Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

読む快楽

新型コロナウィルス関連のニュースを日本だけでなく、世界のメディアで追いかけるのに忙しい日々を送っています。と書いたところで、いやいや、ちっとも忙しくしていない、何も生産的なことをしていないじゃないか、と突っ込む声が私の中から聞こえてきます。
でも、何も「生産的なこと」をせず、ただ不安を抱えて生活していくうちに「生産的なことなんてしなくていいんだ。むしろ、生産的なことを何もしないことが、危機を乗り越える上でたいせつなのだ」という声のほうが大きくなっていってます。歴史の転換点にあるいまを、「当事者」としてじっくり見て、じっくり考えることが、たぶん重要なのだと私は自分に言い聞かせています。
少なくとも私の中では、価値観が大きく変わりつつあります。でもその変化は、COVID-19の感染が世界に広がり、パニック状態になる前から始まっていました。
新自由主義を掲げて、イケイケドンドンで突っ走ってきたこの世界が、どこかで行き詰まって、一気に破綻してしまうのではないか、ということを、たぶん多くの人が予感していたのではないでしょうか。どんどん生産して、どんどん消費することを経済的「発展」とし、また物質的にもっと豊かになることを目的にして、それを達成した人を成功者として讃えるような価値観を、本当にすべての人たちが持っているものなのか? 「いまだけ、カネだけ、自分だけ」がよければ、ほかはどうだっていい、と思っている人たちばかりなのか。専門家でなくても、行き詰まりを予感していないのは、おそらく逃げ切り世代(私も一応入るけれど)か独裁的政治家くらいだったんじゃないでしょうか?
実際、地球温暖化による災害の多発や、富めるものと貧しきものの格差拡大など、破綻の予兆はありました。でも、それほど深刻に受け止められてはいなかった。「当事者意識」は実際に災害にあった人たち、もしくは格差の現実を突きつけられた人たちにかぎられました。
しかし、COVID-19によるパンデミックは、地球上のほぼすべての人たちに当事者意識を持たせたのではないでしょうか? いまは「アメリカが故意に中国でウィルスをばらまいた」というデマがとび、「アジア、とくに日本の対策が手ぬるい。クルーズ船の対応が問題だった」と非難の応酬になっていますが、そんなことを言っていられない状況が待ち構えているかもしれない。
そこでいまお勧めしたいのが、以下の本です。(以前からこのブログで何回か紹介しましたが、今こそ読むべき本になりました)
「災害ユートピア」
レベッカ・ソルニット著 高月園子訳 亜紀書房
災害時になぜ人は、困っている人に手を差し伸べるのか? 混乱のさなかに、理性的に秩序だった行動をとる人が多いのはなぜか? 
その反対に、なぜエリートは災害時にパニックを起こして、とんでもない行動に走るのか? 災害時の暴動は軍隊や警察官が引き起こす例のほうが多いのはなぜか? 
その「謎」をアメリカのアクティビストで美術史家、フェミニストのソルニットが、サンフランシスコ大地震、911、ニューオリンズを襲ったカトリーナ台風をボランティアで救援活動に訪れた経験をもとに解き明かしています。
最後の2つの章、「愛と救命ボード」「愛されるコミュニティ」はいま読むと心にしみます。 
人を信じ、人のために手を差し伸べることが人を救うのだ、と教えてくれます。

そしてナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」は、惨事に乗じて権力を握って圧政をしき、金儲けに走る人たちを、よく監視しなくてはならないことを思い出させてくれます。アメリカが唱えて実践してきた新自由主義市場は、 まさに「惨事便乗型資本主義社会」を発展させてきました。COVIDに乗じて権力を拡大させ、便乗して金儲けを企てるものがいないか。しっかり目を光らせておかねばなりません。
「ショック・ドクトリン〜惨事便乗型資本主義の正体を暴く
ナオミ・クライン著 幾島幸子・村上由見子訳 岩波書店

もう一度こういう本を読み直して、新型コロナ・ウィルスが収束したあとの世界のことを、じっくり考えたいと思います。

「13坪の本屋の奇跡〜「闘い、そしてつながる」隆祥館書店の70年」
木村元彦著 ころから
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 1999年には全国に約23,000軒あった書店は、2018年には約8,000軒まで減ってしまったそうです。 紀伊國屋やジュンク堂などの大手はともかく、消えたのは町の書店です。私の家の近所の店も、1999年に閉店しました。
 本が売れなくなったから。そもそも出版不況だし。そう軽く考えていました。
 本を書く仕事をしているにもかかわらず、本を読まないと生きていけないというくらいの本好きなのにもかかわらず、私はなぜ町から本屋が消えていくのか、本の流通がどうなっているのかを真剣に考えていなかったのです。
 それが「13坪の本屋の奇跡」を読んで目が覚めました。
 13坪の本屋とは、大阪のオフィス街、谷町六丁目にある隆祥館という本屋さんです。二村善明さんが戦後間もないころに開業した本屋で、いまは娘の二村知子さんがついでいます。
 先日、大阪に行ったときにのぞいてきました。「13坪の本屋〜」でも書かれているように、品揃えがすばらしい。教育、地元大阪の歴史、原発、スポーツ(二村知子さんは元シンクロナイズドスイミングの選手)というジャンルわけにもうならされたし、新刊本でも「なるほどそうきましたか」というような選択です。言ってみれば「筋が通ったラインアップ」。
 二村さんに「おすすめの本がありますか?」と聞いたら、本の内容と著者の姿勢についてツボをおさえて紹介してくださり、この人は相当読み込んでいる人なんだな、と感じ入りました。結果、これまで私が手を出さなかったジャンルの、知らなかった著者の本を6冊購入。あの西宮の本屋のおじさん以来、本屋さんと本の話をして、すすめられた本を買いました。
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 なぜ町の本屋が消えていくなかで、隆祥館は生き残っているのか。
 それは故人となられた二村善明さんと、娘の知子さんが、出版不況になって以来、小さな書店であるほど苦しめられる取次経由の本の流通と取引慣行に対して闘ってきたからです。
 本書で私が一番驚いて怒りを感じたのは、取次(トーハンと日販)の「ランク配本」と「見計らい配本」という慣行です。「ランク配本」とは、月商の高い書店にはベストセラーや売れる本が多く配本され、月商が低い店には売れる本がなかなか回ってこない、という慣行です。100坪の大手書店と13坪の書店では当たり前ですが、トータルの月商はまったく違います。でも月商ランクが高い店には、売れる本がどんどんタイミングよく入ってくるけれど、小さな書店には入ってこないとなると、ますます月商格差は広がるばかり。ましてやAmazonでポチるのが本の買い方となってしまうと、ベストセラーがまずまわるのは書店ではなく、電子空間ということになってしまいます。
 「見計らい配本」とは、書店が注文していない本を「見本」という名目で取次が勝手に送ってくる慣行です。注文していなくても、取次から配本されてきたら書店は取次にその代金を支払わねばなりません。並べたくない、売りたくない本なら返本せざるをえないのだけれど、その送料は書店もちです。取次に苦情をいったら、今度は売りたい本も回してもらえなくなるかもしれません。
 私は旅行先で本屋に行くのが趣味なのですが、ひなびた町の小さな書店にヘイト本がどっと積まれているのをみて、これまで「書店主はこういう思想の持ち主なのか」と素通りすることが何回もありました。が、「見計らい配本」について知ってからは、思い切って中に入って、その土地の文化や歴史を紹介したガイドブックではない本を探して購入しようと思っています。
 「13坪の本屋〜」では、こういったおかしな流通システムと出版不況にもめげずに書店を続けてる二村知子さんが、本を書く人と読む人をつなげるために定期的にトークイベント「作家と読者の集い」を開催していることが紹介されています。第2部「本屋がつなぐ」には、過去のトークイベントに出演した4人の作家たちと二村さんの講演録がおさめられています。藤岡陽子さん、小出裕章さん、井村雅代さん、鎌田實さん、という4名の人選にも、そして書き手に投げかけられる二村さんの質問や感想も、「筋が通っている」ことに感心します。

 感想その1に書いたことをもう一度繰り返します。
 本はこころの栄養になるべきものです。こころが潤い、育ち、力を得るために、本は欠かせない。
 そういう本を売っている店が、子どもやお年寄り(私も仲間入りしています)の足で歩いていけるところにある町こそ、住みたい、住みよい町なのではないでしょうか。
 書店を滅びさせてはいけない。
 本のことが話せて、栄養になる本をすすめてくれて、何より本を愛する書店員さんがいる書店が、これからも残っていけるように、本の作り手である出版社も、書き手も、流通にかかわる人たちも、売り手も、何よりも読み手も何かしら行動を起こすときが来ているのだと思います。 

阪神電車で通学していました。
帰宅のとき、特急と急行待ちをするので、普通電車は西宮駅で15分もとまりました。
ある日、駅近くに小さなおもしろい本屋があるのを見つけました。電車待ちの間(ときには3台くらい見送って)本屋に走って書棚を眺めることをよくやっていました。
入り口は人が一人通るのがやっとという小さな本屋で、奥に気難しそうなおじさんが一人座って、いつも本を読んでいました。私がが入ってもちらっと目をあげるだけで、「いらっしゃい」ともいわない。雑誌など置いてなくて、函入りの文学書や学術書が麗々しく書棚に並んでいるような品揃えだったので、高校生がお小遣いで買えるわけないだろ、冷やかしか、と思ったのかもしれません。
でも、ある日を境におじさんのその態度が変わったのです。
私が安部公房の「燃えつきた地図」をおそるおそるレジに持っていったときでした。
田中邦衛主演の「幽霊はここにいる」(安部公房脚本)を見てから、熱に浮かされたように安部公房に取り憑かれていた私は、どうしても「燃えつきた地図」が読みたかった。学校の図書館にはもちろん入っていない。近所の図書館にもない。やむなく購入しようとなったのです。
函入りです。ハトロン紙がかかっています。だから立ち読みができない。すぐに文庫化されることは期待できない。購入しかなかったのです。
そしてその本屋には、安部公房の作品がほとんど置いてありました。
いま思うと、気難しそうなおじさんは、安部公房のファンだったんですね。
「ほほ〜「砂の女」じゃなくて、「燃えつきた地図」を読むいのか」
おじさんのその言葉をいまも覚えています。
以来、おじさんは私が入っていくと、手招きして「あんた、谷崎も好きとちゃうか? 「卍」とか読んだ?」と聞いたり(谷崎潤一郎は昔もいまも私のアイドルです)、「俳優座がまた安部公房の芝居やりよるよ」と教えてくれたり、ぼつぼつと声をかけてくれるようになったのです。
ただ、16歳の私は警戒心がとけず、おじさんに話しかけられることに恐ろしさをおぼえて、そのうち電車待ちでその本屋に走るのをやめてしまいました。「燃えつきた地図」は30年ほど本棚に並んでいましたが、度重なる引越しでいつのまにかなくなってしまいました。

1978年に結婚して以来、5回引越しして6箇所に住んできましたが、現在の家に引っ越した1996年まで、住処を決める条件は「徒歩圏内に本屋があること」でした。
この家に引っ越してきたときも、歩いて5分のところに本屋がありました。でも、いま、私が本を探すのは、Amazonかhonto、もしくは電車にのってジュンク堂、30分自転車をこいで大きな図書館、です。引っ越してから2年で徒歩圏内の町の本屋は閉店してしまいました。
1駅先にある本屋には、私が読みたい本が置いてありません。というか、読みたくない本ばかりが並べられています。
タレント本やヘイト本、自己啓発本、ダイエット本が平積みになっているのを見ると、もうそれだけで目も心も疲れてしまいます。
店員さんと好きな作家の話をするなんて、ありえない。
前に有隣堂で「サルトル全集はどこにありますか?」と聞いたら、店員さんに動物本が並べてある書棚に案内され「猿の本はここです」と言われて以来、店員さんに本のことを聞くのはやめました。

私にとって、本はごはんと一緒です。読むことは、食べることと同じ。ごはんを食べないとからだが動かないように、読まないと心が働いてくれない。からだにいいものをおいしく食べたい、というのと、心の健康のためにいい本を読みたい。
本屋さんは、心に栄養を与える本を教えてくれる大事なお店だと思うのです。

そんなたいせつなお店が、いま日本から消えようとしています。
なぜ本屋さんが町から消えようとしているのか。
残った数少ない本屋さんに、なぜ心に毒しか与えてくれないだろう(と私が思う)本が並べられているのか。
そのわけがようやく「13坪の本屋の奇跡」を読んでわかりました。
(つづく)

私が運営委員を長くつとめている乳房文化研究会の主催で「文学と乳房〜日本と中国、中世から現代までの文学作品に、乳房は誰のものとして描かれているか?」というテーマで定例研究会が開催されます。
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今回はコーディネーターを引き受けて、以前から「ぜひお話を聞きたい」と願っていた3名の方々に快諾いただき、念願のテーマで、念願の内容でお話いただく企画が実現します。

まず、日本中世文学、いや、日本文学の筆頭にあげられる「源氏物語」を、乳房を切り口に読み解いた本「乳房は誰のものか〜日本中世物語にみる性と暴力」(新曜社)を書かれた木村朗子さんに、「源氏物語」に描かれた乳母、母、父、子それぞれにとっての乳房から権力構造と家族関係を読み解く」というお話をしていただきます。木村さんとは「ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい」(岩波書店)の共著者というご縁で、何回か飲んだのですが、もう話がとまらない勢いで弾むはずむ!!お話がとってもおもしろく、内容が濃い〜〜〜!
つぎに中国近現代文学からは、濱田麻矢さんに「恋する乙女の胸のうち〜中国女性の乳房と足が解かれたとき」というテーマでお話いただきます。自由恋愛を研究テーマにしていらっしゃる濱田さんには「中国が愛を知ったころ」という張愛玲作品の翻訳作品があります。李鴻章の外曾孫として1920年に香港に生まれた張愛玲は、ただ愛し愛されることのみを求める女性の喜びと苦しみを描き、現代中国文学に足跡を残しました。濱田さんも「ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい」の共著者のお一人で、収録されている「中国文学むねくらべ」は実に興味深い内容です。
そして3人目として、日本の近現代文学に描かれた乳房を語ってくださるのが藤木直実さん。「にせもののおっぱい、ほんもののおっぱい」というテーマは、聞いただけでも何が出てくるかとワクワクします。藤木さんを知ったのは「妊婦アート論」という刺激的な書の共同執筆者としてですが、多岐にわたるその活動から、乳房を切り口に近現代文学を論じられると、いったいどんなおっぱいが描かれるのか楽しみでなりません。

乳房文化研究会定例研究会「文学と乳房」
日時:2020年2月1日(土)13:30〜17:30
場所:(株)ワコール本社ビル 会議室(JR西大路駅より徒歩4分)
参加費無料
お申し込みは以下より
https://www.wacoal.jp/nyubou-bunka/upcoming/post-44.html

 重箱に煮しめなどを詰めて「おせち料理」と呼び、一般庶民にまで普及するようになったのは戦後、それも本格化するのは1960年代に入ってから、と知ったのは割に最近です。もともとは中国で五節会に作っていた特別料理が日本に伝わり、江戸時代には、節会の中でも一番豪華な料理が作られていた正月に、武家が床の間に三方にご馳走(ごはん)を盛って飾っていたのが起源だそうです。
 それが明治時代になって、飾るものとお重に詰めて食べるものとに分けて用意するようになり(床の間にある家に住んでいる階級での風習でしょうが)、そのうちお重に詰めて家族や親族で食べるものになった、とか。今みたいな彩鮮やかで、豪華食材を使ったおせち料理が普及するようになったのは、ごくごく最近の話。
 以上、おおざっぱな説明だし、日本各地でおせちに在り方は異なるようなので、とりあえず私のおぼろげな知識に基づいたおせち料理基本情報です。
 つまり、何が言いたいかというと、お正月におせち料理を家族揃っていただく、なんてのを「日本の伝統」と言ってよいものかどうか、ということです。
 私は思春期に入ったころから年末年始が近づく12月になると、ゆううつでため息しか出なかったのですが、それは正月という時期に「日本の伝統」の圧がぐぐぐーっとかかってくることが原因でした。
 私が思い出す実家の正月は、挨拶にやってくる親戚たちの分までおせちやら特別料理を準備する手伝いをさせられ、正月は朝早くから料理を出したり皿を洗ったりごみを始末したりすることに追われ、やっと一息つく午後には「年始の挨拶に行くから早く着替えろ」とせっつかれる。疲れてふくれ面になると「正月からなんだ、その顔は」と叱られ、手伝いに抵抗すると「お年玉をあげないよ」と脅される。
「正月には家族そろって晴れやかに新しい年を祝う」ことまで「日本の伝統」と言われ続けたけれど、その「伝統」とやらを守るために誰が犠牲になっているか考えたことがあるのだろうか、伝統信奉者たちは! とか思っていましたね。
 その「伝統」が、私が小学校に入学するころから一般庶民に普及したにすぎない「風習」で、しかも普及させたのがデパートの商魂だったと知ると、ヘナヘナと崩れそうになります。返せ! 私の青春(半分本気、半分冗談)
 そんな愚痴を毎年毎年正月にブログに書き続けてはや20年が経ちました。

 2020年代がスタートする今年は、「伝統」とか「常識」にとらわれないだけでなく、きっぱりさよならする一年にしたいと思っています。とかなんとか言いながら、今年もおせち食べて、お雑煮食べて、家族と一緒に過ごしちゃいましたけれどね。言い訳すると、伝統だからやったんじゃないよ。自分がやりたいからやっただけなんだからね。(と自分に言い聞かせている)
 年末年始は、新装復刊されたメイ・サートンの「回復まで」と「独り居の日記」を読んで過ごしました。
「回復まで」(中村輝子訳・みすず書房)は、66歳から67歳にかけて書かれた日記です。病を経験して体力の衰えを感じ、恋人と切ない別れを経験したメイ・サートンが、それでも創作への意欲を失わず、自然の営みに喜びを見出し、孤独を愛おしむ姿が伝わってきて、しみじみと共感する言葉にたくさん出会いました。たとえば病から回復途上にあるメイ・サートンが、小説を読んだ92歳の読者からの手紙に励まされて書いた言葉。
「不自由になったからだは、そうした事実(私注:自分が年をとってできないことがいろいろと出てきたことや、親しい人たちとも別離など)を肉体的に証明しているように思える。しかし、炎からふたたび立ち上がる不死鳥は、別のことをわたしに告げる。わたしたちの肉体が弱れば弱るほど、心は虚飾を捨て、もっとも必要なものへの要求が強まり、ありのままの自分であることや感じるままの自分であることを恐れなければ、もっと自然で、愛情豊かになれる、と」
 一方で58歳のときに書かれた「独り居の日記」では、メイ・サートンが自分の中に沸き起こる怒りや悲しみをどう処理していいかとまどい、深い喪失感に打ちひしがれながらもがく姿にときどき息苦しくなりましたが、失うものばかりが増えていく中で、それでも生き続ける意味と気力を見出す姿に励まされます。
 女性がものを書いて生計を立て、同性愛者であることを公表し、60歳前になって住み慣れた土地や人間関係を断ち切って農場に独り移り住む、というのは、メイ・サートンがこの2冊を書いた1970年代当時はもちろん、現代でも「常識破り」な生き方だったと思います。 私がその生き方を真似たいという訳ではありません(真似ようにもできっこない)が、少なくとも常識や伝統にとらわれないで生きていく姿勢は見習いたい。そしてメイ・サートンが貫き通したように、孤独に向き合い、人は独りで生き死んでいくことを噛み締めて、愚痴をできるだけこぼさないように生きる強さを持ちたいと思います。
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