Glamorous Life

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装う快楽

太極拳を始めて10年になります。太極拳歴10年なんてひよっこもいいところですが、10年続けた自分はえらいなとちょっとだけ褒めておきます。褒めるべきは、教え方がおもしろくて深い師匠なんですが。
この1年弱、できるかぎり毎日太極拳をやるようにしています。まあ、でも、暑いとときどきさぼりがち。クーラーをきかせてもなぜか汗がしたたり落ちて目にしみ、しばしば中断せざるをえなくてそれが億劫だったりして……と言い訳をしておきます。
それでも、まったくやらないのではなく、一部だけやるとか、八段錦まではやるとか、立禅はやっておこうとか、一応一年続けているのです。旅行に行ってもね。
1年続けたことで、ある意味驚くほど変わったと思うことがあります。

その1。腰痛がなくなった。
気がつくと、長年の職業病、持病だとあきらめていた腰痛を感じることがなくなった、ということに最近気がつきました。腰痛だけでなく、肩こりもない。五十肩だかなんだかで一時期左腕があがりにくかったのですが、それもありません。ときどき水泳もしているのですが、五十肩のときには肩の痛みを我慢してクロールをしていたのだけれど、いまは全然平気。おかげで1000メートル35分でコンスタントに泳げるようになりました。(理想は30分だけれど、いまは無理しないことにしている) 
なぜ太極拳で腰痛や肩こりが消えたのか。こんどのお稽古で師匠に分析してもらおう。

その2。 長い時間歩けるようになった。
以前は外出したとき、10kmを超えるといきなり足に疲れがきたのですが、いまは15〜20kmでもあまり疲れずに歩いています。とはいっても、街中を20km歩くのは1年に数回しかないのですが、それでも歩くときは歩く。おかげでタクシーを使うのが重い荷物を持っているときだけになったので、タクシー代も軽減できてありがたい。

その3。片足で立つことが、少しできるようになった。
これはまだ改善、改良途中です。太極拳は片足で立つ動作がとても多い。というか重心をたえず移動させていく運動(?)で、足の力を使うのではなく、片足でも両足で立つのと同じようにゆったり立つことができないと動作にならないのです。そしてこれがむずかしい。師匠に「重心を移動させながら丹田を意識すること」とたえず注意されているにもかかわらず、足の力でなんとかしようとするから、ふらつきます。ふだんの歩行でも、重心の移動を意識するようにしているのですが、なかなか。少し時間があくと、片足で立つとか、爪先立ちをしてゆったりと立つことをやっているのですが、気持ちがあせると足の力を使いすぎてしまってすぐに倒れてしまう。

あと呼吸が深くなったとか、新陳代謝がよくなったせいか汗をよくかくようになった、とか、集中力が高まった、とか、いろいろといい点はあるのですが、まだまだひよっこの10年選手です。長く続けていけたらいいな。

6歳のときに一人で本が読めるようになって以来現在にいたるまで、私には本を読まないで1日が終わるという日は数えるほどしかありません。出産の時でさえも、陣痛の合間に本を開いて看護師さんに叱られてしぶしぶやめたくらいです。
病的に本が好きです。就寝前に最低でも15分は本を読まないと眠れないし、朝起きてまず本をしばらく読んでから着替えをするのが日課です。その時間を確保するために、起床時間を調整したりします。
1週間に1回は本屋に立ち寄って、立ち寄った以上はと本を買ってしまう。PCを立ち上げたら電子書籍をあさってしまう。図書館にも行くから、読みたい本、読まなくちゃいけない本が、タブレットにダウンロードした電子書籍も含めて常時10冊以上、私に読んで読んでと呼びかけています。
旅行に出かける理由の半分くらいは本が心おきなくゆっくり読めるからで、できればどこかにこもって1週間くらい誰にも会わずにひとりきりでゆっくり読書にひたっていたいです。
本を読むことを仕事にできて、これこそまさに天職だろうと幸せに包まれます(→7割本気) 
そんな私がいま不安でたまらないこと。
目の不調や頭の不調で、本が読めなくなる日がくるのではないか。
それも差し迫っているのではないか、ということ。
できれば臨終の枕元でも、誰かにおもしろい本を朗読してもらいたいくらいだけれど、もはや聞こえない可能性大。
本とのお別れこそ、人生とのお別れ、という状態になってほしいけれど、たぶんそれは無理でしょう。
認知症に関して、自分の力でなんとか食い止められるのは35%で、65%は遺伝と自然の老化でどうしても避けられないそうです。(「老いと記憶」増本康平著 中公新書より)86歳以上では約半数が認知症になるとのことだし、そうなると思いっきり本が読めるのもあと10年くらいかもしれません。何かの役に立つからとか、仕事に必要だから、と言うのでなく、ただただ本が読みたいから読む。そんなことができるのもたぶんあと10年。
10年ではとても読みきれないよ、読みたい本全部は。
あたりまえか……

 誰(某大国大統領を筆頭に)がなんと言おうと、この地球温暖化は人類の過剰な経済活動によって引き起こされている、だったら長期的に食い止める努力を人類自身がしないと、あと10年のうちに人間どころか動物も植物も含めた生き物が住める地球になくなりかねない、と朝に窓を開けたときにどわーっと押し寄せる熱気を浴びるたびに思います。スウェーデンの16歳トゥエンデリさんを見習って、飛行機の使用をやめるべきなのか……。あ〜でも海外に行くのはやめられないなあ、ああ、老い先短い私が飛行機の便利さを利用するのを許して、と言い訳を探しながら汗をぬぐう毎日です。

梅雨明けしたら、いきなり熱波。来年のオリンピックは大丈夫なのでしょうか?
暑さにめげて、あ〜〜〜もう無理〜〜〜やめておこうと思うことがあります。
その1、就寝前の運動。
昨年、老化を感じることが多々ありました。なんとかしなきゃ、といろいろと調べたのですが、結局老化を少しでも食い止めるために有効なのは、適切な運動と食事と睡眠しかないと知り、まずは就寝前に30分、八段錦と太極拳をやることにしました。旅行中はホテルの部屋の狭さからできない日もありましたが、なんとか毎日30分が無理なときにはせめて15分はストレッチを入れながら10ヶ月間続けてきました。
ところが暑さが厳しくなると、運動がつらい……で、この一週間ほど言い訳をしながら隔日にさぼるようになっています。お風呂上がりにやっていたのですが、太極拳ってものすごく汗をかくので、もう一度シャワーを浴びなければならないことが続いたのもいやになった理由、じゃなくて言い訳の一つ。 
その2、 週3回筆を持つこと
週1はさすがに言い訳とかまったく考えずに稽古に励めるのですが、週3となると頭を過ぎるのが「うーん、今日はさぼりたい」です。で、やっぱりさぼっちゃうこと数回。仕事が忙しいもん、今日は疲れたから無理しないほうがいいし、暑くて毛氈広げるのもいやだ、1回くらい課題提出をさぼってもなんとかなる、とつぎつぎと湧き出る言い訳の泉。でもって、7月はかなと近代詩の課題提出をさぼりましたw
 さすがに仕事となると多方面に迷惑をかけるから締め切りはなんとかクリアしていますが、直接的に迷惑をこうむるのが自分であって、さほど強制力がない趣味や生活習慣となると、やらないことの言い訳を探すほうに一生懸命になってしまいます。 
でもね、そういう言い訳探しをやめよう、と決意したのが50歳のとき。
いまさぼってしまうことが、5年後、10年後の自分に、ひいては周囲に悪い結果をもたらしかねないと思ったら、言い訳をやめて実行しよう、と決めたはずなのです。
1日30分の太極拳も、週3回筆を持つことも、ひいては地球温暖化のために飛行機の利用を自粛することも、 私が自分で勝手に決めたことで、やらなかったとしても、今日明日に誰かに迷惑をかけたり、自分に大きな影響がおよぶことではない。
でも、1年後にはどうだろう? 2年後、3年後にはきっとマイナスの影響が出てくるはず。
今日さぼってしまうと、明日もさぼりたくなり、1年後にはやめちゃうかもしれない。そうなると、悪影響は避けられない。

遠藤ヤット選手がブラジルW杯前に抱負を聞かれて「明日やろうはばかやろう」といったことがあります。ほかの選手が「勝利のために走れる選手に」とか「日本のサポーターの気持ちを背負って戦う」とか言っているなかで、この一言。そのときは笑ったけれど、今ではヤットのすごさはこの一言に凝縮されていると思えるようになりました。
毎日、やろうと決めたことを必ずやる。今日すべき努力を明日に先延ばししない。どんな小さなことでも、今日やると決めたことは今日やる。やらないことを、できないことにすりかえない。言い訳を探すひまに実行する。1ヶ月後に目に見えた違いは出てこないかもしれないけれど、1年後、2年後、3年後にははっきり出てくる、ということをヤット自身が証明しています。 
言い訳するのは簡単です。
「疲れているから」「仕事忙しいし」「眠いし」「1日くらいさぼってもどうってことない」という言い訳の数々が足を引っ張る。
「無理することないよ〜〜」「そんなにがんばってどうするの?」という声も聞こえてくる。
そんな言い訳をふりきって、明日やろうはばかやろう精神で、今日やることは今日やる、と汗をぬぐいながら決意したのでした。

「私はみんなにかわいがられるかわいいおばあちゃんになりたいのよ」
 たしか後期高齢者に到達したときのこと、母が私に言った。その後も折に触れて、「私の目標はかわいいおばあちゃんになること」と言い続けていた。
 それを聞かされるたびに私は「おいおい!」とツッコミをいれたくなった。なぜなら、母の性格にはおよそ「かわいい」ところはない、と私は思っていたから。それにそもそも、お母さん、若いときには「かわいい女」なんかバカにしていたじゃない? 私たちがちょっとでも、媚を売ってかわい子ぶろうものなら、「やめなさいよ、気色悪い」と一喝し、「甘い顔を見せるんじゃないのっ! 言いたいことがあればはっきり言ってやりなさい! 毅然としていなさい!」って叱り付けていたじゃない? そんな母がいったいなぜ突然「かわいいおばあちゃんになりたい」なんて言い出したのか? 疑問に思ったのであるとき聞いた。
「かわいいおばあちゃんって、どういうおばあちゃんのことを言ってるの?」
「若い人たちのいうことをはいはいって素直に聞いて、若い人たちの足を引っ張るようなことを言ったりしたりしないで、 毎日ありがとうと感謝の気持ちを忘れないで、いつもにこにこ笑っているおばあちゃんのことよ」
 おいおいおいおい! お母さん、そんな役柄はあなたにはおよそ似合わないし、そもそも無理だろ〜〜〜というのが、そのときの私のツィートである。あ、もちろん胸の中だけでね。そして不安になった。母は老いに負けているんじゃないか。自信を喪失してしまったのではないか。老いることはそんなに大変なのだろうか? およそ似合わない「かわいい」キャラを演じる屈辱を受け入れるのか?
 そして86歳になった今、母はそんなことを言っていたことはきれいさっぱり忘れたようで、ここ5年ほどは「かわいいおばあちゃん」という言葉は一回も聞いていない。よかったよかった。

 この社会で女性が高齢になるにあたって、選択肢は2つしかない、と私は思っている。
一つは、夫や子どもや世間様に従順で、自分の権利をやたらと主張せず、あまり肩肘張らずに「お願いね、もう年だから」と人を頼り、何かやってもらったらありがとうありがとうと感謝を表し、いやなことがあっても目をつぶってなかったことにし、怒られたらなんで怒られたかわからなくてもひたすら謝る「かわいいおばあちゃん」
もう一つは、自分の権利をはっきりと主張し、おかしいと思うことははっきりおかしいと指摘し、意に沿わないことをされたり言われたりしたら恐れずに反論し、夫や子どもや世間様がどう言おうが自分がやりたいことをやり、行きたいところに行き、食べたいものを食べるわがままを通し、できるかぎり自分のことは自分で決めて自分の力でやり、何歳になろうが自分の存在価値をどう高めるかにあくせくする「かわいくないおばあちゃん」
 そして私は「かわいくないおばあちゃん」になりたい。
 いずれは私もボケるだろうし、からだの自由がきかなくなって、ひとに頼らなくてはいけなくなる。それは覚悟している。でもそのときまでは「かわいくないおばあちゃん」を目指したい。
 それ以上に、私はひとから「かわいい」とか「かわいくない」とかいう評価など、気にしない人になりたい。以前に比べるとだいぶ気にしなくなってきたけれど、まだまだ「いい年してこんなことして、ひとはどう思うだろう?」とか「この格好、若作りとか思われないかな?」とか「新しいことを始めるのに、この年だともう遅い?」とかちらりと考えてしまう。それがいやだ。
  というところで、2019年下半期の目標は、「(これまで以上に)やりたいことをやる! やり遂げる!」です。 まだまだ踏ん張ろう!

  
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(エーゲ海
にのぼる朝日に活力をもらったギリシャ、サントリーニ島の朝食)

1975年から1年間フランスに留学していたのをふくめて、フランスを訪れるのはこれが9回目になります。9回が多いか少ないかわからないし、それほど思い入れを持ってフランスを観察してきたわけではないのですが、1975ー76、1978、2000、2002、2004、2011、2013、2016、2019と訪れてみて、この国もやはり大きく変わったなあと思います。とくに大きな変化を感じたのは、EUROに加盟したあと、そして今回でした。
昔はよかった、とかは全然思いませんが、70年代に留学していたときに私が持っていたフランスに対するイメージは、いまやまったく通じないなあ。根幹にあるものは変わらないのでしょうが、根幹の10センチくらい上のところにあるくらいの文化だの気質だのはずいぶん変わったように思えます。
移民が増えた、とか、パリの観光地にはシーズンもあって大量の中国人観光客が団体で歩いていて、でも日本人にはついに出会わなかったとか、街中にふつうにマクドナルドとかスターバックスがあるとか、本屋に並んでいるベストセラーがフランスの作家以上にアメリカものとかアフリカ、アジアの作家ものが多くなっているとか、街行く人の服装がこれでもかというくらいカジュアル化しているとか、一旅行者にはそんなことが目につきます。
2016年にはあまり気づかなかったけれど、今回はシェア自転車とキックボードが異様な勢いで増えていて、とくにキックボードは自転車と並ぶ移動手段として定着してきている感があります。自動車がステイタスシンボルではなくなっていることを感じさせました。
また以前には肥満の人があまり目につかなかったのだけれど、今回は地方にいったせいかもしれませんが、歩くのさえもたいへんそうなほど肥満した人たちが目につきました。テレビでお菓子やスナックのCMが流れると、必ず下に「健康のために食べすぎに注意しましょう」とかいうテロップが流れるのですよ。2004年に訪れたときには、パリの知り合いのマダムが「最近は健康志向とかで、猫も杓子もジムに通っている」とか言いながら、自分も週3回トレーニングしていましたが、そういう人たちがいる一方で、不健康に太っている人も増えているのではないか。健康に関しても、二極化が進行している印象を持ちました。
そして私がフランス語で話しかけると、いきなり英語で答える人たちが増えました。っていうかそんな人たちばかりだった。しかも英語で教えてくれる情報が、英語力のせいなのか、それとも情報不足か、まちがっていることが多くって、英語で答えてくれたことをもう一度フランス語で確認しなければならない。その昔、英語をあれほど嫌っていたフランス人はどこにいってしまったのでしょうか。でも、実は私もややこしい話のときには英語のほうが楽なので、助かっちゃったりするんですけれどね。
というようなことを、シャルル・ド・ゴール空港で書いています。
そろそろ搭乗かな。
家に帰るまでが遠足。まだ気を引き締めていきます。

(追記)無事帰国しました。いま帰国後の洗濯、掃除、そして旅行経費精算を終えたところ。フランス、物価が高かったなあ。ポーランドに比べるとぎょっとする高さでした。ハイシーズンとはいえ、ホテル代とか3倍。フランスではろくなものを食べなかったけれど、それでも高い。ホテル近くのパン屋さんで聞いたら、お惣菜パン(小さいものでも3〜5ユーロくらいする)はあまり売れなくて、バゲット1本1ユーロが1番売れるのだとか。

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