Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

装う快楽

 一年の締めくくりには、ほぼ12時間キッチンでおせちとお雑煮作りをするのが恒例行事です。別に恒例行事にしたいと思ったわけではなく、結婚して以来40年間やってきたので、いまさら何か変えるのもどうなんだと惰性でやっているだけ。朝8時から夜8時まで、ばたばたとキッチンで働き、夕飯をかきこんで、正月用の器やお箸の準備をして、最後の掃除をして、お風呂に入って、ブログを書いて(→いまここ)、寝る。あと最低でも10年はこんな大晦日を過ごしたいです。過ごせるだけの気力と体力がもつことを祈っています。
 今年は1月末からCONIFAの年次総会@クラクフに出席して、その機会にポーランドをぐるっとまわったことがまず大きなイベントでした。アウシュヴィッツに行ったこと、ワルシャワのユダヤ人博物館とゲットーをアンナさんという稀有なポーランド人に案内してもらってめぐったこと、この経験はたぶん生涯忘れられないし、私の中の何かを変えたと思います。
 4月からはチェコからやってきた留学生がしばらくホームステイしていました。三島由紀夫が好きという彼と、文学の話やらチェコの政治について話したこともおもしろかった。
 6月末からは友人とギリシャへ、それから一人、フランス各地を転戦してサッカー女子ワールドカップを観戦しました。なぜかアメリカ代表の試合を見続けることになり、ラピノー選手のすごさにうなりました。試合前に各チームの代表が「私たちは差別を決して許さない」という宣言をしたことにも感激。いろいろな意味で差別を受けている女子選手たちの言葉は、じーんとしみました。
 7月からは仕事が一気に忙しくなり、朝起きる前にスマホを開けて「今日の締め切り」を真剣チェックする日々が12月末まで続きました。 仕事があるってことはとてもとてもありがたいのだけれど、もうちょっと分散してくれないかな〜〜〜とかぜいたくなことをぼやきましたよ。
 花粉症の薬をもらいにいくのと、インフルエンザの予防接種を受けにいく以外では一度も医者にかからないで一年を過ごすことができたのは、割に規則正しい生活をしたのと、酒量が減ったのと、太極拳のおかげだと思っています。
 
 今年は身内に不幸があったので、新年のご挨拶は控えさせていただきます。
 今年も当ブログにお越しいただき、ありがとうございました。
 2020年、みなさまにとって気持ちがはずむ年となりますことをお祈りいたします。
 来年もどうぞよろしくお願いいたします。
(恒例?のおせちアップさせてください)
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 2008年ガンバがACLで優勝したのをきっかけに、「そうだ! 毛筆でメッセージを入れたフラッグを作ろう!」と思いつき、年末に飛び込んだカルチャーセンターでいまの先生と教室にめぐりあいました。お試し体験(無料)の日が私にとっての書道初日で、その日は教室の忘年会。先生に「時間があれば、参加しませんか?」と言われて、筆を握るよりも先に酒を飲みに行った、という生徒でした。
 2009年からカルチャーセンターの教室で1週間1回1時間筆を握る生活を始めたのですが、まわりの生徒さんたちはどうも家で課題を書いてきて、教室では書いてきたものを先生に添削してもらっているらしいと気づきました。当時は20人以上の生徒がいたので、先生はクラスの最初から添削したり、生徒が家で書いてきた作品を選別するのに忙しく、初心者が書いているところでていねいに手取り足取りしているひまがない。サッカーのシーズンが始まってもこれはフラッグ製作まで行き着かないな、とあせっていたところに、カルチャーセンター以外に先生が個人で教えている教室がある、と聞いて、お願いしてそこに通うことにしました。
 その教室は多いときでも5人しか生徒さんがおらず、時間も2時間あるのでたっぷり書けるし、手取り足取りで教えてもらえます。カルチャーセンターと並行して、そこに通うようになり、1週間に2回筆を握るようになったのが2009年の夏ごろ。
 やがて先生にお手本を書いてもらい、下手くそながらゲーフラも何枚か製作し、目的を果たしたからやめるはずだったのに、書道がおもしろくなってしまって、今では目的が目標に代わりました。いい線が引けること、すてきな作品が書けること、というなんとも漠然とした、達成がほぼ生涯不可能な目標です。いまは「ずっと筆が持てるように健康に気を配ろう」と書道のために別の目標ができてしまっています。
 2009年の終わりには、創玄展という公募の書道展に出品したい〜〜〜と先生にねじこみ、じゃなくて頼み込み、初めて条幅なるものを書きました。大きな筆で大きな作品を書くのがまたすごくおもしろくて、2010年はじめから半紙と並行して条幅も毎週書くようになりました。その年の春には別の公募展、毎日書道展にも出品(しかも漢字部門と詩文書部門の2点出品)。その年末からは2泊3日の合宿にも年2回参加しています。
 もともと、始めたことがなかなかやめられないところがあります。サッカー好きはすでに半世紀。ガンバサポ歴20年、もっと言えば同じ人と結婚歴41年、職歴も42年と、続いてしまっているのは、ひとえに「やめられない」がゆえ。
 書道だって、なかなか上手にならなくても、才能がないとわかっても、賞がとれなくても、ぼろくそにけなされても、むいていないかもしれないという疑念がわいても、やめられない。好きだから、とか、おもしろいから、とか続けている理由を自分でも自分にこじつけて言っていますが、そんな前向きな理由ではなく、やめるという決断がつかない優柔不断な不器用者であるがゆえに11年間続いた、というのが一番真実に近い。
 今年、2019年、 師範試験に合格しました。一つの節目ではあるけれど、師範ですが、それが何? というようなもんです。ここからがやっとスタート、かな。
 7月から師範試験のために課題の漢字2点、詩文書1点、かな2点をほぼ週3回ひたすら書き、9月にそれが終わると来年3月に開催予定のクラス展のための作品を書き、並行して創玄展の出品作品を書き、と半年間、ほんとによく書いたよ、私。
 でも、振り返ってみて、それだけ書けたのは体力と気力が充実していた証拠かもしれません。そのことに感謝しつつ、ものすごく恥ずかしいことだろうけれど、たぶんもう二度と開けてもみないだろうと思うので、記念に師範の認定証をアップしておきます。
 
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 幼稚園から小学校にかけて、私は母親や学校の先生たちから、何かヘマをして、叱責されるたびに言われたのが、1)だらしがない、2)不器用、3)粗忽、4)鈍臭い、5)物覚えが悪い、この5つでした。
 もうね、耳タコでこの5つの叱責を繰り返されて、私は割に最近まで自分のことを「整理整頓ができず、何をやらせても不器用で、おっちょこちょいで早とちりの粗忽者で、運動神経がなくて鈍臭く、人の3倍努力しないと何事も覚えられない人間」だと信じ込んでいました。人の言うことを素直に、というか鵜呑みにして信じてしまう「鈍臭い」性格なので、とくに母親から二言目には言われる「あんたはだらしがない」「あんたは人の3倍努力しないと人並みになれない」という言葉を鵜呑みにして「私ってこういう人間だから、しかたないよね〜〜」とか思っていました。
 でもさすがに40歳をすぎるころから「いやいや、そういう決めつけはおかしいよね」「本当の私はそれほどひどくはないのではないか」とか思い始め、はやりの「自分探しの旅」を愚鈍にやり続けてきた気がします。
 とくに60歳を迎えたときに、なんとか整理整頓ができるように、スケジュール管理をしてできるだけ「やらなくてはならないことをやること」を心がけ、不器用なりに時間をかけても習得することを自分に課してきました。幼少時から叩き込まれてきた「鈍臭い私」におさらばしたかったのです。
 5年間がんばってきて、ふと気づいたこと。
 鈍臭くて不器用でだらしがないのも「本物の私」だけれど、整理整頓を愚直にやって、不器用を努力で補って、粗忽者にならないようにゆとりをもって行動することを心がけるのも「本物の私」だと言うことです。
 つまり、世間さまが決める「本物の私」なんてものは、ない! 他人様に「あなたらしい」「あなたらしくない」と言われても、いやいや、他人様にとっては「らしくない」と見えるところも、実は私なのです。他人(親きょうだい夫子どもを含む)が期待する「私」になることも、ときには大事かもしれないけれど、ある程度の年齢に達したらもういいんじゃないか。人間ってのは、さまざまな面があって、世間に見せている表面だけを見ての人物評価ではまったく十分ではない。掘り下げれば掘り下げるほど自分自身でもとらえきれないほどさまざまな「自分」がいる。
 そういうさまざまな「自分」を素直に外に出していけるのが、たぶん高齢者の特権だろうと思うことにしたのです。
 そう思わせてくれたのが、芥川賞作家、若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」の主人公、日高桃子さんでした。
74歳の桃子さんがある日気づくこと。
「老いると他人様を意識するしないにかかわらず、やっと素の自分が溢れ出るようになるらしい」
 素の自分、でもそれは万華鏡のように光の当て具合、動かし方によってさまざまな変化するのです。自分の見方によってさまざまに変化することこそが「素の自分」
 私と同い年の若竹さんが描いた73歳の日高桃子さんが私に、自分探しの旅なんてやめちゃいなよ、と言ってくれたような気がします。
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(気が重くなるガンバの移籍情報から話題をそらしたい一心で、ガンバとサッカー以外の話題です)

 毎年「早く終わってくれ〜〜〜」と願う年末年始が近づいてきました。なんでこうも年末年始がいやなのかと振り返ってくると、「手が抜けない性格だから」ということに気がついたここ数年。大掃除もおせち料理もすべて手が抜けない。手を抜くと、そこから堕落していって、一気に老化が始まるような恐怖感があります。そもそもどうやったら手が抜けるのかがよくわからないのです。年賀状はようやく2年に1回にし、メール年賀状で近況をお知らせする「手抜き」で妥協することに自分を納得させています。(今年は喪中なので、メールもハガキも含めて年賀のご挨拶は失礼します、ってこんなところで言ってしまってすみません)
 いつまでおせち料理を作るか、というのも悩むところですが、たぶん今年も作るでしょう。作らない理由が自分の中で見つけられない。
 おせちだけでなく、自分一人しか食べないとわかっていても、食事作りに手が抜けません。私自身は手を抜いているつもりなのだけれど、気がつくと一汁三菜、作ってしまう。時間がない、めんどくさい、と思いながらも、冷蔵庫を開けて食材があると「もったいない」「腐らすわけにはいかない」「まずいものは食べたくない」というので、つい作ってしまう。これはもう、病気ですね。
 そんな私にぴったりの料理本を紹介してもらいました。同じように「手が抜けない病」に悩む女性からです。
「賢い冷蔵庫」瀬尾幸子著 NHK出版
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 野菜や肉の下ごしらえの技をいろいろと紹介している本なのですが、もうね、目からうろこぽろぽろのアイデアがいっぱいで、しかも役立つ役立つ。ほうれん草はゆでたあとしぼらないで保存、とか、ニラは刻んで醤油と水につけておく、とか、鍋であまった白菜は2.5%の塩水で保存、とか、素材の味を損なわず、すぐにおいしい料理に直結する技が紹介されていて、私は日々の食事作りが一気に楽しくなりました。
 手が抜けない人にとって、こういう技を伝授してくれるとほんとありがたいんだわ。
 ニラ醤油、あまった鯛の刺身にかけたらほんと美味しかった! おすすめです。
 
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 先日、母のことについて、かかりつけの医師に相談に行ってきました。その際に、はっと胸をつかれることを医師に言われて、以来自分の中でその言葉を噛み締めています。
 母は若いときから運動が苦手で嫌いで、からだを動かすことに消極的でした。いまもそうです。いまいるホームでは、たくさんの運動プログラムが用意されていて、さかんに勧められるのですが、1、2回は顔を出しても、なんやかやと言い訳をこしらえてやめてしまいます。 
 今回、私が心配でお医者さんに会おうと思ったのは、母が薬をちゃんと服用していないことに気づいたからです。というか、前々から私が「さあ、食後の薬を飲んで」といって薬の封を破ってコップとともに渡さないと飲まない。しぶしぶ飲んだあとに決まって「こんな薬飲んでも、なんの効き目があるのかわからない」という。 介護保険を利用して、お薬カレンダーを毎週届けてもらっているのだけれど、それでも飲み残しはいっこうに改善されない。
 そのことをお医者さんに訴えて、「先生から薬をちゃんと飲むように、運動もするようにと言ってもらえませんか?」と頼んだら、医師から「それはできません」とはっきり言われました。
「いま処方している認知症のためのお薬は、劇的に物忘れが直ったりする効果があるのではなく、現状をできるかぎり維持するためのものだ、ということは診察のたびに申し上げています。また運動機能が衰えて歩行困難になると、一気に老化が進みます、と運動もおすすめしています。でも、薬をのむのまない、運動するしない、というのはご本人の意志にかかっています。望むような効果があるわけではなく、副作用もあるのだから薬をのまない、というのも1つの選択ですよ。また歩くと足が痛くなるし、疲れる、だから歩かない、というのもご本人の選択です」
 そうかぁ〜と私はいたく感じいりました。
 メディアではしょっちゅう、80代、90代で矍鑠と活動し、老いなんかなんのその、自立して社会的にも活躍しているスーパー老人が取り上げられます。それが高齢化社会における老い方の理想像とされているところもあります。
 でも、スーパー老人になんかなりたくない、ぼけてわけわからなくなったっていいじゃないか、という老い方を選択する人がいたっていいはずです。 自分の衰えを素直に受け入れ、老いにあがらわずに老後を送るのだって一つの理想としていいはずです。老い方の選択肢がいくつもあるほうが、高齢化社会は豊かだと言えるのではないか。
 家族に看取られて、苦しまずに穏やかに死ぬことが老人の死に方の理想とされているけれど、みんながみんなそういう死に方を本当に望んでいるでしょうか? 1人で死んでいった人を、みじめだ、かわいそう、とあわれむのは生きているものの傲慢ではないか。
 生き方に関しても、もしかすると社会が押し付けた理想に振り回され、それにそぐわないことで悩んだり苦しんだりしている人もいっぱいいる
 人それぞれ、与えられた寿命もちがえば、生まれ育った環境もちがっています。こういう生き方、老い方、死に方をしたい、と願ったところで、それがかなえられる人なんてほとんどいないのではないか。選択したくなくても選ばされることだってある。意識的にせよ、無意識にせよ、何かしら「選択」できる人は、平和で安全な社会に生きていて、ある程度健康で経済的にさほど困窮していないということで、その意味で幸せで恵まれているのだと思います。
 そして医師の言葉を反芻しているときに気づいたのですが、老い方、死に方の選択は、生き方の選択の延長線上にある、ということです。つまり、自分の意志で選んでいった道の先に老いと死があるのだ、ということ。 今日の私の選択が、80歳、90歳の私に深く影響しているのです。そう心して、やっぱり私は日々の運動と食事に気を配る健康ばあさんでいようと思いました。
  
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