Glamorous Life

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装う快楽

 今日で6月が終わり、2020年上半期も終わります。
 お正月に「あけましておめでとうございます」と書いてから今日まで、半年間がとても長かったようでいて、振り返るとあっという間だったようにも思います。
 今日で「巣立ち日記」も終えることにします。「新常態」の働き方や暮らし方にまだ慣れているとは言わないけれど、慣らしていかないと、という意識と覚悟ができたところで、巣立ちの準備が整ったかなと自分では思うからです。
 この半年で、わずかなことかもしれませんが、自分で意識して変えたこと、変えざるを得なかったことを箇条書きでまとめて、下半期への心構えとしたいと思っています。

1)スマホを見る時間を1日合計3時間までにする
前にも書きましたが、巣篭もり期間中はスマホの電源を1日に2時間しか入れないという生活を送っていました。出かけざるを得なくなり、仕事が本格化した6月1日からはさすがにで電源を2時間しか入れないというわけにはいかないけれど、夜10時から朝7時まではやっぱり電源を切るようにしています。
出かけるようになってあらためて驚いたのですが、電車の中でほぼ9割の人たちがスマホを見ています。その光景にはやっぱり引っかかってしまう。
朝目覚めた瞬間から、寝落ちするまでスマホの画面しか見ていない依存症の夫に、巣篭もり期間中に一回キレたことがありました。
「スマホの画面には情報しか出ていないよ! 情報を1日18時間眺めていると、情報のことしか話さないつまらない人間になっちゃうよ」 
 私がキレたからって、スマホを見る時間を減らすような夫ではありませんが、以来、一緒に食事をしているときは15分くらい見ないで我慢するようになったみたいです。
スマホを見る時間を減らしてよかったことは、一つに目が疲れなくなったこと、そして少しは考える時間が増えたことです。瞑想とまではいかずとも、ゆっくりと考える余裕が生まれた、ような気がします。これからも続けていきたいです。

2)早寝早起きを続ける
 はじめは早朝太極拳道場に行くためでしたが、太極拳をするために出かけることをやめても、朝6時までには起きて、夜は遅くとも11時には眠るようにしています。 
  早起きになってよかったこと、それは1日が長く使えることです。朝、起床してから太極拳をすることもあれば、ちょっと瞑想もどきをする余裕ができました。本をじっくり読むゆとりも、Netflixでドキュメンタリー鑑賞三昧ができるのも、早起きのおかげかな。夜にだらだらビールを飲みながら録画した映画を観たり、読書したりしなくなって、実は少し体重が落ちました。夜飲み、やっぱりダイエットの大敵ですね。

3) 思いついたことはすぐやる
 最近の話ではなく、私はいろんなことをすぐに忘れてしまいます。たとえばキッチンで食器洗いの洗剤がなくなりかかっている、今日は買いに行かなくちゃ、と毎日のように思っていながら、買い物に行くと洗剤を買うのを忘れる。そういえば友だちから予定を聞かれていたんだ、メールで返事をしなくちゃと お風呂を洗いながら思い出しても、風呂場を出るともう忘れてしまう。ヤバイです。今に始まったことではなく、かなり前からの忘却癖。で、少し生活にゆとりが出たこの半年間に、思いついたことはすぐにメモをとり、PC画面に、スマホの画面に、貼っておくということを習慣づけました。
 または洗濯物を干している最中に、そうだ、メールの返事を忘れていた、と思い出したら、干す手を止めてすぐに返事を書く、クリーニングに服を出すことを思い出したら、ベッドに入っていても起きてクリーニング袋に入れに行く、とか、とにかく思いついたり、思い出したことはすぐにやるようにしています。ボケ防止、かな。

 実にささいな事柄ばかりですが 、時間に余裕があったこの半年に身につけたこの習慣を、下半期にも続けていこうと心しています。
 それが私のウイルスとの共生方法だと信じて。 

 東京アラート(っていったいなんだったのかがいまだにわかっていませんが)も解除されて、他県への移動制限も解かれたいま、気持ちに日々ゆとりがなくなっています。コロナ禍のこととか、これからの生活について、または自分自身について考える余裕がまたなくなってきて、日記を書くことができなくなりました。本来なら、自粛期間中に見直した時間の使い方や働き方を、いまこそ実践していけばいいのに、それができない。生活を変えるのって、そう簡単ではないことを実感しています。
 でも、書きたいことはいっぱいあるのです。それをまとめる時間的、心理的余裕がないだけ……あれ? ほんとに余裕がないだけ? 思考停止しているからじゃないのか? と自問するのですが、とりあえず毎日書く形式の日記はあきらめました。 メモだけがどんどん溜まっていくと、プレッシャーになってしまうしね。
 というわけで、これからはテーマを決めて書くことにします。今回は、夫も在宅勤務になって、あらためて見直した「家事」について。

6月20日(土)梅雨の中休みの晴天〜21日(日)1日雨降り
 梅雨に入って一週間足らず。雨降りの季節が始まると、私は朝晩天気予報とにらめっこして、洗濯するか否か、また洗濯したら外に干してから外出するか、それとも部屋干しにするかを考えるのに忙しい。
 土曜日はお日様が拝めそうだとわかって、朝6時に起床してすぐに洗濯機を回し始めた。3日分溜まっていたし、大物(バスタオル、バスマット、トイレマット、シーツ、布団カバーなど)を洗えるチャンスだ! 土曜は午前10時から外出する用事があったので、早めに洗濯をスタートして乾いたものから取り込んでいかないと、全部を干しきれない。
 遅い時間に起床して、朝食をとっている夫に「悪いけれど、昼過ぎに全部乾くはずだから洗濯物を取り込んでおいて」と頼んで出かけた。
 夜10時くらいに帰宅すると、夫が「洗濯物を取り込んで、畳んでおいたよ!」と胸を張って言うではないか!
 しかし「ありがとう……」という言葉は、居間のソファの上に投げ出された洗濯物の山を見たときに引っ込んだ。え? いま畳んだって言わなかった?
 「自分のことは自分でやらなくちゃいけないっていつもモトコさんに叱られるから、ぼくも自分の洗濯物は自分で畳むようにしようと思ったんだ」と夫。
 たしかに、夫のアンダーシャツやパンツやポロシャツはちゃんと畳まれて隅っこに積まれている。だが、私の衣類はともかく、タオルやシーツ類は取り込まんだままの山積み。これはいったい……???と腹立ちよりも疑問が起こったのだが、1日ばたばたと走り回ったせいで疲れ果てたので、その日は倒れるように眠ってしまった。
 翌朝、洗濯物を畳みながら、なぜ夫が誇らしげだったのかを考え、「これは1960〜70年代の核家族が育児にあたって、『自分のことは自分でやりなさい』と子どもをしつけたことが原因ではないか」と思い当たった。
 いやね、実は私も自分の子どもを育てた1980年代から1990年代も、「自分のことは自分で!」と子どもに言い続けたので、もしかするといまも生き続けているしつけなのかもしれない。
 自分のことは自分でやりなさい、というのは、自分のことだけやっていればそれでよし、という意味に子どもはとらえるし、親の意図もそこにあるのかもしれない。サラリーマン世帯が増えて、専業主婦が過半数を数えた時代には、子どものしつけは「自分のことだけやっていればよし」だったかもしれないけれど、いまや専業主婦は少数派になりつつある。家族みんなが自分のことだけやっていて、そのほかは主婦役におんぶにだっこでは、家事は回らなくなる。タオルなどみんなで使うものを洗ったり畳んだりする必要がない、と無意識にも思っている家族がいれば、主として家事を管理する人の負担が増すばかりだ。
 そういえば、我が家でもまだ子どもたちが小学校高学年と高校生だったとき、「食事が終わったら、自分が食べたお皿は流しに持っていきなさい」と言い続けていたら、自分が食べたお皿しか持っていかなくなって、ある日「みんなで取り分けて食べたお皿とか、調味料とか、そういうのも片付けなさい」と叱った、というか怒りを爆発させた。思春期の反抗期真っ只中だった娘たちは「それなら最初から、後片付けをしなさいといえばいいでしょ? 自分が使ったお皿とか強調しなくてさ」とクレームをつけられ、しゅんとなった記憶がある。
 「自分のことは、自分でやりなさい」。これは正しい。でも本気でしつけをする気なら、もう一言付け加えるか、言い方を変えないといけない、と反省している。
 「自分のことを自分でやれるようになったら、みんなのこともやれるようになろうね」
とか、かなあ。ハードル高そうだけれど。

6月9日(火)
都心まで行く用事があった。電車で行けば乗り換え2回で45分乗車の距離だ。地図をじっと眺めて、自転車で行けるかどうかを検討したけれど、Google Mapによれば自転車では片道2時間かかるというので断念。ママチャリに1日4時間またがっているのは、さすがに辛いもんなあ。
時間をずらして出かけたので、電車は空いていたし、車内は私が見る限りソーシャルディスタンスを意識してしている乗客ばかりだった。ここ数ヶ月で初めて「新常態」というのを実感。人と人の間の距離をこんなにも多くの人が意識しているとは!

6月10日(水)
今回の緊急事態宣言下の外出自粛要請が終わって「このまま今の家で暮らし続けよう」と決意を新たにした。
少し前まで、年老いてボケて動けなくなって、周囲に迷惑をかける前に高齢者施設に移ろうと思っていたのに、気が変わったわけだ。もちろん状況によっては、また高齢者施設を探すことになるかもしれないが、とりあえず今のところは「できるだけ長く、たとえ一人暮らしになっても、ここに住み続けよう」と思っている。
そう思った理由は2つ。1つはご近所コミュニティのありがたさを実感したことから。日記にもしょっちゅう書いているように、家庭菜園をやっている方から野菜を分けていただいたり、豊作だといってたくさん梅の実を分けてもらったり、お返しにお惣菜を届けたりするのがとても楽しかった。これまでもおつきあいはあったのだけれど、ご近所づきあいがコロナ禍を機に濃密になった気がする。
自粛期間中は外周りの掃除をするときに朝晩の挨拶以上の会話を交わすようになった。「そのマスク可愛いじゃない? え? 手縫いなの?」と褒めていただいたり、「今あそこの道は自転車が通れないわよ」と教えて差し上げたり。向かいに住んでいる外国人家庭(いまだにどこの国の人たちかわからない。少なくとも英語で会話はしていない)の女の子(推定3歳)から、私が自転車を出すたびに「行ってらっしゃーい!」「どこ行くの?」「気をつけてね〜」と日本語で声をかけてもらうようになったし。
2つ目は、時間に余裕があったのと、公共交通機関を使わなかったために、ご近所探索をする機会があり、地元の魅力を再発見したためだ。毎日出かけるたびに、必ず1本は通ったことがない道を通ることにしていたら、思いがけないおもしろいところ、すてきな場所を見つけた。
年老いたら階段が昇れなくなるんじゃないか、段差につまづいて転んで骨折するんじゃないか、調理定年が来て食事に困るんじゃないか、年寄り世帯は詐欺とか危険な目にあうんじゃないかなどなど懸念していたのだけれど、そんなこと今から考えてもなるようにしかならない。それよりも、今、現在のこの環境を大切にするほうが重要じゃないか、と思ったわけだ。
できるだけ長く自立して自宅で暮らせるようにと、毎日の太極拳は欠かさない、とそれも決意をあらたにしている。

映画「13th 憲法修正13条」を観た衝撃を書いた6月11日分は別立てにしました。
まだ衝撃が醒めない。

5月30日(土)
 受け身ではダメだ、といつも自分に言い聞かせてきたつもりなのだが、緊急事態宣言中に自分がいかに人に言われたこと(だけ)を必死にやっていたかを痛感させられた。フリーランスになって30年。仕事というのは、頼まれたこと、求められていることを、求められている水準プラスαくらいで仕上げて納品するというスタイルが染み付いてしまっていた。でも60歳近くなってくると、若いときのように待っていてもいなくても仕事が来る、という状態にはならない。だから、自分で開拓しよう、営業をかけよう、と動いてみたものの、どうも私が考えた開拓分野が違っているらしく、結局頼まれたことをこなす日々がまた続いてしまっていた。
そんなところにコロナ禍。
働き方が変わるどころか、「仕事」の定義まで大きく変わっている。
依頼を待っていてはダメなことはもちろん、開拓だの営業だのという発想そのものがもう時代にそぐわなくなっている、ことを痛感させられたこの2ヶ月。 
どんなことが「仕事」になるのか? 仕事ってそもそも何?
そんなことをもんもんと考えながら、やっているのは太極拳と書道。
大丈夫か>私?

読んでいる本:「ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る」
梅森直之編著 光文社新書
「想像の共同体」が通読できていないのだが、まずは新書で入門してみようと2005年早稲田大学でアンダーソンが行った講義録を読むことにした。

夕飯はなめたカレイの煮付け、ピーマンとナスの味噌炒め、アスパラガス(2色)とハム、ほうれん草の白和え、豆腐とナスの味噌汁
アスパラガスを低温で茹でて、茹で汁に少し出汁を加えて味噌汁にしてみた。うーん、美味しいじゃないか。低温調理ばんざい
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5月31日(日)
 今年の夏は(も)長く暑いらしい。今の気候変動が人間の(無謀な)経済活動によって引き起こされたものであることはまちがいないのだが、太陽の活動とも関係しているらしい。
 外出自粛と経済活動の停止によって、夏の暑さは少しマシになるかなと少しだけ期待していたのだけれど、いやいや数ヶ月経済活動がゆるやかになったくらいで気候変動に変化が起きるはずもなく、そして太陽の活動も地球温暖化に拍車をかける。いや、太陽の活動による地球温暖化を、よりいっそう進めているのが人間の活動か?
 どちらにしても、暑いのが苦手な私にとって、2000年代に入ってからの酷暑は耐え難い。でもクーラーを入れる気にはならなくて、窓をあけて風を入れ、汗をふきながら書道。書道っていうと文化系で大人しくやるものだと思われるかもしれないけれど、実は身体芸術で、すごくからだを使うのだ。ぽたぽた紙の上に汗が落ち、そこの部分の墨が滲んでしまったりして、いらつく。早く夏が終わってほしい。

夕飯は近所の居酒屋さんでテイクアウトを買ってきてしまった。鯛のカブト煮、ほうれん草としめじのおひたし、刺身盛り合わせ

読んでいる本:「免疫力を強くする——最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ」
宮坂昌之著 講談社ブルーバックス

免疫をつけるにはワクチンしかない! という主張を、素人にもわかるように筋道たてて説明してくれる。「免疫力」なんていう言葉自体が科学的じゃないこともよくわかった。ヨーグルトや納豆をキロ単位で食べても「免疫力」がアップするなんてことはない。強いて言えば、リンパと血液の流れを良くするために、運動することくらいしかない。
ワクチンができて普及するまで、こりゃあCOVID-19とうまく付き合っていくしかないわけだ。

6月1日(月)
 いつまでも引きこもってばかりもいられず、今日はたまっていた用事を一気に片付けてしまおうと午後早い時間から出かけた。自宅から代々木→原宿→渋谷を回って帰宅を予定していたのだが、起きたら雨が降っている。うーん、自転車が使えない。しかたなく全行程徒歩で行くことにした。18キロくらいかなと地図を確認。
ところが、原宿で受け取った資料が思いの外重くて、渋谷まで歩いていくうちに腕が痛くなり、でも雨模様だからかばんを下に置いてしばらく休むということもできず、ほとんど足をひきずるようにして渋谷も目的地に到達。そこでまた荷物が増えて、ついに観念した。
 3月27日以来初めて、電車に乗りました。2ヶ月半ぶりの公共交通機関利用。
 夕方7時前だったのだが、結構な混み具合で、座席は全部埋まっているし、つり革を持って立っている人もいて、以前と変わらない混雑ぶり。マスク着用率はほぼ100%だからいいものの、隣に座った人が咳をするのが気になった。
 帰宅してすぐにシャワーを浴び、冷やし中華をかきこんで10時前に眠ってしまう。ほんとに疲れた。私、社会生活に復帰できるのだろうか? 

読んでいる本:「感染症と文明—共生への道」山本太郎 岩波新書
この2ヶ月で読んだ本の中で、トップ3に入れたいおもしろさ!
「サピエンス全史」にもあったけれど、農耕が始まって人間が集住するようになることが、感染症の流行を引き起こした。農耕は決して人間(ホモサピエンス)の健康には良くないし、地球環境も壊滅的にダメにした。農耕で人間が増えて、その食糧を確保するために小麦とか米とか限られた植物を大々的に育てることで生物の多様性が失われ、森林が破壊され、河川は汚染され、人間は「未知のウィルス」に暴露される機会が増え……やれやれ。
印象に残った言葉
「根絶は根本的な解決策となりえない。病原体との共生が必要だ」
「パンドラの箱は多くの災厄を世界にばら撒いたが、最後には希望が残ったとする説と、希望あるいは期待が残されたために人間は絶望することもできず、希望と共に永遠に苦痛を抱いて生きていかなくてはならなくなったとする説」があるそうです。……やれやれ

6月2日(火)
 アメリカがたいへんなことになっている。
 ジョージ・フロイドさんという黒人男性が、ミネソタ州で白人警官に地面に膝で押さえつけられて死亡したという事件から、"Black Lives Matter"(黒人の命は大事だ)というメッセージをかかげてデモが起こった。
 フロイドさんは地面に8分も押さえつけられて死亡。3分で意識を失っているのにその後も押さえつけていた。それを一部始終撮影され、動画を見た人たちが立ち上がった。少なくとも全米140の都市で大がかりなデモや暴動が起きてすでに2週間弱になる。
 トランプ大統領がツイッターで、憎しみをあおるような書き込みをしたことで、デモも暴動もいっそう激化した。
 州軍を出せ、連邦軍を送るぞ、暴動を起こしているやつらは逮捕して長期間刑務所に閉じ込めろ、というトランプ大統領の演説を聞き、ツイッターを見てしまって、正直寒気と吐き気がした。
 平和的にデモをしている人たちに催涙弾を撃ち込み、何もしていない人にスタンガンをあてて逮捕する。 黒人も白人もヒスパニックもアジア系もデモに参加している。
 人種問題だけではない、経済格差とコロナ禍での貧困が背景にある……そういう背景解説がむなしく聞こえる。 解説はもういいのだ。
 怒りのこぶしを振り上げ、怒りの声をあげ、涙を流し、抗議する人たちの声をしっかりと聞き、その姿を目に焼き付けなくてはいけない。オバマ元大統領が言うように、「このときを、本当の変革のターニングポイント」にしなくてはならない。

夕飯はケールと野菜のスープ、スウェーデン風ミートボール(ディルとイタリアンパセリをたっぷり入れた肉団子にマッシュポテトを添える)、春菊の胡麻和えサラダ
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ご近所で菜園をしていらっしゃる方から、ケールをはじめとする野菜を分けていただいている。昨日も通りかかったら呼び止められて、ケールを根っこから一本引っこ抜いていただいた。春菊やルッコラも。たまらなく美味しい。野菜本来の味がからだにしみわたる。 

5月7日(木)(前の日記と日が重なっているけれど、内容は別)
午前中、自宅で太極拳レッスン。振り返ると3月半ばから何かから逃れるように毎日太極拳のお稽古をしている。COVID-19の感染におびえ、外出を自粛し、コロナウィルス関連のニュースに暗い気持ちになることが多いこの数ヶ月だが、もし得たよいものをあげるとすると、からだの使い方に少し進歩があったことかもしれない。
 もともと体力には自信があったのだが、50歳を過ぎる頃から小さな不調に悩まされるようになった。人に話すと「ああ、私もよ!」「それが老化ってもんですよ」とか言われるだけなのだが、それまで「無敵」だった私にすれば、痛みをはじめとする不調に悩む自分が歯痒いし、腹が立つし、不安になる。
たとえば53歳になったと同時に五十肩になり、一度上がらなくなった右肩はそれから2年間も、動かすたびに痛みが走った。やはり50歳になったときから歯痛にも悩まされ、いまも毎月歯医者に通う。肩こりと腰痛はもはや持病で、腰痛にいたっては運動すればするほど腰が痛くなるという始末。ジムで筋トレをやったことが原因で筋肉を傷め、日常生活にも支障をきたすこともひんぱん。ランニングをすればなぜか腰痛になって整体のお世話になる。そういやヨガでも腕と肩の筋肉を傷めたっけ。
そこで出会ったのが太極拳だったのだが、まじめに取り組むようになったのは、始めてから7年ほどたった2018年からだ。
きっかけは、筋トレをまたやっていると言ったときの師匠の一言だった。
「むきむきの筋肉をつけることがいまの元子さんに必要なこと? 年齢を重ねていくうえで必要なのは、からだの使い方を覚えることではないの?」
ああ、そうか、と目が開いた。
からだの使い方がわかっていないから、筋トレや運動をするとどこかを傷めていたのだ。
無理なく正しい姿勢で立つこと。同じく正しい姿勢で座ること。
重心の移動を意識して、膝や腰に負担をかけないで歩くこと。
片足でもふんばらずに立つこと。(これが歩行の基本になる)
それができるようになったら、いま私が目標としている「80歳になっても自立した生活を営む」ことが可能になるはずだ。
今日もみっちりお稽古して、太腿裏と内転筋に心地よい筋肉痛を感じながら1日を過ごした。

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(公園での太極拳も、往復で初夏の花々をめでるのも楽しい。バラはつぼみから満開へ、そしてそろそろ終わりを迎える)

5月8日(金)
早朝太極拳道場、今日は一人きりなので、少し早めに行ったのだけれど、6時40分ですでに先客が6人。ノートパソコンを持ってきて何やらやっている女性が一人、アンパンをかじりながらスマホを見ている学生らしき男性、ランニングウェアでコンビニ食を食べている若い男性が一人、そしてお母さんと2人の子連れ。皆さんの視線をできるかぎり脳内から追い払って、八段錦からフルコースでお稽古をした。
と、いきなり響く男の子の声。
「お母さん、あの人何やってんの〜〜〜?」
お母さん「しっ! お邪魔しちゃダメでしょ!」
男の子「え? 何? 何やってんの?」(しつこいっ!)
お母さんもね、「しっ!」ってそれではお子さんの疑惑は深まるばかりですよ。あやしいことをやっている、あやしいオバハン疑惑を晴らしてやってくださいよ。何か言ってやろうと思ったけれど、自粛しました。
それにしても、なぜ6時40分の早朝にこんなに大勢(でもないけれど)が公園にお出ましなんだろう? って、あ、私もですけれどね。早朝だから人はいないだろうと期待している人たちなのかもしれないけれど。
8時前に終えての帰り道、出勤するらしき人たちと大勢すれ違った。外出自粛要請の期限は延長されたけれど、休んでいられない人は大勢いる。私も自宅でだけれど、7日から仕事を平常モードに切り替えた。
太極拳
(やはり早朝の公園で一人太極拳は不審者かも)

夕飯は焼肉と野菜のオリーブオイル焼き、トマトサラダ、ミネストローネ(焼肉は1人4枚ずつ、と言っておいたのに、私がミネストローネをよそおって食卓についたときに、先に食べ始めていた夫が6枚目を口に入れようとしていたところで、私の怒り爆発! 一口食べた残りを私の皿に戻したので、怒りが3倍に加速。これもコロナウィルス のせいだ。たかが肉で心が狭くなり、いじましくなる)

5月9日(土)
4月からVOGUE のWEBサイトでフェミニズムを学ぶ講座の連載をしている。
今日は第二弾がアップされた。
第二弾はフェミニズムがたどってきた歴史を振り返っての「フェミニズムの4つの波〜『フランケンシュタイン』から#MeTooまで」
VOGUE Change 
https://www.vogue.co.jp/change/article/feminism-lesson-vol2
私はフェミニズム第二波を青春時代に経験したのだが、そのあと『バックラッシュ』でフェミニズムとは何かがわからなくなり、1990年代からの第三波のガールパワーも「え? それがフェミニズムですか?」とはっきりととらえきれず、近年の#MeTooをはじめとする第四波になってようやくおぼろげながら輪郭が感じ取れるようになってきた、というところ。
お話をうかがっている清水晶子さんのフェミニズムに対するスタンスというか姿勢が、私にはとても受け入れやすく、胸をはって「私もフェミニストです!」と言える自信が持てそうになっている。

夕飯は、ふろふき大根、大根葉のゴマ炒め、大根の千切りと豆腐の味噌汁、大根と鮭缶詰のサラダ、トンテキのブロッコリ添え。
散歩に出かけた夫が、近所のミニ農園をやっている方から大根一本をいただいてきた。堀りたてのみずみずしい大根を丸ごといただいてしまおうというので、急遽大根づくし。トンテキはだからメインではなく添え物ですね。
大根づくしメニュー


5月10日(日)
お孫2号(2歳6ヶ月)とときどきビデオ電話でおしゃべりする。
保育園が休園になって1日中親と過ごすようになってから、急に語彙が大人っぽくなった。
理由は、テレビとNetflixとYouTubeにお守りをされることが多くなったかららしい。
いまの彼のマイブームは「ちょっとニュース見て良いかな?」とリモコンをとってテレビをつけて、「あれ、今日もアベさんはマスクつけてるね。お口のバイキンがまだきれいきれいになってないからかな」と確認することなんだとか。
そのあとで胸を張って「○ちゃんは食べたらちゃんと歯を磨くよ。だからバイキンはいないよ」とアベさんに向かって自慢する。
歯磨きも○○掃除もしようね、アベさん。

夕飯はいわしのパン粉焼き、きのこと大根のベーコンスープ、麩チャンプル

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