Glamorous Life

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装う快楽

さて、心の残る青春映画、2000年からの5本をあげます。2001年、私は47歳でした。世界を大きく変えてしまった9.11は、私自身や家族たちの生き方にも大きな影響を与えました。それがなんだったのか、という検証はまだすんでいませんが、具体的には夫も私も仕事に大きな(マイナスの)影響があったし、娘たちが就職するときの選択肢にも影響しました。
20歳過ぎた大学生の娘とは、そのころよく一緒に映画や芝居を見たり、本やCDを交換したりしていましたが、ここで紹介する映画のうち3本は娘からの推薦です。

1)「ゴースト・ワールド」2001年
恵比寿ガーデンシネマで娘と一緒に観賞。同年代の少女二人が主人公だったためか、それとも少女のうちの1人、ソーラ・バーチ演じる少女のファッションが娘の趣味にずばっとはまったためか、娘はその後この映画を友人と見に行ってあまりに話が盛り上がったので、その後またいろいろと確認のために1人で見にいったそうです。
1980年生まれの長女は、90年代の女子高生ブームのときに女子高生でした。パンツが見えそうな短いスカートにルーズソックス、茶髪、ピアスあけまくり、もちろん化粧もしていました。(どんどん過激になる娘にはらはらいらいらしながらも、それならと対抗して私もやってみました。思い切って金髪に近い茶髪にし、ピアスを開けて、派手なファッションに挑戦し、ついに娘たちに「ママ、もうやめて〜〜〜。私もやめるから」と言わせるのに成功したわけです)
大学生になるとコギャルは卒業したものの、当時流行ったお嬢様ルックにはまったく乗れず、かといって好きなパンク・ファッションに走ることもできず、どのあたりに焦点を定めるかを試行錯誤していたところだったようです。そんなときに出会ったこの映画。高校を出てもつるんではみだしものをやっている少女2人が、ど不細工なオタクにからんでいくこの映画に娘がはまるのは必然だったのかもしれません。スカーレット・ヨハンセン演じる少女(美少女)がまともに就職して、正当化路線に進んでいくのに対し、オタク男を翻弄しながらまだ髪を緑に染め、ゴスロリみたいな服を着たりしているソーラ・バーチ演じる少女に自分を重ねていたのかも。中年のブサイクで不器用なオタク男(スティーブ・ブシェミ)を振り切って、一人バスに乗って去っていく少女がかっこよく見えました。恋愛における男女の力関係が変わっていることを感じさせた映画でした。
 
2)「フラガール」2006年
やーやーやー、まさか蒼井優と山里亮太の結婚発表が今日あるとは思いもよらず、この映画を取り上げると決めていたわけですが、映画公開から13年もたって、フラガール婚が生まれたわけですね。
何回見ても泣ける映画です。時代は1966年。石炭から石油へとエネルギーが転換し、炭鉱がどんどん閉鎖される中で、廃鉱になりそうな地元の再起をかけて結成されたフラダンスの物語。実話です。
この映画の主人公はフラダンスを教える松雪泰子演じる平山まどかであり、チームの中心となる蒼井優演じる谷川紀美子なのですが、私がもっとも感情移入したのは蒼井優の母親、富司純子が演じた谷川千代でした。炭鉱という「男の職場」が行き詰まり、仕事そのものが消えようとしていた時代である1960年代、女性たちが地域を救う力となることに対して、あせり怯える男たちから猛烈なバッシングが起きます。 それに対抗して娘たちを守るために立ち上がり、女が自分の力で生きていく時代にしなくちゃ、これからはそういう時代なんです(うろ覚え)というお母さんがとてもとてもかっこよい。都会で、ダンサーとして生きてきた松雪泰子も、実は男社会の圧力に押しつぶされて逃げるように福島に来たわけですが、そこでお母さんと出会って、自分の中の力に気づき、仕事に対してそれまでとは違った取り組み方をしていきます。
1960年代、産業構造が大きく変わり、働き方も大きく変わった時代でした。今と似ています。働き方改革が叫ばれる今、時代に合わせて仕事とどう向き合うのか、考えるヒントはこういう映画にあるかもしれません。

3)「オフサイド・ガールズ」2006年
英国で女子がサッカーの試合をするようになってから140年経ちました。先日、SHUKYUという雑誌に女子サッカーの歴史について書くために10冊ほど本を読んだのですが、女子サッカーを都合のいいときだけカネのために利用し、必要がなくなるといきなり妨害にまわる男社会の理不尽に腹が立つばかりでした。FA(イングランドサッカー協会)は1920年から70年まで女子にグラウンドを貸すのを禁止していたし、西ドイツやブラジルは法律で女子がサッカーをすることを1970年代まで禁止していたって知ってました? 理由は「男子サッカーの観客が食われるから」とかいうから腹立つ。
という歴史についてはSHUKYUを読んでいただくとして、女性がスタジアムに入ることを禁止しているイランで、どうしても試合が見たいと男装してもぐりこもうとする女性たちを描いた映画です。男装がばれてつかまってしまい、スタジアムの一角に隔離された女性たちが警備している男性の兵士たちに口々に聞くのです。「なんで女性が試合観戦しちゃいけないの?」兵士たちは「え?」というとまどった顔で口ごもり、「えーっと男性たちしかいないところに女性が入ると危ないだろう?」とかいうのですが、まったく理由になっていないことを女性たちに論破されて最後には「ダメといったらダメなんだ!」で押し切ろうとする。上下支配関係ではこのやりとりはよくありますよね。「なんでダメなの?」「ダメといったらダメなんだ」答えになっていませーーん!「私は思考停止しています」を宣言しているのと同じ。
「それっておかしくないですか?」という問いかけに、「ダメと言ったらダメなんだ」と答えることの理不尽と滑稽さを描いたこの映画。今もまったく色褪せていないです。

4)「リトル・ミス・サンシャイン」2006年
娘が大好きな映画で、ついにDVDも購入し、気持ちが沈んだときには見ていたそうです。テーマとしては行き詰ってしまった家族の再生なんですが、ひたすら明るく大笑いしながら見られる、7歳の少女のおかげです。ある意味、不幸と不運のてんこ盛りといっていいほどのダメ家族なんだけれど、ダメなのは「世間」とか「常識」とかの基準に合わせて自分たちをはかるからであって、そんなものにまったくとらわれない7歳少女に、そうか自分に正直に生きていけばいいんだ、と気づかされる、という話。少女おそるべし! 少女の持つこのパワーを、世界は生かしてほしいですね
美少女コンテストに出たーい、とい7歳少女に付き添いを余儀なくされて、一家全員で旅に出ることになりますが、旅に出たときと、帰ってきたときに、家族を取り巻く状況はまったく変わってない、どころかもっと悪くなっています。経済的にも、社会的にも、状況は変わらないかもっと悪い。でも、家族の気持ちはまったく変わっています。世間や社会がどう思おうと、見栄とかプライドとかを捨てて自分の気持ちに沿って生きていく勇気を持とう、という気持ちになっている。 励まされます。

 
5)「少女は自転車に乗って」2013年
サウジアラビア初の女性監督による映画です。映画については2014年2月16日付の当ブログで書いているので、URLを貼り付けておきますね。
http://www.motoko3.com/archives/18340839.html

私も2年前からまた自転車に乗っているのですが、乗るたびに自分の中にある何かが吹っ切れたみたいで爽快です。歩くのとは違って、自分で自分の行き先を決められるみたいな気分になって、パワーをもらいます。映画の中の女の子が欲しかったのは、もちろん自転車そのものなのですが、そこに象徴されるパワーなのではないかと。厳格なムスリムの社会でも、こういう映画を女性が作り、自動車の運転もようやく許され、女性たちが少しずつ「パワー」をつけているのではないか、と思わせます。
 

あの時代、いま振り返ってみたら本当はどんなことがあったかを自分の体験から検証する「あのとき何があった?」シリーズ第三弾。今回は1970年から現在まで通して、私の心にずっと残っていて、折りあれば見直してみたい青春映画を時代順に並べてみたいと思います。並べてみて気がついたのですが、私が強く感銘を受けたのはどれも女性が主人公、もしくは女性が活動する側に立っている映画です。

1)「いちご白書」1970
1970年公開の映画でしたが、私が初めて観たのは1972年、大学1年のときでした。大学の大講堂で無料で上映されるというので、友人たちと連れ立って観に行き、終了後しばらく椅子から立ち上がれないほど衝撃を受けました。当時はまだキャンパスに立て看板が立ち並び、授業前に学生運動の闘士たちが「きみたちはそれでいいのか!」とアジるという時代。ロックアウトこそなくなったものの、学生運動はまだ熱い時代でした。この映画がまだ10代の私にぐさっと刺さったのは、男性がノンポリで、女性が活動家だったこと。東大安田講堂事件(私は高校生)で、立てこもる全共闘の学生たちは男性ばかりで、女性がおにぎりを差し入れていたことが話題になっていました。movementをになうのは男性、女性はそれをsupportする、という構図なのだと思っていた私が、この映画で「そうか、女性が社会のmovementを起こすのも許されるし、そういう女性を魅力に思う男性が現れるのだ」と初めて気づいたのです。いや〜晩稲だったね、私。

2)「ローズ」 1979
ジャニス・ジョプリンがモデルとなったこの映画は、1980年に日本公開され、観にいった会社の同僚が大興奮で「絶対に観るべき!」と息巻いて1週間くらい語り続けていました。そんなにすごい映画なら、とまだ赤ん坊だった子どもをベビーシッターに預けてこっそり観にいったという記憶があります。そしてそれだけの価値がある映画でした。ベット・ミドラーが演じるジョプリンが、ヤク漬けになったり、男にいいように使われたりしながらも、ステージに立つとものすごく強くて存在感があって、輝いていました。ジョプリンのまわりにいる人たちは、親、恋人、プロモーター、どれもこう言っちゃなんだがくずみたいな人間ばかりで、救ってやるみたいなことを言って近づいてくるけれど、結局は食い物にするばかり。それじゃ女の弱さを描いているのかというと、全然そうじゃない。ジョプリンは結局精神も肉体も破綻してしまうのですが、それでも輝きは残るのです。
ベット・ミドラーが今年のアカデミー賞授賞式で映画の主題歌「ローズ」を歌ったのですが、「Some say love, it is a river that drowns the tender reed, Some say love, it is a razor that leaves your soul to bleed……」と彼女が歌い出したとたん、新宿の映画館に座って涙を流しながら聴いたことが思い出されました。

3)「セント・エルモス・ファイアー」1985
私は30代、働くお母さんやってました。ビデオが出回りだしたころで、ビデオデッキを購入して、近所のレンタル・ビデオ屋で借りてきたビデオを子どもと夫が眠った深夜に見るのが最大の楽しみでした。ジョージタウン大学を卒業した仲間たちが、キャリア形成や恋愛に悩みながら大人になっていく過程を群像劇で描いたこれぞザ・青春映画「セント・エルモス・ファイアー」は、1回観終わって興奮が冷めやらず、3回くらい観て夜が明けた、という記憶があります。当時のレンタルビデオは1泊2日で料金取られていましたからね。
30代の私は流行りの「キャリアウーマン」というのに憧れていたのだけれど、実態はほど遠く、お茶汲みと雑務仕事しか与えられず悶々としていました。実際、自分の実力からしてそれくらいしかできなかったと今はわかるんだけれど、でも当時は焦燥に駆られていました。アメリカのキャリアウーマンはもっと輝いているんだろうなあ、と思って観たこの映画で、デミ・ムーアが演じる大手企業に就職した「キャリアウーマン」が、仲間の手前見栄張っちゃって無理を重ねるうち、経済的にもキャリア的にも破綻して自殺未遂をしてしまう、というところに痛いほど共感しました。いま見直したらチープさに辟易するかもしれないけれど、あのころの私には刺さったなあ。

4)「テルマ&ルイーズ」1991
あの結末はどうなんだ、とか、やっていることは犯罪じゃないか、とかいろいろと批判はあるでしょうが、主人公2人の決死の逃避行が痛快で、これまた私は3回くらい観ています。ジーナ・デイヴィスとスーザン・サランドンが大好きになって、しばらく2人の出演作を私は追っかけ続けていました。
2人は男から、警察から、追われて逃げるはめに陥るんだけれど、決して屈しない。それがいいことかどうかはともかく、暴力を振るわれたらふるい返し、女と思ってなめらればかにされることを逆手にとって、立ち向かって相手をひるませる。これまで腐るほど描かれてきた男の友情とか絆とか、そういうものが薄っぺらく見える女の友情物語、でした。いざというときに頼りになるのは、やっぱり女友だちだよね、ということをこの映画で認識し、それは年をとった今は確信になっています。

5)「下妻物語」 2004
この映画、大好き! 巌本野ばらさんの小説「下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」もすごく良かったけれど、映画になってますます巌本ワールドにのめりこみました(事件で残念な思いをしたけれど)。ロリータ・ファッションを愛する竜ヶ崎桃子を演じた深田恭子と、ヤンキーの白百合イチゴを演じた土屋アンナは、もうこの映画だけで映画史に残る大女優になった、とまで私は思っています。女の友情といっても、この映画では悲壮感は皆無で、爽快痛快! 茨城県下妻という微妙な田舎vs東京、ロリータ・ファッションvsヤンキー・ファッション、令嬢vs下町のビンボー娘、という両極端にあるような要素が、裏返り、溶け合い、共闘を組むってところがこの映画の面白いところ。女子高校生ブーム、お嬢様ルック、ワンランク上のライフスタイル、とかいうマーケティングの流行語が、いかに薄っぺらいかを教えてくれました。

と、ここで時間切れ。明日続きを書きます。
6)「ゴースト・ワールド」
7)「フラガール」
8)「オフサイド・ガールズ」
9)「リトル・マイ・サンシャイン」
10)「少女は自転車に乗って」
を取り上げるつもりです。


 

我が家にホームステイしている18歳男子が毎日挨拶のように私に「何か手伝うことある?」と聞いてくれます。とてもありがたいのだけれど、そのたびに笑顔で「ないよ! 大丈夫」と答えてすでに2ヶ月。1回だけ「それじゃ自分の部屋の掃除をしてくれるかな?」と言ったら、「いやいや、そういうことじゃなく、お手伝いです」という(あ、日本語で言ったので、もしかしたら伝えたい意図は本人が思ったものとちがったかもしれない)。そのとき、大人気なくイラっとしたのだけれど、なんでいらついたのかとあとで振り返ってはっと気づきました。
夫と同じことを言ったからだわ。
夫は私がキッチンで料理したり片付けたりしていると、必ず顔をのぞかせて「何か手伝おうか?」と聞いてきます。精神的に余裕があるときには「そうだねーーー(夫ができそうなことを必死に考えている間がある)、それじゃいんげんの筋をとってもらおうかな」とか言えるのだけれど、余裕がないときには「ないっ!」と怒鳴るように答えて、夫はすごすごとスマホ凝視に戻る、と。それが40年以上我が家で繰り返されてきた「会話」です。(スマホの前はパソコンでした)
年末に私が忙しくおせちを作っているときに、夫はずーっとスマホを見て3時間くらい居間に座りこんでいて、私が居間をのぞくとあわてたように飛び上がって、「何か手伝おうか?」と言うので「それじゃ自分の部屋の掃除をして!」と返すと、「いや、そういうことじゃなく、手伝いがしたいんだよ」と言うのです。それが毎年年末に繰り返される。
自分の部屋の掃除をすることが、なんでそんなにいやなんだ? でもって、あなたの考える「お手伝い」ってなんだ?
いやね、彼らの考えていることは透けて見えているんです。自分の部屋の掃除はやっても誰も褒めてくれないけれど、いんげんの筋をとるとか買い物に行くと「ありがとう」と言ってもらえる、だから「お手伝い」がしたい。気持ちに余裕があるときはそれも鷹揚に受け流せるのだけれど、余裕がないときには「お手伝い」の言葉を聞いた瞬間に腹立ちスイッチがオン!
あのね、私はね、15歳以上の家族に「お手伝い」はしてほしくないの。
お手伝いは15歳までに終わらせてほしいの。
そもそも「お手伝い」っていい方が、家事は自分には関係ないこと、自分は家事なんかよりもっとたいせつなことをやる人間なんだ、という意識が透けて見えて気分悪い。「考えすぎだ、ひがんでる」といわれるでしょう。でもね、ひたすら家事をやっている人間からすると、「家事を手伝う」という言葉を聞いたとたんに苛立つんですよ。そこに家事蔑視を感じて。
15歳以上の人は、家事従事者の指示通りに動いて「よくできたね〜助かったわ〜」というご褒美がもらえる「お手伝い」は卒業してほしい。家事も自分のやるべきことと肝に銘じて、責任をもって家事をになってほしい。まずは自分の部屋の掃除と自分の衣類の洗濯から収納までだ。
自分のことを自分でやったあとに、いま必要とされている家事を自分で見つけて動いてほしい。たとえば夕方になったら「洗濯物取り込んでおくね」と洗濯カゴを持って物干しに行く。自分の部屋の掃除が終わったら「階段もついでに掃除機かけておくね」とかやってほしい。キッチンをのぞいてたまねぎがごろんと調理台に転がっていれば、「ハンバーグ作るのかな? それじゃたまねぎ、みじん切りにしようか?」とか言ってほしい。これは相当に高度な要望だと言われるでしょうが、たまねぎのみじん切り以外は15歳以下でもできることだと私は思います。
前にも書いたように、我が家にホームステイしていた人たちで、家事経験がある人たち(たいていは女性)は滞在のしょっぱなから、食事が終わったら食器をシンクまで運んで「お母さん(と呼ばれている私)、この食器は食器洗い機に入れられますか?」とか「洗濯物は自分で洗いたいので洗濯機の使い方を教えてください」とか「朝ごはんはトーストと紅茶だけと決めていて自分で用意するので心配しないでください」と言って、ちゃっちゃかやってくれるのでほんと楽でした。そういう人たちの口から「お手伝いをしましょうか?」という言葉を聞いたことがなかったけれど、いや、聞いたことがなかったからか、こと家事に関してはストレスはありませんでした。
15歳で「お手伝い」を卒業するためには、それまでに家事経験をある程度積んでおかねばならないし、もう一つ、家庭で家事をする大人のやることをよく観察する必要がある、というのが、これまでの経験からえた私の結論です。
「お手伝い」で終わっていては家事は永遠に身につきません。家事従事者にとっては「お手伝い」しかできない人に、何かしらできそうな「お手伝い」を頼むこと自体がストレスになるんです。お手伝いが自慢になるのは15歳まで。それ以上の年齢で「家事を手伝っている」という人は、それがまったく自慢にはなってなくて、すごく恥ずかしいことだということに早く気づいてほしいです。

4月から我が家に海外からやってきた留学生がホームステイしています。留学生、だけでなく、旅行や研修でやってきた人たちが我が家にしばらく滞在する、ということを始めてからすでに20年以上が過ぎました。先日、「いったい何人がホームステイしたのかな?」と数えようとしましたが、30人まで数えたところで挫折。たぶん40人は超えています。国籍も数えたんだけれど、こちらも18カ国まではすぐに思い出せたけれど、それ以上数えるのが面倒になったのでやめました。
きっかけはなんだったのか、と記憶をたどっていて、思い出しました。下の娘は小学3年生から6年生まで、青山にあった「こどもの城」で開催されていたサンバ教室に通っていました。あるとき「カナダからやってくる子どものホームステイ先を探しています」というチラシをこどもの城から持って帰ってきて、「ねえねえ、泊めてあげて!!!」と熱心にせがむので、2人の娘さんを預かったのが最初でした。娘はもう大興奮で、一緒におりがみを折ったり、お互いに好きな歌を教えあったり、夜は畳の上で枕を並べて眠って、この上もなく楽しかったらしい。
その後、長女がAFSという高校生の交換留学機関でチリに留学し、そこでのホストファミリーの息子さんが日本に留学していたので学校が休みの間うちに泊まってもらったりしているうちに、「ホストファミリーをお願いできませんか?」と頼まれるようになり、今にいたっています。AFSだけでなく、娘の学校が提携している海外の学校の先生が研修で日本にやってきたときに宿を提供したり、私の仕事の関係者が「しばらく日本の大学に通うので泊めてほしい」と転がりこんできたり、と若者ばかりでなく社会人にも宿を提供してきました。
でも、こういうことをまったくの無償奉仕でやっているというと、なにかと言われます。「他人を家にいれるなんて、危なくないのか?」「食費くらいはもらっているんでしょ?」「人が泊まれるくらい広い家に住んでいるんだね」「よくご主人ががまんしているね」「英語がしゃべれるからできること。うちは無理だ」「ほんとに好きだよね〜〜」「えらいね〜〜(あきれている口調)」、そしてとどめが「なんのためにそんなことやってるんだ?」
一応言っておくと、たしかに海外からやってきた他人を泊めていますが、誰でもっていうわけではなく、よく知っている人から頼まれて素性がはっきりわかっている人にしています。履歴書をもらい、事前に本人とメールでやりとりをして「この人ならまあ大丈夫かな」という人を選ぶこともしています。ついでにいうと、子どもたちはもちろん、夫も海外の人たちと交流するのが好きで、私が食事や洗濯など日常生活の面倒をみる担当とすると、夫は張り切ってエンターテインメント(観光、外食など)を担当しています。
先週末、関西の母のところに行ったとき、「いまうちにまた留学生がホームステイしている」というと、母が「あんた、その歳でまだそんなことやっているの! 子どもも独立して、いまさら海外の人を泊めたって意味ないやろ。お金ももらわんで、他人に無償奉仕っていい加減にしなさいよ」とほぼ叱られる口調で言われました。
まさか自分の母親からそんな非難を受けるとは思っていなかったのでしばらく絶句し、帰り道で「いったいなんのために? どんな意味が?」といまさらながら考えてしまいました。
そして2日考えての結論。
20年もやってきたことについて、なんのために? とか、どんな意味が? なんていまさら考えることに意味はない。
人助けをしたいから、とか、海外の人との交流が好きだから、とか、頼まれるといやと言えない性格だから、とかいろいろと引き受ける理由を探しましたが、どれもあたっていない気がします。
強いて言えば、ただ「おもしろいから」なんですね。他人と暮らすと面倒なことがいっぱいあるし、疲れるし、むかっとして喧嘩することもある。人によってはありがとうという言葉もあまり期待できないことさえある。帰国したあと、掃除をしながら「やれやれ、せいせいした」とほっとすることも多い。
それでもおもしろいんですよ。異なる文化で育つとこんな考え方になるんだ、ということを身をもって知るのがおもしろい。反対に、異なる文化で育っても、人間ってつきつめていっくとみんな同じだな、と思うことも多い。それは寝食をともにして、かなりつっこんだ話をしないとなかなか肌身で感じられないことだとこのごろ思います。あ、意味づけをしちゃいましたね。
単におもしろいだけではやっていけない、という人もいるでしょう。余裕があるからできることだ、と言われるのももっともです。そして、我が母を含め「目に見える価値がないことにお金と労力と時間を費やすことはばかである」と考える人が多いことも認めます。
でもね、短い人生。おもしろいことをやって生きていけたら最高じゃないですか? でもって、私にとっては、異文化で生きている人たちと寝食をともにすることがすごくおもしろい! 
あとどれくらいこんなことができるかわからないけれど、体力と気力が続くかぎりは「うちにおいでよ! いいよ、しばらく泊まっていっても」と言う人たち(夫を含む)でいたいです。 

1974年フランスに留学していたとき、私も学校が休暇になるとあちこちの家にホームステイしていました。同級生で親友だったドイツ人の家には、のべ1ヶ月近くいたこともあります。
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〜力、っていう言葉はもう手垢どころか泥まみれ、汗まみれになっている感じがするので本来なら使いたくないのですが、あえて言います。
未来が不透明で、選択肢がいろいろとある時代に必要なのは、「決める力」ではないか、と私は最近強く思っています。そしてその力をつけるためには、日常生活でのこまかいことを自分で考えて、判断することから始まるのではないか、と。
朝ごはんはコーヒーか紅茶か。
洗濯するかどうか。
壊れた時計を修理に出すか、新しく買うか。
今日の夕飯は何を作るか、何を食べるか。
そんなことを決め、決めたことを実行し、たとえ失敗しても反省はしても後悔しない。そんな訓練を重ねることが、もっと大きな決断を迫られたときの「決める力」につながっているのではないか、と最近とくに強く感じています。
というのは、私の周りだけかもしれませんが、アッパー50歳の男性たちにこの「決める力」がとくに不足しているように思えてならないのです。
たとえば旅行。どこに行くか、いつ行くか、誰と行くか、何をしたいか、グループに男性が一人入るとまったく決まらない。
調べた情報は提供する。でも、その情報は自分の意見ではない。「どこそこはその時期雨が多いらしいよ。SNSに書いてあった」とかね。私が聞きたいのは、その人がそこに行きたいのか、行きたくないのか、そこなんだけれど、なぜか男性(おじさん)は「行きたくない」とかは言わないで、否定的情報のみを提供する。「それじゃそこはいやなのね」と聞くと、「いや、いやってわけじゃないけれど、むにゃむにゃ」とごまかす。たぶん行きたいかどうか決める力がないが、それを認めたくないから「○○さんが行きたいっていうならそこでいいよ」とか言う。
まあ旅行程度だったら、勝手にこちらが決めて「行きたいなら仲間に入れてあげる。いやならいま断って」と迫るか、もしくは途中で仲間から外してしまえばいいことです。
でも、そういう人っておそらくもっと大きなことも自分では決められないのではないか、と私は疑っています。たとえば結婚とか、転職とか、転居とか、もっと言えばどんな死に方をしたいか、というところまで他人に判断(決断)をあおいでしまう。そういう人にかぎって、どんな結果が出てもあとでぐちぐち悔やんだり悩んだりしてしまう。
なぜそういう人に男性が多いのかを考えていて思いついたのが、日常生活での小さなことを自分で決めてこなかったからではないかと勝手に思い至りました。親や奥さんが用意したものを食べ、用意してくれた服を着て、会社で上司に言われた仕事をして、部下や同僚や上司とのつきあい方もマニュアルが教えてくれるとおりにこなしていたら、そりゃ「決める力」はつかないです。
もちろん、女性にも決める力がない人がいるのだけれど、比べてみたら圧倒的に男性のほうに多い、というのが65年生きてきた私の感想です。はい、統計取ったわけでもないので、あくまで個人の感想です。
まあね、私はいつもあっという間に決断して、すぐに行動して、半分くらいの確率であちゃーーーーってことになっちゃうんですけれどね。でも、ま、少なくとも失敗してもそれを誰かのせいにするひまもなく、つぎの決断と行動に移ってしまうか忘れてしまうので、あとはひかない。そういう私に言われたくないわ、という男性が多いことも認めましょう。
おっちょこちょいと言われてもまあ仕方ないけれど、おっちょこちょいでそそっかしくて粗忽だからこそ、得てきたものも多いかなと思う今日このごろ(締めまで手垢がついている)

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