Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

読む快楽

 今年は「ブログを続けてきてよかった〜〜」と思う出来事がたくさんありました。
 まず、書道展にブログ読者の方がいらしてくださったことにはびっくりして、とても嬉しかったです。またブログ読者の方からメールをいただいて、本の情報を交換したり、先日はガンバサポの方と2回もお目にかかって、なんとなんと、ガンバカラーのすてきなニット帽をいただいたり、もう嬉しさを通り越してぶるぶる震えるほど感動しちゃいました。
 ほかにもブログで紹介したドキュメンタリーを見ました、と顔見知りではないかたからメールをいただいたり、拙訳書を購入しましたと感想を送ってくださったり、昨年CONIFAの年次総会で訪れたポーランドの旅日記を読んでポーランドに行きましたとおっしゃる方がいたり、ほんとブログ主名利につきます。
 
と、いきなり話題が変わりますが、今年読んだ本(今年出版された本ではなく、私が読んだ本です)でおもしろかった本をあげておきます。順不同。

「感染症と文明——共生への道」
山本太郎著 岩波新書
「21Lessons 21世紀の人類のための21の思考」
ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社
「誓願」
マーガレット・アトウッド著 鴻巣友季子訳 早川書房
「アシガール」
森本梢子
「フェミニズム 」
竹村和子著 岩波書店
「存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く」
キャロライン・クリア度=ペレス著 神崎朗子訳 河出書房新社
「マンガ 認知症」
ニコ・ニコルソン/佐藤眞一著 ちくま新書
「エクソフォニー 母語の外に出る旅」
多和田葉子著 岩波文庫
「健康・老化・寿命 人といのちの文化史」
黒木登志夫著 中公新書
「アルテ」
大久保圭

来年もたくさんの楽しい方々とお目にかかる機会がありますように(リモートでも!)
来年もたくさんのおもしろい本や映画に出会えますように!

今年もブログにお越しいただきありがとうございました。
みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
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(やはり作ってしまいました、おせち)

 下の子が高校を卒業して朝のお弁当作りから解放されたとき、やれやれ、これで朝ゆっくり起きられる、と思って心底ほっとしたのを覚えています。それ以来、ずるずると深夜まで起きて本を読んだりテレビを見たり、ビールを飲みながら録画しておいた映画を見てからようやくベッドに入り、そこからまた本を読んでそのまま朝の雀の声を聞いて眠るとか、こと就寝と起床に関してはめちゃくちゃな生活を送ってきました。
 それが今年は一変し、いきなり早寝早起きの元子さんになったのです。原因は3つ。1つは認知症が進行した母が昨年から早朝深夜を問わず電話をかけてくるようになり、「夜は電話をしてくるな」と対面で言い聞かせても、電話で怒鳴っても、手紙で切々と訴えても、夜中の2時3時、時には早朝4時5時から電話が鳴り響くようになり、ついにケータイも家電も夜は電源を切るようにしたことです。2つ目に、新型コロナウィルスの感染拡大で外出が制限される中、人とあまり接触しない時間帯に体を動かしたいと早朝に公園までウォーキングして太極拳をし、帰ってきてからゆっくり朝食をとる習慣がようやく身についたためです。 3つ目は、言うまでもなく、年寄りになったからです。何で年寄りはあんなに朝が早いのだろうと思っていたら、今は自分が年寄りになってよくわかるようになりました。幼児と同じで、お天道様に合わせた体内時計になっちゃうんですよね。
 夜10時〜11時に電話がかけられる機器の電源を切り、朝6時まで入れないことが習慣になると、電源切った途端に眠気が襲ってくる、というのはどういうことなのでしょうか?電子機器というのは、やはり現代人の睡眠に何らかの影響を与えているのかな?
 早寝はともかく、早起き(最近は5時に起きてしまう)になってこれまでまったく気がつかなかったいろいろいろいろなことに気づき、敏感になりました。
 1つは、音です。 
 早朝、人が活動を始める前に鳥や虫が早々と活動開始して、しかも日中よりも気のせいか活発に鳴き交わしていることに気づきました。朝目が覚めて、ベッドの中でセミや雀やよく知らない鳥や虫の声を聞いていると、大げさですが、そうかこの世界では人間も生き物の一つにすぎないのだなあということを実感します。生き物の声だけでなく、風や雨の音も早朝ははっきりと聞こえて、その日のお天気が予想できます。
 2つ目は、光です。
 日の出時刻が6時すぎになった今でも、明け方には夜の闇とは異なり、かと言って太陽が昇ったあととは異なる光があるのだ、ということにこの年まで生きてきて初めて知りました。 そして、私は夜から朝への移り変わりを示す光が割に好きです。というか、その光を見るとほっとします。自分自身も含め、さまざまな存在を主として視覚情報に頼って認知している私は、闇はやっぱり怖いのです。
 早寝になると、ベッドタイムの読書の楽しみが味わえなくなったのですが、代わりに早朝ウォーキングから帰ってきてコーヒーを飲みながら読書するようになりました。電灯の光のもとで読むのと、朝の太陽光のもとで読むのとでは、作品から受ける印象が大幅に違って(個人的な感覚に過ぎません)、そこがちょっと残念ではあります。でも読む本の種類は変わってないような気もするので、ま、いいか。
 ここ数日読んでいる本は「誓願」(マーガレット・アトウッド著 鴻巣友希子訳 早川書房)、「辻征夫詩集」(岩波文庫)。アトウッドの「請願」は「侍女の物語」の続きなんですが、朝の光の中で読むと侍女の物語よりもぐっとディストピア感が薄れて、希望の物語に思えます。
 

Amazonで本を購入するのをやめてそろそろ2年。本屋に行く時間がなくて、でもどうしても読みたい本があるときにはまず図書館で検索し、本屋をまわり、それでもなかったらやむなくhontoを使うことにしています。
なぜならAmazonからのおすすめがわずらわしくて、かつ評価マークが信用できない、と思っているから。もちろんhontoもおすすめしてくるけれど、せいぜい同じ著者の新刊だったりするので、まあ許せる。でもAmazonが薦める本はひねりを入れて来て、しかも「うーん、そこですか?」という球を投げてくることが多いのです。それ以上に「その本だけは薦めてほしくなかった」ということがあって、私が嫌いで読みたくないと思う作家や学者の本を、売れているからというだけで薦めてくるのがいやでした。
Amazonでの購入をやめて2年経ち、ようやくおすすめメールがこなくなってほっとしています。プライバシーに踏み込むな、とかいう以上に、勝手に私の読書傾向を判断してくれるなよ、私がその本をAmazonで購入した動機をAIが判断した、とか言うのだったら、AIあんたは間違ってる、私の意図と動機をあんた(AI)が判断するのは50年早い〜〜〜という腹だたしさのほうが先に立ちます。
それはともかく、私はベストセラーをあえて読まないと決めてから25年がたちます。きっかけは「失楽園」でした。日経朝刊の連載小説だったときにはときどき読んでいたのですが、うーん、神経が逆撫でされるというか、「女を馬鹿にしとんのか!」と怒りがこみ上げるというか、とにかく嫌いだったのです。ところが超ベストセラーになり、え? 何それ? と裏切られたような気持ちになって以来「ベストセラーには手を出すのをやめよう」となったわけです。
本だけでなく、テレビも視聴率が高い番組は意図的に見ないし、映画も観客動員数最高とか言われると見る気が一気に失せます。NHKの朝ドラを最後に見たのは1996年の「ふたりっ子」だったかなあ。「あまちゃん」の話題についていけなかったときは、ちょっとさびしかったけれど、別に見なかったことで困ったことはこれまでありません。紅白歌合戦も何十年も見ていないし、流行歌にもうとい。ラジオを聴くので、あれ?いまの歌、すごいいい! ということはときどきあって調べたりするけれど、それが流行っているかどうかまでは調べないです。
コロナ禍の自粛期間中にNetflixに入ってドラマや映画を見るようになりましたが、「愛の不時着」にはついにハマれなかったのは、たぶん「流行っているもの、みんなが見ているもの、おすすめされるもの」への忌避感があるからではないかと自己分析しています。
(ちなみに私がNetflixでずっとハマり続けているのが、イ・ウジョン脚本、シン・ウォンホ監督の一連の作品。「賢い医師生活」「刑務所のルールブック」「応答せよ、1994」「応答せよ、1997」です。賢い医師生活のシーズン2の公開が待ちきれません)
そんなこと言っていても、GAFAのAIマーケティングにいつまで私が抵抗できるのかはわかりませんが、とにかく「ベストセラーは読まない」「一番人気には手を出さない」「視聴率トップは見る必要がない」ついでに「いいね! とか星がたくさんついているものは疑ってかかる」ことをもうしばらくは続けていくぞ、と決めています。おもしろいもの、はまるものは自分で探す。それをしばらく座右の銘にしておきます。
(と思っていたら、日経朝刊にこんな記事がありました。そうかGAFAのマーケティングはこんな風に問題なんだ、とうなずいたので画像を貼っておきます)
 
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 外出自粛期間中に「孤独感に悩まされる」という高齢者の方たちからの声を聞いたので、「大丈夫よ」とか適当な対応してはだめだなと思い、本を読んでみました(→なんでもかんでも本に頼ってしまうのもどうかと思いますが)
「高齢者の孤独〜25人の高齢者が孤独について語る」
ビアギト・マスン&ピーダ・オーレスン編 ヘンレク・ビェアアグラウ写真 石黒暢訳
新評論
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福祉国で、世界一幸福な人が多い国と言われているデンマークの高齢者が語る「孤独」です。
読んでみて私が感じたのは「そうか、いくら福祉が充実していて、ケアも行き届き、コミュニティも緊密で、女性も自立しているところでも、高齢になると孤独を感じることが多いのだな」ということでした。
高齢者が孤独を感じるのは、どうやら場所と時代をこえて普遍的なことらしい。平均寿命が短かった時には、孤独を感じる前に亡くなっていたのでしょうが、人生100年時代、孤独への対処は大きな課題となっています。
そして高齢者が感じる孤独の原因も、平均寿命が80歳を超えるような国では共通している、ということがわかりました。

本書を読み、かつ私のまわりで孤独感を訴える高齢者の話を聞いて感じる高齢者の孤独の原因を、一番多いものから3つ挙げます。
1)仕事からリタイアして、社会的役割を失う
仕事のなかには育児や主婦業やボランティアなど、金銭を得ることを目的とした仕事以外のものも入るのだけれど、「収入を得ていた自分」の誇りと自信を失うことのほうがダメージが大きいようです。上手に仕事の第一線から引退していくことも必要だけれど、ほそぼそでもいいから社会的なつながりを持ち続けることも重要だと感じます。

2)転居する
子どもたち(圧倒的に娘)家族がいるから安心ではないかと、高齢になってから引っ越しをした人のかなり高い割合が孤独感に悩まされ、ひどい人は鬱になってしまう。とくに70歳を超えたら引越しなどせずに、住み慣れたところで暮らすことがいい、ということがわかりました。でもって私が驚いたのは、20歳くらいで離れた故郷(たいてい田舎)に戻った人の大きな割合が、孤独感から鬱になっていることです。50年も離れていたら、もうそこは帰るべき場所ではないってことですね。いくら実家に何回も帰省していたからって、そこは住むべき場所ではないということか、とさとりました。

3)家族や親しい友人を失う
これは高齢になればいたしかたのないことですが、親しい人が逝ってしまって感じる孤独はなかなか癒されないものらしいです。

そしてこの本には孤独をこうやって癒している(癒した)という話も出ていて参考になります。孤独感がふっと薄れていく、もしくは孤独とともに生きていく覚悟ができるときというのがあるのです。人によっていろいろですが、似通っていることもある。これは3位から挙げてみます。

3)自分もまだ人の役に立つことができると実感する。
一番わかりやすいのは、共働きの娘夫婦のために育児や家事の手伝いを定期的にするようになり、かつ時給をもらうことで自信を取り戻した、という人の話です。親子といっても金銭でサービスを提供することで、高齢者はずいぶん救われるみたいです。
ほかにも高齢者施設に入って自分よりももっとからだが不自由な人がいることを知り、その介護を少し手伝うことで張り合いが出た、とか、教会の清掃ボランティア(でも少しお礼をもらう)をするうちに癒されていったとかありました。

2)孤独を言語化して、適切な専門家に相談する
「孤独だ」「さびしくてたまらない」ということを誰かに打ち明けられたら、もうその段階でかなり孤独感から抜け出られている、そうです。まずは勇気をふるってカウンセラーなど専門家に相談すること。でも家族とか友人では安易な同情の言葉をかけられたり、叱責されたりするからかえってよくない。できれば自分の孤独についてSNSなりに書くのもよし。「こんなこと書いて弱い人だと思われるのではないか?」「みんなにうざがられて友人がいなくなる」という心配する人がいるけれど、それは杞憂で、同じように悩んでいる人から解決の手がかりをもらうことも多い、というのは、なんとなくわかります。

1)ささいな日常のできごとをたいせつにする
「孤独感がやわらいで、少しずつ立ち直っていった」と多くの人が語るきっかけは、日常のほんのささやかな出来事です。「朝起きたら晴れていて、ベッドに朝日がこぼれているのをみて生きていく元気がわいてきた」とか「飼っている犬の世話をしていることで癒されている」とか「庭の花が枯れそうになっているのをみて水やりしながら、まだ私は必要とされていると思った」とか。
もしかすると朝日や犬の世話や庭の水やりができるくらい元気を取り戻したから、それがきっかけと思えたのかもしれません。でも、日常の小さなことをたいせつにすることが、陥った孤独感から立ち直るきっかけを与えてくれる、ともいえます。

Go Toトラベル・キャンペーンをめぐってのすったもんだとか、クルーズ船の旅行は当分できそうにないとか、高齢者のための楽しみ(と高齢者による経済効果)がコロナ禍でどんどんと失われていきます。旅行に行ったからといって、高齢者の孤独が簡単にいやされるとは思えないけれど、でも旅行にいくという楽しみがあることで、張り合いが出ることはあったでしょう。
そんな中で、「日常のささやかな出来事に喜びを見いだせるか」ということが、これから高齢者が孤独をあまり強く感じないで生きていくための指針になるような気がします。それが「新常態」を生き延びていくための力にもなる。そう自分に言い聞かせています。

 今日はJ3ガンバU23vs讃岐FCで、いま試合やっています。DAZNを休止中で、来月、J1再開から休止をやめてまた始めようと思っているので、試合が見られていません。どきどき。

 それはさておき、J1再開までに巣立ち日記を終わらせるつもりでいます。もうそろそろ巣立たないとね。とはいうものの、いまだに東京は感染者の数が増え続けていて、私は都心をのしのし歩いたり、居酒屋で気炎をあげたりする気にはなれません。関西にいくのも「もしも私がウイルスをばらまいてしまったらどうしよう」というのと、新幹線に乗るのもこわいために、しばらくはガンバをパナスタで見ることも(心理的に)無理かなあ。

 新型コロナウイルスに関しては、感染の流行が終息することは近い将来には望めそうにないことがわかってきて、さかんに「ウイルスとの共生(symbiosisというのだそうです)」「ウイズ・コロナ」とか言われています。そして私の頭の中に「共生って、いったいどういうこと?」という疑問がわいてくるので、共生せざるを得ない相手を知ろうとこの数ヶ月で何冊か本を読みました。その中で、「ウイルスとの共生」をどうしたらいいのかということについて、ヒントを与えてくれた本を3冊紹介したいと思います。

『感染症と文明〜共生への道』
山本太郎著 岩波新書
『ウイルスの意味論〜生命の定義を超えた存在』
山内一也著 みすず書房
『免疫力を強くする〜最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ』
宮坂昌之著 講談社ブルーバックス

 まず、感染症とはいったいどうやって起こるのかが知りたくて手に取った『感染症と文明〜共生への道』は、東日本大震災の年に発刊された本ですが、今年、あらためて大きな注目を集め、岩波書店も増刷をかなりかけたそうです。(今年5月15日で7刷)
 感染症は文明の開始とともに人類とともにあり、何回となく歴史を変えてきました。14世紀のペストの流行でヨーロッパの人口が激減し、教会は権威を失い、代わりに国家が求心力を持つようになったとか、インカ帝国はスペイン人が持ち込んだ疫病で滅んだとか、インフルエンザの流行で第一次世界大戦が早めに終結したとかが有名ですが、そのほかの地域でも戦争ではなく(というか戦争の副産物として)感染症によって歴史が塗り替えられた例がいくつもあります。
 ホモ=サピエンスはもちろん、動植物が登場するよりはるかに以前からこの地球上に存在していたウイルス(そのあとに細菌が出てくる)は、生物と接触するとときに共生し、ときに感染症を引き起こします。ある地域の人は感染症の症状をあらわさないのに、遠方からやってきたヨソモノたちが突如発熱して死んでしまったりする。反対に元気な船乗りたちが遠方の島にやってきたら、島の人間の半分が重い病にかかったりする。ヨソモノとの接触の頻度がごく稀だった時代でも、感染症はその地の文明を滅ぼしかねない恐ろしさを持っていたのです。
 グローバル化によって大勢の人が短時間で地球上を長距離移動するようになった現代社会では、感染症はいつなんどきどこで起こるか予想もつかず、しかも今回のCOVID-19のように短期間に世界中に広まってしまいます。今後もコロナウイルスのような感染症はつぎつぎと世界を襲うでしょう。それではどうしたらいいのか?
 長年、世界各地で感染症対策に従事してきた著者は「根絶は根本的な解決策とはなりえない。病原体との共生が必要だ」と提言します。しかも「共生とは、理想的な適応ではなく、決して心地よいとはいえない妥協の産物なのかもしれない」というのです。真夏のマスクやソーシャルディスタンスをとることくらいならいいけれど、他の地域への移動はよほどのことでないかぎり禁止、ということもあるかも。もっといえば、「開発」のために森林を切り開いたり、深海探査をしたり、氷山を削ったり、そういうことやめたほうがいいんじゃないかな、と思いましたね。

『ウイルスの意味論〜生命の定義を超えた存在』を読んで、私はこれまで持っていたウイルス像が覆ったのだけれど、人類だってウイルスの全容を掴んでいないのだな、ということがわかりました。ウイルス研究は緒についたばかり。2010年代に入ってからも、細菌並に大きなウイルスが見つかったり、ウイルス同士で情報を交換していることが確かめられたり、高温低温や深海(高圧)という「まさかこんなところにも!」という場所でウイルスが発見されたりとそれまでの「常識」をくつがえすウイルスの姿が確かめられているのです。
 ヒトの体内には1キロくらい細菌がいる、というのは知っていたけれど、ヒトの細胞の中にはヒト内在性ウイルスHERVが9%もあるというのも驚き! 3000年〜4000年前にヒトの細胞に入り込んだレトロウイルスが感染力を失って潜んでいるけれど、何かの拍子に活動を始めるかもしれない、というのです。上橋菜穂子さんの名作『鹿の王』は、ウイルスの「攻撃的共生」という見方にヒントを得て書かれたものだとか。
 ヒト内在性ウイルスは人類にとってなくてはならない働きもしている、というのも驚きです。ヒトの胎児の胎盤にある合胞体栄養膜細胞というのは父親からくる遺伝子を持つ胎児を母親が異物として排除しないように、栄養素だけを取り込む働きをしているのだとか。そしてその細胞もHERVだというのです。ということは、私たちが生まれてこられるのは、ウイルスのおかげ、と言ってもいい。ヒトや動植物に病気を引き起こすウイルスはほんの一部で、ほとんどは「私らあんたたちとは関係ありません」とじっとしているのです。でもヒトの「資源開発」などの経済活動で、ヒトや動植物からすれば運悪く、ウイルスにとっては運良く細胞の中に入り込む出会いがあれば、そこで何かが起こるわけです。
 そしてやはりウイルスの世界的権威の山内さんもいうのです。
「現在、われわれの周囲に存在するウイルスの多くは、おそらくは数百万年から数千万年にもわたって宿主生物と平和共存してきたものである。人間社会との遭遇は、ウイルスにとってはその長い歴史の中のほんの一コマに過ぎない。しかしわずか数十年の間に、ウイルスは人間社会の中でそれまでに経験したことのないさまざまなプレッシャーを受けるようになった。われわれにとっての激動の世界は、ウイルスにとっても同じなのである
 言ってみれば、ウイルスさまが主である地球に、われわれ人類は新参者として居候させてもらっており、ウイルスさまとのつきあい方がわからないままに右往左往している、ということでしょうか。
 
 長くなってきたので『免疫力を強くする〜最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ』ついては簡単に。
免疫力をアップする、とちまたではさかんに納豆やヨーグルトやサプリメントを勧める「情報」があるけれど、免疫についてのトップランナーである宮坂先生に言わせると、食で免疫力アップはまったく望めないそうです。 
 結論から言うと、ウイルスとか異物が入ってきたときに、それっと素早く駆けつけて対処させるために、血流とリンパの流れをよくすることが肝心で、そのためには運動するしかない、とのこと。
 それと免疫力が強すぎるのも考えもので、異物でもないのに、自分のからだを攻撃して炎症を起こさせることでかかる病もあると言います。アトピー、アルツハイマー、花粉症なんかもそうだとか。ううう、私、風邪はめったに引かないし、病気にもかかりにくいので免疫力を誇っていたのだけれど、 花粉症などアレルギー疾患の宝庫ですよ。免疫が強いのも良し悪し。

 ほかにも読みましたが、結局この3冊かな。COVID-19と「共生」していくためのヒントとして、またあやしげな情報にまどわされない指針を与えてくれる本としておすすめです。

 というところで同志からメッセージあり!
 J3 vs讃岐戦、ガンバU23は3−2で勝利したとのこと! 唐山くん✖️2点、川崎くん(決勝点)おめでとう!! 

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