Glamorous Life

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装う快楽

6月9日(火)
都心まで行く用事があった。電車で行けば乗り換え2回で45分乗車の距離だ。地図をじっと眺めて、自転車で行けるかどうかを検討したけれど、Google Mapによれば自転車では片道2時間かかるというので断念。ママチャリに1日4時間またがっているのは、さすがに辛いもんなあ。
時間をずらして出かけたので、電車は空いていたし、車内は私が見る限りソーシャルディスタンスを意識してしている乗客ばかりだった。ここ数ヶ月で初めて「新常態」というのを実感。人と人の間の距離をこんなにも多くの人が意識しているとは!

6月10日(水)
今回の緊急事態宣言下の外出自粛要請が終わって「このまま今の家で暮らし続けよう」と決意を新たにした。
少し前まで、年老いてボケて動けなくなって、周囲に迷惑をかける前に高齢者施設に移ろうと思っていたのに、気が変わったわけだ。もちろん状況によっては、また高齢者施設を探すことになるかもしれないが、とりあえず今のところは「できるだけ長く、たとえ一人暮らしになっても、ここに住み続けよう」と思っている。
そう思った理由は2つ。1つはご近所コミュニティのありがたさを実感したことから。日記にもしょっちゅう書いているように、家庭菜園をやっている方から野菜を分けていただいたり、豊作だといってたくさん梅の実を分けてもらったり、お返しにお惣菜を届けたりするのがとても楽しかった。これまでもおつきあいはあったのだけれど、ご近所づきあいがコロナ禍を機に濃密になった気がする。
自粛期間中は外周りの掃除をするときに朝晩の挨拶以上の会話を交わすようになった。「そのマスク可愛いじゃない? え? 手縫いなの?」と褒めていただいたり、「今あそこの道は自転車が通れないわよ」と教えて差し上げたり。向かいに住んでいる外国人家庭(いまだにどこの国の人たちかわからない。少なくとも英語で会話はしていない)の女の子(推定3歳)から、私が自転車を出すたびに「行ってらっしゃーい!」「どこ行くの?」「気をつけてね〜」と日本語で声をかけてもらうようになったし。
2つ目は、時間に余裕があったのと、公共交通機関を使わなかったために、ご近所探索をする機会があり、地元の魅力を再発見したためだ。毎日出かけるたびに、必ず1本は通ったことがない道を通ることにしていたら、思いがけないおもしろいところ、すてきな場所を見つけた。
年老いたら階段が昇れなくなるんじゃないか、段差につまづいて転んで骨折するんじゃないか、調理定年が来て食事に困るんじゃないか、年寄り世帯は詐欺とか危険な目にあうんじゃないかなどなど懸念していたのだけれど、そんなこと今から考えてもなるようにしかならない。それよりも、今、現在のこの環境を大切にするほうが重要じゃないか、と思ったわけだ。
できるだけ長く自立して自宅で暮らせるようにと、毎日の太極拳は欠かさない、とそれも決意をあらたにしている。

映画「13th 憲法修正13条」を観た衝撃を書いた6月11日分は別立てにしました。
まだ衝撃が醒めない。

5月30日(土)
 受け身ではダメだ、といつも自分に言い聞かせてきたつもりなのだが、緊急事態宣言中に自分がいかに人に言われたこと(だけ)を必死にやっていたかを痛感させられた。フリーランスになって30年。仕事というのは、頼まれたこと、求められていることを、求められている水準プラスαくらいで仕上げて納品するというスタイルが染み付いてしまっていた。でも60歳近くなってくると、若いときのように待っていてもいなくても仕事が来る、という状態にはならない。だから、自分で開拓しよう、営業をかけよう、と動いてみたものの、どうも私が考えた開拓分野が違っているらしく、結局頼まれたことをこなす日々がまた続いてしまっていた。
そんなところにコロナ禍。
働き方が変わるどころか、「仕事」の定義まで大きく変わっている。
依頼を待っていてはダメなことはもちろん、開拓だの営業だのという発想そのものがもう時代にそぐわなくなっている、ことを痛感させられたこの2ヶ月。 
どんなことが「仕事」になるのか? 仕事ってそもそも何?
そんなことをもんもんと考えながら、やっているのは太極拳と書道。
大丈夫か>私?

読んでいる本:「ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る」
梅森直之編著 光文社新書
「想像の共同体」が通読できていないのだが、まずは新書で入門してみようと2005年早稲田大学でアンダーソンが行った講義録を読むことにした。

夕飯はなめたカレイの煮付け、ピーマンとナスの味噌炒め、アスパラガス(2色)とハム、ほうれん草の白和え、豆腐とナスの味噌汁
アスパラガスを低温で茹でて、茹で汁に少し出汁を加えて味噌汁にしてみた。うーん、美味しいじゃないか。低温調理ばんざい
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5月31日(日)
 今年の夏は(も)長く暑いらしい。今の気候変動が人間の(無謀な)経済活動によって引き起こされたものであることはまちがいないのだが、太陽の活動とも関係しているらしい。
 外出自粛と経済活動の停止によって、夏の暑さは少しマシになるかなと少しだけ期待していたのだけれど、いやいや数ヶ月経済活動がゆるやかになったくらいで気候変動に変化が起きるはずもなく、そして太陽の活動も地球温暖化に拍車をかける。いや、太陽の活動による地球温暖化を、よりいっそう進めているのが人間の活動か?
 どちらにしても、暑いのが苦手な私にとって、2000年代に入ってからの酷暑は耐え難い。でもクーラーを入れる気にはならなくて、窓をあけて風を入れ、汗をふきながら書道。書道っていうと文化系で大人しくやるものだと思われるかもしれないけれど、実は身体芸術で、すごくからだを使うのだ。ぽたぽた紙の上に汗が落ち、そこの部分の墨が滲んでしまったりして、いらつく。早く夏が終わってほしい。

夕飯は近所の居酒屋さんでテイクアウトを買ってきてしまった。鯛のカブト煮、ほうれん草としめじのおひたし、刺身盛り合わせ

読んでいる本:「免疫力を強くする——最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ」
宮坂昌之著 講談社ブルーバックス

免疫をつけるにはワクチンしかない! という主張を、素人にもわかるように筋道たてて説明してくれる。「免疫力」なんていう言葉自体が科学的じゃないこともよくわかった。ヨーグルトや納豆をキロ単位で食べても「免疫力」がアップするなんてことはない。強いて言えば、リンパと血液の流れを良くするために、運動することくらいしかない。
ワクチンができて普及するまで、こりゃあCOVID-19とうまく付き合っていくしかないわけだ。

6月1日(月)
 いつまでも引きこもってばかりもいられず、今日はたまっていた用事を一気に片付けてしまおうと午後早い時間から出かけた。自宅から代々木→原宿→渋谷を回って帰宅を予定していたのだが、起きたら雨が降っている。うーん、自転車が使えない。しかたなく全行程徒歩で行くことにした。18キロくらいかなと地図を確認。
ところが、原宿で受け取った資料が思いの外重くて、渋谷まで歩いていくうちに腕が痛くなり、でも雨模様だからかばんを下に置いてしばらく休むということもできず、ほとんど足をひきずるようにして渋谷も目的地に到達。そこでまた荷物が増えて、ついに観念した。
 3月27日以来初めて、電車に乗りました。2ヶ月半ぶりの公共交通機関利用。
 夕方7時前だったのだが、結構な混み具合で、座席は全部埋まっているし、つり革を持って立っている人もいて、以前と変わらない混雑ぶり。マスク着用率はほぼ100%だからいいものの、隣に座った人が咳をするのが気になった。
 帰宅してすぐにシャワーを浴び、冷やし中華をかきこんで10時前に眠ってしまう。ほんとに疲れた。私、社会生活に復帰できるのだろうか? 

読んでいる本:「感染症と文明—共生への道」山本太郎 岩波新書
この2ヶ月で読んだ本の中で、トップ3に入れたいおもしろさ!
「サピエンス全史」にもあったけれど、農耕が始まって人間が集住するようになることが、感染症の流行を引き起こした。農耕は決して人間(ホモサピエンス)の健康には良くないし、地球環境も壊滅的にダメにした。農耕で人間が増えて、その食糧を確保するために小麦とか米とか限られた植物を大々的に育てることで生物の多様性が失われ、森林が破壊され、河川は汚染され、人間は「未知のウィルス」に暴露される機会が増え……やれやれ。
印象に残った言葉
「根絶は根本的な解決策となりえない。病原体との共生が必要だ」
「パンドラの箱は多くの災厄を世界にばら撒いたが、最後には希望が残ったとする説と、希望あるいは期待が残されたために人間は絶望することもできず、希望と共に永遠に苦痛を抱いて生きていかなくてはならなくなったとする説」があるそうです。……やれやれ

6月2日(火)
 アメリカがたいへんなことになっている。
 ジョージ・フロイドさんという黒人男性が、ミネソタ州で白人警官に地面に膝で押さえつけられて死亡したという事件から、"Black Lives Matter"(黒人の命は大事だ)というメッセージをかかげてデモが起こった。
 フロイドさんは地面に8分も押さえつけられて死亡。3分で意識を失っているのにその後も押さえつけていた。それを一部始終撮影され、動画を見た人たちが立ち上がった。少なくとも全米140の都市で大がかりなデモや暴動が起きてすでに2週間弱になる。
 トランプ大統領がツイッターで、憎しみをあおるような書き込みをしたことで、デモも暴動もいっそう激化した。
 州軍を出せ、連邦軍を送るぞ、暴動を起こしているやつらは逮捕して長期間刑務所に閉じ込めろ、というトランプ大統領の演説を聞き、ツイッターを見てしまって、正直寒気と吐き気がした。
 平和的にデモをしている人たちに催涙弾を撃ち込み、何もしていない人にスタンガンをあてて逮捕する。 黒人も白人もヒスパニックもアジア系もデモに参加している。
 人種問題だけではない、経済格差とコロナ禍での貧困が背景にある……そういう背景解説がむなしく聞こえる。 解説はもういいのだ。
 怒りのこぶしを振り上げ、怒りの声をあげ、涙を流し、抗議する人たちの声をしっかりと聞き、その姿を目に焼き付けなくてはいけない。オバマ元大統領が言うように、「このときを、本当の変革のターニングポイント」にしなくてはならない。

夕飯はケールと野菜のスープ、スウェーデン風ミートボール(ディルとイタリアンパセリをたっぷり入れた肉団子にマッシュポテトを添える)、春菊の胡麻和えサラダ
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ご近所で菜園をしていらっしゃる方から、ケールをはじめとする野菜を分けていただいている。昨日も通りかかったら呼び止められて、ケールを根っこから一本引っこ抜いていただいた。春菊やルッコラも。たまらなく美味しい。野菜本来の味がからだにしみわたる。 

5月7日(木)(前の日記と日が重なっているけれど、内容は別)
午前中、自宅で太極拳レッスン。振り返ると3月半ばから何かから逃れるように毎日太極拳のお稽古をしている。COVID-19の感染におびえ、外出を自粛し、コロナウィルス関連のニュースに暗い気持ちになることが多いこの数ヶ月だが、もし得たよいものをあげるとすると、からだの使い方に少し進歩があったことかもしれない。
 もともと体力には自信があったのだが、50歳を過ぎる頃から小さな不調に悩まされるようになった。人に話すと「ああ、私もよ!」「それが老化ってもんですよ」とか言われるだけなのだが、それまで「無敵」だった私にすれば、痛みをはじめとする不調に悩む自分が歯痒いし、腹が立つし、不安になる。
たとえば53歳になったと同時に五十肩になり、一度上がらなくなった右肩はそれから2年間も、動かすたびに痛みが走った。やはり50歳になったときから歯痛にも悩まされ、いまも毎月歯医者に通う。肩こりと腰痛はもはや持病で、腰痛にいたっては運動すればするほど腰が痛くなるという始末。ジムで筋トレをやったことが原因で筋肉を傷め、日常生活にも支障をきたすこともひんぱん。ランニングをすればなぜか腰痛になって整体のお世話になる。そういやヨガでも腕と肩の筋肉を傷めたっけ。
そこで出会ったのが太極拳だったのだが、まじめに取り組むようになったのは、始めてから7年ほどたった2018年からだ。
きっかけは、筋トレをまたやっていると言ったときの師匠の一言だった。
「むきむきの筋肉をつけることがいまの元子さんに必要なこと? 年齢を重ねていくうえで必要なのは、からだの使い方を覚えることではないの?」
ああ、そうか、と目が開いた。
からだの使い方がわかっていないから、筋トレや運動をするとどこかを傷めていたのだ。
無理なく正しい姿勢で立つこと。同じく正しい姿勢で座ること。
重心の移動を意識して、膝や腰に負担をかけないで歩くこと。
片足でもふんばらずに立つこと。(これが歩行の基本になる)
それができるようになったら、いま私が目標としている「80歳になっても自立した生活を営む」ことが可能になるはずだ。
今日もみっちりお稽古して、太腿裏と内転筋に心地よい筋肉痛を感じながら1日を過ごした。

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(公園での太極拳も、往復で初夏の花々をめでるのも楽しい。バラはつぼみから満開へ、そしてそろそろ終わりを迎える)

5月8日(金)
早朝太極拳道場、今日は一人きりなので、少し早めに行ったのだけれど、6時40分ですでに先客が6人。ノートパソコンを持ってきて何やらやっている女性が一人、アンパンをかじりながらスマホを見ている学生らしき男性、ランニングウェアでコンビニ食を食べている若い男性が一人、そしてお母さんと2人の子連れ。皆さんの視線をできるかぎり脳内から追い払って、八段錦からフルコースでお稽古をした。
と、いきなり響く男の子の声。
「お母さん、あの人何やってんの〜〜〜?」
お母さん「しっ! お邪魔しちゃダメでしょ!」
男の子「え? 何? 何やってんの?」(しつこいっ!)
お母さんもね、「しっ!」ってそれではお子さんの疑惑は深まるばかりですよ。あやしいことをやっている、あやしいオバハン疑惑を晴らしてやってくださいよ。何か言ってやろうと思ったけれど、自粛しました。
それにしても、なぜ6時40分の早朝にこんなに大勢(でもないけれど)が公園にお出ましなんだろう? って、あ、私もですけれどね。早朝だから人はいないだろうと期待している人たちなのかもしれないけれど。
8時前に終えての帰り道、出勤するらしき人たちと大勢すれ違った。外出自粛要請の期限は延長されたけれど、休んでいられない人は大勢いる。私も自宅でだけれど、7日から仕事を平常モードに切り替えた。
太極拳
(やはり早朝の公園で一人太極拳は不審者かも)

夕飯は焼肉と野菜のオリーブオイル焼き、トマトサラダ、ミネストローネ(焼肉は1人4枚ずつ、と言っておいたのに、私がミネストローネをよそおって食卓についたときに、先に食べ始めていた夫が6枚目を口に入れようとしていたところで、私の怒り爆発! 一口食べた残りを私の皿に戻したので、怒りが3倍に加速。これもコロナウィルス のせいだ。たかが肉で心が狭くなり、いじましくなる)

5月9日(土)
4月からVOGUE のWEBサイトでフェミニズムを学ぶ講座の連載をしている。
今日は第二弾がアップされた。
第二弾はフェミニズムがたどってきた歴史を振り返っての「フェミニズムの4つの波〜『フランケンシュタイン』から#MeTooまで」
VOGUE Change 
https://www.vogue.co.jp/change/article/feminism-lesson-vol2
私はフェミニズム第二波を青春時代に経験したのだが、そのあと『バックラッシュ』でフェミニズムとは何かがわからなくなり、1990年代からの第三波のガールパワーも「え? それがフェミニズムですか?」とはっきりととらえきれず、近年の#MeTooをはじめとする第四波になってようやくおぼろげながら輪郭が感じ取れるようになってきた、というところ。
お話をうかがっている清水晶子さんのフェミニズムに対するスタンスというか姿勢が、私にはとても受け入れやすく、胸をはって「私もフェミニストです!」と言える自信が持てそうになっている。

夕飯は、ふろふき大根、大根葉のゴマ炒め、大根の千切りと豆腐の味噌汁、大根と鮭缶詰のサラダ、トンテキのブロッコリ添え。
散歩に出かけた夫が、近所のミニ農園をやっている方から大根一本をいただいてきた。堀りたてのみずみずしい大根を丸ごといただいてしまおうというので、急遽大根づくし。トンテキはだからメインではなく添え物ですね。
大根づくしメニュー


5月10日(日)
お孫2号(2歳6ヶ月)とときどきビデオ電話でおしゃべりする。
保育園が休園になって1日中親と過ごすようになってから、急に語彙が大人っぽくなった。
理由は、テレビとNetflixとYouTubeにお守りをされることが多くなったかららしい。
いまの彼のマイブームは「ちょっとニュース見て良いかな?」とリモコンをとってテレビをつけて、「あれ、今日もアベさんはマスクつけてるね。お口のバイキンがまだきれいきれいになってないからかな」と確認することなんだとか。
そのあとで胸を張って「○ちゃんは食べたらちゃんと歯を磨くよ。だからバイキンはいないよ」とアベさんに向かって自慢する。
歯磨きも○○掃除もしようね、アベさん。

夕飯はいわしのパン粉焼き、きのこと大根のベーコンスープ、麩チャンプル

5月のさわやかな風が新緑を吹き抜ける中でも、じっとがまんのSTAY HOME期間は続きます。思いもかけず5回目となった巣篭もり日記。10までいっちゃうんじゃないか……ま、そうなったらそうなったで、あせらず、巣篭もり社会へのあらたな展望を考えていきたいです。

5月1日(金)
5月が始まった。おそらく日本の、とくに関東地方の気候として、暑くもなく寒くもなく、空が真っ青で、虫がさほど飛んでいなくて、気持ちがよい日が集中しているのは5月だと思う。6月には梅雨入りし、それから猛暑がやってきて、秋になれば台風続きで、荒れ模様の不安定な天気は冬まで続く。日本と一口にいっても地方によって気候は様々だけれど、少なくとも関東地方で気持ちよくすごせる日数はそれほど多くない。汗かぶれをしやすくて、虫が好きじゃなくて、花粉症の私にとっては5月はとっても過ごしやすい月なのだ。
日本は四季があって、春夏秋冬いずれも気候は温暖で過ごしやすく……といってオリンピックパラリンピックを誘致して、よりにもよって日本で一番過ごしにくい7月末からの開催にしたことに対して、呆れたり憤っていたのはつい数ヶ月前。来年もはっきりいってオリンピックパラリンピック開催は厳しいだろうなあ。
なんてことを考えながら、また早朝に公園まで太極拳道場へと急ぐ。朝7時前にすでに気温がぐっと上がって初夏の陽気。早足で25分歩くと公園に着いたときには汗がじんわり。
公園のいつもの場所に到着したら、先に来ていた大柄な白人男性が縄跳びを始めたので、やむなく場所を移動した。気にしなければいいかもしれないけれど、たとえ5メートルくらい離れていたとしても、マスクをつけないで、荒い息をはっはっと口からはかれる人がそばにいると、頭の中に「マイクロ飛沫が飛び散っている図」が浮かんでしまってどうもいけない。
COVID-19感染防止に、マスクをつけるとどのくらいの効果があるのか、ということについては諸説あって判断がつかないのだけれど、緊急事態宣言が出されているいま、「マスクをしないで外出する」ことは社会に不安をよぶ行為だと私は思ってしまう。いくら屋外とはいえ、マスクをしないで公園にやってきて、呼吸も荒く運動することに対して、無神経という以上に暴力を感じる。
決して密集ではないにせよ、マスクなしで公の場所である公園や道路を歩いたり走ったりすることは、少なくともこの時期にはやめてほしいと真剣に思う。マスクは手に入れようと思ったら、最近はそれほど苦労せずとも入手できるようになっているのだ。
朝7時前に家を出て、できるだけ人とすれ違わない道を選んでいても、今日は往復1時間弱で38人もすれちがった。うち、マスクをつけていない人が13人、3分の1近くもいた。男性11人、女性2人。男性のマスク未装着の人の大半が高齢者だった。たぶん「早朝だから人はそんなにいないだろう」というのでマスクを付けなかったのかな。せっかくのいいお天気にもかかわらず、マスクのあるなしを数えながら歩いてしまう自分がほとほといやになる。

夕飯はうなぎ(!) ポテトサラダ、五目豆
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(朝6時すぎだと、人影はまばらだけれど、それでも3分歩くごとに誰かとすれ違います)

5月2日(土)
昨日の「マスクしないで縄跳びをする男性」に嫌気がさしたので、思い切って集合を6時30分にした。遠回りして、できるだけ人とすれちがわずにすむ道を行こうと6時前に家を出た。それでも結構な人が走ったり散歩したりしている。みんな早寝早起きになったのかな?
大学入学で実家を出て以来、私は「健康的」とされる生活習慣がなかなか実践できないできた。夜更かしも徹夜もしょっちゅう。徹夜しちゃったあと、寝だめといって週末に12時間寝ちゃったりして、昼夜逆転生活を送ったり。
たまに思いついたときにしか運動しない、運動するとなったら極端にしまくって怪我をする。
子どもたちの健康には責任があるから食生活は野菜中心でまあまあだったけれど、自分自身は家庭でも(外でも)酒を飲み放題。
ダイエットをするとなると徹底してやり、数ヶ月すると飽きて暴飲してリバウンド。子どもたちが家を出てからは、夜に酒を飲みながら映画を見るのが最高の楽しみなんて生活をしていた。
ところが巣篭もり生活が始まってからというもの、私はこれまでの人生でもっとも「健康的」な生活をしている。
早寝早起き、食事は2食だけれど酒は缶ビール1本か飲まない。毎朝散歩して太極拳。
毎朝、検温して、体調をチェック。
おかげですこぶる体調がいい。なんだか後ろめたくなるほど元気だ。
どこも痛くないし、咳の一つも出ないし、お肌もつややか。
健康的な巣篭もり生活が可能なのは、医療従事者の方たちをはじめ、流通や小売の人たち、治安を守ってくれている人たちなど社会生活を支えてくださっている大勢の人たちのおかげだ。
だからせめて私ができることは、心身両面を自分で細心の注意をはらって管理し、負担をかけないようにすること。

夕飯はステーキ(!)ブロッコリ添え、五目豆、ポテトサラダ
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(あやめやしょうぶの季節です)
5月3日(日)
今日も暑いほどの初夏の晴天。早朝太極拳道場から帰宅したあとは、1日書道に励む。
黒田龍太郎さんという大好きな作家(というかスラブ系言語の先生で学者)の本「外国語の水曜日」の中に、外国語習得の秘訣はただひとつ「やめないこと」とあった。
やめないことが、実は一番たいへんでエネルギーがいる。
書道を始めて12年目。私の一番の目標は「やめないこと」だ。続けること、ではない。うまくなること、でもない。賞をとること、でもない。とにかく「やめないこと」。
やめることは簡単だ。書かなければいい。いいわけはいくらでも見つかる。
仕事が忙しい。疲れている。家族が問題を起こした。
もっとも都合のよい言い訳はこれ。「やる気にならない」
書道教室は緊急事態宣言が出て以来、おやすみになった。毎日書道展も中止だ。やる気はそがれている。
でも、週末がきたら毛氈を広げ、墨を作り、筆にふくませる。
字書を引き、ノートをとり、草稿を作る。
そこまでやれたら大丈夫。
一応、やろうと思っていたところまでやって、筆を洗いながら(→実は筆洗いがいやで「今週はやめとこうかな」とぐらつくことが多い)「ああ、今週もやめないですんだ」とほっとする。
書きたいと思ってやる時もあるけれど、どちらかといえば「やめたらいけない」と思って紙を広げることのほうが多いかもしれない。

夕飯は冷やし中華、(最後の)五目豆、ポテトサラダ(やっと五目豆が終わった)
(あの、ちょっとお聞きしたいのですが、パートナーが在宅勤務になって、毎日顔をつきあわせてご飯を食べるのって嫌になったりしないですか? 私は2週目でもういやになったので、週末の夕飯は別々に食べることにしました。夫は私が意図的に別々にしているとはまだ気付いていませんが)
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4月22日(水)
朝一番に生協からメール。今日配達される品物の欠品情報が届く。なんでも生協は3月下旬から注文が殺到して、かつてない異常事態だそうだ。欠品が多いのは残念だけれど、しかたない。ちゃんと決められた曜日に、注文した8割でも配達してもらえるのはたいへんありがたい。3日に1回の買い物にするように、という要請にも応じることができる。
今日は「フェミニズムってなに?」のつぎの原稿締め切りなので、朝食が終わるとPCの前へ。きのうまで取材したものを記録して、だいたいの構成を考えておいたはずなのに、いざ書き始めると、思ってみなかった方向に進んでいってしまう。結局、書き終わったら夕方で、文字量が約束の倍になってしまったので、まずは編集者に送って相談することにした。
頭がパンパンになったので、夕方、散歩に出た。花屋でボルドー系の取り合わせで花を買って帰る。カーネーションとしゃくなげ。カーネーションがとってもいい香り。
夕飯は前日の残りものをさらえることになってしまった。せっかく生協の宅配が届いたというのに。
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4月23日(木)
今日も朝から太極拳。「脚の内転筋を使う」ということを師匠にしつこいくらい言われるのだけれど、どうしても外側の筋肉に頼ってしまう。内転筋内転筋と繰り返しながら1時間半のお稽古。
午後はまた原稿の仕上げ。
夕飯はイワシのパン粉焼き、プロシュートとサラダ
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4月24日(金)
以前から朝と晩の1日2食にしている。朝ごはんは豪華、というか大量だ。卵料理、サラダ、野菜スープ、パン、コーヒー、そして果物のヨーグルトかけ。朝、たくさん食べてしまうから、昼におなかがすかなくて、空腹をおぼえて時計を見ると夕方5時とかいうことになり、大量に夕飯をつくることになる。そして夕飯をたいらげたら、朝までおなかがすかない。この食生活がいいかどうかわからないのだけれど、「空腹になるまで食事をしない」ことを基本にしていたらこうなった。
夜、大久保圭の漫画「アルテ」を読み始めたらとまらなくなった。ルネサンスのイタリアで、画家を志した女の子の話。貧乏貴族の娘で、父親が早くに死んでしまい、嫁にいくしかないと言われたものの、一人で生きていく力を持ちたいと家を飛び出して、苦難を乗り越えて画家職人になっていく(まだなってない)という、実に私好みのストーリー。女だから、貴族だから、職人画家として認められるのか、とつねに悩みながらも、絵に没頭する。
夕飯はさわらの塩麹漬け、うどと人参のきんぴら、肉じゃが、小松菜と油揚げのさっと煮、豆腐と油揚げの味噌汁
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4月25日(土)
またもや朝太極拳に。きらきらと若葉が輝く中での早朝太極拳はもう最高。ついコロナ禍を忘れて散歩してしまいそうになるけれど、だめだめと言い聞かせて急ぎ足で帰宅して朝食。
今日は半日ずっとビデオ会議。実際に顔を合わせての会議よりも、疲れた。たぶん慣れていないせいだな。
終わってから書道。
夕飯はきのうの残りの肉じゃが、きんぴら、小松菜と油揚げのさっと煮。 

4月26日(日)
冷たい雨が降り続く1日。今日も書道。半切作品を4種類。課題は決まっているのだけれど、どう書くかで悩むこと数時間。書いている時間よりも、あれこれ悩んで字書をひいている時間のほうが長い。
夕飯の支度をする時間がなくなったので、近所のイタリア料理店のテイクアウトを買ってきて、野菜をすこし足して並べたら、結構豪華なディナーとなった。
トリッパのトマト煮込みのピーマン炒め添え、羊肉の豆煮込み、生ハムの取り合わせ。
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4月27日(月)
最近、スマホの電源を必要なとき以外は入れてない。理由はまあいろいろとあるのだけれど、在宅で仕事をしているのであれば、PCとiPadがあればなんとかなる。スマホを切っていると、気のせいかもしれないけれど仕事がめちゃはかどる。ややこしい資料も集中して読める。外出している間は必要だけれど、家にいてiPadがあればスマホは必要なのだろうか?
そうはいっても朝起きたときには電源をいれる。今朝入っていたメッセージは「金曜までの締め切り原稿がまだ来ていませんが」……うううと焦る。週末書道にふけり、夜は『アルテ」を読みふけっていて、すっかり忘れていた。
というわけで、朝食後にすぐに取りかかって結局終わったらまた夕方だった。
 夕飯は野菜スープ、鶏肉のフライパン焼き(冷たいフライパンに鶏もも肉に筋を入れて塩胡椒したものを油を敷かずに置いて、アルミホイルをかぶせ、水をいっぱい入れたヤカンをおもしに置いて中火で焼く)、ポテトサラダ
 

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