Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

ランチョンマット

本格的(?)に外での活動を再開してからというもの、ばたばたと日々が過ぎていき、巣篭もり期間中と比較するとじっくり自分と世界に向き合う時間が減ってきてしまいました。いかんいかん。
だから日記も一週間ぶり。「巣立ち日記」では、あれしたこれした、という「活動」をできれば書きたくない、できればこんなことを考えたということを中心に書きたいと考えているのですが、そうすると考えていることを言葉に凝縮させる時間がとれないうちに日が過ぎていきます。
と、ここで気持ちを取り直して、初心に戻り、凝縮まではいっていなくても、その日考えたことをメモを元に書き記していくことにします。一週間分、とは行かないかもしれませんが。

6月3日(水)
 久しぶりに英文でややこそしい案件のメールをやりとりした。基本、ややこしいことを伝えることは日本語でも英語でもむずかしい。最初っから相手を敵対視した書き出しだと、怒りと非難の応酬になってしまって 、話がぐちゃぐちゃになる。でも、やんわり伝えようなんて思って書いたら、まーーーったくこちらの意図が伝わらないどころか、相手をつけ上がらせて(なんて言い方は悪いけれど)もっといいっていいのかと攻撃の度合いが増す。
 日本語だろうが、英語だろうが、相手から言われたことに対してこちらの反論なり、望む落とし所を伝えるのは本当にむずかしい。どういう感情が私の中にわき起こったかをまず冷静になって分析し……なんてやっていると、言いたいことの半分も言えないうちに終わってしまう。そもそも相手とこれからも付き合っていきたいのか、それともこれで切れてしまっても後悔はないか……と書き出す前から悶々と悩む。
 書いては消し、消しては書き、を繰り返しているうちに、やっと頭が英語モードに戻って、かなりストレートに怒りをぶつける言葉を並べて、ええい、もうこれでいく! と返信したときには、最初に書いた分量の3分の1まで減っていた。その後、相手からは返信なし。私のメールを読んで怒りがふつふつとわいているのかもしれないけれど、私のほうは言いたいことを言えた、という達成感でこの件は忘れることにした。それにしても……たった1通のメールを書くのに丸一日かかってしまったよ、とほほ。

6月4日(木)
 昨晩、はじめてオンライン読書会というのに参加してみた。下北沢にある「好奇心の森ダーウィンルーム」が毎週水曜日に開催している読書会で、コロナウィルス 感染防止のために、いまはオンラインのみの開催になっている。
 緊急事態宣言の外出自主規制中に、たまたまダーウィウンルームに入ったら、たまたま探していた本(『給食の歴史』藤原辰史著 岩波新書)あとで感想を書きます)を見つけて購入した。すると「読書会をやっています」とお知らせをいただき、たまたま関心を持って読みたいなと思っていた山本太郎著『感染症と文明』(岩波新書)をたまたま次回の会で取り上げるというのでさっそく本を購入し、一気読みしてものすごくおもしろかったので申し込んだわけだ。
「たまたま」を連発したが、「予期したことが実現するとか、実現してよかった気持ちをあらわす」(日本国語大辞典)という意味が一番近い。おもしろそうな店で、私好みの本がありそうと思って入ったら、案の定見つけることができ、この本を取り上げるのならきっといい話が聞けそうだと思ったらその通りだった、というわけ。この場合の「たまたま」は、偶然起こった出来事を意味しない。予期していた通りのことが実現した、という意味だ。
 キュレーターの鶴田想人さんの本の紹介と進行もツボを押さえていたし、参加した方たちの感想や視点もたいへんに刺激的だった。またぜひ参加してみたい。

6月5日(金)
 髪を切って、カラリングした。昨年10月から伸ばしっぱなしで、髪型どうしようどうしようと思っているうちに8ヶ月。髪がかなり傷んだこともあり、思い切ってショートにした。あ〜すっきり〜〜〜。手入れが楽です。
 カラーもどうしようどうしようと思っているうちにごま塩になってしまい、いっそこのまま白髪にして近藤サトさんをめざすか……と考えたりもしたのだが、まだ肌と髪につやがある50代ならともかく、お肌がまがってからすでにン十年たっていて、白髪にしわしわじゃ単なる「かまわないおばあさん」になってしまう。おばあさんになる勇気はまだない。年齢はおばあさんだとしても、ですよ。だからやっぱりカラリングした上に、部分メッシュまで入れてしまった。
 私はどうしても「おしゃれの業(ルビ:ごう)」が解脱できない。「もうファッションにとらわれないで生きていく」「人からどう見られるかではなく、自分が気持ちのいい外見でいい」といさぎよく思いきれない。それどころか、「出かけてはいけない」と言われながらも、おしゃれをしてどこかに出かけたくてたまらない。外出自粛期間中も時間があるとファッションサイトをぐるぐる巡って、この服にはあの靴が合うよね、ピアスはこれにしようかなと一人脳内ファッションショー。最近では服にマスクを合わせて……なんてコーディネイトを考えたりして、いったいどこまでおしゃれ業(ごう)が深いんだ。

観た映画(WOWOW):『ガリーボーイ』。実話を下敷きにした音楽映画。ポリウッドらしく予定調和のあらすじなんだけれど、ラップの歌詞の風刺がきいていて面白かった。

夕飯は鯵の刺身サラダ(魚屋さんで新鮮で大きな鯵が安価で売られているのを見つけ、3枚におろして刺身にしてみました。ヘタクソだから身がぼろぼろになったので、塩と酢でしめてお刺身サラダに)、牛ヒレステーキ、3色ピーマン炒め。金曜だから豪華ディナー
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6月6日(土)
 今年は梅が豊作なんだとか。ご近所から大量に分けていただき、今年も梅しごと。
 昨年は梅が不作だったのと、欧州に遊びに行ったりしていたので、梅しごとをしなかった。
 今年は初めてジップロックを使う方式でやってみた。これは便利で手早くできる。朝晩、重石を外して、保存容器をあおって塩を馴染ませる手間は必要もないし。
 6キロの下漬けしごとが2時間かからないで終わった。ジップロック万歳!

6月7日(日)
 北海道の遊牧舎という牧畜業者さんが、豚オーナーの募集をしていたので、半頭分のお肉を1年に分けて送ってもらうように注文をした。遊牧舎さんでは、豚を近隣農家の野菜と草を餌にし、一年中屋外で放牧して育てているとか。雪の中でも豚さんが元気に走り回っている画像を見て、これは健康そうで、何より美味しそう! とすぐに申し込んだのだ。
 先月末につぶして解体された分から、今月はロース肉2キロが送られてきた。チルドで届いた肉を、届いてから一週間は寝かせてください、ということだったので、ちょうど今日が食べ頃。
 できるだけ厚手に切って、とんかつかトンテキでお召し上がりください、決して火を通しすぎないように気をつけて、という注意書き通り、2.5センチの厚さに切って、低めの油で5分揚げてトンカツにした。一緒に届いたスペアリブは、下茹でしてからじっくり弱火で1時間半オーブンで蒸し焼き。
 元気に遊び回って育った豚さんの肉は、みずみずしく、脂身までもがさっぱりしていて、「美味! 滋味!」という表現がぴったりだった。招待した娘たち一家も堪能し、大満足の豚曜日だった。
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観たドラマ:娘から『椿の咲く頃』という韓国ドラマを勧められたのだけれど、検索をかけているときについ見始めた『トッケビ』にはまってしまった。主演のコン・ユも素敵だけれど、同じく主演のキム・ゴウンがたまらなくかわいい。何よりもこのドラマがヒットしたポイントは、脚本にあると思う。といっても、まだ2話しか観ていないのだけれど。

6月8日(月)
 今年3月に予定されていた創玄書道展は中止になり、私の初受賞作品は展示されないで終わった。受賞の感慨はそのせいかほとんどなく。自分が何を書いたのかの記憶も薄れつつあった今日、作品が返却されてきたので、広げて写真を撮影した。
 疾風勁草—苦境や厳しい試練にあるとき、意志や節操が堅固な人であることがわかる、というたとえ(gooより)この意味よりも、ぴゅーっと音を立てて吹く風に、根元から倒れながらも折れないで立ち上がる草の感じを表現したいと考えて書いた作品。私の記憶では最後の錬成会で、最後のほうに書いたものを提出したはず。なぜなら「艸」の字にばっちり墨が入っているのは、「そろそろ終ろう、でも墨を使い切ってからにしたい」とかケチくさいことを考えたおかげのような気がするから。
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読んだ本:『給食の歴史』藤原辰史著 岩波新書
こんなに私の関心のツボ(食、子ども、食育、政治)を押しまくってくれる本を今まで見逃していたなんて! これはもう別立てで感想を書かねばなりません。 

5月30日(土)
 受け身ではダメだ、といつも自分に言い聞かせてきたつもりなのだが、緊急事態宣言中に自分がいかに人に言われたこと(だけ)を必死にやっていたかを痛感させられた。フリーランスになって30年。仕事というのは、頼まれたこと、求められていることを、求められている水準プラスαくらいで仕上げて納品するというスタイルが染み付いてしまっていた。でも60歳近くなってくると、若いときのように待っていてもいなくても仕事が来る、という状態にはならない。だから、自分で開拓しよう、営業をかけよう、と動いてみたものの、どうも私が考えた開拓分野が違っているらしく、結局頼まれたことをこなす日々がまた続いてしまっていた。
そんなところにコロナ禍。
働き方が変わるどころか、「仕事」の定義まで大きく変わっている。
依頼を待っていてはダメなことはもちろん、開拓だの営業だのという発想そのものがもう時代にそぐわなくなっている、ことを痛感させられたこの2ヶ月。 
どんなことが「仕事」になるのか? 仕事ってそもそも何?
そんなことをもんもんと考えながら、やっているのは太極拳と書道。
大丈夫か>私?

読んでいる本:「ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る」
梅森直之編著 光文社新書
「想像の共同体」が通読できていないのだが、まずは新書で入門してみようと2005年早稲田大学でアンダーソンが行った講義録を読むことにした。

夕飯はなめたカレイの煮付け、ピーマンとナスの味噌炒め、アスパラガス(2色)とハム、ほうれん草の白和え、豆腐とナスの味噌汁
アスパラガスを低温で茹でて、茹で汁に少し出汁を加えて味噌汁にしてみた。うーん、美味しいじゃないか。低温調理ばんざい
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5月31日(日)
 今年の夏は(も)長く暑いらしい。今の気候変動が人間の(無謀な)経済活動によって引き起こされたものであることはまちがいないのだが、太陽の活動とも関係しているらしい。
 外出自粛と経済活動の停止によって、夏の暑さは少しマシになるかなと少しだけ期待していたのだけれど、いやいや数ヶ月経済活動がゆるやかになったくらいで気候変動に変化が起きるはずもなく、そして太陽の活動も地球温暖化に拍車をかける。いや、太陽の活動による地球温暖化を、よりいっそう進めているのが人間の活動か?
 どちらにしても、暑いのが苦手な私にとって、2000年代に入ってからの酷暑は耐え難い。でもクーラーを入れる気にはならなくて、窓をあけて風を入れ、汗をふきながら書道。書道っていうと文化系で大人しくやるものだと思われるかもしれないけれど、実は身体芸術で、すごくからだを使うのだ。ぽたぽた紙の上に汗が落ち、そこの部分の墨が滲んでしまったりして、いらつく。早く夏が終わってほしい。

夕飯は近所の居酒屋さんでテイクアウトを買ってきてしまった。鯛のカブト煮、ほうれん草としめじのおひたし、刺身盛り合わせ

読んでいる本:「免疫力を強くする——最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ」
宮坂昌之著 講談社ブルーバックス

免疫をつけるにはワクチンしかない! という主張を、素人にもわかるように筋道たてて説明してくれる。「免疫力」なんていう言葉自体が科学的じゃないこともよくわかった。ヨーグルトや納豆をキロ単位で食べても「免疫力」がアップするなんてことはない。強いて言えば、リンパと血液の流れを良くするために、運動することくらいしかない。
ワクチンができて普及するまで、こりゃあCOVID-19とうまく付き合っていくしかないわけだ。

6月1日(月)
 いつまでも引きこもってばかりもいられず、今日はたまっていた用事を一気に片付けてしまおうと午後早い時間から出かけた。自宅から代々木→原宿→渋谷を回って帰宅を予定していたのだが、起きたら雨が降っている。うーん、自転車が使えない。しかたなく全行程徒歩で行くことにした。18キロくらいかなと地図を確認。
ところが、原宿で受け取った資料が思いの外重くて、渋谷まで歩いていくうちに腕が痛くなり、でも雨模様だからかばんを下に置いてしばらく休むということもできず、ほとんど足をひきずるようにして渋谷も目的地に到達。そこでまた荷物が増えて、ついに観念した。
 3月27日以来初めて、電車に乗りました。2ヶ月半ぶりの公共交通機関利用。
 夕方7時前だったのだが、結構な混み具合で、座席は全部埋まっているし、つり革を持って立っている人もいて、以前と変わらない混雑ぶり。マスク着用率はほぼ100%だからいいものの、隣に座った人が咳をするのが気になった。
 帰宅してすぐにシャワーを浴び、冷やし中華をかきこんで10時前に眠ってしまう。ほんとに疲れた。私、社会生活に復帰できるのだろうか? 

読んでいる本:「感染症と文明—共生への道」山本太郎 岩波新書
この2ヶ月で読んだ本の中で、トップ3に入れたいおもしろさ!
「サピエンス全史」にもあったけれど、農耕が始まって人間が集住するようになることが、感染症の流行を引き起こした。農耕は決して人間(ホモサピエンス)の健康には良くないし、地球環境も壊滅的にダメにした。農耕で人間が増えて、その食糧を確保するために小麦とか米とか限られた植物を大々的に育てることで生物の多様性が失われ、森林が破壊され、河川は汚染され、人間は「未知のウィルス」に暴露される機会が増え……やれやれ。
印象に残った言葉
「根絶は根本的な解決策となりえない。病原体との共生が必要だ」
「パンドラの箱は多くの災厄を世界にばら撒いたが、最後には希望が残ったとする説と、希望あるいは期待が残されたために人間は絶望することもできず、希望と共に永遠に苦痛を抱いて生きていかなくてはならなくなったとする説」があるそうです。……やれやれ

6月2日(火)
 アメリカがたいへんなことになっている。
 ジョージ・フロイドさんという黒人男性が、ミネソタ州で白人警官に地面に膝で押さえつけられて死亡したという事件から、"Black Lives Matter"(黒人の命は大事だ)というメッセージをかかげてデモが起こった。
 フロイドさんは地面に8分も押さえつけられて死亡。3分で意識を失っているのにその後も押さえつけていた。それを一部始終撮影され、動画を見た人たちが立ち上がった。少なくとも全米140の都市で大がかりなデモや暴動が起きてすでに2週間弱になる。
 トランプ大統領がツイッターで、憎しみをあおるような書き込みをしたことで、デモも暴動もいっそう激化した。
 州軍を出せ、連邦軍を送るぞ、暴動を起こしているやつらは逮捕して長期間刑務所に閉じ込めろ、というトランプ大統領の演説を聞き、ツイッターを見てしまって、正直寒気と吐き気がした。
 平和的にデモをしている人たちに催涙弾を撃ち込み、何もしていない人にスタンガンをあてて逮捕する。 黒人も白人もヒスパニックもアジア系もデモに参加している。
 人種問題だけではない、経済格差とコロナ禍での貧困が背景にある……そういう背景解説がむなしく聞こえる。 解説はもういいのだ。
 怒りのこぶしを振り上げ、怒りの声をあげ、涙を流し、抗議する人たちの声をしっかりと聞き、その姿を目に焼き付けなくてはいけない。オバマ元大統領が言うように、「このときを、本当の変革のターニングポイント」にしなくてはならない。

夕飯はケールと野菜のスープ、スウェーデン風ミートボール(ディルとイタリアンパセリをたっぷり入れた肉団子にマッシュポテトを添える)、春菊の胡麻和えサラダ
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ご近所で菜園をしていらっしゃる方から、ケールをはじめとする野菜を分けていただいている。昨日も通りかかったら呼び止められて、ケールを根っこから一本引っこ抜いていただいた。春菊やルッコラも。たまらなく美味しい。野菜本来の味がからだにしみわたる。 

5月27日(水)
 緊急事態宣言が解除されたことから、3ヶ月弱ぶりにお孫2号(男子)に会いに行った。ビデオ電話ではよく会ってお喋りもしていたのだけれど、顔を合わせるのは3月初め以来。
 驚いたのは、語彙が増えたこともさることながら、副詞と助詞の使い方がほぼ完璧になっていたことだ。クルマ大好きの彼に消防牽引車ミニカーをプレゼントしたら、大喜びしてくれて(その顔が見たくてついつい大甘のババになってしまう)「おばあちゃん、○ちゃんに、いつもクルマを持ってきてくれてありがとう」とお礼を言われた。親(娘)も「え! そんなことが言えるんだね!」とびっくり。「いつも」という副詞が入り、「持ってきてくれる」という複雑な言い回しもできるなんて!!(ハイハイ、バババカが通りますよ〜〜)
 娘も幼いときから口が達者だった。1歳になるかならないとき、ご飯を食べさせながらテレビのニュースを見ていたら、いきなり振り返って「キタチョウセンカクササツ」 と言い出したのに驚かされたっけ。中2で韓流にハマって、ハングルを勉強し始めてまもなく、KPOPのラップを数回聞いただけで真似できたりとか。お孫2号もその血を引いているのかもしれない。
そういえば、一緒に遊んでいるとき「トラックが来ました〜」と私が言ったら、「え? ああtruckだね」と巻き舌で言い直された。さすがYouTubeにお守りされているだけあるわ(ハイハイ、バババカが通りますよ〜〜〜)
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(後ろ姿はもう少年)

夕飯は、昨日のボルシチ、アスパラガスとトマトのサラダ、米粉パン
Netflixで観た番組:『アンという名の少女』シリーズ3途中まで観た。何、これって『赤毛のアン』からは離れたフェミニズム映画じゃない?

5月28日(木)
 ご近所で菜園をやっていらっしゃる方がいて、ケールを大量にいただいた。ケールは「子ども時代の思い出の野菜!」なのだ。
実家の裏庭で祖母がケールを栽培していて、その葉をジューサーでしぼった青汁を飲まされる苦行に耐えた小学校時代だった。ところが、長じてからときどきあの「うー超まずい!」ことで有名になった飲み物が懐かしくなって、無農薬でケールを作っている農園からわざわざ取り寄せてジュースにして飲んでいたことがあったのだ。ケールは🥬思い出の味。良くも悪くも。
 だが、ご近所からいただいたケールは生で食べてもほろ苦さが病みつきになりそうなおいしさなのだ。育ちすぎて固くなったと言われたので、スープと炒め物にしたら、私の知っているあのケールからは程遠い、苦さどころか甘みさえも感じるおいしさだった。少しだけいただいたパクチーと一緒に豚肉と炒めたら、あっという間に消費してしまった。

夕飯はだから、ケールそのほかの野菜とベーコンのスープ、🥬そのほか野菜と豚肉の
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読んだ本:『還暦からの底力:歴史・人・旅に学ぶ生き方』(出口治明著 講談社現代新書)
教養=知識✖️考える力、というのはすごく腑に落ちた。この本もだが、『ホモ・サピエンス』でも日本の男女不平等について章をさいて言及している。コロナ禍が不平等の元凶である、生産性の低すぎる働き方を変えるきっかけになればいいのだけれど。

5月29日(金)
 SNSでの誹謗中傷を苦にして、女子プロセスラーの木村花さんが亡くなられたことがニュースになっている。私は木村花さんのことも、「テラスハウス」という番組もまったく知らなかったのだが、ニュースに接したときに、自分でもびっくりするほど心が痛んで苦しくなった。
 私がネットの世界に足を踏み入れたのは、1990年、パソコン通信というメディアの草創期からだった。ニフティサーブに登録した私はフォーラムに、チャットに、夢中になった。そのときに知り合ったネット仲間は、今もFacebookで親しくつきあっている。顔を合わせる回数はパソコン通信のときほどではないけれども、今もたいせつな仲間だ。大げさでなく、パソコン通信からFacebook、Twitterと続くネットの世界は、私の人生を大きく変えた、と思っている。
 だが、30年どっぷり浸かってきて身にしみているのは、バーチャルでしかつながらなかったとき(つまり顔が見えない人とは)人は人に対して驚くほど残酷になれることである。特に匿名やなりすましで書き込めるメディアでは、人は容赦なく徹底的に人を攻撃することが平気になる。実際に顔を合わせていたら、決して相手には言えないような言葉が、匿名メディアでは平気で吐ける。
 非難すると、ちょっとウケを狙ってみただけ、本当はみんな言いたいと思っていることを書いてみただけじゃないか、と開き直られる。
 30年もその世界で過ごすうちに、私も見知らぬ人からの根拠レスな中傷にショックを受けて、もうネット世界からは足を洗おうと思ったことが何回かある。でも、有名人でも成功者でもない私に対するバッシングなんて、所詮たいしたことがない。「今弁護士に相談している(→本当に2回ほど相談したことがあった)」というと、いつの間にかおさまった。だが、そのとき書き込まれた攻撃の言葉は、今も胸に刺さっていて、思い出すと苦しくなる。
 いじめもそうだが、結局は「逃げるが勝ち」なのである。どこに逃げ場を作っておくかをいつも考えておくことが大事なのだ、というのが今のところの私の対策である。
 それにしても悲しい。木村花さん、心よりご冥福をお祈りします。こんなに悲しくて悔しいことが二度と起きないように、なんとかしなくては。

夕飯は、グリーンアスパラとバターフランスパン(昼に残り物を食べたので、夜は空腹にならず)

読んだ本:『JIN~仁』まだ読み終わらない
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(毎日同じようなレシピばかり作っているので、せめてちょっと目新しさを出そうと、ハーブをふんだんに使うことにしています)
 

2ヶ月に及ぶ外出自粛生活にようやく終止符が打たれたようで(一応)、「新常態」での日常が戻ってきます。マスク着用、2メートルの社会的距離をとる、三密はやっぱり避ける、など「新常態」の条件が出ていて、まだ恐る恐るではありますが、ともあれ日常生活が始まります。
巣篭もり日記を終えて、さて、この時期に何を書こうかなと考えていました。「新常態日記」(変態日記みたい)、「AC(アフターコロナ)日記」(あまりに露骨で芸がない)などタイトルをあげてみたものの、そんなタイトルでは前向きなことは書けないなとあきらめ、ベタではありますが「巣立ち日記」で始めてみることにします。
この2ヶ月、人と顔を合わせることがほとんどなく、同居の夫とでさえ挨拶程度しか話をしませんでした。そのおかげかどうか、ひさびさに自分自身との会話時間が長くとれたように思います。これからどうなるのか、私はどうすればいいのかといろいろと自問自答を重ねた2ヶ月が終わって、いま一番強く自分自身に言い聞かせているのは、「2ヶ月前と同じ思考回路で、同じ生活態度で生きていってはいけない」ということです。
 これまで「普通」だと思いこんでいたことが、普通ではなくなりそうで、当然続いていくと信じていたことが終わってしまうかもしれない時代がやってきます。これまでの経験とか実績とか知識とか、そんなものがまったく役に立たなくなるでしょう。頭も、心も、からだも、そんな大きな変化に対応できるような柔軟性と強靭さが求められています。ちょっと大げさですが、私はこれからあらたな羽ばたきを覚えて、勇気を持って巣から飛び立っていかねばならない。だから「巣立ち日記」なわけです。
66歳でもう一回巣立ちか〜と思うと、3分の1の私は「やれやれ」とため息をつき、3分の1は不安を覚えているのですが、あとの3分の1はワクワクしています。できればワクワクを半分くらいには持っていきたいです。何回も羽ばたいては転がり落ち、羽ばたいているつもりなのに少しも飛び上がれないことが続きそうですが、どうか無事に巣立ちができますように!

5月25日(月)
いよいよ関東圏や北海道も緊急事態宣言が解除された。
午前中に美容院へ。昨年の年末から髪を伸ばしっぱなしだ。肩にかかってはねてしまうので気にはなっているのだけれど、やりたい髪型が思いつかない。
もう20年近くお世話になっている美容師さんに相談したら「髪を伸ばしていきたいのですか? 伸ばしていくにせよ、いまは毛先が傷んでいるので、せめて3センチでも切ったほうがいいですよ」と言われた。
3センチ切りそろえるだけなんて中途半端なことはしたくない。切るんだったら、思い切って10センチは切りたい。
せっかく切るのだったら、過激な髪型にしたいのだけれど、今は過激に走るだけのエネルギーが湧いてこない。巣篭もり疲れなのだろうか?
結局、シャンプーブローだけにしてしまった。
読んだ本
『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社)上巻を読み終わる。
『JIN~仁』5、6巻

夕飯はいわしのパン粉焼き(巣篭もり中に4回も作ってしまった。今回はドライトマトでアクセントをつけてみた)、野菜スープ
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5月26日(火)
 ガンバが練習を再開したらしい。Twitterに動画が上がっていたので、食いついて見た。
https://www.gamba-osaka.net/news/index/no/11027/
選手たちも宮本監督も元気そうでうれしい。7月にはパナスタで試合観戦ができるのだろうか? サッカーだけではないが、スポーツ観戦の形も変わっていくのだろうなあ。


 巣篭もり期間中に痛感したのは、誰かが何かをしてくれると待っていても、その何かが起こることはないし、何かは手に入らない、ということだ。
 マスクが品切れだ、なんとかしてくれとドラッグストアの店員に迫っても、出てくることはなく、アベノマスクが送られてくるだけだった(ああ、血税の布マスク……涙)。
 自粛期間が終わったら、ひいきのレストランが閉店し、お気に入りのミニシアターが閉館し、好きなアーティストが廃業してしまっていたら……どうしよう、誰かどうにかして! というだけでは、どうしようもないことがわかった 。
 ネットを眺めているだけではどうしようもない。行動を起こさなければ、アフターコロナの社会はとてつもなく味気ないものになってしまう。私ができることは何かをいま模索中だ。
 その一つとして、Facebookで教えてもらった、生産者と飲食業(レストラン)を支えるためのお取り寄せ企画にのってみた。遊ぶたという北海道の養豚業者と、その豚肉でソーセージやハムを作って出しているレストラン、ブーシェルの手作り加工品、そして北海道のおいしいチーズ製造業者の製品を購入した。大満足。
お取り寄せで夕飯はボルシチ、パテドカンパーニュとハムのゼリー寄せ、パプリカとマッシュポテト添え
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読んだ本:『LIFE SHIFT~100年時代の人生戦略』リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著(今更ですが、ベストセラーを読んでみました。うーん、ちょっとしんどかったなあ。100年、できれば85年くらいで人生を終えたいですよ〜) 

どうやら来週月曜日、5月25日には東京も緊急事態宣言が解除されるようなので、今回で(当初の希望どおり)巣篭もり日記は終了します。4月半ばに書き始めた当初は、「100年に一度」とか騒がれるこの感染症による外出規制で在宅を余儀なくされ、自分自身がどうそれを受け止めるのかを分析してしておこう、日記形式で日々何をやって、どんなことを感じ、考えたかを書き留めておこう、というつもりでした。
当初はマスクや消毒液がまったく出回っていなかったり、スーパーやドラッグストアでの買い占めが話題になっていたり、外出規制にもかかわらず遊びにいく人への非難が高まったりしていましたが、5月連休明けからは、「経済の立て直し」「新常態」とかACの話題が多くなってきています。
そこで、気が向いたらですが、アフターコロナの生活について、ビフォーコロナと比べながら考える日記を書いてみようかない、と考えています。でも、ま、ほんと気が向いたら、ですが。

5月18日(月)
 ガンバの試合に関する記憶は、20年間にわたってかなりしっかりしていると自信があるのだけれど、学校に通っていたころの記憶が失われてしまっている。今年度、小学校から高校まで通った学校の同窓会幹事が回ってきたので名簿の整理をやったのだけれど、申し訳ないことに名前を見てもその顔が思い出せる人が3分の2しかいない。
最後に同窓会に出席したのは6年前、還暦を記念して開かれた会だったのだけれど、そのときも「あの人誰?」状態で、親しくしている人にこっそり聞いて教えてもらうことたびたび。それからもう6年同窓会に顔を出していなくて、しかも幹事になったんだから今度こそ出席するぞと楽しみにしていたのに、今年同窓会を開くのはむずかしそうだ。記憶はどんどん薄れていく。
妹から「お姉ちゃんは思い出を大切にしていない」とよく非難(?)される。私が昔の写真とかをぱっぱと捨ててしまったり、学生時代のことをほとんど覚えていなかったりするからだ。 私が大切にしたいのは過去ではなく、現在と未来なんだ、と非難されるたびに言い返していたのだが、その気持ちは巣篭もり状況になってからますます強くなっている。
過去を思い出すのではなく、現在と未来のことを考えたい。昨日より今日、今日より明日をもっとよくするために、何が私にできるか、もしくは何をしてはいけないか(次世代のために、未来のために)と考えて行動しないと、コロナ禍に呑みこまれてしまいそうで不安なのだ。

と、テーマからいきなりずれてしまうけれど、過去の思い出深いYouTubeをアップしてしまおう!
試合開始から監督胴上げまで、全てが記憶に刻まれている。何回見ても泣けてくる。



夕飯は、ほうれん草&ケール&新玉葱と豚肉炒め卵とじ、レタスやベイリーフのサラダ、野菜スープ

 5月19日(火)
図書館が休館になるぎりぎりのタイミングで借りた本の返却のために外出。返却ポストに入れながら、外回りを掃除していた警備員さんに「開館はいつごろになりそうですか?」とダメもとで聞いたのだけれど、案の定「さ〜今月いっぱいは閉まっているんじゃないの? 私じゃわからない」と素っ気なく言われてしまった。
図書館が休館してしまうと、デジタルの資料にしかあたれなくなってしまって本当に困る。 つぎにロックダウンがあるときには、HPで予約した書籍や資料の貸し出しくらいはぜひできるようにしてほしい。電子化されていない資料を必要としている人は、決して少なくないはず。
もしかしたら、あそこにあるかも……とかすかな期待を持って、雨の中をとぼとぼと2キロほど歩いて古書店に行ってみたのだけれど、そこも閉まっていた。本と出会えない生活。それが私には一番こたえているのかもしれない。そんな贅沢で呑気なことを言っている場合じゃないのだろうけれど。

夕飯は、ナスの煮浸し、青椒肉絲、豆腐と大根の味噌汁、煮豆、野菜スープ(残り物の惣ざらえ)

5月20日(水)
今回の記念に、マスクを縫ってみた。ガーゼとゴムがセットになったキットを購入して、ミシンがないので手縫い。
私はものすごく不器用で、特に裁縫が大の苦手。高校のとき、家庭科でパジャマとかエプロンとかブラウスとかスカートを作らされたが、全部母親にやってもらって提出した。雑巾だってまともに縫えない人に、そんな高度な衣服なんて無理ですよ。
その後も裁縫トラウマは続き、娘たちの保育園では布団カバー(敷き布団とかけ布団の両方)、汚れもの袋、着替え袋、防災頭巾全てを同じ柄の布地で縫わされるという苦行があり、ミシンがないために全部手縫いした。子どもを寝かしつけた後に徹夜して作りましたね。頭の中で「かあさんがよなベーをして〜〜布団カバー縫ってくれた〜〜」が脳内リフレイン。でもあの頃は、認可保育園にやっとこさ入れた喜びで、その苦行にも耐えられました。
娘たちも「同じ柄で布団カバーやらを作る」ことは保育園から言われたが、なんと! 最近ではネットで請負販売するプロがいっぱいいるのだとか。しかも安い! そうだよね。ミシンがない家庭が多くて、時間も労力も限られている働くお母さんに、手作りしろ、それが母親の愛情なんて押し付けはまったくおかしい。
でも、自分のものを趣味で作るのだったら楽しい。型紙とって裁断、手縫い、というので2時間弱で出来上がり。これもコロナ記念ってことにしよう。
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夕飯は、豚肉ともやし、玉葱、きのこの中華炒め、春雨ときのこのスープ

5月21日(木)
検察庁法改正案が今国会で見送りになったと思ったら、なんと黒川東京高検検事長が、緊急事態宣言期間中に新聞記者と賭け麻雀をしていたと週刊文春がすっぱぬき、それをきっかけに黒川さんは辞任届を出した。検察庁法改正についても、記者クラブの在り方についても、文春砲についても、言いたいことは山ほどあるが、それはさておき。
私にはわからないのが「なぜ検事長になるほどの世知たけたやり手の検事が、自分が渦中の人物であることがわかっていて、三密を避けるために自粛を強いられているこの時期に、違法である賭け事をしたのか?」ということだ。ギャンブルの中毒性は検事長の理性を失わせるほど強いものなのか? 
このコロナ禍が起こってからも、パチンコがやめられない人たちのギャンブル依存症が話題になった。その前にもIR(統合型リゾート)にカジノが入ることに対して、ギャンブル依存症で家庭を壊された人たちから反対の声が上がり、挙句に賄賂もらっていた議員が逮捕されたりした。
パチンコも麻雀も競馬も、人生で1、2回しかやったことがない私には、わからない。ギャンブルの面白さも、なぜ人生を棒に振ってまでのめり込んでしまうのかも、まったくわからない。わからなくて幸せだと思っている。たぶんアドレナリンがドバーッと出て、それが快感で、クセになるのだと想像しているのだけれど。
もしかすると、ですよ、それはガンバが2点差をひっくり返す逆転勝ちをして、しかもそのゴールが後半93分だったときの痺れるような興奮なのだろうか? ああ、それならわかります。私もその興奮が忘れられず、きっとまた強いガンバが見られるだろうと、万博やパナスタの階段を登ってしまうんですよ。……ってなんでギャンブル依存の話からガンバ依存症へと話が移っちゃったんだ? 早くJリーグ再開しないかなあ。

夕飯は、おでん(季節外れのメニューだけれど、寒いんだもの)、大根ときゅうりとレタスの梅干し和え豆腐のせ、枝豆
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5月22日(金)
4月12日から書き始めた巣篭もり日記を今日で終えることにする。(別の名前の日記を始めるかもしれないけれど)
私が巣篭もりを始めたのは、3月28日からだ。3月27日に打ち合わせのために渋谷に行ったのを最後に、公共交通機関を利用していない。徒歩と自転車で行ける範囲でしか行動していなくて、夫と近所の人(太極拳の師匠と美容師さんを含む)以外と直接顔を合わせて話をしていない。2ヶ月あまりで話をしたのは合計6人だ。
でも、ビデオ会議や飲み会はやっているし、娘や孫たちとはビデオ電話はしているから、人と話をしていない、という感じはまったくしていない。暇だからSNSへの投稿やブログの更新は以前より頻繁なので、むしろ「最近よく喋ってるな、私」とさえ思っている。
巣篭もり期間中の変化をあげると
ー早寝早起きになった(6時前に起床、10時すぎにベッドに入る)
ーNetflixとVimeoで映画を見るようになった(15本くらい観た)
ー手紙を書くようになった(ほぼ毎日誰かに手紙を書いている)
ー消費を控えるようになった(別に控えたいと思っていたわけではないのだけれど、買い物に行かなくなったし、生協は欠品ばかりだし、ないならないでなんとかしようと思っているうちに巣篭もり前から消費金額が半分以下に減った)
ーじっと座り、できるだけ何も考えない時間が少しずつ長く持てるようになった(まだ瞑想まではいかないのだけれど)
巣から出て、さて、この期間中に得たもの失ったものを今後どうするのか、ということについてはまだ考えられない。
ただ、体調も精神面も健やかに巣篭もりができたことは、とても恵まれていた、ありがたいことだと心底感謝している。

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もう一つ、地元商店街を支えるために、できるだけ地元で消費するようにしている。毎週花屋さんに通って、花を買うようになったのも巣篭もり期間中の「習慣」の一つ

夕飯は、甘鯛のアクアパッツァ、アスパラガスとトマトもサラダ
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