Glamorous Life

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装う快楽

 さて、理想のマイキッチンができてまず招待したのは、娘たち家族です。
 娘たちの第一声。「いったいここどこ? っていうくらい変わったね。私たちが知っている「実家」のかげはもうない。別の場所だよ」
 その意見が聞きたかった。「別の場所」、そうなんです。もうかつてのキッチンではありません。だから私の労力は以前の半分、とまでは言わなくても、3分の2くらいですみました。

 娘たち家族を呼んで囲んだ食卓のメニューは、でも、いつもお誕生日や祝い事で作っていたのと同じ。鯛の姿焼き、ローストビーフ、カラフル温野菜、イチジクと春菊のサラダ、利久ナス(長女の大好物)、豚バラれんこん(お孫1号のリクエスト)など。

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娘たち家族を招待したときは、長女が大好きな「あんず」の絵を壁にかけました。父の作品です。

 そして「ペルシャの夕べ」と称して、親しい女性たちをおよびしての女子会を開きました。友人のダリア・アナビアンさんが書かれた「千夜一夜のおもてなし」を参考にして作ったペルシャ料理は、舌の肥えた友人たちにも好評でした。
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このときは壁には父が描いた「イランの娘たち」というタイトルの絵をかけました。2000年に両親と一緒に旅したイランとのご縁はまだ続いています。
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私の予想に反して、とくに好評だったのがバスマティライスというインディカ米をたくさんのハーブやサフランと炊き込んだチェロというお米料理でした。後ろにあるのは5種類の豆をほうれん草やニラなどと煮込んだホレーショ

 そして中国からの留学生と中国人の先生ご一家を招待してお茶をしました。お子さんたちもいるので、テーブルセッティングも少し変えて。
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 これからも「ウチにいらして!」と気軽に友人や家族をお誘いしたい! とテンションが上がっています。

 断捨離第一段階終わりました。キッチンの改装も終わり、その使いやすさに毎日うきうきしています。「キッチンを改装したい」と私が言ったときに「子どもたちも独立して2人暮らしになったんだから、今さら家の改装なんて必要ない」と言い張っていた夫も、きれいになったキッチンには満足そうです。
 改装してみてあらためて実感したのですが、家電製品、そしてシステムキッチンのこの10年の進化はすごいです。節電、節水、節ガスはものすごく進んでいるし、かつ、安全対策がそりゃもう「ここまでやりますか!」というくらい念入りにされている。高齢化社会を見越して、なのか、お年寄り(私も含む)には安心して便利に使える設計になっています。(この話、何回も書いていますね。それくらい感動したのです)
 思えばここ数年、冷蔵庫壊れた、洗濯機壊れた、食器洗い機の調子が悪い、ガスコンロが使えなくなった、とそのたびに修理を呼び、結構高額の出張修理費をとられ、あげくに「つぎに故障したら買い替えをご検討ください」と言われてきました。ついに「これ以上は無理」と言われて買い換えようとしたら、階段があがらないから一人暮らし用の小さい冷蔵庫しか無理、今の洗濯機の機種にするなら排水管から取り替えてください、いまのスペースにお望みのコンロは入りません、などなどいちいちダメ出しをされてストレスがたまっていました。ガスコンロが4口中1〜2口しか使えなくなったのが改装への最後の後押しとなったのですが、その期に及んでも夫は「コンロだけを変えればいいことじゃないか」と主張。コンロを変えるだけではすまない、ガスの配管までやり直さなくては新しい機種はつかないのだ、と言ってもまだぶつぶつ言っていました。
 でも、料理というものを生まれてから3回くらいしかやったことがない、つまりキッチンを日常的に使うわけではない夫ですから、家電にはいっさい興味なし。ましてやシステムキッチンがなんたるものかもわかってないから「自分の意見」というのがない。PCやIT機器みたいに情報収集研究して、「これがいいんじゃないの?」などと意見することはありえないわけです。そのことにほんと助けられて、私は自分がやりたいように改装できました。 そして出来上がったのが、実家から独立して以来ずっと夢見てきた「理想のマイキッチン」です。毎朝、キッチンの窓から差し込む朝日に窓辺に並べた観葉植物がきらきら輝くのを見て、幸福感でいっぱいになっています。こんなことでこんなに幸福になっていいのか、と自分をいさめたくなるほど。
 マイキッチンができて一番に思ったこと。それは「お客さまを招待したい」ということです。このキッチンを使って、おもてなしをしたい! 思いっきり料理を作ってみたい! 頭の中で思い描いていたテーブルセッティングを実行してみたい! ただし、今持っているものだけでやりたい、ということ。
 断捨離のとき、食器、カトラリー、テーブルクロス、ランチョンマット、鍋釜包丁などキッチン用品を全部出してリビングの床に並べどれを残し、どれを娘たちに譲り、どれを捨てるかで分けました。そのとき「これを使ってどんな料理を作り、どう盛り付け、どんな人に食べてもらいたいか?」というイメージが湧くものだけを手元に残しました。あとは娘たちの判断に任せ、娘たちもいらないといったものは処分。
 手元に残したものは、どれも「料理したい欲」をそそるものばかり。おかげでキッチン完成からすでに3回もお客さまを招待! そこでどんなテーブルを作ったかが続きます。

 20代後半から30代前半まで勤めていた会社で、隣の課の課長(当時40代男性)が言った。
「俺は体力を気力でカバーするタイプだから」
 そして続けて私に向かって
「実川さんは気力を体力でカバーするタイプだね」
 課長、スポーツ好きだったけれど細身で華奢な体型。すぐに風邪をひくし、忘れてしまったけれど何か持病があったように記憶する。何かと言うと「男はこうすべき」「女はこうあるべき」とか言う人で、決していやな人ではなかったけれど、男性社会の価値観にどっぷりつかって生きる典型的な演歌オヤジだった。だから「男は強くなくてはならない」という彼の確固たる信念に基づいて、体力を気力でカバーしてがんばっていたのだと思う。
 一方の私は、当時まだ幼い子育てと仕事の両立でアップアップしていた。がんがん仕事をしたい、と一応思ってはいても、現実には子育てのほうに気持ちがいっていた時期だ。4時45分くらいになるとすでに保育園のお迎え時間が気になってやっていた仕事は上の空。そんなだから職場で私は半人前扱いで、会議にも入れてもらえなかったし、雑用しか頼まれなかった。ただ、めったに風邪もひかないし、少なくとも自分の体調不良で会社を休むことはなく、子どもも丈夫で、1年に1回くらい熱を出す程度ですんでいたから、そこは評価されていたのだと思う。
 だから課長の「気力を体力でカバーするタイプ」と言うのは、褒め言葉と受け取った。もしかすると課長はたいして褒めたつもりはなかったかもしれないのだが、私自身はたいへんにありがたく、今にいたるまで覚えているのだ。そうだ、私には体力がある!! 気力や能力では劣るかもしれないが、この体力があればきっとこの修羅場(今振り返ると修羅場でもなんでもなかったが)乗り越えられる! その自信がが湧いてきて、お迎えに行ったときに子どもを抱きしめて、自分と子どもの体力に感謝した。私がはっきりと体力自慢に切り替わった日である。
 子ども時代から思春期、そして20代まで、私は自分の丈夫さに屈折した思いを抱いていた。子ども時代に夢中になって読んだ「世界少年少女文学全集」で、体力自慢、健康自慢の女の子はほとんどが田舎育ちでダサく描かれていた。都会的でほっそりと美しい少女は、体力なしで病気がちと決まっていた。すぐに失神したり、貧血を起こしたりするけれど、そのたびにたくましいお父さんや少年がお姫様抱っこをして介抱してくれる。「アルプスの少女ハイジ」のハイジvsクララが典型だろう。「風とともに去りぬ」でスカーレット・オハラははちきれんばかりに健康だったために、メラニーに恋で負けた(と私は解釈した)。そして私は、貧血気味で、色白で、ときたま頬にうっすらと赤みがさすような「深窓の令嬢」「薄幸の美少女」にいたく憧れた。すりきれるまで読んだ愛読書「赤毛のアン」でも、アンは気を失うことに憧れていたのだから。
 私はめったに風邪もひかず、食欲は旺盛で、たとえ食べ過ぎてもおなかを壊したりしなかった。「気持ちが悪い」というのがどういうことかを知ったのは、20歳過ぎて二日酔いになったときが初めてだ。貧血は今にいたるまで経験していない。甲殻類アレルギーが私の唯一の「持病」で、私はレストランに行くと、やや自慢げに「私、エビカニのアレルギーなの」といって周囲の同情を引いた(まわりは迷惑がっていただけだた)
 運動神経はなかったけれど、長距離走や水泳(遠泳)など体力勝負の競技ならば女子には、ときには男子にさえも勝てた。でも、そんなもので勝てる女子を男子は敬遠しがちだ。10代、20代に男子にモテるのは、「ぼくがかばってあげたくなる女の子」と決まっていた。つまり華奢で、今にも倒れそうなくらい体力がなさそうな女の子だ。肩幅が広く、腕も太ももも筋肉隆々、何時間でも歩けるし、重いものも軽々持つような女子(私)に、「女の子だから」と特別サービスしてくれる男子はいない。どつかれないように遠巻きにするだけだ。
 だから私は体力が自慢できなかった。できるだけ体力にまつわる話題を避けてきた。だが、育児と仕事の両立をはかる上で、体力ほど重要な資源はない、と30代になって気づいた。
 そして今、老化が進んでいることは自覚しているし、体力も30代のころとは大違いだと気付かされることが多くなってきたとはいえ、それでも私はまだ気力をカバーできる体力があることに感謝している。
 ただし、体力にメンテナンスが必要だということも痛感している。睡眠、規則正しい生活、食事、そして運動。そんなものに気を配らなくては、気力をカバーできるだけの体力は維持できない。
 もう男子の目をまったく気にしなくてよくなった今、筋肉量を落とさず、というかもっとたくましく筋肉をつけて、最後まで体力自慢で走り抜きたいと思っている。
  

2ヶ月にわたる断捨離とリフォームが一段落して、朝7時30分にピンポンと業者さんが来なくなって2日たちました。
取り憑かれたように整理しまくったおかげで、家の中はすっきりと片付きました。少なくとも私の目の届く範囲の空間には、すがすがしい空気が流れています。
ところが、私はなんだかとても疲れてしまってこの2日間、家の中でごろごろしています。怒涛の断捨離で体力を一年分使ってしまったような気分。
業者さんが入れ替わり立ち替わり入るので家をあけられない期間中に「あれもしよう、これもしたい(具体的に言うと、映画館で映画を見よう、展覧会を見に行こう、おしゃれして出かけよう)」と思っていたのに、いざ誰も来なくなって家にいる必要がなくなったら、あらあら、腰が上がりません。それともこれまで執着してきたものを処分するという断捨離のおかげで、物欲が減じた? いや、残念ながらそれはないな。「これを捨てて、あれを買いたい」とか考えているものな。単に疲れているだけですね。片付け疲れ、断捨離疲れ。
と言っておきながらですが、頭の芯がしびれるほどの疲労感とともにかすかに湧き上がってくるのが解放感です。ああ、この10年気持ちを引っ張っていた重石がやっと軽くなって、自由になったな、という感じ。これで明日から、私は心置きなくどこにでも行けます。極端なことを言ってしまえば、それこそあの世にも思い残すことなく行けそうです。

 ぼーっとしながら思っているのは、「今でなくては断捨離はできなかった」ということです。もう少し若いと、日々の仕事に追われて家の整理なんかやってられなかったし、そもそも「老後を迎えるために整理をしよう」という発想も湧いてこなかったでしょう。
 明日も今日と同じような毎日がやってくると信じていられたのは、私の場合は父が亡くなった60歳のときまででした。「そうか、私だって明日はどうなるかわからないんだ」ということが現実感をもって迫ってきたときに初めて、後仕舞を真剣に考えるようになったのです。
 昨年親の家を片付けたときに、「自分の子どもたちには親の家の整理をさせたくない。子どもたちのエネルギーや時間を私たち親の後始末に使ってもらいたくない」と切実に思ったのが、今回自分の家の断捨離決行のエネルギーになりました。でも、もしあと数年ぐずぐずしていたら、そんな自戒などすっかり忘れ、断捨離エネルギーは霧散していたでしょう。
 そしてあふれるほどのモノに囲まれながらも、整理をしていないために「あれがない、これがない、仕方ない、また買おう」とかなってますますモノを増やして足の踏み場もなくなり、ゴミ屋敷認定されていたかも。想像するだけでゾッとします。

 親を見ていて思うのは、70の坂を越えたら、次世代のことを考えて自分の身の後始末をつけることは、体力的気力的にとてもむずかしくなってしまい、自分たちの日々の生活を送るだけで精一杯になる、ということです。それに70年以上積み重ねてきた自分の生活スタイルを変えるエネルギーはもう無くなってしまうし、変える必要性も感じなくなる。
 両親ともに70代になってから、2人で高齢者向けの施設をあちこち見学に行ってました。ところが、私から見ると「すてきじゃない!」と思うような施設でも、あれこれ気に入らないところをあげては「このまま行くところまで行く」という結論に達して、結局動きませんでした。老夫婦2人にはどう考えても大きすぎたし、管理がむずかしくなってきた家から動けなかったのは、「この家をたたむ元気がない」ことが一番大きな理由でした。「片付けないと他所には行けない」とモノが溢れている部屋を見わたし、「とっても片付けられない。だからこのままここで暮らしかないのね」とため息をつくことが10年以上続きました。
私はできればモノと家に縛られずにこれから生きていたいです。
明日、とは言わなくても、1ヶ月あればたためる家にしておきたい。
「ここではないどこか」へ行くことが、現実として考えられる状態にしておきたい。
その「どこか」が外国であっても「うん、行けるよ!」と言えるようにしておきたい。

でも、まずはその前に疲労を取らないとね。
久しぶりに走ってこようかな。

いいことかどうかわからないけど、私は計画を立てるのがすごく好きです。ただ、計画を立てるまではすごく張り切って楽しくやるのだけれど、「計画通りに事を進める」のはあまり好きではないし得意でもない。そこがこれまでの人生で数々の失敗を生んで来たわけなのですが、それはさておき。

中学・高校時代、中間試験期末試験が近づいて試験の範囲が発表されると、試験日から逆算して「学習計画」を立てるのが好きでした。正直、中高6年間を通して、1回たりと苦労して組んだ学習計画通りに勉強が進められたことがなく、つねに計画倒れに終わっていたので成績が振るわなかったのですが、それでも懲りずに試験毎に計画は立てるのです。試験範囲についてしっかり理解しようという心意気はすごくあるし、だからこその学習計画なのですが、実行はね、難しいわ。
どんな風に計画を立てるかというと、「毎日、3ページずつ数学を復習して、えーっと、英語は単語を1日3つずつ覚えるのでいいかな」とか、1日1週間のやるべきことリストをつくり、試験に出そうなところを優先的に学習していく(山かけ、ともいう)。どこを優先して重点的に学習するか、やらなくてもいいのはどのあたりか、それを考えるのが楽しい。
でも、それでは山をかけたところを重点的に勉強するかっていうと、たいていやらない。まず、たいてい山は外れているし、それ以上に山かけしたところ以外のおもしろそうなところをつい重点的に学習してしまう。古文で、枕草子が出るとわかっているのに、とりかへばや物語を読んでしまうとかね。ほかの科目でも、山をかけたところをちょっとかじったくらいで試験日が来てしまう。計画の意味ないじゃん! と毎試験一人突っ込み。
「仕事は段取りが8割」とかいうベストセラー本のタイトルを見たとき思ったのは、ああ、私がやっていたのは段取りではなくて、まぼろしに終わるとわかっていながら立てる「計画」だったんだなあ、ということです。「目標達成」から逆算して、やるべきことの優先順位をつけ実行していく段取りができるようだったら、今頃私は、、、、いや、今とたいして変わらなかったかな。中高時代の成績が振るわなかったのも、今振り返れば納得できます。仕事ができる女になれなかったのも、段取りしたところでそれを実行していく能力に欠けていたからなんですね。

それはともかく、今でも私は計画を立てるのが大好きで、それが非常に役立っている分野があります。仕事ではありません。旅行計画です。
どこに行くかを決めるまでに、本を読み、ネットで情報を集め、行ったという人に話を聞く。本を読んで、行った人に話を聞いて、あ、そこに行きたい、と思って旅行計画を立てることも多いです。
海外旅行であればヴィザが必要か、危険度はどの程度か、どういうルートで行くのが良さそうか(必ずしも最短距離を選ばず、寄り道できる面白そうなルートがあればそこにする)
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(スウェーデン、ウステルシュンドにCONIFAの大会を取材に行ったとき、街から歩いて30分ほどのところにあるスタジアムまで毎回違うルートで通ってみました。こういうすてきな光景に出会えるのもおもしろさの一つ)

だいたいの予算を決める。どこにどれだけお金をかけるか、を考える。
「絶対にここだけは外せない」という場所の優先順位をつけ、そこに行くまでの交通手段を検討し、宿泊場所を決めます。決めたら、空港から、または駅から宿泊先までのシミュレーションもやってみます。はい、GoogleMapで。一人で移動することが多いので、夜着いたらどんな感じかもシミュレーションしてみます。
気候を調べ、服装計画を立て(とくに靴)、荷物の量と重さを計算する。身軽な旅はめざしていないし、足りなければ現地調達できるとはまったく思っていないので(現地調達できるような現地にいかないからなあ)持っていくものの計画は念入りに立てます。
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(急に思い立って今年の夏は休みに美ヶ原に行きました。バスの時間が計画通りにいかず、このおもしろくもない道を駆け足で往復する羽目になったのだけれど、まあそれも旅のおもしろさということにしておきます)

とここまで書いて思ったのですが、私は旅行そのもの以上に、旅行計画を立てるのが好きなのかもしれません。学習そのものよりも、学習計画を立てるのが好き、というのと同じだ。
そこまで綿密に旅行計画を立てておいて、旅先でいきなり「あ、こっちの街に行ってみよう。計画にあるこの街は行くのやめだ」とか、「ホテル気に入らない。別のところに変えよう」とかやってしまう。学習計画と同じですね。

いま私は「老後人生計画」をすごく一生懸命立てています。断捨離もそうだし、キッチンの改装もその一環(もうすぐ完成です)。夫が80歳、私が75歳で介護ホームを予約して、この家の処分を始めて……とかエクセルでシートまで作っているのだけれど、たぶん計画通りには行かないし、計画通りに進めるつもりも結局私にはないんだろうなあ、と今からあきらめモードです。
計画好きは計画倒れも許容するってことでしょうか。

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