Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

装う快楽

 あ〜〜眠いです。花粉症の季節になると、眠気がどっと襲ってきて、毎日8時間睡眠。前夜、つけっぱなしのスタンドと、床に転がっている本、そして時計は7時。しまった〜〜また寝落ちしてしまったか〜〜どうしてくれるんだよ、と飛び起きる日々です。どうしてくれるんだよって、いったい誰に言っているんだか(もちろん自分にです)
 まずはiPhoneの電源を入れて今日の天気とスケジュールを確認。合わせた服を選んで洗面所に行き、着替えして顔を洗いながら頭の中で「今日やることリスト」の順番を決めます。といってもたいしたことじゃありません。「冷蔵庫に残っている野菜で夕飯は何ができるか?」とか「締め切りの原稿はとくにないけど、下調べはしておかなくちゃ」とか「メールの返事はどうする?」とか「今日は大物を洗濯しよう」とかそういうこと。10年前はもっとスケジュールが詰まっていたので、iPhoneに入れたTo DoリストとPCに貼った付箋を活用していましたが、いまはスケジュールはまったくタイトではないので、カレンダーの確認程度ですみます。
 それでも起きている間の16時間は結構忙しい。少なくとも退屈している時間はない。ぼんやりして過ごそうと決心したはずなのに、まだ今年は1日くらいしかそういう日がありません。
 つまり、何が言いたいかというと、毎日なんだかんだとすることはいっぱいあって、暇なはずなのになんでこう忙しくて、寝落ちするくらい疲れてしまうのだろうってことです。要領が悪いのか、それとも何も今やらなくていいこと(料理とか掃除とか)をついやってしまう癖があるからなのか。こういうのを貧乏性っていうんですね、きっと。
 母はこの10年以上、私に毎朝電話をしてきて「私は今日何をしたらいいの?」と聞いていました。いまは私が電話をして「今日は病院に行く日だからヘルパーさんが迎えにくるよ」とかスケジュールを教えていますが、母が聞きたいのは「通院」とかではなく、何かもっと楽しいこと、夢中になれることらしいので、私が言い終わらないうちに「私は今日何をしたらいいの? どうやって時間をつぶしたらいいのか教えて」と言い続けます。「することがない」「することがなくて退屈だ」「することがなくて寂しい」「することがなくてどうしたらいいかわからない」と言われるたびに私は、「何か楽しいことがあるといいのにね。そうだお花見とかしたら」とか「それなら○○さんに電話をして一緒におしゃべりしたら」とかあれこれ考えては提案するのですが、ことごとく却下されて、しまいに怒り出す、という繰り返しです。
 私にもいつか「することがない」という日がやってくるのでしょうか? 今日も朝起きたときに考えていたスケジュールの半分も消化しないうちに寝落ちしてしまった、と悔やんだ日をなつかしく思い出す日が来るのでしょうか? 娘に電話をかけて「私は今日何をして時間をつぶせばいいのか?」と聞くのでしょうか?
 そういう日が来るのが、ちょっと恐怖だったりします。 

6年前、父を亡くして以来のごたごたで、私は「ストレス解消」と称して夜お酒を飲む習慣がついてしまいました。こんなことをしていてはいけない、と思いながらも、いったんついた習慣はなかなか断ち切れない。飲みたいかどうかなんか関係なく、夕飯の支度のためにキッチンに立つと、つい缶ビールのプルを引き抜き、プシュッ、プハーとやってしまう。2年前からアルコールにめっきり弱くなり、ワインや日本酒を飲むと頭痛がして手が出なくなったのですが、ビールは飲める。日が暮れると、条件反射のようにプシュッ、プハー……
そこにやってきたのが新型コロナウイルスです。本を読むと重症化しやすいのは、高齢者(私もしっかり入ります)、糖尿病、心臓疾患など基礎疾患がある人。そして肥満の人も重症化しやすいと聞いて蒼くなりました。私、毎晩の飲酒とつまみの夜食で、しっかり肥満に足を踏み入れていたのです。やばいです。
昨年6月、緊急事態宣言が開けようというとき、真剣に考えました。
感染を防ぐためにやるべきことをやるだけでなく、重症化しないためにもやるべきことをやっておかねばならない。私はまだ死にたくない。それ以上にいま私が重症化したら、周囲にどれだけ負担をかけるだろうか。考えただけでも吐き気がしそう。
そこにもってきて、母が入院して認知症を進行させるという事態が起こりました。何事もまずは本を読むことから始める私は、図書館で認知症関連の本を片っ端から借りてきて読みあさり(専門書も入れて20冊以上読んだ)、そこであらためて思ったのです。
「いまこの生活習慣を変えないと、私は認知症まっしぐらだ!」
母方の祖母も母も認知症になったということは、私もアミロイドβの制御ができなくなって、神経にとぐろのように巻きついて記憶やら運動やら認知やらの機能が落ちていってしまう可能性が高いのです。しかもアミロイドβの暴走は認知症発症の20年前からもうスタートしているというではないですか! もう始まっているかもしれないけれど、できるだけ進行を遅くするためにも今から生活習慣を変えよう!
という決意をしたのが昨年8月。そして実行に移したのが9月1日。今日でちょうど5ヶ月が経ちました。
まず、在宅しているときには遅くとも8時までに夕飯を終えて、翌朝8時まで水以外とらないことにしました。 12時間の軽い断食を毎日やるわけです。
お酒は最初の頃は一週間に1回、缶ビール350ml1缶だけとかにしようとか思って9月はまだ金曜日の夜に飲んでいたのですが、そういう中途半端なことをしてはいけないと思い、家で飲むのをやめました。 でも友達と会うときには飲むのを許しています。そこまできつく縛るのもどうかなと思って。
つぎにウォーキングを始めました。始めたころは、雨が降ると出かけるのを躊躇したり、疲れたとか仕事が忙しいという理由を探して玄関前で逡巡したりしていました。でも出かけるのをやめようかと迷ったときには、自分に「重症化と認知症はこわいでしょ」とつぶやいて結局靴を履いたのですが。
そうやって自分を脅して出かけていたウォーキングですが、 9月3週目あたりからだんだん歩くことが楽しくなってきました。ちょうど涼しくなってきたのもあり。最近は地図を眺めてはできるだけ人がいなさそうなコースを探して1時間以上歩いています。5ヶ月たったいま、歩かなかったのは3日だけ。リモート会議が長引いて深夜になってしまったときが2回と、大晦日でおせち作りに追われて疲れ果ててしまったときくらい。我ながらよく続いているなと思います。
そして5ヶ月たった今、ようやく肥満から脱出しました。BMIが3ポイント下がり、体脂肪率が4%下がり、皮下脂肪率が2%減り、骨格筋率が3%上がり、なんとか50代の体重に。あああ、肥満脱出嬉しい。
これを維持していくのはたいへんかもしれない、とは思います。
それに維持していったって、私は着実に年をとるからいろいろな機能は衰えます。認知症を発症しない、という保証なんかどこにもない。
それでもがんばったのは、まず20年後もできれば生きていたいし、できれば後悔したくないから。
ここまでがんばったけれど、ダメでした、というのであればしかたない。それは「宿命」だから受け入れるつもりです。やれるだけのことをやっておけば、結果はどうであれ後悔は大きくないのではないか、と思いたいです。
それにしてもね、あれだけ酒好きだった自分が何週間も飲まないでいられるし、たいして飲みたいと思わないとは、ちょっと今でも信じられない自分です。 

 今日はvs札幌戦が予定されていますが、今日もまたプライベートな予定が入っていて視聴できるかどうか微妙です。うーむ。
 プライベートな予定、それは入院中の母の対応です。これまたうーむ。きのうも夕方から10時近くまで電話かけまくり、頭下げまくりの4時間に加えて、なんでこうなってしまったのかと悩むこと数時間を過ごしました。
 父が亡くなったときにはそれほど老いについて深く考えなかったのですが、父亡き後急激に老いていく母を見ていると、自分自身も老いていってるんだということを痛感させられます。たぶん「老いること」にも何かいいことがあるのだと思うのですが、少なくとも母の老いに翻弄されている今の私には老いのいいことが見つけられない。そこで自分の老いの下り坂を少しでもゆるやかにするために、そして周囲にかける「迷惑」をできるだけ明るいものにするために、 いま私が心がけていることを箇条書きで書いてみようと思います。

1)時間がたつと老いは進行して、後戻りするということがない——老いの不可逆性についてつい忘れがちな私に、医師やケアマネが何回となく言いきかすこと。それは「以前のようになることはありません」「年齢を巻き戻すことはできません」「下り坂を後ろ向きに登ることはできません」ということです。 一度減った骨量が増えることはないし、記憶力が30代、40代のころに戻ることもありえない。それを受け入れることが老いと上手につきあっていくための第一歩です。
でも、ただ一つだけ、わずかではあっても歳をとっても増やすことができるものがある、ということも繰り返し言われます。それは……「筋肉」です。何歳になろうと、筋肉だけは鍛えることができるそうです。 
父のリハビリにつきあっていたときに、理学療法士から何回も耳タコくらいに「動かすことでからだは錆びない。歳とってもからだが動けば、心身ともに健康に老いていけます。諦めちゃだめです」言われて、でもまだ50代だった私は「ほんまかいな?」とあまり取り合っていませんでした。
しか〜〜し、 50代から骨折を繰り返し、骨折するたびに「運動して筋肉を鍛えなさい。そうでないと体のあちこちに不調が出て、しまいに認知症になりますよ」と言われても「大丈夫、私は本も新聞も毎日読んでいるし、ボードゲームで頭を鍛えているから」とがんとしてやらなかったツケがまわった人を前にして、あの理学療法士の言っていたことはほんまやった、と実感しています。
老いの衰えをゆるやかにするために必要なのは、脳トレではなく、筋トレです。
貯金も大切だけれど、貯筋しないと貯金はあっという間に目減りします。
新聞読んだらウォーキングです。
歳をとるほどに運動は必要になります。
筋肉は裏切らない。使い古された格言だけれど、真実です。
 
2) 緊張感を失うと一気に老いる——これまた医師に言われ、スーパー老人に言われて実感することです。出口治明さんのベストセラー「還暦からの底力」に「一番の親孝行は、親に楽をさせないこと」という言葉があって、ぱーんと膝を打ちました。「今日、しなければならないことがある」「○日までに仕上げなくてはならないことがある」という緊張感を保ち続けること。でもそこまではいかずとも「夕飯を作らないと。そのために買い物に行こう」というだけでもいい。何もかも人任せにしてしまい、緊張感を失ってしまうと、老いは急坂を転げ落ちるスピードで進行してしまいます。
上げ膳据え膳、掃除も洗濯も他人任せ、どこに行くか何をするかも他人(家族も含めて)が決めてくれてそれに乗っかるだけ、みたいな「安易」な暮らしをしてはいけないのです。
それにまた、「悠々自適」「安心安全」を優先して緊張感を失った生活に身を置いてしまうと、老いの日々はぼんやりと灰色の煙の中にいるみたいになってしまい、虚しさと寂しさしか感じない……そうです。

3)孤独に耐える心身を作る——前々からこのブログでも書いているように「ひとりでできるもん」精神を日々養っていくことがたいせつなんだと思います。
ひとりで外食できる。
ひとりで旅行に行ける。
サッカーのひとり観戦も大丈夫。
行きたいところ、やりたいことは、まずひとりで行く、ひとりでやることを考えて、その上で誰かを誘ってもよし、断られてもひとりで喜んでやる。
人間、最後は一人で死んでいかねばなりません。大勢に囲まれていても、死ぬのはひとりきりです。
ひとりがこわくない。ひとりが楽しい。そう思える強さを養っていきたいです。
 
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5月
に植えた朝顔がいま満開です

 今日で6月が終わり、2020年上半期も終わります。
 お正月に「あけましておめでとうございます」と書いてから今日まで、半年間がとても長かったようでいて、振り返るとあっという間だったようにも思います。
 今日で「巣立ち日記」も終えることにします。「新常態」の働き方や暮らし方にまだ慣れているとは言わないけれど、慣らしていかないと、という意識と覚悟ができたところで、巣立ちの準備が整ったかなと自分では思うからです。
 この半年で、わずかなことかもしれませんが、自分で意識して変えたこと、変えざるを得なかったことを箇条書きでまとめて、下半期への心構えとしたいと思っています。

1)スマホを見る時間を1日合計3時間までにする
前にも書きましたが、巣篭もり期間中はスマホの電源を1日に2時間しか入れないという生活を送っていました。出かけざるを得なくなり、仕事が本格化した6月1日からはさすがにで電源を2時間しか入れないというわけにはいかないけれど、夜10時から朝7時まではやっぱり電源を切るようにしています。
出かけるようになってあらためて驚いたのですが、電車の中でほぼ9割の人たちがスマホを見ています。その光景にはやっぱり引っかかってしまう。
朝目覚めた瞬間から、寝落ちするまでスマホの画面しか見ていない依存症の夫に、巣篭もり期間中に一回キレたことがありました。
「スマホの画面には情報しか出ていないよ! 情報を1日18時間眺めていると、情報のことしか話さないつまらない人間になっちゃうよ」 
 私がキレたからって、スマホを見る時間を減らすような夫ではありませんが、以来、一緒に食事をしているときは15分くらい見ないで我慢するようになったみたいです。
スマホを見る時間を減らしてよかったことは、一つに目が疲れなくなったこと、そして少しは考える時間が増えたことです。瞑想とまではいかずとも、ゆっくりと考える余裕が生まれた、ような気がします。これからも続けていきたいです。

2)早寝早起きを続ける
 はじめは早朝太極拳道場に行くためでしたが、太極拳をするために出かけることをやめても、朝6時までには起きて、夜は遅くとも11時には眠るようにしています。 
  早起きになってよかったこと、それは1日が長く使えることです。朝、起床してから太極拳をすることもあれば、ちょっと瞑想もどきをする余裕ができました。本をじっくり読むゆとりも、Netflixでドキュメンタリー鑑賞三昧ができるのも、早起きのおかげかな。夜にだらだらビールを飲みながら録画した映画を観たり、読書したりしなくなって、実は少し体重が落ちました。夜飲み、やっぱりダイエットの大敵ですね。

3) 思いついたことはすぐやる
 最近の話ではなく、私はいろんなことをすぐに忘れてしまいます。たとえばキッチンで食器洗いの洗剤がなくなりかかっている、今日は買いに行かなくちゃ、と毎日のように思っていながら、買い物に行くと洗剤を買うのを忘れる。そういえば友だちから予定を聞かれていたんだ、メールで返事をしなくちゃと お風呂を洗いながら思い出しても、風呂場を出るともう忘れてしまう。ヤバイです。今に始まったことではなく、かなり前からの忘却癖。で、少し生活にゆとりが出たこの半年間に、思いついたことはすぐにメモをとり、PC画面に、スマホの画面に、貼っておくということを習慣づけました。
 または洗濯物を干している最中に、そうだ、メールの返事を忘れていた、と思い出したら、干す手を止めてすぐに返事を書く、クリーニングに服を出すことを思い出したら、ベッドに入っていても起きてクリーニング袋に入れに行く、とか、とにかく思いついたり、思い出したことはすぐにやるようにしています。ボケ防止、かな。

 実にささいな事柄ばかりですが 、時間に余裕があったこの半年に身につけたこの習慣を、下半期にも続けていこうと心しています。
 それが私のウイルスとの共生方法だと信じて。 

 東京アラート(っていったいなんだったのかがいまだにわかっていませんが)も解除されて、他県への移動制限も解かれたいま、気持ちに日々ゆとりがなくなっています。コロナ禍のこととか、これからの生活について、または自分自身について考える余裕がまたなくなってきて、日記を書くことができなくなりました。本来なら、自粛期間中に見直した時間の使い方や働き方を、いまこそ実践していけばいいのに、それができない。生活を変えるのって、そう簡単ではないことを実感しています。
 でも、書きたいことはいっぱいあるのです。それをまとめる時間的、心理的余裕がないだけ……あれ? ほんとに余裕がないだけ? 思考停止しているからじゃないのか? と自問するのですが、とりあえず毎日書く形式の日記はあきらめました。 メモだけがどんどん溜まっていくと、プレッシャーになってしまうしね。
 というわけで、これからはテーマを決めて書くことにします。今回は、夫も在宅勤務になって、あらためて見直した「家事」について。

6月20日(土)梅雨の中休みの晴天〜21日(日)1日雨降り
 梅雨に入って一週間足らず。雨降りの季節が始まると、私は朝晩天気予報とにらめっこして、洗濯するか否か、また洗濯したら外に干してから外出するか、それとも部屋干しにするかを考えるのに忙しい。
 土曜日はお日様が拝めそうだとわかって、朝6時に起床してすぐに洗濯機を回し始めた。3日分溜まっていたし、大物(バスタオル、バスマット、トイレマット、シーツ、布団カバーなど)を洗えるチャンスだ! 土曜は午前10時から外出する用事があったので、早めに洗濯をスタートして乾いたものから取り込んでいかないと、全部を干しきれない。
 遅い時間に起床して、朝食をとっている夫に「悪いけれど、昼過ぎに全部乾くはずだから洗濯物を取り込んでおいて」と頼んで出かけた。
 夜10時くらいに帰宅すると、夫が「洗濯物を取り込んで、畳んでおいたよ!」と胸を張って言うではないか!
 しかし「ありがとう……」という言葉は、居間のソファの上に投げ出された洗濯物の山を見たときに引っ込んだ。え? いま畳んだって言わなかった?
 「自分のことは自分でやらなくちゃいけないっていつもモトコさんに叱られるから、ぼくも自分の洗濯物は自分で畳むようにしようと思ったんだ」と夫。
 たしかに、夫のアンダーシャツやパンツやポロシャツはちゃんと畳まれて隅っこに積まれている。だが、私の衣類はともかく、タオルやシーツ類は取り込まんだままの山積み。これはいったい……???と腹立ちよりも疑問が起こったのだが、1日ばたばたと走り回ったせいで疲れ果てたので、その日は倒れるように眠ってしまった。
 翌朝、洗濯物を畳みながら、なぜ夫が誇らしげだったのかを考え、「これは1960〜70年代の核家族が育児にあたって、『自分のことは自分でやりなさい』と子どもをしつけたことが原因ではないか」と思い当たった。
 いやね、実は私も自分の子どもを育てた1980年代から1990年代も、「自分のことは自分で!」と子どもに言い続けたので、もしかするといまも生き続けているしつけなのかもしれない。
 自分のことは自分でやりなさい、というのは、自分のことだけやっていればそれでよし、という意味に子どもはとらえるし、親の意図もそこにあるのかもしれない。サラリーマン世帯が増えて、専業主婦が過半数を数えた時代には、子どものしつけは「自分のことだけやっていればよし」だったかもしれないけれど、いまや専業主婦は少数派になりつつある。家族みんなが自分のことだけやっていて、そのほかは主婦役におんぶにだっこでは、家事は回らなくなる。タオルなどみんなで使うものを洗ったり畳んだりする必要がない、と無意識にも思っている家族がいれば、主として家事を管理する人の負担が増すばかりだ。
 そういえば、我が家でもまだ子どもたちが小学校高学年と高校生だったとき、「食事が終わったら、自分が食べたお皿は流しに持っていきなさい」と言い続けていたら、自分が食べたお皿しか持っていかなくなって、ある日「みんなで取り分けて食べたお皿とか、調味料とか、そういうのも片付けなさい」と叱った、というか怒りを爆発させた。思春期の反抗期真っ只中だった娘たちは「それなら最初から、後片付けをしなさいといえばいいでしょ? 自分が使ったお皿とか強調しなくてさ」とクレームをつけられ、しゅんとなった記憶がある。
 「自分のことは、自分でやりなさい」。これは正しい。でも本気でしつけをする気なら、もう一言付け加えるか、言い方を変えないといけない、と反省している。
 「自分のことを自分でやれるようになったら、みんなのこともやれるようになろうね」
とか、かなあ。ハードル高そうだけれど。

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