Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

装う快楽

 本当におおまかな丼勘定ですが、自分がどんなことに支出しているかをフリーになってから30年あまり記録しています。確定申告のために始めたことなのですが、60歳で年金を受け取るようになってからは、老後をゆとりをもって過ごすための資金計画の意味もかねて、ざっとですが収入と支出の年間予算を立てて、3月の「決算」でバランスを見るようにしています。実川事務所の上半期決算は9月末。2021年度上半期の収支をざっとですが出してみました。
 まず、予想していたことですが、支出が大きく変化しました。記録を取り始めて以来、30数年間でもっとも大きな変化といっていい。
 大きく減ったのが、化粧品、外食、酒などの嗜好品、 旅行です。増えたのは、デジタル関連、Zoom(アカウントを取りました)、Netflix、WOWOWオンデマンド、ルーターなど。アプリも増やしたし、オンライン辞書もいくつか購入して、課金も増えた。オンライン講座も受けたりしています。それでも月々のデジタル関連消費をかき集めても、これまで化粧品に支払っていた金額には及びません。っていったいこれまで私はどれだけ化粧品に注ぎ込んでいたんだ?
 今年は3月からマスクかぶれのためにメイクをやめてしまい、製薬会社がネット販売している肌荒れの人用石鹸と化粧水しか使っていないので激減です。外食も今年に入ってからは3回ほどで、しかもランチでお酒を飲まないので全部合わせても2万円いかない。これでは外食産業は厳しいと思うからたまには……と思うのだけれど、人を誘うわけにはいかないし、それはみんな同じで誘われもしないから結局ウチで3食食べることになります。しかも必ず食べるのが納豆と野菜となったので、食費も減っています。
 旅行に関しては、今だから打ち明けますが、母の入院や介護の相談などがあって関西を往復する機会に足を伸ばして、ちょっとぜいたくな一人旅とかしちゃってました。ごめんなさい。だから旅行代は、月に一回どこかに出かけていたコロナ前に比べるとそりゃ減りはしたけれど、それなりに旅行業界には貢献していたかもしれません。そして酒代。これは事務所(と勝手に呼んでいるだけで、なんということはないたった一人の個人営業ですが)の経費ではありませんが、飲みにいかないってほんと財布を圧迫しないものなのですね。
 それで考えます。アフターコロナにいったい私はどんなことに支出するのだろうか? もし今のまま旅行、外食、化粧品(ついでに服飾品)というある意味老後の贅沢支出ができないまま(しないまま)だとしたら、私の老後の資金計画は大きく見直さないといけないだろうと思うのです。
 こんなことを言うと石を投げられるかもしれませんが、今、仕事が大変忙しい。朝から晩までPCに向かってひたすら仕事をしているので、そもそも消費をする暇がない。ああ、ばっちりメイクして、お洒落して、おいしいもの食べに行きた〜〜〜い、とか考える余裕がありません。おそらく少なくとも来年の4月まで無理です。下半期も支出大幅減のまま行きそうです。
 コロナだから仕事がいただけているのか、それともコロナとは関係なくありがたいことに仕事をさせてもらえているのか、そこのところは分かりませんが、いま思うのは、7年前に立てた「余暇を心置きなく楽しむ老後計画」は当分棚上げしておこう、ということです。その時立てた老後資金計画も見直さねばなりません。当たり前のように支出項目にあげていた旅行や外食はとりあえず「予備費」に回して、ゼロになるかもと予想していた収入を少しでも増やせるよう頑張ろうと思っています。できるかぎり長く、細々でもいいので収入を得る仕事をして、税金を支払う側にいたいです。
 もちろん明日病気になるかもしれないし、何が起こってもおかしくはない年齢ではあるけれど、健康を維持する努力を怠らずに、そして健康維持の目的を「仕事を続けていく」ことにおいて頑張っていこう、と2021年度半期決算をしめて思いました。
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夜中のウォーキングで出会った彼岸花。まだ満開ではありませんが、そろそろですね。秋だなあ

 Apple Watchを購入しました。1年間ウォーキングが続いたら購入しようと決めていて、1年前のウォーキング開始日9月1日に購入し、今週届きました。私の新しいおもちゃですね。うーん、こういう新玩具がやってくると、しばらくそのことばかりが気になって仕事が進まなくなるという本末転倒なことが起こるのですが、今はちょっと仕事が詰まっているので横目でウォッチを見ながらあれこれ遊ぶのは少し我慢しています。といっても、肌身離さずつけているのですけれどね。
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(ま、当然ベルトはガンバブルーですよ。)

 今日は某社で若手女性社員の方達に向けて「人生100年時代の女性のキャリア戦略」なんて話をしてきました。ははは(自分でも照れ臭くなって笑う)。働き始めて44年、まだまだ働くつもりだし、できれば生涯ほそぼそでもいいから仕事をしながら人生をまっとうしたいです。まだやりたいこともいっぱいあるし、あと20年と少しあるつもりで、やりたい仕事をやっていきたいです。これまでと同じ働き方はできないけれど、体力と気力に合わせて仕事をしていきたい、というようなことをお話してきました。
 お話をした後で、聞いてくださった方から「やりたいことがよくわからない」「疲れてしまって週末はごはんを食べるのも面倒くさくなる」……で、どうしたらいいですか? というようなことを言われて、ああ、そうそう、私も会社員時代はもちろん、40代くらいまでは仕事と育児家事で手一杯で、キャリアを考えるとか、なんか新しいことを始めようという気にならなかったなと思いつつ、ふと思ったのが「もしかしたらからだを動かさないと気持ちも動かないのではないか」ということでした。 
 あくまでも私は、ですが、からだを動かさないと気持ちも意欲も動かないのです。からだを動かすといっても、運動をするとかそういうことではなく、洗濯物を干す、皿を洗う、お風呂を掃除する、そうやってからだを動かしていくうちに、「じゃ、仕事しますか」という気になってPCの前に座る、と。
 座ってぼーっとネットを見たりテレビを見たりしているだけでは、あらゆることのやる気が湧いてこない。この一年、夕飯の後に座りこんでテレビをぼーっと見ながらビール飲むのをやめてウォーキングをするようになってから変わったことの一つが、「めんどくさい」ことが減ったことです。私が一番ああ、面倒くさい! と思うこと、それは掃除です。つぎが洗濯。そのつぎがご飯作ること。で、掃除が面倒くさくなってやらなくなると、洗濯ものはたまり、ご飯がテイクアウトものになっていきます。それこそなだれをうつように「めんどくさ〜〜〜〜い」になって、ついには仕事がいい加減になる。
 いまはしぶしぶながらでも一週間に1回は掃除をするようになり、3日に1回は洗濯をし、ご飯は毎日作っています。そういうリズムができると、仕事も6〜8時間はするようになる。
 私はペットにまったく興味がないので犬や猫を飼おうと考えたことさえないのですが、ウォーキングをするようになると、世の中にはなんてたくさんの人が犬を散歩させているのか知って驚きました。あるとき、相変わらず月見スポットで眺めていたら、犬を散歩させていた年配のご夫婦が「○ちゃん(→犬の名前。私は犬の種類を見分けられない)がいるから毎日外に出る気になるけれど、いなかったら二人でずっとテレビの前に座ってコロナのニュース見てばっかりになるね」という会話をしていて、ああ、そうかペットって人を動かす力があるんだ、と気付いて、ペット人気の理由の一つがわかったような気がしました(違うような気もするが)
 からだを動かすこと、大事です。
 からだが動いてこそ、気持ちも動き、何かしようという意欲もわいてくるように思います。
 ごろごろしていたら、気持ちもごろごろと落ちていく……と言ったら、友人に「(走らないと体調が悪化してしまう)競走馬みたいだ」と言われましたが。
 さ、アップルウォッチがビビッと「そろそろ立ち上がって動け」と言うので、ご飯作りにいってきます。あ、その前に洗濯物を入れないと。

このところやたらと仕事が忙しく、6月は通常のZoom会議と取材に加えてリアル対面取材や撮影も入ったりして、生活が不規則になりがちです。いまカレンダーを見たらこの3週間休みがまったくとれていない。何もしない日をつくることが今年の目標だったのに、すでに3ヶ月以上何もしない日は1日もなくて、日々「しなくちゃいけないこと」に追われています。よくないよ、まったく。
食事時間が不規則になったことと、ウォーキングの時間があまりとれなくなったこと、筋トレがまったくできていないことの影響は体組成計の数字に如実にあらわれていて、体重は変わらなくても骨格筋率がじわじわと低下し、 体脂肪率が上がりつつあります。
そして意欲が低下気味です。
今朝目が覚めたときに「さあ、今日も頑張ろう!」という気持ちで起き上がれなかった。
がんばりすぎはよくない、と自分でもよく分かっているのです。そもそもがんばること自体、私には必要ない、と思います。がんばろうと自分を励まさなくても、私はたぶん十分なくらいついついがんばってしまう。よくないがんばり方です。
そして体調管理しているつもりで、体組成計の数字とにらめっこするのは本末転倒だとよくわかっているのです。数字はめやすであって、自分自身の健康を反映しているものではない。自分の健康や体調は、自分自身のからだの声を聞かないと分からないはずなのに。
頭ではよく分かっているのに、からだと気持ちがついていかない。体組成計やネット情報に自分の体調の判断を委ねてどうするんだ、と自分を叱責。
そんな体調管理は持続可能ではないですよね。
今日は自分を少し甘やかして、食べたいものを食べて、寝たいだけ寝よう。
 
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 またもや緊急事態宣言が延長される中、ワクチン接種のお知らせが届くのを首を長くして待っている高齢者の私です。届いたら、ネットで予約をとることに最低でも1日は潰さねばならないと予想しているので、いま仕事のスケジュール表をにらんでいるところです。どうも来週には届きそうなので、来週は予定をもろもろキャンセルしてワクチン接種予約との闘いだな……って、そんなことに高齢者のエネルギーを使わせないでほしいわ、ほんと。
→と書いた直後にワクチン接種券が送られてきて、ネットで予約したら、拍子抜けするくらいあっさりと予約できました。といっても7月末が第一回です。モデルナ製かな?  無事接種できますように。

 高齢者施設にいる母は施設側が手配をしてくれたそうで、私は役所から送られてきた必要な書類を作成してケアマネージャーさん宛に届けただけ。本当にありがたいです。何回言ってもコロナウイルスが感染症であることはもちろん、コロナウイルスという名称も記憶できない(娘の名前もしばしば忘れているくらいだから、新参者のウイルスの名称なんてそりゃ無理です)後期高齢者には、行政や施設が迅速にまとめて対応することは必須ですね。
 私はできるかぎり長く今住んでいる家で暮らしていきたいのだけれど、パンデミックや災害が起きたときのことを考えると、施設に移り住むことも考えた方がいいのかもしれません。 他人の手を借りないで自立して生きて死にたいという願いは願いとして、現実にはそんなことは不可能だと今回のパンデミックで思い知らされたので、いかに「自立」の期間を引き伸ばすかだけでなく、行政やプロ、渋々だけれど家族の助けをどうやって借りたらいいのかを考えている時期に来ています。
 「自立」は成人して以降、私の人生の最大といってもいいほどの大きなテーマで、21年前(そう、ブログ創設21年経ちました)からこのブログで何回となく書いてきましたが、65歳を過ぎ、そしてこのパンデミックで行動が制限される中で、私のこれまでの「自立」のイメージは大きく揺らいでいます。何よりも大きく変わったのは、「人の助けを借りなければ人は生きていけない。誰に、どのような助けを借りるのかを真剣に考えることも自立した人間のやること(やるべきこと)だ」ということです。
 もちろん助けに対する対価(金銭を含む)は支払わねばならないのですが、でも「カネ払ってるんだから、これだけやってもらって当然」なんていう考えは自立した人間には許されることではないし、また「前に助けてあげたんだから、今度は私が助けてもらう番(子供が高齢の親の面倒を見るのはあたりまえ、という発想にも通じますね)」という考え方も自立した人間には許されないことだ、と思っています。
 かといって、「迷惑かけてごめんね」とへこへこする必要もない。正々堂々と「これこれを助けてほしい。ここまでは自分でできたけれど、それ以上は無理だ。お願いしたい」と頭を下げて交渉すること。これが自立した大人のやり方ではないか、と。
 ポイントは「ここまではできる」という範囲をできるかぎり広くとっておけるように今から準備することかな、と思っています。たとえば、ワクチン接種の予約をとることも、すでに予約できた人にどうやったかを聞いて(PCを使った方がいいのかとか、時間帯は何時ごろがいいか、とか)、まずは自分でやってみる。でもどうしても繋がらずに予約ができないようであれば、そういう予約に強い人にお願いする、というのも手ではないかと(スポーツやコンサートのチケット争奪戦でいつも勝っている人、くらいの意味で、転売業者とかではありません)
 高齢者(私を含む)とカテゴライズされると、「あれもできない」「これも無理」とレッテルを貼られてしまうのだけれど、一人ひとり背景も能力も考え方もちがうから、当然、自立度もちがえば、そもそも「自立」の概念もちがうでしょう。現在88歳になる母は、70代に入ったときから「私はもう年寄りだからこれはできない、あれもできない、面倒臭い、あんたやって」と家事はもちろん、家の管理や金銭管理まで全部私に丸投げしてきました。でも自分は社会的に自立した大人だと主張し、自分で自分のことを年寄りと言っておきながら、私を含めた他人から高齢者扱いされると烈火の如く怒ります。いまだに。
 年齢や性別でカテゴライズしてしまったら、見えなくなってしまうことがいっぱいあるけれど、「自立した生活」の概念は人によって大きく異なることを、まずは心しておかねばならない、と自戒しています。
 それを踏まえた上で、私の「自立した人間として生きて死んでいく」目標達成のための第一歩は、ワクチン接種をできるかぎり早くすませることだな。
 

 ずいぶんと日が経ってしまいましたが、今年も創玄書道会主催の公募展で、秀逸という賞をいただきました。昨年に続いての受賞でとてもうれしい半面、会場に飾られた自分の作品を見て「うーん、まだまだだなあ」と反省し、つぎはもっといい作品にしなくちゃなあ、と自分を励ましました。
 コロナ禍で昨年は展覧会がなかったために、受賞作を会場で見たのは今回がはじめて(3月に新国立美術館に展示されました)。広い会場で眺めてみると、作品の構成とか墨の入り方とか、何よりもからだの使い方とかの粗がよくわかります。隣に並んでいる優れた作品のすばらしさと比較すると、自分の足りないところがよくわかります。展覧会って必要だなと毎回あらためて思いますね。
 今はつぎの公募展に向けて作品制作に励む日々です。3月から週末はほぼ作品制作に費やしています。たくさん書いたからっていい作品ができるわけではないのですが、私の力量ではまずはかける時間とエネルギーをマックスに持っていって、かつ先生の指導を十分に受けないと標準以上の作品ものぞめないのです。私は天才ではないし、才能に恵まれているわけでもない、残念ながら。(ガンバの試合をライブで見るのがむずかしいのは錬成会と日程がぶつかってしまうからです)
 というわけで、今回の受賞作品に選んだ題材は「山溜穿石」(サンリュウセンセキ)。山でぽつんぽつんと落ちてくる水滴が、長い年月をかけて石(岩)に穴をあけるように、コツコツ続けていけばいつか大きな力がつく、という意味です。昔からすごく好きな言葉で、いつか書きたいと思っていたのがかなってうれしいし、賞ももらえて二重の喜びです。が、まだまだだなあ。この熟語のもつ力強さが伝えられていない。また何年かしたら書いてみたいです。
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