Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

読む快楽

Amazonで本を購入するのをやめてそろそろ2年。本屋に行く時間がなくて、でもどうしても読みたい本があるときにはまず図書館で検索し、本屋をまわり、それでもなかったらやむなくhontoを使うことにしています。
なぜならAmazonからのおすすめがわずらわしくて、かつ評価マークが信用できない、と思っているから。もちろんhontoもおすすめしてくるけれど、せいぜい同じ著者の新刊だったりするので、まあ許せる。でもAmazonが薦める本はひねりを入れて来て、しかも「うーん、そこですか?」という球を投げてくることが多いのです。それ以上に「その本だけは薦めてほしくなかった」ということがあって、私が嫌いで読みたくないと思う作家や学者の本を、売れているからというだけで薦めてくるのがいやでした。
Amazonでの購入をやめて2年経ち、ようやくおすすめメールがこなくなってほっとしています。プライバシーに踏み込むな、とかいう以上に、勝手に私の読書傾向を判断してくれるなよ、私がその本をAmazonで購入した動機をAIが判断した、とか言うのだったら、AIあんたは間違ってる、私の意図と動機をあんた(AI)が判断するのは50年早い〜〜〜という腹だたしさのほうが先に立ちます。
それはともかく、私はベストセラーをあえて読まないと決めてから25年がたちます。きっかけは「失楽園」でした。日経朝刊の連載小説だったときにはときどき読んでいたのですが、うーん、神経が逆撫でされるというか、「女を馬鹿にしとんのか!」と怒りがこみ上げるというか、とにかく嫌いだったのです。ところが超ベストセラーになり、え? 何それ? と裏切られたような気持ちになって以来「ベストセラーには手を出すのをやめよう」となったわけです。
本だけでなく、テレビも視聴率が高い番組は意図的に見ないし、映画も観客動員数最高とか言われると見る気が一気に失せます。NHKの朝ドラを最後に見たのは1996年の「ふたりっ子」だったかなあ。「あまちゃん」の話題についていけなかったときは、ちょっとさびしかったけれど、別に見なかったことで困ったことはこれまでありません。紅白歌合戦も何十年も見ていないし、流行歌にもうとい。ラジオを聴くので、あれ?いまの歌、すごいいい! ということはときどきあって調べたりするけれど、それが流行っているかどうかまでは調べないです。
コロナ禍の自粛期間中にNetflixに入ってドラマや映画を見るようになりましたが、「愛の不時着」にはついにハマれなかったのは、たぶん「流行っているもの、みんなが見ているもの、おすすめされるもの」への忌避感があるからではないかと自己分析しています。
(ちなみに私がNetflixでずっとハマり続けているのが、イ・ウジョン脚本、シン・ウォンホ監督の一連の作品。「賢い医師生活」「刑務所のルールブック」「応答せよ、1994」「応答せよ、1997」です。賢い医師生活のシーズン2の公開が待ちきれません)
そんなこと言っていても、GAFAのAIマーケティングにいつまで私が抵抗できるのかはわかりませんが、とにかく「ベストセラーは読まない」「一番人気には手を出さない」「視聴率トップは見る必要がない」ついでに「いいね! とか星がたくさんついているものは疑ってかかる」ことをもうしばらくは続けていくぞ、と決めています。おもしろいもの、はまるものは自分で探す。それをしばらく座右の銘にしておきます。
(と思っていたら、日経朝刊にこんな記事がありました。そうかGAFAのマーケティングはこんな風に問題なんだ、とうなずいたので画像を貼っておきます)
 
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 外出自粛期間中に「孤独感に悩まされる」という高齢者の方たちからの声を聞いたので、「大丈夫よ」とか適当な対応してはだめだなと思い、本を読んでみました(→なんでもかんでも本に頼ってしまうのもどうかと思いますが)
「高齢者の孤独〜25人の高齢者が孤独について語る」
ビアギト・マスン&ピーダ・オーレスン編 ヘンレク・ビェアアグラウ写真 石黒暢訳
新評論
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福祉国で、世界一幸福な人が多い国と言われているデンマークの高齢者が語る「孤独」です。
読んでみて私が感じたのは「そうか、いくら福祉が充実していて、ケアも行き届き、コミュニティも緊密で、女性も自立しているところでも、高齢になると孤独を感じることが多いのだな」ということでした。
高齢者が孤独を感じるのは、どうやら場所と時代をこえて普遍的なことらしい。平均寿命が短かった時には、孤独を感じる前に亡くなっていたのでしょうが、人生100年時代、孤独への対処は大きな課題となっています。
そして高齢者が感じる孤独の原因も、平均寿命が80歳を超えるような国では共通している、ということがわかりました。

本書を読み、かつ私のまわりで孤独感を訴える高齢者の話を聞いて感じる高齢者の孤独の原因を、一番多いものから3つ挙げます。
1)仕事からリタイアして、社会的役割を失う
仕事のなかには育児や主婦業やボランティアなど、金銭を得ることを目的とした仕事以外のものも入るのだけれど、「収入を得ていた自分」の誇りと自信を失うことのほうがダメージが大きいようです。上手に仕事の第一線から引退していくことも必要だけれど、ほそぼそでもいいから社会的なつながりを持ち続けることも重要だと感じます。

2)転居する
子どもたち(圧倒的に娘)家族がいるから安心ではないかと、高齢になってから引っ越しをした人のかなり高い割合が孤独感に悩まされ、ひどい人は鬱になってしまう。とくに70歳を超えたら引越しなどせずに、住み慣れたところで暮らすことがいい、ということがわかりました。でもって私が驚いたのは、20歳くらいで離れた故郷(たいてい田舎)に戻った人の大きな割合が、孤独感から鬱になっていることです。50年も離れていたら、もうそこは帰るべき場所ではないってことですね。いくら実家に何回も帰省していたからって、そこは住むべき場所ではないということか、とさとりました。

3)家族や親しい友人を失う
これは高齢になればいたしかたのないことですが、親しい人が逝ってしまって感じる孤独はなかなか癒されないものらしいです。

そしてこの本には孤独をこうやって癒している(癒した)という話も出ていて参考になります。孤独感がふっと薄れていく、もしくは孤独とともに生きていく覚悟ができるときというのがあるのです。人によっていろいろですが、似通っていることもある。これは3位から挙げてみます。

3)自分もまだ人の役に立つことができると実感する。
一番わかりやすいのは、共働きの娘夫婦のために育児や家事の手伝いを定期的にするようになり、かつ時給をもらうことで自信を取り戻した、という人の話です。親子といっても金銭でサービスを提供することで、高齢者はずいぶん救われるみたいです。
ほかにも高齢者施設に入って自分よりももっとからだが不自由な人がいることを知り、その介護を少し手伝うことで張り合いが出た、とか、教会の清掃ボランティア(でも少しお礼をもらう)をするうちに癒されていったとかありました。

2)孤独を言語化して、適切な専門家に相談する
「孤独だ」「さびしくてたまらない」ということを誰かに打ち明けられたら、もうその段階でかなり孤独感から抜け出られている、そうです。まずは勇気をふるってカウンセラーなど専門家に相談すること。でも家族とか友人では安易な同情の言葉をかけられたり、叱責されたりするからかえってよくない。できれば自分の孤独についてSNSなりに書くのもよし。「こんなこと書いて弱い人だと思われるのではないか?」「みんなにうざがられて友人がいなくなる」という心配する人がいるけれど、それは杞憂で、同じように悩んでいる人から解決の手がかりをもらうことも多い、というのは、なんとなくわかります。

1)ささいな日常のできごとをたいせつにする
「孤独感がやわらいで、少しずつ立ち直っていった」と多くの人が語るきっかけは、日常のほんのささやかな出来事です。「朝起きたら晴れていて、ベッドに朝日がこぼれているのをみて生きていく元気がわいてきた」とか「飼っている犬の世話をしていることで癒されている」とか「庭の花が枯れそうになっているのをみて水やりしながら、まだ私は必要とされていると思った」とか。
もしかすると朝日や犬の世話や庭の水やりができるくらい元気を取り戻したから、それがきっかけと思えたのかもしれません。でも、日常の小さなことをたいせつにすることが、陥った孤独感から立ち直るきっかけを与えてくれる、ともいえます。

Go Toトラベル・キャンペーンをめぐってのすったもんだとか、クルーズ船の旅行は当分できそうにないとか、高齢者のための楽しみ(と高齢者による経済効果)がコロナ禍でどんどんと失われていきます。旅行に行ったからといって、高齢者の孤独が簡単にいやされるとは思えないけれど、でも旅行にいくという楽しみがあることで、張り合いが出ることはあったでしょう。
そんな中で、「日常のささやかな出来事に喜びを見いだせるか」ということが、これから高齢者が孤独をあまり強く感じないで生きていくための指針になるような気がします。それが「新常態」を生き延びていくための力にもなる。そう自分に言い聞かせています。

 今日はJ3ガンバU23vs讃岐FCで、いま試合やっています。DAZNを休止中で、来月、J1再開から休止をやめてまた始めようと思っているので、試合が見られていません。どきどき。

 それはさておき、J1再開までに巣立ち日記を終わらせるつもりでいます。もうそろそろ巣立たないとね。とはいうものの、いまだに東京は感染者の数が増え続けていて、私は都心をのしのし歩いたり、居酒屋で気炎をあげたりする気にはなれません。関西にいくのも「もしも私がウイルスをばらまいてしまったらどうしよう」というのと、新幹線に乗るのもこわいために、しばらくはガンバをパナスタで見ることも(心理的に)無理かなあ。

 新型コロナウイルスに関しては、感染の流行が終息することは近い将来には望めそうにないことがわかってきて、さかんに「ウイルスとの共生(symbiosisというのだそうです)」「ウイズ・コロナ」とか言われています。そして私の頭の中に「共生って、いったいどういうこと?」という疑問がわいてくるので、共生せざるを得ない相手を知ろうとこの数ヶ月で何冊か本を読みました。その中で、「ウイルスとの共生」をどうしたらいいのかということについて、ヒントを与えてくれた本を3冊紹介したいと思います。

『感染症と文明〜共生への道』
山本太郎著 岩波新書
『ウイルスの意味論〜生命の定義を超えた存在』
山内一也著 みすず書房
『免疫力を強くする〜最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ』
宮坂昌之著 講談社ブルーバックス

 まず、感染症とはいったいどうやって起こるのかが知りたくて手に取った『感染症と文明〜共生への道』は、東日本大震災の年に発刊された本ですが、今年、あらためて大きな注目を集め、岩波書店も増刷をかなりかけたそうです。(今年5月15日で7刷)
 感染症は文明の開始とともに人類とともにあり、何回となく歴史を変えてきました。14世紀のペストの流行でヨーロッパの人口が激減し、教会は権威を失い、代わりに国家が求心力を持つようになったとか、インカ帝国はスペイン人が持ち込んだ疫病で滅んだとか、インフルエンザの流行で第一次世界大戦が早めに終結したとかが有名ですが、そのほかの地域でも戦争ではなく(というか戦争の副産物として)感染症によって歴史が塗り替えられた例がいくつもあります。
 ホモ=サピエンスはもちろん、動植物が登場するよりはるかに以前からこの地球上に存在していたウイルス(そのあとに細菌が出てくる)は、生物と接触するとときに共生し、ときに感染症を引き起こします。ある地域の人は感染症の症状をあらわさないのに、遠方からやってきたヨソモノたちが突如発熱して死んでしまったりする。反対に元気な船乗りたちが遠方の島にやってきたら、島の人間の半分が重い病にかかったりする。ヨソモノとの接触の頻度がごく稀だった時代でも、感染症はその地の文明を滅ぼしかねない恐ろしさを持っていたのです。
 グローバル化によって大勢の人が短時間で地球上を長距離移動するようになった現代社会では、感染症はいつなんどきどこで起こるか予想もつかず、しかも今回のCOVID-19のように短期間に世界中に広まってしまいます。今後もコロナウイルスのような感染症はつぎつぎと世界を襲うでしょう。それではどうしたらいいのか?
 長年、世界各地で感染症対策に従事してきた著者は「根絶は根本的な解決策とはなりえない。病原体との共生が必要だ」と提言します。しかも「共生とは、理想的な適応ではなく、決して心地よいとはいえない妥協の産物なのかもしれない」というのです。真夏のマスクやソーシャルディスタンスをとることくらいならいいけれど、他の地域への移動はよほどのことでないかぎり禁止、ということもあるかも。もっといえば、「開発」のために森林を切り開いたり、深海探査をしたり、氷山を削ったり、そういうことやめたほうがいいんじゃないかな、と思いましたね。

『ウイルスの意味論〜生命の定義を超えた存在』を読んで、私はこれまで持っていたウイルス像が覆ったのだけれど、人類だってウイルスの全容を掴んでいないのだな、ということがわかりました。ウイルス研究は緒についたばかり。2010年代に入ってからも、細菌並に大きなウイルスが見つかったり、ウイルス同士で情報を交換していることが確かめられたり、高温低温や深海(高圧)という「まさかこんなところにも!」という場所でウイルスが発見されたりとそれまでの「常識」をくつがえすウイルスの姿が確かめられているのです。
 ヒトの体内には1キロくらい細菌がいる、というのは知っていたけれど、ヒトの細胞の中にはヒト内在性ウイルスHERVが9%もあるというのも驚き! 3000年〜4000年前にヒトの細胞に入り込んだレトロウイルスが感染力を失って潜んでいるけれど、何かの拍子に活動を始めるかもしれない、というのです。上橋菜穂子さんの名作『鹿の王』は、ウイルスの「攻撃的共生」という見方にヒントを得て書かれたものだとか。
 ヒト内在性ウイルスは人類にとってなくてはならない働きもしている、というのも驚きです。ヒトの胎児の胎盤にある合胞体栄養膜細胞というのは父親からくる遺伝子を持つ胎児を母親が異物として排除しないように、栄養素だけを取り込む働きをしているのだとか。そしてその細胞もHERVだというのです。ということは、私たちが生まれてこられるのは、ウイルスのおかげ、と言ってもいい。ヒトや動植物に病気を引き起こすウイルスはほんの一部で、ほとんどは「私らあんたたちとは関係ありません」とじっとしているのです。でもヒトの「資源開発」などの経済活動で、ヒトや動植物からすれば運悪く、ウイルスにとっては運良く細胞の中に入り込む出会いがあれば、そこで何かが起こるわけです。
 そしてやはりウイルスの世界的権威の山内さんもいうのです。
「現在、われわれの周囲に存在するウイルスの多くは、おそらくは数百万年から数千万年にもわたって宿主生物と平和共存してきたものである。人間社会との遭遇は、ウイルスにとってはその長い歴史の中のほんの一コマに過ぎない。しかしわずか数十年の間に、ウイルスは人間社会の中でそれまでに経験したことのないさまざまなプレッシャーを受けるようになった。われわれにとっての激動の世界は、ウイルスにとっても同じなのである
 言ってみれば、ウイルスさまが主である地球に、われわれ人類は新参者として居候させてもらっており、ウイルスさまとのつきあい方がわからないままに右往左往している、ということでしょうか。
 
 長くなってきたので『免疫力を強くする〜最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ』ついては簡単に。
免疫力をアップする、とちまたではさかんに納豆やヨーグルトやサプリメントを勧める「情報」があるけれど、免疫についてのトップランナーである宮坂先生に言わせると、食で免疫力アップはまったく望めないそうです。 
 結論から言うと、ウイルスとか異物が入ってきたときに、それっと素早く駆けつけて対処させるために、血流とリンパの流れをよくすることが肝心で、そのためには運動するしかない、とのこと。
 それと免疫力が強すぎるのも考えもので、異物でもないのに、自分のからだを攻撃して炎症を起こさせることでかかる病もあると言います。アトピー、アルツハイマー、花粉症なんかもそうだとか。ううう、私、風邪はめったに引かないし、病気にもかかりにくいので免疫力を誇っていたのだけれど、 花粉症などアレルギー疾患の宝庫ですよ。免疫が強いのも良し悪し。

 ほかにも読みましたが、結局この3冊かな。COVID-19と「共生」していくためのヒントとして、またあやしげな情報にまどわされない指針を与えてくれる本としておすすめです。

 というところで同志からメッセージあり!
 J3 vs讃岐戦、ガンバU23は3−2で勝利したとのこと! 唐山くん✖️2点、川崎くん(決勝点)おめでとう!! 

5月27日(水)
 緊急事態宣言が解除されたことから、3ヶ月弱ぶりにお孫2号(男子)に会いに行った。ビデオ電話ではよく会ってお喋りもしていたのだけれど、顔を合わせるのは3月初め以来。
 驚いたのは、語彙が増えたこともさることながら、副詞と助詞の使い方がほぼ完璧になっていたことだ。クルマ大好きの彼に消防牽引車ミニカーをプレゼントしたら、大喜びしてくれて(その顔が見たくてついつい大甘のババになってしまう)「おばあちゃん、○ちゃんに、いつもクルマを持ってきてくれてありがとう」とお礼を言われた。親(娘)も「え! そんなことが言えるんだね!」とびっくり。「いつも」という副詞が入り、「持ってきてくれる」という複雑な言い回しもできるなんて!!(ハイハイ、バババカが通りますよ〜〜)
 娘も幼いときから口が達者だった。1歳になるかならないとき、ご飯を食べさせながらテレビのニュースを見ていたら、いきなり振り返って「キタチョウセンカクササツ」 と言い出したのに驚かされたっけ。中2で韓流にハマって、ハングルを勉強し始めてまもなく、KPOPのラップを数回聞いただけで真似できたりとか。お孫2号もその血を引いているのかもしれない。
そういえば、一緒に遊んでいるとき「トラックが来ました〜」と私が言ったら、「え? ああtruckだね」と巻き舌で言い直された。さすがYouTubeにお守りされているだけあるわ(ハイハイ、バババカが通りますよ〜〜〜)
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(後ろ姿はもう少年)

夕飯は、昨日のボルシチ、アスパラガスとトマトのサラダ、米粉パン
Netflixで観た番組:『アンという名の少女』シリーズ3途中まで観た。何、これって『赤毛のアン』からは離れたフェミニズム映画じゃない?

5月28日(木)
 ご近所で菜園をやっていらっしゃる方がいて、ケールを大量にいただいた。ケールは「子ども時代の思い出の野菜!」なのだ。
実家の裏庭で祖母がケールを栽培していて、その葉をジューサーでしぼった青汁を飲まされる苦行に耐えた小学校時代だった。ところが、長じてからときどきあの「うー超まずい!」ことで有名になった飲み物が懐かしくなって、無農薬でケールを作っている農園からわざわざ取り寄せてジュースにして飲んでいたことがあったのだ。ケールは🥬思い出の味。良くも悪くも。
 だが、ご近所からいただいたケールは生で食べてもほろ苦さが病みつきになりそうなおいしさなのだ。育ちすぎて固くなったと言われたので、スープと炒め物にしたら、私の知っているあのケールからは程遠い、苦さどころか甘みさえも感じるおいしさだった。少しだけいただいたパクチーと一緒に豚肉と炒めたら、あっという間に消費してしまった。

夕飯はだから、ケールそのほかの野菜とベーコンのスープ、🥬そのほか野菜と豚肉の
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読んだ本:『還暦からの底力:歴史・人・旅に学ぶ生き方』(出口治明著 講談社現代新書)
教養=知識✖️考える力、というのはすごく腑に落ちた。この本もだが、『ホモ・サピエンス』でも日本の男女不平等について章をさいて言及している。コロナ禍が不平等の元凶である、生産性の低すぎる働き方を変えるきっかけになればいいのだけれど。

5月29日(金)
 SNSでの誹謗中傷を苦にして、女子プロセスラーの木村花さんが亡くなられたことがニュースになっている。私は木村花さんのことも、「テラスハウス」という番組もまったく知らなかったのだが、ニュースに接したときに、自分でもびっくりするほど心が痛んで苦しくなった。
 私がネットの世界に足を踏み入れたのは、1990年、パソコン通信というメディアの草創期からだった。ニフティサーブに登録した私はフォーラムに、チャットに、夢中になった。そのときに知り合ったネット仲間は、今もFacebookで親しくつきあっている。顔を合わせる回数はパソコン通信のときほどではないけれども、今もたいせつな仲間だ。大げさでなく、パソコン通信からFacebook、Twitterと続くネットの世界は、私の人生を大きく変えた、と思っている。
 だが、30年どっぷり浸かってきて身にしみているのは、バーチャルでしかつながらなかったとき(つまり顔が見えない人とは)人は人に対して驚くほど残酷になれることである。特に匿名やなりすましで書き込めるメディアでは、人は容赦なく徹底的に人を攻撃することが平気になる。実際に顔を合わせていたら、決して相手には言えないような言葉が、匿名メディアでは平気で吐ける。
 非難すると、ちょっとウケを狙ってみただけ、本当はみんな言いたいと思っていることを書いてみただけじゃないか、と開き直られる。
 30年もその世界で過ごすうちに、私も見知らぬ人からの根拠レスな中傷にショックを受けて、もうネット世界からは足を洗おうと思ったことが何回かある。でも、有名人でも成功者でもない私に対するバッシングなんて、所詮たいしたことがない。「今弁護士に相談している(→本当に2回ほど相談したことがあった)」というと、いつの間にかおさまった。だが、そのとき書き込まれた攻撃の言葉は、今も胸に刺さっていて、思い出すと苦しくなる。
 いじめもそうだが、結局は「逃げるが勝ち」なのである。どこに逃げ場を作っておくかをいつも考えておくことが大事なのだ、というのが今のところの私の対策である。
 それにしても悲しい。木村花さん、心よりご冥福をお祈りします。こんなに悲しくて悔しいことが二度と起きないように、なんとかしなくては。

夕飯は、グリーンアスパラとバターフランスパン(昼に残り物を食べたので、夜は空腹にならず)

読んだ本:『JIN~仁』まだ読み終わらない
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(毎日同じようなレシピばかり作っているので、せめてちょっと目新しさを出そうと、ハーブをふんだんに使うことにしています)
 

ついに(9)まで来てしまいました、巣篭もり日記。できれば(10)で終わって欲しい。いや、たぶん終わりますね。終わらせましょう! あともうひと息。

5月14日(木)
5月11日付の日本経済新聞朝刊、エコノミクストレンドを読んで暗澹たる気分になった。
慶大教授の鶴光太郎さんという人が「AI時代のスキル見極めを」というタイトルで、人生100年、人工知能=AIが大幅に進化してこれまで人間がやっていた職を奪ってしまうという時代に、それでは人間はどんなスキルをつけたら生活していけるか、という話を書いている。いま世の中にある職業のほとんどはAIでまかなえる、大半の人間が「失職」してしまうのだからベーシックインカムを真剣に考えよう……それってディストピアじゃないか! と思ったので、こわごわ読んだ。
記事の内容は、経済産業研究所が2019年に実施した「全世代的な教育・訓練と認知・非認知能力に関するインターネット調査」をもとに、学力テストで測れる「認知能力」と、外向性や勤勉性、協調性などの個人の性格の特徴である「非認知能力」の両方について、賃金との相関関係を分析している。
大学の偏差値が高いほど賃金が高いのは、男性の50代以上のみ。50歳未満はあまり関係ない。賃金との正の関係があるのは、言語能力よりも数的な能力の方。非認知能力では、賃金との正の関係があるのは「外向性(社交性・積極性)」そして「自尊心」だが、「協調性」は負の関係になる。つまり協調性の高い人は、自分のことより他人のことを優先してしまいがちなので、賃金は低くなる……って、つまり俺様やろうのほうが高い賃金をとっているってこと? 
だが、そんなこたぁたいした問題じゃない! 私が問題と思ったのは、女性についての分析だ(ほんの数行しか触れていないところにも怒りが!)
女性は働きだしのしょっぱなから男性の7割弱の賃金しかもらえず、どれだけいい大学を出ても、どれだけスキルをつけても、その賃金格差は職業人生の最後まで広がるばかり、という分析結果である。(太字にしておく!)もちろん平均賃金だから、一部の女性たちは男性並みの賃金を得ているかもしれない。だが、平均すると女性の賃金は生涯にわたって男性の7割以下。当然ながらそれは受け取る年金額にもはっきりと出る。
学校生活にかぎってかもしれないけれど、総じて女子のほうが男子よりも平均的に優秀だ、という。でもいったん働く場にでたら、がんばって身に付けた能力も性格のよさもまったく問題にされない。問題にされるのは、性別だけってことだ。あげくにワンオペでへとへとだもんなあ。
フェミニズムが必要だ、とあらためて痛切に思った。AIがどんなに進化しても、男女平等にはならないのだから。

夕飯は焼き餃子、のみ。夫が通勤している間は、食事時間がずれるので餃子やステーキのような焼きたてじゃないとおいしくないものは作らない。だから、在宅勤務期間には餃子がすでに二回目の登場。
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エゴノキの花が満開! この時期にエゴノキの花が満開になるってことに初めて気がついた。

5月15日(金)
巣篭もり期間に入ってから、急に漫画が読みたくなった。
『アルテ』(大久保圭)から始まって、
『アシガール』『ごくせん』(森本梢子 今頃そんなもの読んでるのかってあきれられますね)
『裸一貫! つづ井さん』(つづ井)
『王様ランキング』(十日草輔)(これはあまりというか、全然おもしろくなくて途中でやめた)
『アンサングシンデレラ 病院薬剤師葵みどり』(荒井ママレ/富野浩充)と来て、
今は『ミステリと言う勿れ』(田村由美)。
これまでのところ『アルテ』に一番はまったな。早く続きが読みたい。
そうそう『雪花の虎』(東村アキコ)の新刊も読んだな。ずっと周囲から男性と思われて生きてきて、結婚もして、でも亡くなって埋葬するときに実は女性だとわかったっていう人は歴史上もよくいたらしい。上杉謙信が実は女性だっていうのも、頷ける。男性のほうがずっと生きやすい世の中だものね。

夕飯は冷やし中華、五目豆、ポテトサラダ。だんだん同じメニューが続いてしまう。

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数ヶ月前に植えた球根?宿根?から芽が出て、2、3週間でにょきにょき伸びて花が咲いた。何を植えたか忘れてしまったので、写真を撮って花屋さんに見せたら「グロキシニアじゃない?」とのこと。イワタバコ科の一種らしい。

5月16日(土)
 今年小学校に上がったけれど、1日も授業を受けていないお孫1号。何回か宿題のプリントやらをもらってきて、親がつきっきりで教えてやらせているそう。
 娘(長女)から「国語でお話を読んで、おもしろかったことを書きなさいっていう宿題に手こずっている。おもしろかったことってどういう意味? と聞かれて、どう説明したらいいかわからないんだけれど、どうしたらいい?」という質問がLINEで来た。
 えええ! 私にそれ聞く? そもそも自分が経験したことがないことを、お話を読んだだけで「おもしろい」と感じるのなんて無理じゃない? 感性や感情は自然に身につくものじゃなくて、経験を言語化していくうちにだんだんわかってくるもの。人生経験が6年しかない子どもに、お話を頭の中で情景として描かせて、おもしろいとか、悲しいとか感情移入させたりするのはかなりむずかしい、というかそんなこと可能なのか? そんな子どもに「この話はここがおもしろいんだよ」と経験からわかっている大人が先走って教えるのはどこか変。 
 とか返事を送ったら「ママの言うことはよくわかるけれど、それじゃ宿題は終わらない」と言われた。 
 そしたら次女がLINEに入ってきて「私が読んだ育児本に、子どもが泣いたときには『悲しいんだね? 悲しいから泣いているんだね?』と幼児のころから感情を言語化して教えるように、とあったから私はそうしている」と言い出したものだから、長女は「今から言語化するように心がけても、宿題には間に合わないよ」状態に。
 ああ〜〜〜早く学校始まってくれ〜〜〜! 学校という集団の社会生活でしか学べない感情や感性があるんだから〜〜〜!

夕飯は、ビビンバ、残り物のアジのフライ、豆腐と油揚げの味噌汁

5月17日(日) 
 雨が上がって夏の晴天。でも早朝太極拳道場の公園には、ラジオ体操後にはほとんど人がいなくなった。鳥の声しか聞こえないところで、花盛りのエゴノキの木の下で気持ちよく一人太極拳。
 世界が感染症で揺れていることを、しばし忘れるほどの平和なひとときだった。
 だが、昼から買い物に行った夫が「スーパーも商店街も人があふれていてとても入れない」とメールしてきた。「いいよいいよ、もう別に買わなくていいから、早く帰ってきて」と返事をする。
 日曜、早朝の公園には人がいないけれど、昼間のスーパーや商店街には人があふれる……BC(before Corona)の「日常」に戻ったってことか? 東京はまだ緊急事態宣言中のはず。大丈夫なのかなあ。

夕飯は、青椒肉絲、ナスの煮浸し、五目豆
 
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