Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

装う快楽

VS浦和戦のこととか、「今週のひとこと」とか、ブログの原稿はたまっているのですが、いま締め切り前の切羽詰まった状況プラスお盆帰省でものすごく疲れた、ということもあり、まともな更新ができません。

ああ、あと一息。

クーラーなしで過ごせる8月って、なんだかとっても久しぶりです。

仕事もはかどる......というわけにはいかないのが困ったところですが。

今日は取材で清澄白河にあるヨーガン・レールの本社へ。

そこにあるショップ、ババグーリ(インドの言葉で瑪瑙の意味)で取材後るんるんお買い物をしました。

まずは、器。緑の色があまりにきれいで、一目ぼれ。ウリときゅうりを塩もみして昆布だしにつけたのを盛ってみました。

その下のランチョンマットは、ラオスの手紬手織りのハンドタオルだそうです。でも色と風合いがとてもすてきなので、ランチョンマットにしてみました。

奥のお茶碗は、今年の九州旅行で買い求めた唐津焼です。手前の箸置きは何年か前にいったベトナムで、10個で300円くらいだったもの。お箸は忘れたんだけれど、10年くらい、毎日とても気に入って使っているもの。

babaguri(2).JPG

そして大物はラグ......のはずだったのだけれど、ソファカバーにしようと購入。これもショップの壁面に飾ってあって、ずーっと気になっていたもので、えいやっと購入。

babaguri(3).JPG

いい感じです。

肌触りもいい。使いこむと味が出そうです。統一感なく、ただ気に入ったものを買い足しているクッションにもあっています。

生活のなかで気に入ったを使うと、目にするたび、使うたびに幸せになります。

こういうのって大事な気がします。小さいことなんだけれどね。こういう雑貨(?)を購入すると、すぐに気づいて「いいねー」と言ってくれるのが娘です。めざとい。でもって評価も的確。たぶん私の趣味が受け継がれているのだ、と思いたい。

話変わって。大原麗子さんが亡くなられました。私は、大原さん主演のTVドラマを浴びるように、飽きるほど見てきました。すごく好きな女優さん、というわけではなかったけれど、一つの記号として刷りこまれているかな。「獅子の時代」の大原さんが一番好き。

それはともかく、なぜ一人で亡くなられて、死後2週間で発見(?)されたのが、「かわいそうな孤独死」ってことにされるのでしょうか?

私は、いさぎよいな、と思いました。

本当のところはどうかわからないけれど、おひとりさまの迎える死、そしてかわいくて強い女、を通した女優さんの死、としては、よかったんじゃないでしょうか。たぶん。ご本人の気持ちはわからないけれど。闘病生活を送っていらして、リハビリに一生懸命だったそうだけれど、でも、毎日の生活を誰かの世話になることなく一人で買物に行ってごはんつくって、ある意味気ままに生きていらして、(たぶん自分の稼ぎで建てた)邸宅のなかでひっそり亡くなられる。他人が「かわいそうだ」というのはどうか、と思います。

できれば私も誰かの世話にならず、じたばた大騒ぎせずに、一人でひっそり逝きたい。けれど、そうはいかないだろうなあ......といつものため息。 

朝、窓をあけるとひんやりした空気が流れてきました。

あら? 今日から8月のはずなのに......と空を見上げると、今日もどんよりくもっています。

ま、涼しいからありがたいことはありがたいのですが、かーっと晴れた日が続きませんね。農家の方々や海の家は困ってしまうだろうなあ。

私は夏が本当に苦手です。7月に入るやいなや「あと何日がまんしたら秋が来るだろうか」と指折り数えて夏との耐久レースが始まります。ところが今年は「すでに夏バテ」と思ってから梅雨がまた始まって涼しくなり、復活していまにいたっています。2日暑くて、3日涼しい。こういうほうがありがたい。今年は無事に乗り切れるかな。

去年は体調を崩して、青息吐息だったのですが、今年は頚椎炎にもならず、おなかもこわさず、8月が迎えられました。ありがたや。

今年はもう夏休みが終わったので、このまま一気に年末まで走るぞ!(いや、ランニングではなく、仕事のことです)

 

ところで、夏休み、というか、いろいろあって、韓国の済州島にいってきました。世界遺産が3つもある、とかいう観光名所&人気リゾート、というふれこみ。

ところが......え??? これが世界遺産、とみんなで立ちすくむこと3回。

リゾートはちとしょぼかったし。海はどどどーんとあれまくりだったし。

私は例の如くおなかこわしたし。(韓国料理がどうしても合わないらしい。好きなんだけれど。何を食べても、必ずおなかをこわす)

ちょっとショボイ夏休みでした。

夏休みで学んだこと:ガイドブックと世界遺産は信じてはいけない。

「成人」の年齢を18歳に引き下げる、ということが論議されているそうです。

新聞記事を読んでいて、毎回年齢に関して書かれている(論議されている)ことについて感じるいらいら、みたいなものを感じました。

そもそも「成人」の責任と自覚とは何を意味しているのか?

18歳と20歳のそのちがいは、いったい何?

18歳ならば十分に自立できる、といっているが、それなら自立の定義は?

そこが見えてきません。

18歳はいろいろです。20歳はもっといろいろです。大人への、そして自立した責任ある社会人への道筋は多様化しています。っていうか、55歳(私だ)でも「自立」した「責任ある大人」の自覚は本当にあるのだろうか?

それはともかく、年齢をあまりに後ろ向きにとらえすぎていないか? とそこが苛立たしい。

それは、「65歳以上の後期高齢者」とか、「40代以上の中高年の自覚」とか、「アラサー女のむなしい抵抗」とか、「20代の若者が元気がない」とか十把一絡げにし、しかも否定的かつ自虐的にとらえる書き方と共通しています。

つまり、年齢がとても否定的にとらえられている。

どの年齢においても、いいことがないみたいです。

せっかく選挙権がもらえるというのに、18歳が「ああ、もう18歳だ。やだー、成人だ。自立しろとかうざい。ああ、年とっちゃったよ」とか平気で言ってしまいそうです。

ええ、ええ、超ポジティブな私はですね、いまの自分の年齢がとても気に入っています。

50代は以前にとらわれていたいろいろなものから自由になれて、なんというか、人生の盛り、というのを実感しています。いま70代の終わりと80代のはじめの両親にも言われます。「50代は背負う責任の重さが楽しめる時期」ってね。

さて、暑さにめげず、今日もがんばろー!

いま、NHKで子どもの足が変化している、という特集があった。

実は我が家で私と次女が、いわゆる「バカの大足」である。

甲高段広、という足。やたら幅が広く、しかもごっつい。最近の傾向に反した古代人の足。

次女は中学1年のとき、体育館用のバレーシューズみたいな靴を買うにあたって、最大サイズだった24・5センチがどうしても入らなくて泣いた、という出来事があった。

私も長く「合う靴があったら、値段、デザイン関係なく買う」ことを20歳のときから自分に課してきた。だって、合う靴がめったになかったんだもん。

ところがありがたいことに、最近は海外から大きなサイズの靴が安く輸入されるようになってきたし、おしゃれで大きい靴もずいぶん出てきた。以前は男物をはいていた次女も、最近ではヒールの女っぽい25センチを見つけている。(25センチをばらすと怒られるかな?)

今日、テレビ番組を見てて、幅広の大きな足は別に異常ではない、とわかった。むしろ、そのほうがいいみたいだ。よかったよかった。次女に言ってあげよう。

 

今週はずっと、英国のサッカーのダービーマッチについて、サッカー記者が書いたノンフィクション「ライバルズ・ゲーム」の校正をしていました。訳しているときもおもしろくて興奮したけれど、校正していてもおもしろい。サッカーの話だけでなく、「地方」VS「中央」の関係、そして各地方の特徴をいかにサッカーで表現するか、を描いているのが興味深い。

9月、白水社から刊行です。サッカーに興味がある人はもちろん、地方行政に興味がある人にもきっとおもしろいはずです!

どうぞよろしく!

 

↑このページのトップヘ