Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

読む快楽

 今日はJ3ガンバU23vs讃岐FCで、いま試合やっています。DAZNを休止中で、来月、J1再開から休止をやめてまた始めようと思っているので、試合が見られていません。どきどき。

 それはさておき、J1再開までに巣立ち日記を終わらせるつもりでいます。もうそろそろ巣立たないとね。とはいうものの、いまだに東京は感染者の数が増え続けていて、私は都心をのしのし歩いたり、居酒屋で気炎をあげたりする気にはなれません。関西にいくのも「もしも私がウイルスをばらまいてしまったらどうしよう」というのと、新幹線に乗るのもこわいために、しばらくはガンバをパナスタで見ることも(心理的に)無理かなあ。

 新型コロナウイルスに関しては、感染の流行が終息することは近い将来には望めそうにないことがわかってきて、さかんに「ウイルスとの共生(symbiosisというのだそうです)」「ウイズ・コロナ」とか言われています。そして私の頭の中に「共生って、いったいどういうこと?」という疑問がわいてくるので、共生せざるを得ない相手を知ろうとこの数ヶ月で何冊か本を読みました。その中で、「ウイルスとの共生」をどうしたらいいのかということについて、ヒントを与えてくれた本を3冊紹介したいと思います。

『感染症と文明〜共生への道』
山本太郎著 岩波新書
『ウイルスの意味論〜生命の定義を超えた存在』
山内一也著 みすず書房
『免疫力を強くする〜最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ』
宮坂昌之著 講談社ブルーバックス

 まず、感染症とはいったいどうやって起こるのかが知りたくて手に取った『感染症と文明〜共生への道』は、東日本大震災の年に発刊された本ですが、今年、あらためて大きな注目を集め、岩波書店も増刷をかなりかけたそうです。(今年5月15日で7刷)
 感染症は文明の開始とともに人類とともにあり、何回となく歴史を変えてきました。14世紀のペストの流行でヨーロッパの人口が激減し、教会は権威を失い、代わりに国家が求心力を持つようになったとか、インカ帝国はスペイン人が持ち込んだ疫病で滅んだとか、インフルエンザの流行で第一次世界大戦が早めに終結したとかが有名ですが、そのほかの地域でも戦争ではなく(というか戦争の副産物として)感染症によって歴史が塗り替えられた例がいくつもあります。
 ホモ=サピエンスはもちろん、動植物が登場するよりはるかに以前からこの地球上に存在していたウイルス(そのあとに細菌が出てくる)は、生物と接触するとときに共生し、ときに感染症を引き起こします。ある地域の人は感染症の症状をあらわさないのに、遠方からやってきたヨソモノたちが突如発熱して死んでしまったりする。反対に元気な船乗りたちが遠方の島にやってきたら、島の人間の半分が重い病にかかったりする。ヨソモノとの接触の頻度がごく稀だった時代でも、感染症はその地の文明を滅ぼしかねない恐ろしさを持っていたのです。
 グローバル化によって大勢の人が短時間で地球上を長距離移動するようになった現代社会では、感染症はいつなんどきどこで起こるか予想もつかず、しかも今回のCOVID-19のように短期間に世界中に広まってしまいます。今後もコロナウイルスのような感染症はつぎつぎと世界を襲うでしょう。それではどうしたらいいのか?
 長年、世界各地で感染症対策に従事してきた著者は「根絶は根本的な解決策とはなりえない。病原体との共生が必要だ」と提言します。しかも「共生とは、理想的な適応ではなく、決して心地よいとはいえない妥協の産物なのかもしれない」というのです。真夏のマスクやソーシャルディスタンスをとることくらいならいいけれど、他の地域への移動はよほどのことでないかぎり禁止、ということもあるかも。もっといえば、「開発」のために森林を切り開いたり、深海探査をしたり、氷山を削ったり、そういうことやめたほうがいいんじゃないかな、と思いましたね。

『ウイルスの意味論〜生命の定義を超えた存在』を読んで、私はこれまで持っていたウイルス像が覆ったのだけれど、人類だってウイルスの全容を掴んでいないのだな、ということがわかりました。ウイルス研究は緒についたばかり。2010年代に入ってからも、細菌並に大きなウイルスが見つかったり、ウイルス同士で情報を交換していることが確かめられたり、高温低温や深海(高圧)という「まさかこんなところにも!」という場所でウイルスが発見されたりとそれまでの「常識」をくつがえすウイルスの姿が確かめられているのです。
 ヒトの体内には1キロくらい細菌がいる、というのは知っていたけれど、ヒトの細胞の中にはヒト内在性ウイルスHERVが9%もあるというのも驚き! 3000年〜4000年前にヒトの細胞に入り込んだレトロウイルスが感染力を失って潜んでいるけれど、何かの拍子に活動を始めるかもしれない、というのです。上橋菜穂子さんの名作『鹿の王』は、ウイルスの「攻撃的共生」という見方にヒントを得て書かれたものだとか。
 ヒト内在性ウイルスは人類にとってなくてはならない働きもしている、というのも驚きです。ヒトの胎児の胎盤にある合胞体栄養膜細胞というのは父親からくる遺伝子を持つ胎児を母親が異物として排除しないように、栄養素だけを取り込む働きをしているのだとか。そしてその細胞もHERVだというのです。ということは、私たちが生まれてこられるのは、ウイルスのおかげ、と言ってもいい。ヒトや動植物に病気を引き起こすウイルスはほんの一部で、ほとんどは「私らあんたたちとは関係ありません」とじっとしているのです。でもヒトの「資源開発」などの経済活動で、ヒトや動植物からすれば運悪く、ウイルスにとっては運良く細胞の中に入り込む出会いがあれば、そこで何かが起こるわけです。
 そしてやはりウイルスの世界的権威の山内さんもいうのです。
「現在、われわれの周囲に存在するウイルスの多くは、おそらくは数百万年から数千万年にもわたって宿主生物と平和共存してきたものである。人間社会との遭遇は、ウイルスにとってはその長い歴史の中のほんの一コマに過ぎない。しかしわずか数十年の間に、ウイルスは人間社会の中でそれまでに経験したことのないさまざまなプレッシャーを受けるようになった。われわれにとっての激動の世界は、ウイルスにとっても同じなのである
 言ってみれば、ウイルスさまが主である地球に、われわれ人類は新参者として居候させてもらっており、ウイルスさまとのつきあい方がわからないままに右往左往している、ということでしょうか。
 
 長くなってきたので『免疫力を強くする〜最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ』ついては簡単に。
免疫力をアップする、とちまたではさかんに納豆やヨーグルトやサプリメントを勧める「情報」があるけれど、免疫についてのトップランナーである宮坂先生に言わせると、食で免疫力アップはまったく望めないそうです。 
 結論から言うと、ウイルスとか異物が入ってきたときに、それっと素早く駆けつけて対処させるために、血流とリンパの流れをよくすることが肝心で、そのためには運動するしかない、とのこと。
 それと免疫力が強すぎるのも考えもので、異物でもないのに、自分のからだを攻撃して炎症を起こさせることでかかる病もあると言います。アトピー、アルツハイマー、花粉症なんかもそうだとか。ううう、私、風邪はめったに引かないし、病気にもかかりにくいので免疫力を誇っていたのだけれど、 花粉症などアレルギー疾患の宝庫ですよ。免疫が強いのも良し悪し。

 ほかにも読みましたが、結局この3冊かな。COVID-19と「共生」していくためのヒントとして、またあやしげな情報にまどわされない指針を与えてくれる本としておすすめです。

 というところで同志からメッセージあり!
 J3 vs讃岐戦、ガンバU23は3−2で勝利したとのこと! 唐山くん✖️2点、川崎くん(決勝点)おめでとう!! 

5月27日(水)
 緊急事態宣言が解除されたことから、3ヶ月弱ぶりにお孫2号(男子)に会いに行った。ビデオ電話ではよく会ってお喋りもしていたのだけれど、顔を合わせるのは3月初め以来。
 驚いたのは、語彙が増えたこともさることながら、副詞と助詞の使い方がほぼ完璧になっていたことだ。クルマ大好きの彼に消防牽引車ミニカーをプレゼントしたら、大喜びしてくれて(その顔が見たくてついつい大甘のババになってしまう)「おばあちゃん、○ちゃんに、いつもクルマを持ってきてくれてありがとう」とお礼を言われた。親(娘)も「え! そんなことが言えるんだね!」とびっくり。「いつも」という副詞が入り、「持ってきてくれる」という複雑な言い回しもできるなんて!!(ハイハイ、バババカが通りますよ〜〜)
 娘も幼いときから口が達者だった。1歳になるかならないとき、ご飯を食べさせながらテレビのニュースを見ていたら、いきなり振り返って「キタチョウセンカクササツ」 と言い出したのに驚かされたっけ。中2で韓流にハマって、ハングルを勉強し始めてまもなく、KPOPのラップを数回聞いただけで真似できたりとか。お孫2号もその血を引いているのかもしれない。
そういえば、一緒に遊んでいるとき「トラックが来ました〜」と私が言ったら、「え? ああtruckだね」と巻き舌で言い直された。さすがYouTubeにお守りされているだけあるわ(ハイハイ、バババカが通りますよ〜〜〜)
9440CE93-D70B-4BC3-9151-041421D80C53

(後ろ姿はもう少年)

夕飯は、昨日のボルシチ、アスパラガスとトマトのサラダ、米粉パン
Netflixで観た番組:『アンという名の少女』シリーズ3途中まで観た。何、これって『赤毛のアン』からは離れたフェミニズム映画じゃない?

5月28日(木)
 ご近所で菜園をやっていらっしゃる方がいて、ケールを大量にいただいた。ケールは「子ども時代の思い出の野菜!」なのだ。
実家の裏庭で祖母がケールを栽培していて、その葉をジューサーでしぼった青汁を飲まされる苦行に耐えた小学校時代だった。ところが、長じてからときどきあの「うー超まずい!」ことで有名になった飲み物が懐かしくなって、無農薬でケールを作っている農園からわざわざ取り寄せてジュースにして飲んでいたことがあったのだ。ケールは🥬思い出の味。良くも悪くも。
 だが、ご近所からいただいたケールは生で食べてもほろ苦さが病みつきになりそうなおいしさなのだ。育ちすぎて固くなったと言われたので、スープと炒め物にしたら、私の知っているあのケールからは程遠い、苦さどころか甘みさえも感じるおいしさだった。少しだけいただいたパクチーと一緒に豚肉と炒めたら、あっという間に消費してしまった。

夕飯はだから、ケールそのほかの野菜とベーコンのスープ、🥬そのほか野菜と豚肉の
8080F3E9-D627-47E7-96E5-89EEA54C76F0

読んだ本:『還暦からの底力:歴史・人・旅に学ぶ生き方』(出口治明著 講談社現代新書)
教養=知識✖️考える力、というのはすごく腑に落ちた。この本もだが、『ホモ・サピエンス』でも日本の男女不平等について章をさいて言及している。コロナ禍が不平等の元凶である、生産性の低すぎる働き方を変えるきっかけになればいいのだけれど。

5月29日(金)
 SNSでの誹謗中傷を苦にして、女子プロセスラーの木村花さんが亡くなられたことがニュースになっている。私は木村花さんのことも、「テラスハウス」という番組もまったく知らなかったのだが、ニュースに接したときに、自分でもびっくりするほど心が痛んで苦しくなった。
 私がネットの世界に足を踏み入れたのは、1990年、パソコン通信というメディアの草創期からだった。ニフティサーブに登録した私はフォーラムに、チャットに、夢中になった。そのときに知り合ったネット仲間は、今もFacebookで親しくつきあっている。顔を合わせる回数はパソコン通信のときほどではないけれども、今もたいせつな仲間だ。大げさでなく、パソコン通信からFacebook、Twitterと続くネットの世界は、私の人生を大きく変えた、と思っている。
 だが、30年どっぷり浸かってきて身にしみているのは、バーチャルでしかつながらなかったとき(つまり顔が見えない人とは)人は人に対して驚くほど残酷になれることである。特に匿名やなりすましで書き込めるメディアでは、人は容赦なく徹底的に人を攻撃することが平気になる。実際に顔を合わせていたら、決して相手には言えないような言葉が、匿名メディアでは平気で吐ける。
 非難すると、ちょっとウケを狙ってみただけ、本当はみんな言いたいと思っていることを書いてみただけじゃないか、と開き直られる。
 30年もその世界で過ごすうちに、私も見知らぬ人からの根拠レスな中傷にショックを受けて、もうネット世界からは足を洗おうと思ったことが何回かある。でも、有名人でも成功者でもない私に対するバッシングなんて、所詮たいしたことがない。「今弁護士に相談している(→本当に2回ほど相談したことがあった)」というと、いつの間にかおさまった。だが、そのとき書き込まれた攻撃の言葉は、今も胸に刺さっていて、思い出すと苦しくなる。
 いじめもそうだが、結局は「逃げるが勝ち」なのである。どこに逃げ場を作っておくかをいつも考えておくことが大事なのだ、というのが今のところの私の対策である。
 それにしても悲しい。木村花さん、心よりご冥福をお祈りします。こんなに悲しくて悔しいことが二度と起きないように、なんとかしなくては。

夕飯は、グリーンアスパラとバターフランスパン(昼に残り物を食べたので、夜は空腹にならず)

読んだ本:『JIN~仁』まだ読み終わらない
523CABB7-48E5-4455-A985-E7A201F55E54
(毎日同じようなレシピばかり作っているので、せめてちょっと目新しさを出そうと、ハーブをふんだんに使うことにしています)
 

ついに(9)まで来てしまいました、巣篭もり日記。できれば(10)で終わって欲しい。いや、たぶん終わりますね。終わらせましょう! あともうひと息。

5月14日(木)
5月11日付の日本経済新聞朝刊、エコノミクストレンドを読んで暗澹たる気分になった。
慶大教授の鶴光太郎さんという人が「AI時代のスキル見極めを」というタイトルで、人生100年、人工知能=AIが大幅に進化してこれまで人間がやっていた職を奪ってしまうという時代に、それでは人間はどんなスキルをつけたら生活していけるか、という話を書いている。いま世の中にある職業のほとんどはAIでまかなえる、大半の人間が「失職」してしまうのだからベーシックインカムを真剣に考えよう……それってディストピアじゃないか! と思ったので、こわごわ読んだ。
記事の内容は、経済産業研究所が2019年に実施した「全世代的な教育・訓練と認知・非認知能力に関するインターネット調査」をもとに、学力テストで測れる「認知能力」と、外向性や勤勉性、協調性などの個人の性格の特徴である「非認知能力」の両方について、賃金との相関関係を分析している。
大学の偏差値が高いほど賃金が高いのは、男性の50代以上のみ。50歳未満はあまり関係ない。賃金との正の関係があるのは、言語能力よりも数的な能力の方。非認知能力では、賃金との正の関係があるのは「外向性(社交性・積極性)」そして「自尊心」だが、「協調性」は負の関係になる。つまり協調性の高い人は、自分のことより他人のことを優先してしまいがちなので、賃金は低くなる……って、つまり俺様やろうのほうが高い賃金をとっているってこと? 
だが、そんなこたぁたいした問題じゃない! 私が問題と思ったのは、女性についての分析だ(ほんの数行しか触れていないところにも怒りが!)
女性は働きだしのしょっぱなから男性の7割弱の賃金しかもらえず、どれだけいい大学を出ても、どれだけスキルをつけても、その賃金格差は職業人生の最後まで広がるばかり、という分析結果である。(太字にしておく!)もちろん平均賃金だから、一部の女性たちは男性並みの賃金を得ているかもしれない。だが、平均すると女性の賃金は生涯にわたって男性の7割以下。当然ながらそれは受け取る年金額にもはっきりと出る。
学校生活にかぎってかもしれないけれど、総じて女子のほうが男子よりも平均的に優秀だ、という。でもいったん働く場にでたら、がんばって身に付けた能力も性格のよさもまったく問題にされない。問題にされるのは、性別だけってことだ。あげくにワンオペでへとへとだもんなあ。
フェミニズムが必要だ、とあらためて痛切に思った。AIがどんなに進化しても、男女平等にはならないのだから。

夕飯は焼き餃子、のみ。夫が通勤している間は、食事時間がずれるので餃子やステーキのような焼きたてじゃないとおいしくないものは作らない。だから、在宅勤務期間には餃子がすでに二回目の登場。
61EE2C20-45F7-4FC6-BC63-DCA6E878CD74
エゴノキの花が満開! この時期にエゴノキの花が満開になるってことに初めて気がついた。

5月15日(金)
巣篭もり期間に入ってから、急に漫画が読みたくなった。
『アルテ』(大久保圭)から始まって、
『アシガール』『ごくせん』(森本梢子 今頃そんなもの読んでるのかってあきれられますね)
『裸一貫! つづ井さん』(つづ井)
『王様ランキング』(十日草輔)(これはあまりというか、全然おもしろくなくて途中でやめた)
『アンサングシンデレラ 病院薬剤師葵みどり』(荒井ママレ/富野浩充)と来て、
今は『ミステリと言う勿れ』(田村由美)。
これまでのところ『アルテ』に一番はまったな。早く続きが読みたい。
そうそう『雪花の虎』(東村アキコ)の新刊も読んだな。ずっと周囲から男性と思われて生きてきて、結婚もして、でも亡くなって埋葬するときに実は女性だとわかったっていう人は歴史上もよくいたらしい。上杉謙信が実は女性だっていうのも、頷ける。男性のほうがずっと生きやすい世の中だものね。

夕飯は冷やし中華、五目豆、ポテトサラダ。だんだん同じメニューが続いてしまう。

A29FB55A-AE06-4F9C-9865-AA40DD8415F4
数ヶ月前に植えた球根?宿根?から芽が出て、2、3週間でにょきにょき伸びて花が咲いた。何を植えたか忘れてしまったので、写真を撮って花屋さんに見せたら「グロキシニアじゃない?」とのこと。イワタバコ科の一種らしい。

5月16日(土)
 今年小学校に上がったけれど、1日も授業を受けていないお孫1号。何回か宿題のプリントやらをもらってきて、親がつきっきりで教えてやらせているそう。
 娘(長女)から「国語でお話を読んで、おもしろかったことを書きなさいっていう宿題に手こずっている。おもしろかったことってどういう意味? と聞かれて、どう説明したらいいかわからないんだけれど、どうしたらいい?」という質問がLINEで来た。
 えええ! 私にそれ聞く? そもそも自分が経験したことがないことを、お話を読んだだけで「おもしろい」と感じるのなんて無理じゃない? 感性や感情は自然に身につくものじゃなくて、経験を言語化していくうちにだんだんわかってくるもの。人生経験が6年しかない子どもに、お話を頭の中で情景として描かせて、おもしろいとか、悲しいとか感情移入させたりするのはかなりむずかしい、というかそんなこと可能なのか? そんな子どもに「この話はここがおもしろいんだよ」と経験からわかっている大人が先走って教えるのはどこか変。 
 とか返事を送ったら「ママの言うことはよくわかるけれど、それじゃ宿題は終わらない」と言われた。 
 そしたら次女がLINEに入ってきて「私が読んだ育児本に、子どもが泣いたときには『悲しいんだね? 悲しいから泣いているんだね?』と幼児のころから感情を言語化して教えるように、とあったから私はそうしている」と言い出したものだから、長女は「今から言語化するように心がけても、宿題には間に合わないよ」状態に。
 ああ〜〜〜早く学校始まってくれ〜〜〜! 学校という集団の社会生活でしか学べない感情や感性があるんだから〜〜〜!

夕飯は、ビビンバ、残り物のアジのフライ、豆腐と油揚げの味噌汁

5月17日(日) 
 雨が上がって夏の晴天。でも早朝太極拳道場の公園には、ラジオ体操後にはほとんど人がいなくなった。鳥の声しか聞こえないところで、花盛りのエゴノキの木の下で気持ちよく一人太極拳。
 世界が感染症で揺れていることを、しばし忘れるほどの平和なひとときだった。
 だが、昼から買い物に行った夫が「スーパーも商店街も人があふれていてとても入れない」とメールしてきた。「いいよいいよ、もう別に買わなくていいから、早く帰ってきて」と返事をする。
 日曜、早朝の公園には人がいないけれど、昼間のスーパーや商店街には人があふれる……BC(before Corona)の「日常」に戻ったってことか? 東京はまだ緊急事態宣言中のはず。大丈夫なのかなあ。

夕飯は、青椒肉絲、ナスの煮浸し、五目豆
 
BC76C942-CAE4-43EB-BE91-3CEEAE3713A7_1_201_a

5月11日(月)
 高齢者施設にいる母は、外出は隣の公園を散歩する以外禁止で、 大勢が集まるのはダメという理由で、囲碁教室や麻雀クラブも中止。朝の体操でさえも今は行われていないとか。一人でやれることしかできないので、読書とテレビ視聴しかすることがない、ものすごく退屈で、孤独を感じるという。
「それなら本を送ろうか? 読みたい本はない?」と聞くと、「活字を読むと頭が痛くなるから、いらない」と言われてしまった。「それじゃDVDで見たい映画はない?」と聞くと、「DVDデッキの使い方がわからない」。うーん、朝からずっとワイドショーでコロナ情報を見続けていると思うとゾッとする。
 家事をやらないですむ、というのはいいようだけれど、まだ元気な高齢者が家事いっさいをアウトソーシングしてしまってやる必要がなくなり、しかもみんなで集まってやる趣味もダメ、となってしまったら、これはするべきことも楽しみですることもなくなって、生きがいも張り合いもなくなってしまう。そうでなくても曜日や時間の感覚が失われてしまう高齢期に、一人でぽつんと部屋にいると老化はいっそう加速するだろうなあ。心配だ。
 イタリアでもアメリカでも、クラスターが発生して、大勢亡くなっているのは高齢者施設だという。日本でも高齢者施設でクラスターが発生した。AC(After Corona)になったら、感染症が流行したときに、重症化のリスクが高い高齢者の対策についてきっと議論が起こるはず。ただ感染を防止する、というだけでなく、ステイホームになった高齢者がどう生活と生きることを継続していけるかも考えないといけなくなるだろう。
 私も高齢者の一人として、感染症から身を守る術だけでなく、ソーシャルディスタンスを取らざるを得ない状態に置かれたとき、退屈と孤独からどうやって自分を救っていくか、今からしっかりと考えておかねば。
 夫もそれは痛感しているらしく、私が貸してあげた樋口恵子さん著『老〜いどん』を熟読しておりました。
AD98EC46-C259-4091-AA74-408254AA94C7

 私にもヨタヘロ期はきっとやってくるし、調理定年もいつかくる。それをできるだけ先延ばしにするために、早朝太極拳道場(最近は公園で行われているラジオ体操にも参加している)と家事を怠らない生活習慣は欠かせませんな。

夕飯は、ヒレカツ、キャベツその他野菜のコールスロー、豆腐とアスパラガスの茎の味噌汁、玄米ご飯、大根の漬け物

5月12日(火)
『愛の不時着』は4話で飽きてしまった。もう少し恋愛エネルギーが湧く時期になったらまた見よう(→いつだよ?)ちょっと漫画チックなんだよね。それと、どうしても主人公の女性に感情移入できない。どうしてこれがフェミニズムドラマなのか、まだわからない。もう少し我慢してみてみるかな。
 そこで『コンテイジョン』を視聴。スティーヴン・ソダーバーグ監督。2011年映画。すごいなあ、ソダーバーグ。ここまで「予言」していたわけか。SARSの流行にヒントを得たとはいえ、ワクチンをめぐる各国間の攻防とか(アメリカ映画だから仕方ないけれど、きわめてアメリカ的なやり方で成功しましたっていうのがちょっと気に入らない)、経済と感染症の食止めとの攻防とか、ほんとドキュメンタリー映画を見ているようなストーリー。
ただ、ソダーバーグらしく、最後に掃除のおじさんの子どもに自分のワクチンを射ってあげるというエピソードで終わるところは、「映画」らしくてほのぼのしていた。
Netflixはオリジナルのドキュメンタリーがおもしろいと聞いたので、仕事のためのお勉強もかねて『フェミニストからのメッセージ』を見る。たぶん私がまさにこのドキュメンタリー映画がテーマとしている70年代のWomen's Liberationに心躍らせて、怒りを共有した、フェミニズム第二波世代だったこともあって、めちゃめちゃ共感して感動した。(翌日にメモを取りながらもう一回見たほど)

 シンシア・マカダムスが70年代女性解放運動に関わった女性たちを撮った写真集を題材に、そこに登場するした女性たちが当時のこと、そして今(2018年)の自分たちについて語る、という内容。アーティスト、女優、歌手、バイオリニストなどなど、今も現役で活躍している女性たちが登場する。まあそういうキャリアを積んできた女性たちだから言えることなのかもしれないけれど、自分たちがやってきたことは良かったこともあるけれど、失敗もいっぱいある。21世紀になっても女性たちはまだ平等と公正な扱いを訴え続けなくてはならないのか、と落胆することも多い。だからこそ、私(たち)はまだまだフェミニズムを叫び続けなくてはならない、と言っていたのが印象的。
 もう一つ、黒人女性たちが「70年代の女性解放運動は、白人中流以上の階級の女性たちしか視野に置いていなかった。人種、階級、教育レベル、宗教全てを超えて、世界中の女性たちの平等と公正のための闘いは始まったばかり」という言葉も重かった。

夕飯は、鯵といわしのフライ(2日続けて揚げ物を食べてしまった)、コールスロー、ホワイトアスパラガスの蒸し煮

5月13日(水)
 COVID19で外出が制限される中、ニューヨーク・タイムズがリスニングのプログラムを増やしている。その中で私のお気に入りは"Sugar Calling"という番組だ。シェリル・ストレイドという作家が、80年代、90年代に活躍した(もちろん今も活躍中)大御所の作家たちに電話をかけて、現在のこの状況をどう見るか、その中で私たちはどうやって生き延びればいいのか(作家たちの大半は第二次世界大戦を経験している)、そして代表作の中から視聴者へのメッセージになるような文章を選んで朗読してもらう、という内容だ。
 25分ほどの番組なのだが、内容はとても濃い。これまで登場した作家は、マーガレット・アトウッド、エイミー・タン、ジュディ・ブルーム、アリス・ウォーカーなど(他にもいるけれど、とりあえず私が好きな作家を並べた)。一回聞いただけではよく内容がつかめないこともあるので、お気に入りの作家の回は2回、3回と聴く。
 マーガレット・アトウッドが、自身がかなり過酷な幼少期を送ってきた話をして「どんな時代にも、たいへんなことはある。それでも女の子たち! 腕まくりして頑張るのよ!」という言葉に励まされた。エイミー・タンが話す両親が移民してきたときの話とか、軽ーく笑って話しているけれど何回も聞くうちに、それはもう小説ではないですか、と言いたくなるほどドラマチック。アリス・ウォーカーの回では、2回目に聞いたときの「どんなことがあっても、それに立ち向かうのよ!」という言葉が重くて思わず涙が出た。
 朗読っていいなあ。作家の朗読会には1回だけ行ったことがあるのだけれど、自分の作品を読む作家の声dと表情がとても心に残った。ACにはぜひ行ってみたい。

夕飯はイワシのチーズパン粉焼き(いったい何回目かというくらいこの料理ばかり食べている!)、ナスの煮浸し、おかひじきのゴマサラダ

ユヴァル・ノア・ハラリはいまおそらく世界中でもっとも注目されている歴史学者・哲学者だ。「ホモ・デウス」「サピエンス全史」は世界で累計2000万部を超えるベストセラーになっているし、NHK BSで特集が続くコロナ特集にも登場し、胸に突き刺さる提言を述べている。
彼が2018年に書いた「21Lessons〜21世紀の人類のための21の思考」は、いまのこの世界でもっとも耳を傾けるべき言葉が数多く書かれている、と私は思う。巣篭もり読書で一番私を揺さぶった一冊だ。
<テクノロジー面の難題><政治面の難題><絶望と希望><真実><レジリエンス>と5部の中で、
21の項目が並んでいる。扱われている<難題>は、幅広い。

AI、バイオテクノロジーが進化したその先に、人はどう生きていけばいいのか?
コミュニティ、国家、ナショナリズム、宗教、移民を政治的にどう扱えばいいか?
人類を滅ぼしかねない 戦争は起こるのか?
遺伝子工学とアルゴリズムによって、健康で豊かな生活が送れるようにリスクが取り除かれる世界になったとしたら、私たちはどんな人生を選択するのか?(その人生に生きる意味はあるのか?)
そして、私たちは次世代のためにいまどう生きればいいのか?

というような壮大なテーマが並ぶのだが、21のどの章をのどのページをめくっても、「我が事」として突き刺さってくる言葉がある。こういう本って、ともすると頭がいいえらそーな学者さんのご託宣みたいで、鼻白むことが多いし、だいたいにおいて硬い内容でそのうち眠くなっちゃって放り出してしまいがちなのだけれど、この本にはそれがなかった。かといって一気読みができるって内容でもなくて、実は10日間かけてじっくり読み、いまもまだ読み続けている。
内容が幅広く深いので、感想を書くのではなく、突き刺さった言葉を紹介していきたい。

 「権限が人間からアルゴリズムに移ると、私たちはもうこの世界を、自律的な個人が正しい選択をしようと悪戦苦闘する場と見なさなくなるかもしれない。その代わり、私たちは全宇宙をデータの流れと捉え、生き物を生化学的なアルゴリズムにすぎないと見て、宇宙における人類の役割はすべてを網羅するデータ処理システムを想像し、それからその中に溶け込むことだと信じるようになるかもしれない」(<テクノロジー面の難題>「幻滅」の章より)

人間の愚かさは、歴史を動かすきわめて重要な要因なのだが、過小評価されがちだ
「人間の愚かさの治療薬となりうるものの一つが謙虚さだろう。国家や宗教や文化の間の緊張は、誇大な感情によって悪化する。すなわち、私の国、私の宗教、私の文化は世界で最も重要だ、だから私の権益は他の誰の権益よりも、人類全体の権益よりも優先されるべきである、という思いだ。世界に占める真の位置について、国家や宗教や文化にもう少し現実的で控えめになってもらうにはどうしたらいいだろう?」
(<絶望と希望>「戦争」の章より)

「道徳とは「神の命令に従うこと」ではない。「苦しみを減らすこと」だ。したがって道徳的に行動するためには、どんな神話も物語も信じる必要はない。苦しみに対する理解を深めさえすればいい。ある行動が自分あるいは他者に無用の苦しみを引き起こすことが理解できれば、その行動を自然と慎むようになる」(<絶望と希望>「神」の章より)

「自分の偏見を暴き、自分の情報源の確かさを確認するために時間と労力をかけるのは、私たち全員の責任だ」
「今日の世界では、情報と注意は決定的に重要な資産だ。自分の注意をただで差し出し、その見返りの低品質の情報しか受け取らないというのは狂気の沙汰だ」(<真実>「ポスト・トゥルース」の章より)

2050年の世界についていくためには、新しいアイデアや製品を考えつくだけではなく、何よりも自分自身を何度となく徹底的に作り直す必要がある。なぜなら、変化のペースが速まるにつれ、経済ばかりでなく「人間であること」の意味そのものさえもが変化しそうだからだ」(<レジリエンス>「教育(変化だけが唯一不変)」より) 

「アイデンティティの探究に乗り出す人の大半は、宝探しをする子供に似ている。親が前もって隠しておいてくれたものしか、見つからないからだ」(<レジリエンス>「意味」の章より)

人類が直面している大きな疑問は、「人生の意味は何か?」ではなく、「どうやって苦しみから逃れるか?」だ。虚構の物語をすべて捨て去ったときには、以前とは比べ物にならないほどはっきりと現実を観察することができ、自分とこの世界についての真実を本当に知ったなら、人は何があっても惨めになることはない。だがもちろん、言うは易く行うは難し、だ」(<レジリエンス>「意味(人生は物語ではない)の章より)

自分には「自由意志」があって、人生を自由意志で選択している、というのは幻想にすぎず、その選択は実は生化学的な揺れにしかすぎないことが科学によって明らかにされ、スマホやネットで集められた私についての膨大なデータが勝手に分析されて、明日食べるものからコロナの感染防止をどうしたらいいのか、はてはいつ死ぬのかまでアルゴリズムが全部教えてくれる時代に、それでは人はどう生きていくのか。
ハラリさん自身は「瞑想」によって答えを見つけようとしているそうだ。
「あと数年あるいは数十年は、私たちにはまだ選択の余地が残されている。努力をすれば、私たちは自分が本当は何者なのかを、依然としてじっくり吟味することができる。だが、この機会を活用したければ、今すぐそうするしかないのだ」
この締めの言葉を噛み締めている。

C97FD0BF-2A90-4F2C-A7F1-A705046DAF9E

↑このページのトップヘ