Glamorous Life

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装う快楽

年が明けてからも昨年からのあわただしさを引きずっていて、いまだ師走をやっているみたいな日々です。つぎのエントリーでお知らせしますが、1月25日、26日の週末に、横浜(というか関内)で開催されるヨコハマ・フットボール映画祭のイベントのひとつとして開催されるヨコハマ・フットボール文化祭にCONIFA in Japanがブースを出展します。その準備に追われている、というところ。

さて、毎年恒例?の年頭抱負表明です。
今年の目標、ですね。自分にプレッシャーかけるためにもここで表明しておこうかな、というところ。
仕事における目標は「自分から仕掛ける」です。この年齢で、もう「待ちの姿勢」はダメでしょう。私はこれがやりたい! これをやるからね! と宣言して仕掛けていく。そう、ガンバの福田選手みたいに、U23の相馬選手みたいに(なんか飛躍している?)去年から仕掛けているつもりなんだけれど、まだ押しが足りないので、もうあと2人ほどDFを抜いて、せめてシュートまで持っていく勢いをつけたいなあ。

私生活における目標は「できないことはできない、と勇気をふるって宣言して断ち切る! やめる!」です。 これがね、ほんと私は苦手なんですよ。頼まれたら、つい「それじゃやります」とか言ってやってしまう。そして自分で自分の首を絞めることになる。去年も、一昨年も同じことを言い続けているけれど、どうしてもできない。情に流されて、つい他人のことに手を出してしまう。すると自分にとってはもちろん、手を出された相手にもまったく良くない結果をもたらす。それがわかっているのに、できない。もうすぐ66歳になるんだから、私に残されたエネルギーも時間もだんだん減ってきている。おだてられ、すがられ、押しつけられたことを全部やっていたら身がもたない。
自分に言い聞かせています。「できないことはできない、と断ろう!」

今年も「これまで行ったことがないところに行き、食べたことがない料理に挑戦し、ジャンルとして学んだことがない分野を学び、新しい人脈を広げていく」という昨年からの(もっと前からかも)目標は変わりません。
今年こそ、南アフリカとナミビアに行きたい! 
と、高らかに宣言しておこう(実現に向けた努力はまだしていないのだけれど)
 

私が運営委員を長くつとめている乳房文化研究会の主催で「文学と乳房〜日本と中国、中世から現代までの文学作品に、乳房は誰のものとして描かれているか?」というテーマで定例研究会が開催されます。
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今回はコーディネーターを引き受けて、以前から「ぜひお話を聞きたい」と願っていた3名の方々に快諾いただき、念願のテーマで、念願の内容でお話いただく企画が実現します。

まず、日本中世文学、いや、日本文学の筆頭にあげられる「源氏物語」を、乳房を切り口に読み解いた本「乳房は誰のものか〜日本中世物語にみる性と暴力」(新曜社)を書かれた木村朗子さんに、「源氏物語」に描かれた乳母、母、父、子それぞれにとっての乳房から権力構造と家族関係を読み解く」というお話をしていただきます。木村さんとは「ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい」(岩波書店)の共著者というご縁で、何回か飲んだのですが、もう話がとまらない勢いで弾むはずむ!!お話がとってもおもしろく、内容が濃い〜〜〜!
つぎに中国近現代文学からは、濱田麻矢さんに「恋する乙女の胸のうち〜中国女性の乳房と足が解かれたとき」というテーマでお話いただきます。自由恋愛を研究テーマにしていらっしゃる濱田さんには「中国が愛を知ったころ」という張愛玲作品の翻訳作品があります。李鴻章の外曾孫として1920年に香港に生まれた張愛玲は、ただ愛し愛されることのみを求める女性の喜びと苦しみを描き、現代中国文学に足跡を残しました。濱田さんも「ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい」の共著者のお一人で、収録されている「中国文学むねくらべ」は実に興味深い内容です。
そして3人目として、日本の近現代文学に描かれた乳房を語ってくださるのが藤木直実さん。「にせもののおっぱい、ほんもののおっぱい」というテーマは、聞いただけでも何が出てくるかとワクワクします。藤木さんを知ったのは「妊婦アート論」という刺激的な書の共同執筆者としてですが、多岐にわたるその活動から、乳房を切り口に近現代文学を論じられると、いったいどんなおっぱいが描かれるのか楽しみでなりません。

乳房文化研究会定例研究会「文学と乳房」
日時:2020年2月1日(土)13:30〜17:30
場所:(株)ワコール本社ビル 会議室(JR西大路駅より徒歩4分)
参加費無料
お申し込みは以下より
https://www.wacoal.jp/nyubou-bunka/upcoming/post-44.html

 重箱に煮しめなどを詰めて「おせち料理」と呼び、一般庶民にまで普及するようになったのは戦後、それも本格化するのは1960年代に入ってから、と知ったのは割に最近です。もともとは中国で五節会に作っていた特別料理が日本に伝わり、江戸時代には、節会の中でも一番豪華な料理が作られていた正月に、武家が床の間に三方にご馳走(ごはん)を盛って飾っていたのが起源だそうです。
 それが明治時代になって、飾るものとお重に詰めて食べるものとに分けて用意するようになり(床の間にある家に住んでいる階級での風習でしょうが)、そのうちお重に詰めて家族や親族で食べるものになった、とか。今みたいな彩鮮やかで、豪華食材を使ったおせち料理が普及するようになったのは、ごくごく最近の話。
 以上、おおざっぱな説明だし、日本各地でおせちに在り方は異なるようなので、とりあえず私のおぼろげな知識に基づいたおせち料理基本情報です。
 つまり、何が言いたいかというと、お正月におせち料理を家族揃っていただく、なんてのを「日本の伝統」と言ってよいものかどうか、ということです。
 私は思春期に入ったころから年末年始が近づく12月になると、ゆううつでため息しか出なかったのですが、それは正月という時期に「日本の伝統」の圧がぐぐぐーっとかかってくることが原因でした。
 私が思い出す実家の正月は、挨拶にやってくる親戚たちの分までおせちやら特別料理を準備する手伝いをさせられ、正月は朝早くから料理を出したり皿を洗ったりごみを始末したりすることに追われ、やっと一息つく午後には「年始の挨拶に行くから早く着替えろ」とせっつかれる。疲れてふくれ面になると「正月からなんだ、その顔は」と叱られ、手伝いに抵抗すると「お年玉をあげないよ」と脅される。
「正月には家族そろって晴れやかに新しい年を祝う」ことまで「日本の伝統」と言われ続けたけれど、その「伝統」とやらを守るために誰が犠牲になっているか考えたことがあるのだろうか、伝統信奉者たちは! とか思っていましたね。
 その「伝統」が、私が小学校に入学するころから一般庶民に普及したにすぎない「風習」で、しかも普及させたのがデパートの商魂だったと知ると、ヘナヘナと崩れそうになります。返せ! 私の青春(半分本気、半分冗談)
 そんな愚痴を毎年毎年正月にブログに書き続けてはや20年が経ちました。

 2020年代がスタートする今年は、「伝統」とか「常識」にとらわれないだけでなく、きっぱりさよならする一年にしたいと思っています。とかなんとか言いながら、今年もおせち食べて、お雑煮食べて、家族と一緒に過ごしちゃいましたけれどね。言い訳すると、伝統だからやったんじゃないよ。自分がやりたいからやっただけなんだからね。(と自分に言い聞かせている)
 年末年始は、新装復刊されたメイ・サートンの「回復まで」と「独り居の日記」を読んで過ごしました。
「回復まで」(中村輝子訳・みすず書房)は、66歳から67歳にかけて書かれた日記です。病を経験して体力の衰えを感じ、恋人と切ない別れを経験したメイ・サートンが、それでも創作への意欲を失わず、自然の営みに喜びを見出し、孤独を愛おしむ姿が伝わってきて、しみじみと共感する言葉にたくさん出会いました。たとえば病から回復途上にあるメイ・サートンが、小説を読んだ92歳の読者からの手紙に励まされて書いた言葉。
「不自由になったからだは、そうした事実(私注:自分が年をとってできないことがいろいろと出てきたことや、親しい人たちとも別離など)を肉体的に証明しているように思える。しかし、炎からふたたび立ち上がる不死鳥は、別のことをわたしに告げる。わたしたちの肉体が弱れば弱るほど、心は虚飾を捨て、もっとも必要なものへの要求が強まり、ありのままの自分であることや感じるままの自分であることを恐れなければ、もっと自然で、愛情豊かになれる、と」
 一方で58歳のときに書かれた「独り居の日記」では、メイ・サートンが自分の中に沸き起こる怒りや悲しみをどう処理していいかとまどい、深い喪失感に打ちひしがれながらもがく姿にときどき息苦しくなりましたが、失うものばかりが増えていく中で、それでも生き続ける意味と気力を見出す姿に励まされます。
 女性がものを書いて生計を立て、同性愛者であることを公表し、60歳前になって住み慣れた土地や人間関係を断ち切って農場に独り移り住む、というのは、メイ・サートンがこの2冊を書いた1970年代当時はもちろん、現代でも「常識破り」な生き方だったと思います。 私がその生き方を真似たいという訳ではありません(真似ようにもできっこない)が、少なくとも常識や伝統にとらわれないで生きていく姿勢は見習いたい。そしてメイ・サートンが貫き通したように、孤独に向き合い、人は独りで生き死んでいくことを噛み締めて、愚痴をできるだけこぼさないように生きる強さを持ちたいと思います。
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 一年の締めくくりには、ほぼ12時間キッチンでおせちとお雑煮作りをするのが恒例行事です。別に恒例行事にしたいと思ったわけではなく、結婚して以来40年間やってきたので、いまさら何か変えるのもどうなんだと惰性でやっているだけ。朝8時から夜8時まで、ばたばたとキッチンで働き、夕飯をかきこんで、正月用の器やお箸の準備をして、最後の掃除をして、お風呂に入って、ブログを書いて(→いまここ)、寝る。あと最低でも10年はこんな大晦日を過ごしたいです。過ごせるだけの気力と体力がもつことを祈っています。
 今年は1月末からCONIFAの年次総会@クラクフに出席して、その機会にポーランドをぐるっとまわったことがまず大きなイベントでした。アウシュヴィッツに行ったこと、ワルシャワのユダヤ人博物館とゲットーをアンナさんという稀有なポーランド人に案内してもらってめぐったこと、この経験はたぶん生涯忘れられないし、私の中の何かを変えたと思います。
 4月からはチェコからやってきた留学生がしばらくホームステイしていました。三島由紀夫が好きという彼と、文学の話やらチェコの政治について話したこともおもしろかった。
 6月末からは友人とギリシャへ、それから一人、フランス各地を転戦してサッカー女子ワールドカップを観戦しました。なぜかアメリカ代表の試合を見続けることになり、ラピノー選手のすごさにうなりました。試合前に各チームの代表が「私たちは差別を決して許さない」という宣言をしたことにも感激。いろいろな意味で差別を受けている女子選手たちの言葉は、じーんとしみました。
 7月からは仕事が一気に忙しくなり、朝起きる前にスマホを開けて「今日の締め切り」を真剣チェックする日々が12月末まで続きました。 仕事があるってことはとてもとてもありがたいのだけれど、もうちょっと分散してくれないかな〜〜〜とかぜいたくなことをぼやきましたよ。
 花粉症の薬をもらいにいくのと、インフルエンザの予防接種を受けにいく以外では一度も医者にかからないで一年を過ごすことができたのは、割に規則正しい生活をしたのと、酒量が減ったのと、太極拳のおかげだと思っています。
 
 今年は身内に不幸があったので、新年のご挨拶は控えさせていただきます。
 今年も当ブログにお越しいただき、ありがとうございました。
 2020年、みなさまにとって気持ちがはずむ年となりますことをお祈りいたします。
 来年もどうぞよろしくお願いいたします。
(恒例?のおせちアップさせてください)
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 2008年ガンバがACLで優勝したのをきっかけに、「そうだ! 毛筆でメッセージを入れたフラッグを作ろう!」と思いつき、年末に飛び込んだカルチャーセンターでいまの先生と教室にめぐりあいました。お試し体験(無料)の日が私にとっての書道初日で、その日は教室の忘年会。先生に「時間があれば、参加しませんか?」と言われて、筆を握るよりも先に酒を飲みに行った、という生徒でした。
 2009年からカルチャーセンターの教室で1週間1回1時間筆を握る生活を始めたのですが、まわりの生徒さんたちはどうも家で課題を書いてきて、教室では書いてきたものを先生に添削してもらっているらしいと気づきました。当時は20人以上の生徒がいたので、先生はクラスの最初から添削したり、生徒が家で書いてきた作品を選別するのに忙しく、初心者が書いているところでていねいに手取り足取りしているひまがない。サッカーのシーズンが始まってもこれはフラッグ製作まで行き着かないな、とあせっていたところに、カルチャーセンター以外に先生が個人で教えている教室がある、と聞いて、お願いしてそこに通うことにしました。
 その教室は多いときでも5人しか生徒さんがおらず、時間も2時間あるのでたっぷり書けるし、手取り足取りで教えてもらえます。カルチャーセンターと並行して、そこに通うようになり、1週間に2回筆を握るようになったのが2009年の夏ごろ。
 やがて先生にお手本を書いてもらい、下手くそながらゲーフラも何枚か製作し、目的を果たしたからやめるはずだったのに、書道がおもしろくなってしまって、今では目的が目標に代わりました。いい線が引けること、すてきな作品が書けること、というなんとも漠然とした、達成がほぼ生涯不可能な目標です。いまは「ずっと筆が持てるように健康に気を配ろう」と書道のために別の目標ができてしまっています。
 2009年の終わりには、創玄展という公募の書道展に出品したい〜〜〜と先生にねじこみ、じゃなくて頼み込み、初めて条幅なるものを書きました。大きな筆で大きな作品を書くのがまたすごくおもしろくて、2010年はじめから半紙と並行して条幅も毎週書くようになりました。その年の春には別の公募展、毎日書道展にも出品(しかも漢字部門と詩文書部門の2点出品)。その年末からは2泊3日の合宿にも年2回参加しています。
 もともと、始めたことがなかなかやめられないところがあります。サッカー好きはすでに半世紀。ガンバサポ歴20年、もっと言えば同じ人と結婚歴41年、職歴も42年と、続いてしまっているのは、ひとえに「やめられない」がゆえ。
 書道だって、なかなか上手にならなくても、才能がないとわかっても、賞がとれなくても、ぼろくそにけなされても、むいていないかもしれないという疑念がわいても、やめられない。好きだから、とか、おもしろいから、とか続けている理由を自分でも自分にこじつけて言っていますが、そんな前向きな理由ではなく、やめるという決断がつかない優柔不断な不器用者であるがゆえに11年間続いた、というのが一番真実に近い。
 今年、2019年、 師範試験に合格しました。一つの節目ではあるけれど、師範ですが、それが何? というようなもんです。ここからがやっとスタート、かな。
 7月から師範試験のために課題の漢字2点、詩文書1点、かな2点をほぼ週3回ひたすら書き、9月にそれが終わると来年3月に開催予定のクラス展のための作品を書き、並行して創玄展の出品作品を書き、と半年間、ほんとによく書いたよ、私。
 でも、振り返ってみて、それだけ書けたのは体力と気力が充実していた証拠かもしれません。そのことに感謝しつつ、ものすごく恥ずかしいことだろうけれど、たぶんもう二度と開けてもみないだろうと思うので、記念に師範の認定証をアップしておきます。
 
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