Glamorous Life

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装う快楽

 コロナ共生生活2年目となった2021年の感想は、一言でまとめると「速い、早い」です。1日、1週間、1ヶ月が飛ぶように過ぎていき、起こったことが昨年なんだか今年なんだかわからなくなるほどの勢いで1年が過ぎてしまいました。
 こういう感想を持つのは私だけではないようで、ほかの方からも「コロナになってから時間が経つのが早い」という声を聞きます。
 おそらくそれは、時間の流れに節目がないからだと思うのです。旅行に行ったり、家族や友人と一緒にイベントを楽しんだりということがないと、時間はたらたらと川のように流れていってしまう。少し寂しいです。お孫の発表会や運動会を見学させてもらって、大きくなったね、とかいって時間の流れを確認することがない。仲間とごはんを食べて、近況を聞いて「そんなことが!」と驚いたり、一緒に喜んだりすることもない。変化がよく見えない夫としか顔を合わせていないと 、時間の流れが平板です。
 旅行にいく刺激もないようじゃね。「あの年には青森にいって、苔観察したよね」とか「未承認国家に初めていってびっくりだった」とかそう言うことで年月が記憶されていたのに、それもない。来年こそ、どこかに行きたい。
 
 さて、この1年、私は何をしていたかというと、ひたすら仕事をしていました。いま過去ログを調べたところ、ここまで仕事に打ち込んだのは2014年以来です。ここまで、と言うのは、朝9時半から夕方6時までPCの前に張り付いていた、という意味です。50代までは、夕飯終わってからも仕事ができたのですが、さすがに今はそれができない。目がしょぼしょぼして、焦点が合わなくなってしまうし、思考がついていかなくなる。その意味で、2014年からずっと歳を取ったな、と思います。
 それでも今年は2冊本が出たし、来年にはうまく進めば2冊プラスアルファ出版される。昨年からの連載も3本ほど続いているし、単発の仕事も月1、2本ペースでやっています。ギャラはともかくとして、仕事は順調といっていいかも。
 このままずっとこの調子で仕事ができるかなと考えると、体力の要素は置いておくとして、少なくとも仕事をする、仕事をしたい、という意欲だけはできるかぎり持ち続けていきたいし、いけるのではないかと思えた1年でした。
  実は書道にもかなり打ち込みました。週末土日のどちらかは1日は書いていたし、稽古も錬成会も皆勤しました。賞もいただけたし、自分で言うのも何だけれど、ワンステップあがったかなという手応えもあります。
 ただ、仕事や書道に打ち込めたたのは、移動や会食が制限されたおかげです。旅行に行かないし、ごはんを食べにも行かないし、友達とお茶をすることもなかったから、その時間とエネルギーを仕事と書道につぎこめました。来年、人と会うことや移動の制限がなくなったらどうなるのかな、とそこは考えるところです。ま、そのとき何を自分がしたいかを考えて決めよう。
 でも、打ち込めるのも、旅行や会食にいきたいと思えるのも、健康だからです。
 来年も健康にはますます気をつけて過ごしたい。
 
 来週、仕事納めのあとに「今年の一冊」「今年の一本」を書きたいと思っています。
 ご挨拶はそのときに。

 

 楽しいこと、前向きなことだけを書いていたいこのブログですが、残念ながらここ数年はそうはできにくい精神状態にあります。これから書くことは自分だけでなく家族を傷つけかねない内容なのですが、やはりいま言語化して公表することで、勝手ながら自分を救って少しは前向きになりたいと吐き出します。
 振り返ってみるともう7、8年前からなのですが、ちょっとしたことがきっかけで母は私と妹に電話をかけてわめきちらすということを繰り返します。認知症が進んで物忘れがひどくなってからは、電話をかけたことを忘れてしまうので、何分間かに1回かけてくる。前もここに書きましたが、早朝深夜を問わず、かけ始めたらもう止まらない。3分に1回、かけてかけてかけまくる。こちらが受話器を上げる前に切れて、こちらが受話器を置くとまたかかってきて、「かけるのをやめなさい!」と怒鳴ると、「電話なんか一回もかけたことがない」と言う。
 とくに秋に入るとそれがひどくなります。昨年の最高記録は9月末の1日42回でしたが、今年はすでに50回を超えて新記録達成です。毎回言うことは同じで、「いま○○(→母が幼少期を過ごした祖父母の故郷、奈良ホテル、帝国ホテル、一度などバッキンガム宮殿もありました)にいる。お金がないので支払いができないで困っている。すぐに来てくれ」と言うものから、「お金がないお金がないお金がない、どうしたらいいかわからない」と繰り返すものまでありますが、要旨は「すぐに来い!」「なんとかしろ!」「私がこうなったのは全部あんたたちのせいだ!」です。こちらが電話にでないとだんだんとエスカレートしていって、「親が電話をかけているのに出ないとは、あんたは人間のクズだ!」と怒鳴っている声が留守電に残ります。きついです。
 と同時に、すごいエネルギーだなと感心します。電話をかけ続けるエネルギーもすごいが、子どもに向かって「クズ」と怒鳴るエネルギーもすごい。89歳にいったいどこからそんなエネルギーがわいてくるかと言いたいところですが、私たち娘はその言葉の激しさには驚かない。驚くのは、まだそうやって怒鳴るエネルギーがあるのだ、ということと、認知症とはいえ「なんでそんなことを言うのか!」とこちらが責めると、たった3分前のことなのに「そんなこといった覚えがない」「私がそんなことを言うはずがないじゃないか!」と逆切れする、そのエネルギーに驚くのです。
 振り返れば子どものころから私たちはそれに似た罵声を浴びせられ続けてきたから、いかにも母が言いそうな言葉だと妙に納得します。認知症になって理性で歯止めがかからなくなって言っているのではない。自分の意に沿わない人やことに対して不満をぶつける母の言葉や語気の激しさには子どものころからずっと怯え続けてきたし、ひどく傷ついて恨んでもいるのですが、少しずつ自分の中で整理はできつつある。それでは私たち(とくに私)を苦しめているのは何かというと、周囲の無理解です。
「認知症だから、病気だから、年取って寂しいからしばらく我慢してあげて」とか「引き取ってそばで面倒を見てあげたらいいのに」「親なんだから電話で愚痴くらい聞いてあげなさいよ」「娘さんたちに会えなくてお母様は寂しいんですよ。だからわがままをいって甘えていらっしゃるだけです」という言葉に私はものすごく傷つく。「いっときのことですよ。しばらく我慢して」と言われてからすでに8年経って年々ひどくなっているのに、いったいいつまで私たちは我慢しつづけなくてはならないのか。母のいうように、すべて悪いのは私たちなのか。
 先日、たまりかねて母がたまにかかっている心療内科のドクターに長々と手紙を書いて訴えました。電話をもらってドクターから「娘さん、辛いですね。きついですね。娘さんは何も悪くない。悪いのはお母様の病気です。薬を処方します」と言ってもらい、ひたすら「ありがとうございます」と頭を下げて電話を切り、すぐに妹に報告したら「お姉ちゃん、ありがとう。これで少しは救われるかも」と言われ、電話を切ったあとに思わず泣いてしまいました。 
 私は昨年9月、母の電話での罵声攻撃が始まってから1年で8キロ体重が減りました。その前に太ってしまっていたから、ちょうどいいダイエットにはなったし、アルコールをやめてウォーキングを始めたことによる減量なので健康を害したわけではない。
 でも、昨日ふと気づいたのだけれど、減量は私が自分に与えた罰なのではないか。私は自分のからだをいじめることで、周囲(世間)の「子供は年老いた親の面倒を見るべき」という規範に添えない自分への罰を与えているのではないか 。もっといえば、毎日アルコールを飲み続けたのも、ある意味自分をいじめていたからだと思うのです。飲みたいわけではないのに、飲んで酩酊して、母の訴えから気持ちをそらせたかったのです。本当にアルコールが好きで、飲んでいい気持ちになりたいから飲んでいたのだったら、なぜある日を境に飲むのをやめられるのか。なぜその後はアルコールを口にすると頭痛がして吐きそうになるのか。友達と一緒に楽しい気分で(母のことを忘れて)いられるとおいしいと感じられるのに、そうでないときにアルコールを口にすると吐きそうになる。それはやはり私が自分に罰を与えているからだと思います。
 私が聞きたかったのは「あなたは悪くない」という一言だったと思うのです。あなたは悪くない、自分を罰してはいけない、自分をいじめてはいけない。そう言ってもらいたかったのです。一度も会ったことがないドクターに「娘さんは悪くない」「辛いですね」と言われた瞬間、私はそれまでつかえていた重く苦いものが少し外れたような気がしました。そして妹から「お姉ちゃん、ありがとう」と言ってもらって、なんかもうたまらなくなって自分でもびっくりする勢いで泣いてしまったのですが、泣いたことで少し浄化されたような。
 私が母にしてあげられること、できることはもうない、でもそれで自分を責めてはいけない、ということをこれからは自分に言い聞かせていこうと思っています。

今、日経新聞朝刊で山本耀司さんが「私の履歴書」を連載されています。毎朝、飛びつくように読んで、「あの時代」を懐かしがっています。そういう人は多いのではないかな?
私は1973年から1992年まで会社でファッション関連の仕事をしていました。数ヶ月間別の会社で働いて離れたこともあったけれど、最後の会社を辞める1992年まで各シーズンごとのトレンドを追いかけていたし、デザイナーの動向も逐一目を光らせていました。会社を辞めてからもファッション関連の取材をしたり記事を書いたり、欧米中心ですがファッション業界の本を書いたり翻訳したりもしてきました。 ライターをやっていく上で、「女、子供、ファッション」を柱にすると決めていて、公言もしていました。
そんな私が一番ファッションに熱かったのは、1978年から1987年くらいまで。高田賢三さんや三宅一生さんの次の世代の日本のデザイナーがパリコレに進出し、日本ではTD6が解散し、1985年に東京コレクションが始まった頃。その頃も私にとって、山本耀司さんと川久保玲さんは雲の上の憧れの人でした。今でも悔やんでいるのは、二人が東京コレクションに加わって、パリコレに大きな衝撃を与えた頃にY'sやコム・デ・ギャルソンの服を購入して着こなすことができなったことです。30代の私は子育て真っ最中で、保育園にコムデやワイズを着て子供をお迎えにいく勇気がなかったし、そもそもお金がなかったし、二人の服の思想を理解もできていなかった。
ワイズやコムデの服が買えて着られるようになったのは、50代になってからです。経済的余裕ができたし、背伸びしないで「いいな」と思えるようになったし、着て歩いても変に自意識過剰になることもなくなった。 
それでもワイズやコムデを着るときは緊張します。心地よい緊張感なのだけれど、ユニクロを着ているときにはまったく感じない緊張感です。誰かに見せるための服というのもあっていいし、着心地の良さを楽しむ服ももちろん必要です。でも、1970年代から1990年代(高級ブランドブームの前まで)ファッション業界の片隅にいた私としては、自分の精神/身体と服との間に生まれる緊張感が忘れられない。
服はどんどんカジュアルになり、しかも外出がなかなかできなくなっている今、そんな緊張感を生むような服などこれからすたれていくのかもしれません。でも、1970年代から1990年代までのあのめくるめくようなファッションの時代を知っている私としては、せめて一週間に一回くらいは緊張感を持って服を着たい、と思うのです。
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 本当におおまかな丼勘定ですが、自分がどんなことに支出しているかをフリーになってから30年あまり記録しています。確定申告のために始めたことなのですが、60歳で年金を受け取るようになってからは、老後をゆとりをもって過ごすための資金計画の意味もかねて、ざっとですが収入と支出の年間予算を立てて、3月の「決算」でバランスを見るようにしています。実川事務所の上半期決算は9月末。2021年度上半期の収支をざっとですが出してみました。
 まず、予想していたことですが、支出が大きく変化しました。記録を取り始めて以来、30数年間でもっとも大きな変化といっていい。
 大きく減ったのが、化粧品、外食、酒などの嗜好品、 旅行です。増えたのは、デジタル関連、Zoom(アカウントを取りました)、Netflix、WOWOWオンデマンド、ルーターなど。アプリも増やしたし、オンライン辞書もいくつか購入して、課金も増えた。オンライン講座も受けたりしています。それでも月々のデジタル関連消費をかき集めても、これまで化粧品に支払っていた金額には及びません。っていったいこれまで私はどれだけ化粧品に注ぎ込んでいたんだ?
 今年は3月からマスクかぶれのためにメイクをやめてしまい、製薬会社がネット販売している肌荒れの人用石鹸と化粧水しか使っていないので激減です。外食も今年に入ってからは3回ほどで、しかもランチでお酒を飲まないので全部合わせても2万円いかない。これでは外食産業は厳しいと思うからたまには……と思うのだけれど、人を誘うわけにはいかないし、それはみんな同じで誘われもしないから結局ウチで3食食べることになります。しかも必ず食べるのが納豆と野菜となったので、食費も減っています。
 旅行に関しては、今だから打ち明けますが、母の入院や介護の相談などがあって関西を往復する機会に足を伸ばして、ちょっとぜいたくな一人旅とかしちゃってました。ごめんなさい。だから旅行代は、月に一回どこかに出かけていたコロナ前に比べるとそりゃ減りはしたけれど、それなりに旅行業界には貢献していたかもしれません。そして酒代。これは事務所(と勝手に呼んでいるだけで、なんということはないたった一人の個人営業ですが)の経費ではありませんが、飲みにいかないってほんと財布を圧迫しないものなのですね。
 それで考えます。アフターコロナにいったい私はどんなことに支出するのだろうか? もし今のまま旅行、外食、化粧品(ついでに服飾品)というある意味老後の贅沢支出ができないまま(しないまま)だとしたら、私の老後の資金計画は大きく見直さないといけないだろうと思うのです。
 こんなことを言うと石を投げられるかもしれませんが、今、仕事が大変忙しい。朝から晩までPCに向かってひたすら仕事をしているので、そもそも消費をする暇がない。ああ、ばっちりメイクして、お洒落して、おいしいもの食べに行きた〜〜〜い、とか考える余裕がありません。おそらく少なくとも来年の4月まで無理です。下半期も支出大幅減のまま行きそうです。
 コロナだから仕事がいただけているのか、それともコロナとは関係なくありがたいことに仕事をさせてもらえているのか、そこのところは分かりませんが、いま思うのは、7年前に立てた「余暇を心置きなく楽しむ老後計画」は当分棚上げしておこう、ということです。その時立てた老後資金計画も見直さねばなりません。当たり前のように支出項目にあげていた旅行や外食はとりあえず「予備費」に回して、ゼロになるかもと予想していた収入を少しでも増やせるよう頑張ろうと思っています。できるかぎり長く、細々でもいいので収入を得る仕事をして、税金を支払う側にいたいです。
 もちろん明日病気になるかもしれないし、何が起こってもおかしくはない年齢ではあるけれど、健康を維持する努力を怠らずに、そして健康維持の目的を「仕事を続けていく」ことにおいて頑張っていこう、と2021年度半期決算をしめて思いました。
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夜中のウォーキングで出会った彼岸花。まだ満開ではありませんが、そろそろですね。秋だなあ

 Apple Watchを購入しました。1年間ウォーキングが続いたら購入しようと決めていて、1年前のウォーキング開始日9月1日に購入し、今週届きました。私の新しいおもちゃですね。うーん、こういう新玩具がやってくると、しばらくそのことばかりが気になって仕事が進まなくなるという本末転倒なことが起こるのですが、今はちょっと仕事が詰まっているので横目でウォッチを見ながらあれこれ遊ぶのは少し我慢しています。といっても、肌身離さずつけているのですけれどね。
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(ま、当然ベルトはガンバブルーですよ。)

 今日は某社で若手女性社員の方達に向けて「人生100年時代の女性のキャリア戦略」なんて話をしてきました。ははは(自分でも照れ臭くなって笑う)。働き始めて44年、まだまだ働くつもりだし、できれば生涯ほそぼそでもいいから仕事をしながら人生をまっとうしたいです。まだやりたいこともいっぱいあるし、あと20年と少しあるつもりで、やりたい仕事をやっていきたいです。これまでと同じ働き方はできないけれど、体力と気力に合わせて仕事をしていきたい、というようなことをお話してきました。
 お話をした後で、聞いてくださった方から「やりたいことがよくわからない」「疲れてしまって週末はごはんを食べるのも面倒くさくなる」……で、どうしたらいいですか? というようなことを言われて、ああ、そうそう、私も会社員時代はもちろん、40代くらいまでは仕事と育児家事で手一杯で、キャリアを考えるとか、なんか新しいことを始めようという気にならなかったなと思いつつ、ふと思ったのが「もしかしたらからだを動かさないと気持ちも動かないのではないか」ということでした。 
 あくまでも私は、ですが、からだを動かさないと気持ちも意欲も動かないのです。からだを動かすといっても、運動をするとかそういうことではなく、洗濯物を干す、皿を洗う、お風呂を掃除する、そうやってからだを動かしていくうちに、「じゃ、仕事しますか」という気になってPCの前に座る、と。
 座ってぼーっとネットを見たりテレビを見たりしているだけでは、あらゆることのやる気が湧いてこない。この一年、夕飯の後に座りこんでテレビをぼーっと見ながらビール飲むのをやめてウォーキングをするようになってから変わったことの一つが、「めんどくさい」ことが減ったことです。私が一番ああ、面倒くさい! と思うこと、それは掃除です。つぎが洗濯。そのつぎがご飯作ること。で、掃除が面倒くさくなってやらなくなると、洗濯ものはたまり、ご飯がテイクアウトものになっていきます。それこそなだれをうつように「めんどくさ〜〜〜〜い」になって、ついには仕事がいい加減になる。
 いまはしぶしぶながらでも一週間に1回は掃除をするようになり、3日に1回は洗濯をし、ご飯は毎日作っています。そういうリズムができると、仕事も6〜8時間はするようになる。
 私はペットにまったく興味がないので犬や猫を飼おうと考えたことさえないのですが、ウォーキングをするようになると、世の中にはなんてたくさんの人が犬を散歩させているのか知って驚きました。あるとき、相変わらず月見スポットで眺めていたら、犬を散歩させていた年配のご夫婦が「○ちゃん(→犬の名前。私は犬の種類を見分けられない)がいるから毎日外に出る気になるけれど、いなかったら二人でずっとテレビの前に座ってコロナのニュース見てばっかりになるね」という会話をしていて、ああ、そうかペットって人を動かす力があるんだ、と気付いて、ペット人気の理由の一つがわかったような気がしました(違うような気もするが)
 からだを動かすこと、大事です。
 からだが動いてこそ、気持ちも動き、何かしようという意欲もわいてくるように思います。
 ごろごろしていたら、気持ちもごろごろと落ちていく……と言ったら、友人に「(走らないと体調が悪化してしまう)競走馬みたいだ」と言われましたが。
 さ、アップルウォッチがビビッと「そろそろ立ち上がって動け」と言うので、ご飯作りにいってきます。あ、その前に洗濯物を入れないと。

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