Glamorous Life

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装う快楽

2017年に次女が結婚して以来、夫と2人暮らしになりました。また2017年は両親が30年間暮らした実家を売却するために、妹と2人でひたすら片付けをした1年でした。
この2つの出来事を契機に、私は「これから死ぬまでどこで暮らすか?」を真剣に考えるようになりました。
人生100年時代です。2017年に日本の100歳以上は7万6千人あまり。これからもっと増えそうです。正直、私は85歳くらいで死にたいけれど、寿命ばかりは自分で勝手に決められません。
父は医師で、健康にとても気を使っていたし、最後まで頭はクリアで元気でしたが、亡くなる8ヶ月前に肺がんと宣告されました。そのとき父が深々とため息をついて「がんにでもならんと、死ねん時代がきたなあ」と言っていたのが忘れられません。父は結局ぎりぎりまで自宅で普通に生活していたし、最後まで意識はしっかりしていたから皆さんにお別れも言えたし、ある意味理想的な最期だったと言えるかもしれません。
それに父は要支援2で自宅で生活していましたが、それは母や娘たちが生活を支援していたからです。一人暮らしをしたことがなく、父ほど健康管理に気を使わず、とくに運動習慣を身につけていなかった母は、「階段の昇降ができなくなった。家事が億劫で料理をつくる気力がない。広い家で一人でいると怖い」と父の死後すぐに介護付き高齢者住宅に引っ越しました。
母が引っ越してから実家は1年半放置していたのですが、ご近所に迷惑がかかることが懸念されて、いよいよ売却を決意。2017年は妹と2人で東京から関西に通いながら実家の片付けをしました。
そのときにつくづく思ったのが「人生100年時代を覚悟して、60代からは人生第三期にどこに住むか、どう暮らすかを視野に入れて、後仕舞を始めなくてなならない」ということでした。(生まれてから自立するまでを第一期、経済的・社会的に自立して生産活動を行える第二期、公的私的支援を受けつつ人生を終えるまでを第三期とする)
後仕舞、つまりそれまでの人生に区切りをつけるために整理をすること、です。どれだけ健康に気を配って体を鍛えても、75歳を過ぎたらそれまでと同じペースで働き消費するわけにはいきません。体力や気力が衰えてからでは後仕舞には遅すぎる。それまでの生き方を少しずつ変えていくこと。生産消費活動から、選択整理活動へと切り替えていくこと。それがたいせつなのではないか、と思い始めています。
第三期にどこで暮らすか、についての結論はまだ出ていないのですが、さほど遠くない将来にやってくる第三期をいよいよ迎えたときのために、いま私が取り組んでいるのが「断捨離」と「リフォーム」と「筋トレ」です。
まずはキッチンからスタートし、クローゼット(衣服)、仕事部屋(本と資料)と進めて、1年で「いつ第三期が来ても大丈夫」にしたい、と思っています。テーマは「明日死んでも悔いなし、恥なし」。それくらいのつもりで生活する時期が来たのかなあ、と思うと、ちょっと寂しいような、清々しいような。
そんな私の参考書はこれ↓
『住まいで「老活」』 安楽玲子著 岩波新書
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老後の生活に必要な第一歩は「整理整頓」そして椅子と座り方の見直しからだなあ、とあらためて思いましたよ。


 今年の夏は各地で40度超えが7月から続き、熱中症で亡くなられた方も少なからずおられ、暑さをはじめとする異常気象が引き起こすさまざまな災害が報告されました。
 世界中で酷暑だったようで、パリに住んでいる友人たちは「去年に引き続き40度超え。クーラー欲しい」と言っていたし、スウェーデン中部の友人たちは「こちらも35度を超える日々。蚊とか虫が大発生」とか言ってきました。つまり、異常気象は地球全体で起こっているのです。
 日本ばかりでなく、世界各地で頻発する大雨による洪水、大規模浸水、台風やハリケーンによる被害、いずれも地球温暖化が引き起こしています。つまり「人災」です。
 これから地球環境はどうなってしまうのか? 温暖化による自然災害は増えるのではないか? そんな思いで手に取ったのが、ナオミ・クラインの『これがすべてを変える 資本主義vs気候変動』(岩波書店)でした。
 衝撃でした。「異常気象と言っているけれど、もはやこの暑さは異常ではなく常態化しているし、このままもっとひどくなっていく」と思っていたことを、豊富なデータによって「そうその通りです。地球規模で起こっている気候変動です」と現実として突きつけてきました。
 温暖化を引き起こしている原因は化石燃料を過剰に使用しているためで、何のために化石燃料を使っているかというと、何万年も前に死んだ動植物を掘り出すだけの安価な資源をエネルギーにして、「便利で快適な暮らし」こそ追求すべきものという価値観が私たちに植え付けられてしまっているからです。でも化石だけでなく、すべての地球の資源は有限です。地球の人口全員が一律に、「便利で快適な暮らし」を競争で追求していけば、早晩枯渇するのは目に見えています。
 しかもその価値観を信奉する持てる者(わずか1%の勝ち組富豪)がその他99%の生活などをかえりみず、資源も富も独占していったらどうなるか。
 そこまでの現状と未来は、たぶんナオミ・クライン以外の書き手も「ディストピア」として描いていると思います。
 しかしナオミ・クラインはそこで立ち止まらない。ディストピアをユートピアとは言わないまでも、この先の未来を少しでも明るくするためにはどうしたらいいか、ということを単なる理想としてではなく語るのです。今こそみんなで団結して「このままではいけない」と立ち上がり、搾取と格差の上に成り立っている新自由主義市場の論理をくつがえし、自分が生きている場所と人々、つまりコミュニティの力を取り戻すことだ。そしてそのために立ち上がった人たちのパワーを、考え方を、行動をルポルタージュとして読ませてくれます。
 行き過ぎたグローバリズム、市場に任せておくのが一番いいとする新自由主義の考え方、そして資本主義そのものを「これでいいのか?」と見直すこと。そして隣の人と、どうすれば持続可能な社会に、環境に、地球にしていけるかを真剣に話し合うこと。
 気象と地球環境を専門とするジャーナリストであり、自分の子どもが生き延びられる自然環境と社会を与えたいと願う母親であり、そのために行動を起こす活動家であるナオミ・クラインは、気象の変動が引き起こしているさまざまな問題の前に立ちすくむしかない私には、一つの指標を示してくれます。私に何ができるか? 私は何をしたらいいのか? 「暑いねー!」とつぶやく前にやること。それは隣の人と話し、政治家や企業にやめてほしいことやってほしいことを訴えることではないか。
 
 ナオミ・クラインを一躍有名にした『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体』はもっと衝撃だったので、それについては後日書きます。
  
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 2014年5月末からスウェーデン北部、ウステルシュンドで開催されたCONIFA第一回ワールドフットボールカップを取材に出かけたとき、ダルフールユナイテッドの選手やスタッフから話を聞きました。
 2003年スーダン西部ダルフール地方で、スーダン政府に支援されたアラブ系組織のジャンジャウィード が非アラブ系住民を大虐殺する紛争が起こりました。まさに民族浄化ともいうべき虐殺で、正確な数はわからないものの少なくとも40万人が殺害され、60万人が難民となって周辺の国々に逃げたと言われています。
 スーダンと国境を接するチャドに逃げてきたダルフール難民のキャンプが築かれ、その数は現在にいたるまで増えはしても減ってはいません。私が会ったダルフールユナイテッドの選手の一人は、紛争が起こった直後に父親を殺され、母親と兄弟で必死に逃げてキャンプにたどり着き、以後一度も鉄条柵で囲われたキャンプの外に出たことがなかったそうです。キャンプのインフラ整備から子供の教育まで支援を続けているiACTというアメリカ、ロサンゼルスにある非営利ボランティア団体が、キャンプ内の子どもたちの教育と娯楽をかねてサッカー教室を始め、CONIFAのメンバーとなってチームをスウェーデンに送り出したのでした。地元の村からキャンプにやってきて以来、初めてキャンプの外に出るチャンスを得た息子にすがって、お母さんが嬉し泣きした話も聞きました。「僕がこのまま一生キャンプの生活しか知らないで終わるのではないかと、お母さんは本当に心配していたから。サッカーのおかげで、僕は外の世界を知るチャンスを得た」と言っていました。 
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 そのとき出会ったiACTのケイティとジェイとは、その後も何かと情報交換をしていました。2016年のCONIFAの総会でも会い、ダルフール難民キャンプの状況が少しも改善されていないこと、でもCONIFAの大会に出場することで、自分たちも外に出るチャンスがもらえるかもしれない、とみんな熱心にサッカーに励んでいること、といった話も聞きました。

 そして先週、2人から「ダルフール難民女性チームを結成した」というすてきなプレスリリースが送られて来たのです。 要約します。
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2018年8月21日 米国ロサンゼルス/Djabal チャド東部ダルフール難民キャンプ
 来たる10月に、iACTは初のダルフールユナイテッド女子チーム(DUWT)を立ち上げる。 メンバーはスーダン、ダルフール地方出身で、精力的にコミュニティとその未来を支えている難民の女性たちの代表である。男子チームの成功を見た女子たちは、自分たちも共に練習し、競い合い、フィールドで代表として闘うチャンスを得ることで、コミュニティにいる女性や少女たちみんなに新しい可能性が示せると考えるようになった。未来への可能性は、現在の難民キャンプにはほとんど存在していない。
 2018年10月に開催する初のトレーニングキャンプがチームの立ち上げとなる。チャド東部にある8つの難民キャンプ内で、現在難民ユナイテッドサッカーアカデミーのコーチとして指導にあたっている女子選手たちと、サッカーに興味があり少しでも経験がある若い女性たちが1週間にわたり、iACTが派遣するコーチやトレーナーとともに合宿する。
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 ダルフールユナイテッド男子チームは2012年に結成され、同年にVivaワールドカップ(CONIFAの前身)に参加、2014年にはCONIFAワールドフットボールカップに出場した。現在男子チームの選手の何人かはチャド東部、スウェーデン、米国でサッカーをしている。
 ダルフール難民女子チーム発足の重要性について、iACT創設理事であるガブリエル・スタウリングはこう話す。「男子チーム結成のためのトライアウトを行なった時、キャンプの女性たちが私に『私たちのチームはできないの?』と聞きました。DUWTは、ダルフール、難民、そして世界中の女性たちを代表するチームとなるすばらしい機会です。世界を変えるといってもいいほどです」
 ダルフールユナイテッドは、ダルフールの人たちに希望、感動と喜びを与えてくれます。
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 iACTはこのすばらしいプロジェクトのスポンサー、パートナー、ボランティアを求めています。物理的なサポートだけでなく、メディアでの情報拡散やシューズやユニフォームの提供などの協力もよろしくお願いします。
 DUWTのホームページをぜひクリックしてください。
https://darfurunited.com/darfur-united-womens-team/

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 このプレスリリースに心を躍らせた数日後、フランスで行われたFIFA U20女子サッカーワールドカップで女子日本代表チーム(ヤングなでしこ、という呼び方がどうも好きではない私です)が優勝しました。強豪スペインを3−1でやぶっての優勝でしたが、優勝したこと以上に私は彼女たち(スペイン代表選手も含む)の戦いぶりに感動しました。
 サッカーが美しい! からだを張り、最後まで諦めずに走り抜き、フェアに戦い、テクニックも戦術も優れている。そして力強い!!

 サッカー(だけでなく、スポーツ)は女子に力を与えてくれる、とあらためて思いました。
  どうぞ女子たちが力をつけるためのチャンスを与えてあげてください。

60歳を過ぎてから私の体型は徐々に変わりつつあります。体型だけではありません。シワ、シミ、たるみ、どれももう見過ごせず見逃せないほどの「老化現象」がからだの各所に現れています。
以前から、夏になるとあせもに悩まされ、とくに夏場は衣服の締め付けでかゆみがひどくなるので、着るものを選ぶようになりました。もともとアレルギー体質で皮膚が弱いので、肌にふれるものには注意が必要だったのが、老化とともにますます過敏になっています。天然素材だからいいってことはなし。天然素材でもかぶれるものはかぶれます。締め付けなければいいってこともない。色柄デザインや流行以上に私にとって重要なこと、それは肌が受け付けるかどうかになりました。
もう一つ、「終活」のためにクローゼットの整理を始めるようになってから、ファストファッションに対する疑問もむくむくと頭をもたげてきています。安いから、機能がいいから、と大量生産されたものをシーズンごとに買い換えるのは正直とても気分が悪い。罪悪感っていう以上に、自分が思考停止した愚か者になった気分なのです。かといって、「(品質が)いいもの」を長く着る、という意見は聞こえがいいものの、体型や体質ばかりか、社会生活がどんどん変化するこの年代ではかなりむずかしい。年齢ではなく、いまの自分の体型、体質、社会生活にあった服装とはいったいどんなものなのか? いまだに模索しています。

そんな悩みを解決しようと手に取った本や記事を紹介します。
「インスタグラムのグラマラスなグランマたち」
映画「アドバンスド・スタイル そのファッションが、人生」でもアメリカ女性たちが60歳過ぎてもおしゃれを捨てず、自分のスタイルを追求して人生を楽しむ姿が紹介されましたが、その流れでインスタグラムで自分の日々のファッションをアップする女性たちを紹介した記事です。
うん、うん、励まされる、楽しい、そうだね、年とってもおしゃれするエネルギーは失いたくない、と思いつつ、うーん、私が求めている「スタイル」とはちょっと違う、という違和感があります。ファッションこそ人生! とまでは私は言い切れない。おしゃれは好きだけれど、頑張りたくはない、そんな気持ち。なので、インスタグラムもときどきチェックはしていますが、私の参考にはならないなあ。そのファッションも、そのスタイルも、そん生き方も。

「おしゃれと人生。」小川奈緒著 筑摩書房
平松洋子、吉谷桂子、ウー・ウェン、角野栄子、有元葉子、ひびのこづえ、横尾光子、中島デコ、若山嘉代子、我妻マリという、たぶんライフスタイル誌で一度ならず特集記事が組まれたことがある大人の女性たちが、何を着てきたか、どんなスタイルを選んだかを豊富な写真入りで紹介しています。おしゃれの話だけではなく、生き方、暮らし方に踏み込んだ上でのスタイル紹介です。
「この年齢で何を着たらいいのだろう?」という悩みは、おしゃれに関心がある、もしくは衣食住に関わる仕事をしている女性たちの誰もが悩むことらしく、「もういいや」と悩みを放棄せずに自分の年齢にあったスタイルを見つけてきた女性たちの服装は参考になる……かもしれません。
私は角野栄子さんの服に一番惹かれたけれど、真似はできないししようもない。スタイル、というのは結局その人だけのものであって、普遍化もできないし、ましてやすてきな人の模倣をしたらすてきに見えて、すてきな人生が送れるわけでは決してない、ということがよくわかりました。

「「くらし」の時代 ファッションからライフスタイルへ」 米澤泉著 勁草書房
「服はもう流行(ルビ:ファッション)ではない。 朝食。ランニング。グランピング。ブックカフェ。なぜ、「ていねいなくらし」が流行しているのか」
この帯に、もうほんとそうだよね、とかくかくと頷きましたね。
「ユニクロでよくない?」から始まる本文にドキリとし、そうそう、私も「ユニクロでよくない?」とひそかに思いつつ、やっぱり大声では「よくない?」とは言えないよなあ、と思います。だって私がユニクロ着ていると、必ず誰かに「あ、それユニクロだよね。私も持っている」と言われる。そして「もうユニクロでいいよね」と追い打ちがかかる。正直、私はそう言われたくない。私の年齢だと「よくない?」にこめられたのは「服なんて考えるのはあほらしい年齢だよね?」というニュアンスで、私は「服なんかどうでもいい」とはまったく思っていないから。
 エシカル(倫理的に正しい、と訳せばいいか)なファッションを追求する。つまり、流行を追いかけることで大量生産大量消費をやめ、地産地消で自然素材を用いた服を長く大事に着る、など地球に負荷をかけない、という服装が「おしゃれ」だとする「流行」を分析しています。「ていねいなくらし」が「流行」する背景や消費者心理に踏み込んだそのファッション論には、現象としては非常によく捉えられていて、もう頷くしかない。
「何を着るか、誰が着るかだけでなく、本書でも具体的に見て着たように、どんな日常を送っているのかが重視される、「くらし」の時代がやって着た。服だけおしゃれしていても、メイクだけキマっていても、ファッショナブルではない。日々何を食べ、どこへ行き、どんな部屋に住んでいるのか。どんな「くらし」をしているのか。そこでは、むしろ何を着ているのかはたいした問題ではない。すでにおしゃれは「生きがい」などではなく、「おしゃれはほどほどでいい」「毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代」となっている」
うーん、そうなのか。いや、そうなのだ。でも、でも、でも、60年代のロンドン発ユースクエイクに揺さぶられ、70年代に留学先のパリで高級ブランドに目がくらみ、80年代にアパレルに勤務してDC旋風に巻き込まれ、90年代に「ワンランクアップ」のメイクに邁進した私は、どうしても服(だけでなく化粧)が発信するファッションに背を向けられないのです。どうしたらいいんだ?
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ナオミ・クラインの本
「ショック・ドクトリン」「これがすべてを変える 
資本主義vs気候変動」「「NO」では足りない」
今年の夏はまたもや40度越えが各地で観測され、熱中症で何人もが命を落とされ、台風がいくつも発生し、何よりも中国四国地方を襲った豪雨によって20名以上が亡くなられ、今も避難生活を送られている方々が多数という災害が起きました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被害にあわれた方々が1日も早く生活を取り戻されることを願っております。ありきたりの言葉しか書けない自分が歯がゆいです。これらの災害はもはや天災ではなく人災。自分も含めた人間が自然を破壊しつくしてきた結果が招いたものだ、とつくづく思います。もっと前に防ごうと思えば防げたはずの災害。でも、それは日本に限ったことではありません。
スウェーデン北部で暮らしている知り合い(CONIFAの仲間)から、「日中の気温が35度を超えた! こんな暑さは50年生まれてきて初めてだ! あきらかに湖の水位があがって、氷河が融けていることを実感する」というメールが来て、これはもう地球的に温暖化の進行が自然災害を引き起こしているにちがいないと確信しました。
そんな中で手に取ったのがナオミ・クラインの「これがすべてを変える 資本主義vs気候変動」の分厚い上下2冊本。衝撃でした。
産業革命以後、地球の温度は1度近く上昇していて、このまま化石燃料を掘るだけ掘り、使うだけ使っていれば、2100年には摂氏4度気温が上昇してしまう。4度上昇すると、世界の海面水位は1メートル、場合によっては2メートル上昇する恐れがある。いまも徐々に沈みつつあるキリバスやツバル(どちらもCONIFAメンバー)などの多くの島々は完全に海面下に沈んで消滅する。日本だって住める平野部がどんどん縮小していく。そんな未来予測図が描き出されて暗澹たる気分になったのですが、ナオミ・クラインの本はどれもそこで終わらせません。
「社会のシステムそのものを今こそ変えよう」という提案がなされるのです。気候変動による災害が地球のあちこちで頻発している今こそチャンス。化石燃料を掘るだけ掘って自然を破壊し、金儲けできる人が成功者で、世界中の富の8割を数パーセントの人間が手に入れ、それを少しも還元しないシステム、それを変えるのは今だ、今しかない! とナオミ・クラインはどの本でも強調します。膨大な資料に裏付けられたその主張には、もう反論のしようもないほど。そして「今こそシステムを変えよう」という提案には、その通りだ! とがっくり落ち込んで座っていた椅子から立ち上がらせる力があります。
でも、そのために今の私たちの暮らしを根本から変える痛みとがんばりが必要で、それに耐えられるかと不安がかき立てられるのも事実。既得権益の上にあぐらをかいている「成功者」はまったく聞く耳を持たないでしょうし、実際に被害にあっている人たちでも生活を変えろと言われてもそのエネルギーがないかもしれない。「エシカルなファッション」とか「ていねいなくらし」の追求ではとてもすまないのですから。
私たちが、何を、どう変えたらいいのか。何を捨てて、何を選べばいいのか。
つぎに読んでいる「「NO」では足りない」にヒントが見つかりそうです。
「暑かったね〜」「災害たいへんだったね〜」で終わらせてはいけない。
喉元過ぎれば熱さ忘れる、というわけにはいかないところまで私たちの地球はズタボロです。
新自由主義の行き過ぎから行き詰まる資本主義、独裁の台頭とポピュリスム、貧富の格差拡大・・・・・気候変動は何が引き起こしたのか、そして気候変動は何を引き起こしているのか。
まずはそこを見据えることから、システム変革の第一歩が始まります。

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で、いきなりとても次元が低いところに話が落ちていくのですが、反グローバリズムの旗手であるナオミ・クラインに言われる前から、私は「地産地消ファッション」を志そうとしています。日本はもちろん、世界各地の地元で作られた素材を使った服を着よう、という試みです。今年の夏は、書道のお仲間に教えていたSOUSOUというブランドの服を着ました。高島緬や知多木綿という滋賀県の工場で織られ染められた木綿地の貫頭衣がなんと涼しいことか! これだけ暑く、大汗をかいて毎日を過ごしていたにもかかわらず、ついにあせもと無縁で夏が終わりそうです。しかも、私好みの色とデザイン! おしゃれが楽しく、からだに負担がかからず、ある程度エシカル。ほかにもこういう作り手の服を着るのが、今後の私のファッション・ライフになりそうです。
 
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 不思議なことに家電は一つ壊れると残りもつぎつぎと壊れます。なぜ? 家電同士、「きみがお陀仏になるのか。なら俺も逝くかな、そろそろ」とか通信しあっているのでしょうか?
 先日、トースターのスイッチが切れなくなり、真っ赤に焼けて危うく火事を引き起こしそうになったので即廃棄。先週新しいものに買い換えました。調べたら24年間使用していたので、まあ壊れるのもわからないではないです。そしたらガスコンロが4口あるうちの1口しかまともに使えなくなり、電子レンジ(同じく24年間使用)が危うくなり、2002年から使用している食洗機もときどきスイッチが入らない状態になったのです。2004年から使っているテレビも先日映らなくなりました。修理に来てもらった業者さんに「このモデルはかなり前に製造中止になっていて部品も調達できません。今回は運良くウチに部品の在庫があったけれど、つぎに映らなくなったら買い替えをご検討ください」と言われました。ただの予感ですが、食洗機が壊れるとまもなくテレビも逝ってしまいそうです。
 テレビはなくてもなんとか生活できますが、キッチン家電は働かなくなるとその日から私は万事窮すです。食事なんて、いまは外食や中食でどうにか凌げるじゃないか、という意見もわからないではないですが、私は自分で作った食事を食べないと食べた気がしない。どうしてもキッチンに立ちたい、どうしても調理がしたい、自分の好みの味付けで自分の好みの料理を食したい。一種の強迫観念かもしれません。
 そういうわけで、キッチン家電を全面的に買い換える機会に、キッチンそのものを大改造することにしました。
 キッチン大改造を機会に、キッチンで使用しているものだけでなく、生活用品や家具も含めて廃棄するもの、新調するもの、新しく購入するものも考えています。今の家であと20年生活「できる」ように、改造できることはしていこう、という計画です。これから本格的な老いを迎える私が、どう暮らして生きたいのか、その暮らし方を可能にするのはどういう家(空間)なのか。
 まず思ったのは、60年強生きてきた人が、それまでの暮らし方を大きく変えることはとてもむずかしい、ということです。家を改造したところで、生活の仕方や生き方が変わるわけじゃない。残念ながら。
 夫婦二人暮らしになってから、夫もやむなく家事の5%くらいをするようになりましたが、基本、掃除、洗濯、炊事、買い物をはじめとする「家事」は私がほとんどをになっています。60年以上、家事をまったくといっていいほどやってこなかった人(夫)が、仕事をやめて時間ができたから家事をやることはまずないのです。なぜなら、生活を律していく習慣は30歳までに身につけないと、身につけることはたいへんむずかしいから。私は自分の体験からそれは痛感しています。だから我が家では、私が夫の生活も含めて家事の主たる担い手になることは確実だと覚悟を決めています。
 今の私は部屋が散らかっているのも、ごみがたまるのも、埃が舞う部屋で呼吸するのも、嫌です。汚れた衣服やタオルは洗濯したい。洗濯物はお日様にあてて干したい。風呂場にカビが生えているのは見過ごせないし、排水口に髪の毛がたまっているのも嫌です。そして前述したように、自分が買い物して、料理したものを食べたい。でも、そういった家事を全部自分でこなすのではなく、機械にお任せできるようにしたい。
 今後は老いて衰えていくので、今と同じ量と質の家事が一人でこなせるとは思いません。それは無理です。そこで、モノを整理し、便利家電を利用して、生活の幅を自分の能力に見合っただけに縮小していきたい。そのためにまずはキッチンの大改造だと思っています。
 18歳で親の家を出てから46年間で培った家事能力ですが、残りの人生はその能力が衰退することを自分で認め、それに合わせた生活にしなくてはならない、と心しています。
 と言いつつ、大型電器店で今の家電の進歩に目を丸くし、デザイン性に心踊らせ、縮小どころか拡大しそうな勢いの自分を誰かに止めてもらいたい……
 

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