への移り変わりを示す光が割に好きです。というか、その光を見るとほっとします。自分自身も含め、さまざまな存在を主として視覚情報に頼って認知している私は、闇はやっぱり怖いのです。
 早寝になると、ベッドタイムの読書の楽しみが味わえなくなったのですが、代わりに早朝ウォーキングから帰ってきてコーヒーを飲みながら読書するようになりました。電灯の光のもとで読むのと、朝の太陽光のもとで読むのとでは、作品から受ける印象が大幅に違って(個人的な感覚に過ぎません)、そこがちょっと残念ではあります。でも読む本の種類は変わってないような気もするので、ま、いいか。
 ここ数日読んでいる本は「誓願」(マーガレット・アトウッド著 鴻巣友希子訳 早川書房)、「辻征夫詩集」(岩波文庫)。アトウッドの「請願」は「侍女の物語」の続きなんですが、朝の光の中で読むと侍女の物語よりもぐっとディストピア感が薄れて、希望の物語に思えます。
 

昨日、たまたま見ていた韓国のドラマで聞いたセリフに5回くらい頷いてしまった。
「結局、私を幸せにするのは私しかいないってことに気づくまでに15年もかかってしまった」
ドラマのあらすじは、夫があちこちでこしらえた借金のために破産して家も親戚も友だちも失い、離婚して生活のために働かざるをえなくなった女性がバイトをいくつも掛け持ちしながら就職活動に励み、ついに正社員になるまでの奮闘記、なのだが、冒頭が結婚式のシーンで「きみを幸せにする」と新郎が新婦に誓うところから始まるところがポイント。
そうなんだよね、ほんと。私を幸せにするのは私しかいない。ほかの誰かに幸せにしてくれるのを期待しても、それはほとんどがかなわない希望になってしまう。私もそれに気づくまでに20年くらいかかった。まあ、夫は私に結婚するときもしてからも一度たりと「きみを幸せにする」なんてことは言わなかったし、言わないことが彼の誠実さで思いやりだったと私は感謝しているのだけれど。
ということはさておき、昨日から「幸せ」についてぼんやりと考えている。
「私はいま幸せだ」と感じたのは、もしくは感じるのはどういうシチュエーションだろう?
シーツやバスタオルなどの大物を洗濯して、青空の下で干しているとき。
プランターに植えた球根やまいた種が芽を出してすくすく伸びていくのを観察しているとき。
(自分の子どもや孫に限らず)赤ちゃんのぷくぷくした手足にさわっているとき。
「これは傑作だ!」と思える本のページを夢中になってめくっているとき。
インタビューで目を身開かされるような話が聴けたとき。
というようなシチュエーションを思いついたのだけれど、そこで気づいたのが、気持ちに余裕がないと幸せは感じることができないのだな、ということだ。
不安や心配事があるときには、幸せを感じる余裕がない。
それに加えて、幸せはきわめて個人的なことだということだ。私にとっての幸せは、あなたにとっては別にどうってことがない、もしかするとおもしろくもないことかもしれない。
だから、「私を幸せにするのは、私しかいない」というのはあたっている。
最近、おいしいものを食べてしあわせ、ということが少なくなってきていて、それはちょっと危険信号だろうか。

昨日行われた遠藤保仁選手の期限つき移籍にあたっての記者会見のまとめを今朝読んで、ガンバ大阪への感謝を何度も口にし、「ここ以上のクラブはない」と言い切ったヤットさんの言葉で涙腺が決壊した私です。
ヤットさんの「もっと試合に出たい」「もっと成長できるはずだ」という言葉を、朝から噛み締めています。このままガンバでレジェンドとしてたいせつにされる(言い方は悪いけれど、祭り上げられるという感じでしょうか)よりも、J2中位でもがいているジュビロに行ってイチからやってみたい、というヤットさんの気持ちが伝わってきて、そこでも涙腺決壊。
以前もヤットさんが最多出場記録達成直前のインタビューで「今、目の前の試合に出たい」という言葉に刺激を受けた私ですが、この記者会見でも大いに励まされました。(あの、突っ込まないでね。ガンバの、という以上に日本の至宝といっていい遠藤選手と、還暦をはるかに過ぎてまだぐでぐでしている自分を比べてどうするんだって言いたくなるでしょうけれどね)
ちょうど今、私自身が悩んでいたことに対して、前に進むスイッチを押してもらいました。ブラジルW杯前のインタビューで、ヤットさんがテレビカメラの前で言った「明日やろうはバカやろう」にもスイッチを入れてもらいましたが、あのとき以上にこの会見には強く背中をどやされた感じです。

ここ数年、私は仕事で周囲からよく「集大成」という言葉をかけられます。
「これまでの集大成として、この仕事をやってみませんか?」「集大成としてこの役職を受けてください」というようなオファーをいただくことが多くなりました。
たいへんありがたくて、 もちろんいただいたオファーは全部受けているのですが、「集大成」という言葉には実はときどき疑問を感じています。
そりゃ年齢とキャリア年数(40年を超えている)を考えたら、「集大成」って言いたくなるのもよくわかります。
でも、私自身はどんな仕事でも「この仕事でまた成長していきたい」といつも思って取り組んでいるつもりなんです。これまで積み重ねてきたものもたいせつだけれど、そこに依存したくない。集大成にするなんて嫌だ。むしろ新境地を開くつもりで取り組みたい。これまでの実績(ってたいしたことないけれど)をもとに、これなら楽々できるなんていうナメてかかって仕事をしたくない。
というところでいきなり話が介護に飛びますが、母のことを相談した医師から「安心と安全ばかりを求めたら、一気に老化が進行しますよ」と言われたことがあります。ボケても子どもがなんとかしてくれるだろう、しっかりした子どもがいるから大丈夫だ、と安心している高齢者はボケる確率が高くなる。つまずいたり転んだりしないために住宅を完全なバリアフリーにしたら、高齢者は筋力が衰えてほかのところでつまずいて骨折しがち。風邪を引かないようにと厚着して家にこもっていたら、糖尿病と心臓病、高血圧になるリスクが高まる。というのです。
ボケないようにするには、何歳になろうと新しいことに挑戦する。
つまずいて骨折しないためには、何歳になろうと筋トレと有酸素運動を欠かさない。
風邪をひかない(糖尿病や高血圧にならない)ためには、食生活に気をつけて、外出してしっかりからだを動かす。
「〜〜しないため」に用心して、あれをやらない、これもやめておく、もうできない、とするのではなく、もっと成長しよう、まだまだ挑戦を続けよう、と活動することが、実は一番リスクを回避できる生き方だと医師から教えられました。

「そうだ、まだまだこれからだ! もっと成長していこう」という気持ちを思い出させてくれたヤットさん、ありがとう!!
これからまた大きく成長して、またガンバに戻ってきてください。そのときを待っています!
 

Amazonで本を購入するのをやめてそろそろ2年。本屋に行く時間がなくて、でもどうしても読みたい本があるときにはまず図書館で検索し、本屋をまわり、それでもなかったらやむなくhontoを使うことにしています。
なぜならAmazonからのおすすめがわずらわしくて、かつ評価マークが信用できない、と思っているから。もちろんhontoもおすすめしてくるけれど、せいぜい同じ著者の新刊だったりするので、まあ許せる。でもAmazonが薦める本はひねりを入れて来て、しかも「うーん、そこですか?」という球を投げてくることが多いのです。それ以上に「その本だけは薦めてほしくなかった」ということがあって、私が嫌いで読みたくないと思う作家や学者の本を、売れているからというだけで薦めてくるのがいやでした。
Amazonでの購入をやめて2年経ち、ようやくおすすめメールがこなくなってほっとしています。プライバシーに踏み込むな、とかいう以上に、勝手に私の読書傾向を判断してくれるなよ、私がその本をAmazonで購入した動機をAIが判断した、とか言うのだったら、AIあんたは間違ってる、私の意図と動機をあんた(AI)が判断するのは50年早い〜〜〜という腹だたしさのほうが先に立ちます。
それはともかく、私はベストセラーをあえて読まないと決めてから25年がたちます。きっかけは「失楽園」でした。日経朝刊の連載小説だったときにはときどき読んでいたのですが、うーん、神経が逆撫でされるというか、「女を馬鹿にしとんのか!」と怒りがこみ上げるというか、とにかく嫌いだったのです。ところが超ベストセラーになり、え? 何それ? と裏切られたような気持ちになって以来「ベストセラーには手を出すのをやめよう」となったわけです。
本だけでなく、テレビも視聴率が高い番組は意図的に見ないし、映画も観客動員数最高とか言われると見る気が一気に失せます。NHKの朝ドラを最後に見たのは1996年の「ふたりっ子」だったかなあ。「あまちゃん」の話題についていけなかったときは、ちょっとさびしかったけれど、別に見なかったことで困ったことはこれまでありません。紅白歌合戦も何十年も見ていないし、流行歌にもうとい。ラジオを聴くので、あれ?いまの歌、すごいいい! ということはときどきあって調べたりするけれど、それが流行っているかどうかまでは調べないです。
コロナ禍の自粛期間中にNetflixに入ってドラマや映画を見るようになりましたが、「愛の不時着」にはついにハマれなかったのは、たぶん「流行っているもの、みんなが見ているもの、おすすめされるもの」への忌避感があるからではないかと自己分析しています。
(ちなみに私がNetflixでずっとハマり続けているのが、イ・ウジョン脚本、シン・ウォンホ監督の一連の作品。「賢い医師生活」「刑務所のルールブック」「応答せよ、1994」「応答せよ、1997」です。賢い医師生活のシーズン2の公開が待ちきれません)
そんなこと言っていても、GAFAのAIマーケティングにいつまで私が抵抗できるのかはわかりませんが、とにかく「ベストセラーは読まない」「一番人気には手を出さない」「視聴率トップは見る必要がない」ついでに「いいね! とか星がたくさんついているものは疑ってかかる」ことをもうしばらくは続けていくぞ、と決めています。おもしろいもの、はまるものは自分で探す。それをしばらく座右の銘にしておきます。
(と思っていたら、日経朝刊にこんな記事がありました。そうかGAFAのマーケティングはこんな風に問題なんだ、とうなずいたので画像を貼っておきます)
 
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