Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

装う快楽

 ジムには一週間に一回は行くようにしているけれど(それが精いっぱい)、そのほかの日はパソコンにかじりついて仕事している毎日なので運動不足を感じるときがあります。とくに、すごく暑い、すごく寒い時期がおうちの人になってしまう。今日みたいに寒い日には、洗濯物を干すときとゴミ捨てや玄関周りの掃除をするとき以外、外に出たくなくなる。

 そこで、一日中座りっぱなしで仕事をしたときには、夜遅くなっても外に出て最低30分歩くことにしています。元気があるときにはトレーニングシューズをはいてこっそり走ります。歩くときは早足、走るときは遅足。(仕事で外出し、帰りに時間が余裕があるときには自宅まで歩くことにしています。ハイヒールを履いていて帰りに歩くつもりなら、駅のロッカーに長時間歩いても平気なシューズを入れておくことも)

 歩くことはもちろん健康にいいとかあるんでしょうが、私の場合、ちゃんと考える時間がとれることが一番のメリットかな。歩いている時間はメールも見ないし、ましてやPCも見ないので、ある意味で「情報遮断」ができます。そういう時間が現在の私の生活の中ではとても貴重です。歩き始めてわかったのは、私が普段の生活でいかに考えていないかってことです。情報を消化することはしているけれど、考えることはしていない。それに気づいたのは歩くようになってからかな。

 よく「歩いているんです」というと「ああ、散歩ですね」とか「ウォーキングですね」と言われるのですが、なんか私の場合ちがうような気がします。なぜなら散歩している人のようにまわりの景色を楽しむわけでなし、ウォーキングのようにひしこいて歩くのでもない。危なくない程度にまわりは見ますが、景色を見たりはまったくしていない。だから街のにぎわいも季節のうつろいもあまり感じていません。何キロ歩くか、またどれくらいの速度で歩くか、なんてことも決めていません。考えることに疲れたり飽きたりしたらそこから帰る。(お、なんかかっこいいこと言っているなあ、私。てれてれ)

 何を考えるのかは......一応、そのときのテーマっていうのがあるのですが、ちょっと恥ずかしいから非公開です。

 一時間程度歩く(30分ほど走る)と、肩こりが治る、という効果もあります。歩きなれてくると歩くことが億劫でなくなるので、タクシーはもちろん、電車さえも乗らなくなって交通費が節約できる、ということもあります。

 ただ、問題はシューズです。ほんと、はくものをなんとかしなくっちゃ。

 今年も「グラマラスライフ」をどうぞよろしくお願いいたします。

 お雑煮を食べて、年賀状を拝見して、初詣に行って、国立競技場であったかいスープを飲みながら村上春樹を読んで、一人天皇杯決勝を観戦です。

 今年こそ、少しスローペースで生活したいけれど、こりゃ無理かな(とほほ)

ガンバ大阪 2-1 浦和レッズ

得点者:遠藤、宇佐美(ガンバ) 宇賀神(レッズ)

 

 終わってみると「順当に勝った試合」と言えますが、90分では終わらないだろうという予感はしていたし、それ以上に接戦になるだろうという予想は見事にあたりました。

 とくに前半は両チームともファイトする気持ちが出たとてもおもしろい内容だったと思います。ミチのクロスバー直撃シュートまでの流れなんて、再現映像で見てもうっとり。イグノがようやくガンバのサッカーになじんだかな、という感じがしました。ルーカスのスペシャルぶりは言わずもがな。

 ただ......隣で観戦していた人が「おもしろい試合だ。おもしろくなかったら凍死しそうだ」とぼそっとつぶやかれましたが、そのとおり、初雪が強風に舞う万博で、試合内容が寒かったがきっとその場で何人も凍死者が出たことでしょう。

 ゴールは浦和の宇賀神選手のものもふくめて、3点ともビューティフルでした。ヤットのFKなんて鳥肌たったもん。宇佐美選手のGOALは3分の1がルーカス選手の、3分の1が下平選手のGOALっていってもいいくらいの価値あり。意図あるパスがGOALにつながるのって見ていてほんと楽しいですね。

 ヤットがやる気満々で、そういう鬼スイッチが入ったときって必ずイエローもらってしまいます。準決勝は出停。帰りに寄った避難所(別名:居酒屋)のお兄さんが「いいじゃないですか。ゆっくり休んでもらって正月の決戦でがんばってもらいましょう」と楽観的かつ鋭い指摘をされておりましたが、それを信じることにしましょう。ヤットがいないから、緊張感を持って試合にのぞめるでしょうし、誰を起用するにせよ「しっかりした守備から入る」というゲームプランは崩れないでしょうし。

 29日は準決勝がエコパであります。

 大掃除という言葉を2009年に置きっぱなしにする予定の私は、もちろん参戦ですよ。

 その勢いで今日中に年賀状を完成させようと思ったら、新バージョン筆ぐるめがまったく役立たずですでに放棄しそうになっています。お金を出したパッケージソフトが使い物にならんっていったいどういうことよ。ええ、もちろん、会社に問い合わせをしましたが、旧バージョンでやるしかないようないやな予感がします。カネ返せってこういうことですね。ぶつぶつ

 仕事だけでなく、ふだんの生活や趣味においてもインプットとアウトプットはとても重要です......と私は思っています。たくわえた知識や情報や人脈を食いつぶしていくようでは、この忙しい時代にあってたちまち何もかも立ちいかなくなってしまう。つねにインプットし、それに応じてアウトプットするものを新しくしていくことが大事なんだ、と思います。......ただ、それはなかなかエネルギーのいること。つい既得権益、既得能力にしがみつきたくなるのは世の常人の常。自分の強みを持て、とか仕事ではよく言われますが、きのうの強みは明日の強みではまったくない、ということを自覚しておかにゃならんのですよね。

 ガンバの(そして日本代表の)大黒柱、遠藤さんが「明日やろうはバカ野郎」という名言(迷言?)をはかれ、聞いたときには笑って「ヤット、何を言ってるんだ!」とか思ったけれど、よく考えるとものすごく含蓄がある、しかも現代にぴったりの言葉です。

 今は一流だ、名手だ、売れっ子だ、とおだてられていても、今日やることをやらないと明日はバカ野郎になっちゃうんだよね。(サッカーのチームを見ているとそれは強く感じます。昨年うまくいったから、今年も同じことをやりますっていうんじゃダメだってことをいい加減気づいてほしいガンバさん。いや、そんなこたぁ私がどうこういうことじゃないが。)

 ということを身につまされて考えている年の暮れ(おい、もう総括かい!)

 私は老い先が短いので(そんなことを言う人間にかぎってずるずる生きてしまいそうでこわいが)、今日やれることをやっておかないと、明日にはいろいろな事情でできなくなってしまうかもしれません。

そんなに忙しいのに何も今やらなくてもいいじゃない? 少し余裕ができてからやったら? そんなに無理することないのに。少しのんびりしたら? はい、しょっちゅう言われるし、自分の心のからもそういう声が聞こえてきます。誘惑です。

 でも今やりたいと思ってもやらないことは明日もやらないし、たぶん死ぬまでやらないでしょう。

 今インプットできることをしっかりインプットし、時代の流れに即したアウトプットをたえず考えていくことで、生きているという実感(手ごたえ)がつかめるんじゃないか、なんて大げさなことまで思っています。

 何が言いたいかというと、鬼に笑われようが、周囲にあきれられようが、2011年にインプットしたいこと、アウトプットしていきたいことを考えて、計画を立てちゃってるんですよね。楽しいなあ、計画を立てるのって。

 あと3週間で今年もおしまい。

 ケジメをきちんとつけて、来年を迎えたいです。

 いやはや、11月中はもう必死でありました。前も書いたとおり、11月末日締切が2冊。1冊書きおろしのほうは本著者(っていう言い方あり?)に先週原稿を渡してチェックを依頼中。で、訳書のほうを昨日入稿しました。ぱちぱちぱち。途中で何回も頭をよぎったのが「どうしても無理なので、1週間締切を延ばしてください」という言葉。でもそのために電話をしたり、メールを書いたりする時間さえ惜しくて、キーボードをたたき続けましたよ。最後のほうは鬼だった。いや、自分の形相が。

 振り返ると、昨年の12月24日に「ワールドカップ開幕1ヵ月前までに出版しましょう」という本を(うっかり)引き受けて以来、昨日まで、追われ続けた日々でありました。

 とか書いたら編集者から「まだまったく終わっていない」とツッコミが来るでしょうが、いいんだ、とにかく入稿したんだから。

 いろいろと不義理をしっぱなしです。すみませんです。

 で、タイトルのこと。

 最近、電車に乗るたびに気になって仕方ないことがあります。そういうことが気になること自体、自分が年よりになった証拠なんだと思いますが、年よりには年よりの果たすべき役割っていうのがあるんだろうな、と思うのでちょっと言ってみます。

 それは「優先座席になぜ若い者が座っておるのか!」ということです。

 とくに高校生。男子も女子も制服着て、混んでいようがすいていようが優先座席に荷物を置いてドカンと座り、友だちとぺちゃくちゃ、ケータイかちゃかちゃ。ええいっ! あんたら優先座席をなんと心得るか! 

 あたりまえですが、そういう若者たちはお年寄りや赤ちゃん連れやおなかの大きい女性が来ても微動だにしません。視野に入っていないんですね。若者の視野は前は半径5メートル以内だと思っていましたが(そのときも怒っていた私)、今はなんと30センチです。しかも半径じゃないぞ。携帯電話か鏡から自分の眼球の点と点を結ぶだけ。

 一番ひどいのは優先座席を独占している小学生軍団ですが(それも午後4時ごろにうっかり電車に乗ると必ず見かける。とくに文京区あたりの有名小学校は、親が子供のランドセルを持って優先席に座らせていたりする)、普通の座席でも年よりや赤ちゃん抱っこのお母さんを押しのけて走って座る若者ってどうなん? 

 私はおせっかいババアなので、自分が座っていてお年寄りや赤ちゃん連れママが来るとそそくさ立って席を譲ります。なんだかいたたまれない気持ちになってしまうから。しかし、最近は席譲りはときには危険行為にもなります。先日、某田園都市線の混んだ車内で、少し離れたところに赤ちゃん連れママが立っているのを見かけたので、立ち上がって呼びにいこうとしたその瞬間、目の前に立っていた男性(30代サラリーマン風)に座られてしまったのです!。ええ、もちろん私は「席を譲ろうと思って立ったんですけれど」と言って立たせました。そしたら男性は不機嫌きわまりない顔で「ちっ」と舌打ちし、座席を蹴って人を押し分け、どこかに行ってしまいました。たぶん気まずかったんでしょうが、赤ちゃん連れママも私もその男性の様子に少し顔色が変わりました。よけいなことをしてしまった、と反省したけれど、あとから「なんで席を譲ってこんな危険を感じなくてはならないのか」とさびしかった。

 昨日はまたまた某田園都市線が人身事故でしばらく不通になったところに行き合わせたら、駅員の胸倉をつかんで文句を言っている男性(30代サラリーマン風)を見かけました。駅員のせいじゃないし、たかだか20分ほど止まっただけで何をそんなにいきどおっているのかと見ていたら、最後に電車を蹴ってどっかに行ってしまいました。

 たぶん私は田舎もんなんだと思います。田舎のコミュニティになれちゃってるんだろうな。田舎じゃそんなことやったら暮らしていけんし。

 都会は日増しに余裕をなくした人が増えているんじゃないでしょうか。

 別に席を譲る件だけでなく、ほんのちょっとした思いやりっていうのか、まわりを見る余裕がなくなっている感じがして、索漠たる気分です。

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