Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

青黒を追いかけて

2ヶ月に及ぶ外出自粛生活にようやく終止符が打たれたようで(一応)、「新常態」での日常が戻ってきます。マスク着用、2メートルの社会的距離をとる、三密はやっぱり避ける、など「新常態」の条件が出ていて、まだ恐る恐るではありますが、ともあれ日常生活が始まります。
巣篭もり日記を終えて、さて、この時期に何を書こうかなと考えていました。「新常態日記」(変態日記みたい)、「AC(アフターコロナ)日記」(あまりに露骨で芸がない)などタイトルをあげてみたものの、そんなタイトルでは前向きなことは書けないなとあきらめ、ベタではありますが「巣立ち日記」で始めてみることにします。
この2ヶ月、人と顔を合わせることがほとんどなく、同居の夫とでさえ挨拶程度しか話をしませんでした。そのおかげかどうか、ひさびさに自分自身との会話時間が長くとれたように思います。これからどうなるのか、私はどうすればいいのかといろいろと自問自答を重ねた2ヶ月が終わって、いま一番強く自分自身に言い聞かせているのは、「2ヶ月前と同じ思考回路で、同じ生活態度で生きていってはいけない」ということです。
 これまで「普通」だと思いこんでいたことが、普通ではなくなりそうで、当然続いていくと信じていたことが終わってしまうかもしれない時代がやってきます。これまでの経験とか実績とか知識とか、そんなものがまったく役に立たなくなるでしょう。頭も、心も、からだも、そんな大きな変化に対応できるような柔軟性と強靭さが求められています。ちょっと大げさですが、私はこれからあらたな羽ばたきを覚えて、勇気を持って巣から飛び立っていかねばならない。だから「巣立ち日記」なわけです。
66歳でもう一回巣立ちか〜と思うと、3分の1の私は「やれやれ」とため息をつき、3分の1は不安を覚えているのですが、あとの3分の1はワクワクしています。できればワクワクを半分くらいには持っていきたいです。何回も羽ばたいては転がり落ち、羽ばたいているつもりなのに少しも飛び上がれないことが続きそうですが、どうか無事に巣立ちができますように!

5月25日(月)
いよいよ関東圏や北海道も緊急事態宣言が解除された。
午前中に美容院へ。昨年の年末から髪を伸ばしっぱなしだ。肩にかかってはねてしまうので気にはなっているのだけれど、やりたい髪型が思いつかない。
もう20年近くお世話になっている美容師さんに相談したら「髪を伸ばしていきたいのですか? 伸ばしていくにせよ、いまは毛先が傷んでいるので、せめて3センチでも切ったほうがいいですよ」と言われた。
3センチ切りそろえるだけなんて中途半端なことはしたくない。切るんだったら、思い切って10センチは切りたい。
せっかく切るのだったら、過激な髪型にしたいのだけれど、今は過激に走るだけのエネルギーが湧いてこない。巣篭もり疲れなのだろうか?
結局、シャンプーブローだけにしてしまった。
読んだ本
『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社)上巻を読み終わる。
『JIN~仁』5、6巻

夕飯はいわしのパン粉焼き(巣篭もり中に4回も作ってしまった。今回はドライトマトでアクセントをつけてみた)、野菜スープ
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5月26日(火)
 ガンバが練習を再開したらしい。Twitterに動画が上がっていたので、食いついて見た。
https://www.gamba-osaka.net/news/index/no/11027/
選手たちも宮本監督も元気そうでうれしい。7月にはパナスタで試合観戦ができるのだろうか? サッカーだけではないが、スポーツ観戦の形も変わっていくのだろうなあ。


 巣篭もり期間中に痛感したのは、誰かが何かをしてくれると待っていても、その何かが起こることはないし、何かは手に入らない、ということだ。
 マスクが品切れだ、なんとかしてくれとドラッグストアの店員に迫っても、出てくることはなく、アベノマスクが送られてくるだけだった(ああ、血税の布マスク……涙)。
 自粛期間が終わったら、ひいきのレストランが閉店し、お気に入りのミニシアターが閉館し、好きなアーティストが廃業してしまっていたら……どうしよう、誰かどうにかして! というだけでは、どうしようもないことがわかった 。
 ネットを眺めているだけではどうしようもない。行動を起こさなければ、アフターコロナの社会はとてつもなく味気ないものになってしまう。私ができることは何かをいま模索中だ。
 その一つとして、Facebookで教えてもらった、生産者と飲食業(レストラン)を支えるためのお取り寄せ企画にのってみた。遊ぶたという北海道の養豚業者と、その豚肉でソーセージやハムを作って出しているレストラン、ブーシェルの手作り加工品、そして北海道のおいしいチーズ製造業者の製品を購入した。大満足。
お取り寄せで夕飯はボルシチ、パテドカンパーニュとハムのゼリー寄せ、パプリカとマッシュポテト添え
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読んだ本:『LIFE SHIFT~100年時代の人生戦略』リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著(今更ですが、ベストセラーを読んでみました。うーん、ちょっとしんどかったなあ。100年、できれば85年くらいで人生を終えたいですよ〜) 

どうやら来週月曜日、5月25日には東京も緊急事態宣言が解除されるようなので、今回で(当初の希望どおり)巣篭もり日記は終了します。4月半ばに書き始めた当初は、「100年に一度」とか騒がれるこの感染症による外出規制で在宅を余儀なくされ、自分自身がどうそれを受け止めるのかを分析してしておこう、日記形式で日々何をやって、どんなことを感じ、考えたかを書き留めておこう、というつもりでした。
当初はマスクや消毒液がまったく出回っていなかったり、スーパーやドラッグストアでの買い占めが話題になっていたり、外出規制にもかかわらず遊びにいく人への非難が高まったりしていましたが、5月連休明けからは、「経済の立て直し」「新常態」とかACの話題が多くなってきています。
そこで、気が向いたらですが、アフターコロナの生活について、ビフォーコロナと比べながら考える日記を書いてみようかない、と考えています。でも、ま、ほんと気が向いたら、ですが。

5月18日(月)
 ガンバの試合に関する記憶は、20年間にわたってかなりしっかりしていると自信があるのだけれど、学校に通っていたころの記憶が失われてしまっている。今年度、小学校から高校まで通った学校の同窓会幹事が回ってきたので名簿の整理をやったのだけれど、申し訳ないことに名前を見てもその顔が思い出せる人が3分の2しかいない。
最後に同窓会に出席したのは6年前、還暦を記念して開かれた会だったのだけれど、そのときも「あの人誰?」状態で、親しくしている人にこっそり聞いて教えてもらうことたびたび。それからもう6年同窓会に顔を出していなくて、しかも幹事になったんだから今度こそ出席するぞと楽しみにしていたのに、今年同窓会を開くのはむずかしそうだ。記憶はどんどん薄れていく。
妹から「お姉ちゃんは思い出を大切にしていない」とよく非難(?)される。私が昔の写真とかをぱっぱと捨ててしまったり、学生時代のことをほとんど覚えていなかったりするからだ。 私が大切にしたいのは過去ではなく、現在と未来なんだ、と非難されるたびに言い返していたのだが、その気持ちは巣篭もり状況になってからますます強くなっている。
過去を思い出すのではなく、現在と未来のことを考えたい。昨日より今日、今日より明日をもっとよくするために、何が私にできるか、もしくは何をしてはいけないか(次世代のために、未来のために)と考えて行動しないと、コロナ禍に呑みこまれてしまいそうで不安なのだ。

と、テーマからいきなりずれてしまうけれど、過去の思い出深いYouTubeをアップしてしまおう!
試合開始から監督胴上げまで、全てが記憶に刻まれている。何回見ても泣けてくる。



夕飯は、ほうれん草&ケール&新玉葱と豚肉炒め卵とじ、レタスやベイリーフのサラダ、野菜スープ

 5月19日(火)
図書館が休館になるぎりぎりのタイミングで借りた本の返却のために外出。返却ポストに入れながら、外回りを掃除していた警備員さんに「開館はいつごろになりそうですか?」とダメもとで聞いたのだけれど、案の定「さ〜今月いっぱいは閉まっているんじゃないの? 私じゃわからない」と素っ気なく言われてしまった。
図書館が休館してしまうと、デジタルの資料にしかあたれなくなってしまって本当に困る。 つぎにロックダウンがあるときには、HPで予約した書籍や資料の貸し出しくらいはぜひできるようにしてほしい。電子化されていない資料を必要としている人は、決して少なくないはず。
もしかしたら、あそこにあるかも……とかすかな期待を持って、雨の中をとぼとぼと2キロほど歩いて古書店に行ってみたのだけれど、そこも閉まっていた。本と出会えない生活。それが私には一番こたえているのかもしれない。そんな贅沢で呑気なことを言っている場合じゃないのだろうけれど。

夕飯は、ナスの煮浸し、青椒肉絲、豆腐と大根の味噌汁、煮豆、野菜スープ(残り物の惣ざらえ)

5月20日(水)
今回の記念に、マスクを縫ってみた。ガーゼとゴムがセットになったキットを購入して、ミシンがないので手縫い。
私はものすごく不器用で、特に裁縫が大の苦手。高校のとき、家庭科でパジャマとかエプロンとかブラウスとかスカートを作らされたが、全部母親にやってもらって提出した。雑巾だってまともに縫えない人に、そんな高度な衣服なんて無理ですよ。
その後も裁縫トラウマは続き、娘たちの保育園では布団カバー(敷き布団とかけ布団の両方)、汚れもの袋、着替え袋、防災頭巾全てを同じ柄の布地で縫わされるという苦行があり、ミシンがないために全部手縫いした。子どもを寝かしつけた後に徹夜して作りましたね。頭の中で「かあさんがよなベーをして〜〜布団カバー縫ってくれた〜〜」が脳内リフレイン。でもあの頃は、認可保育園にやっとこさ入れた喜びで、その苦行にも耐えられました。
娘たちも「同じ柄で布団カバーやらを作る」ことは保育園から言われたが、なんと! 最近ではネットで請負販売するプロがいっぱいいるのだとか。しかも安い! そうだよね。ミシンがない家庭が多くて、時間も労力も限られている働くお母さんに、手作りしろ、それが母親の愛情なんて押し付けはまったくおかしい。
でも、自分のものを趣味で作るのだったら楽しい。型紙とって裁断、手縫い、というので2時間弱で出来上がり。これもコロナ記念ってことにしよう。
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夕飯は、豚肉ともやし、玉葱、きのこの中華炒め、春雨ときのこのスープ

5月21日(木)
検察庁法改正案が今国会で見送りになったと思ったら、なんと黒川東京高検検事長が、緊急事態宣言期間中に新聞記者と賭け麻雀をしていたと週刊文春がすっぱぬき、それをきっかけに黒川さんは辞任届を出した。検察庁法改正についても、記者クラブの在り方についても、文春砲についても、言いたいことは山ほどあるが、それはさておき。
私にはわからないのが「なぜ検事長になるほどの世知たけたやり手の検事が、自分が渦中の人物であることがわかっていて、三密を避けるために自粛を強いられているこの時期に、違法である賭け事をしたのか?」ということだ。ギャンブルの中毒性は検事長の理性を失わせるほど強いものなのか? 
このコロナ禍が起こってからも、パチンコがやめられない人たちのギャンブル依存症が話題になった。その前にもIR(統合型リゾート)にカジノが入ることに対して、ギャンブル依存症で家庭を壊された人たちから反対の声が上がり、挙句に賄賂もらっていた議員が逮捕されたりした。
パチンコも麻雀も競馬も、人生で1、2回しかやったことがない私には、わからない。ギャンブルの面白さも、なぜ人生を棒に振ってまでのめり込んでしまうのかも、まったくわからない。わからなくて幸せだと思っている。たぶんアドレナリンがドバーッと出て、それが快感で、クセになるのだと想像しているのだけれど。
もしかすると、ですよ、それはガンバが2点差をひっくり返す逆転勝ちをして、しかもそのゴールが後半93分だったときの痺れるような興奮なのだろうか? ああ、それならわかります。私もその興奮が忘れられず、きっとまた強いガンバが見られるだろうと、万博やパナスタの階段を登ってしまうんですよ。……ってなんでギャンブル依存の話からガンバ依存症へと話が移っちゃったんだ? 早くJリーグ再開しないかなあ。

夕飯は、おでん(季節外れのメニューだけれど、寒いんだもの)、大根ときゅうりとレタスの梅干し和え豆腐のせ、枝豆
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5月22日(金)
4月12日から書き始めた巣篭もり日記を今日で終えることにする。(別の名前の日記を始めるかもしれないけれど)
私が巣篭もりを始めたのは、3月28日からだ。3月27日に打ち合わせのために渋谷に行ったのを最後に、公共交通機関を利用していない。徒歩と自転車で行ける範囲でしか行動していなくて、夫と近所の人(太極拳の師匠と美容師さんを含む)以外と直接顔を合わせて話をしていない。2ヶ月あまりで話をしたのは合計6人だ。
でも、ビデオ会議や飲み会はやっているし、娘や孫たちとはビデオ電話はしているから、人と話をしていない、という感じはまったくしていない。暇だからSNSへの投稿やブログの更新は以前より頻繁なので、むしろ「最近よく喋ってるな、私」とさえ思っている。
巣篭もり期間中の変化をあげると
ー早寝早起きになった(6時前に起床、10時すぎにベッドに入る)
ーNetflixとVimeoで映画を見るようになった(15本くらい観た)
ー手紙を書くようになった(ほぼ毎日誰かに手紙を書いている)
ー消費を控えるようになった(別に控えたいと思っていたわけではないのだけれど、買い物に行かなくなったし、生協は欠品ばかりだし、ないならないでなんとかしようと思っているうちに巣篭もり前から消費金額が半分以下に減った)
ーじっと座り、できるだけ何も考えない時間が少しずつ長く持てるようになった(まだ瞑想まではいかないのだけれど)
巣から出て、さて、この期間中に得たもの失ったものを今後どうするのか、ということについてはまだ考えられない。
ただ、体調も精神面も健やかに巣篭もりができたことは、とても恵まれていた、ありがたいことだと心底感謝している。

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もう一つ、地元商店街を支えるために、できるだけ地元で消費するようにしている。毎週花屋さんに通って、花を買うようになったのも巣篭もり期間中の「習慣」の一つ

夕飯は、甘鯛のアクアパッツァ、アスパラガスとトマトもサラダ
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ヴィッセルとセレッソで新型コロナウィルス 感染者が出たことを受けて、ガンバ大阪はスタッフと職員全員を17日間の自宅待機と通告したそうです。4月14日までとありますが、また延期になるかもしれません。京都サンガだけがずっと練習しているそうですが、地域差もあるのでしょうか。
試合がいっさい行われていないいま、週末に私はほぼ自宅で過ごしています。でも土曜日の朝目覚めると「今日はほんとは試合のある日だったな〜〜」とか「去年までは飛び上がって喜んだり、落ち込んだりしていたんだな〜〜」とか思って、少し寂しい気持ちになります。
パンデミックのいま、たかがサッカーのことで落ち込むなんてあまり大きな声では言えない、ということはわかっています(と言いながらブログに書いているのですが)。サッカーだけでなく、ほかのすべてのスポーツとスポーツ観戦が中止。財政的な困難にぶつかるクラブが多く出るのではないか(実際もう出ている)とそこもたいへん心配しています。

Jリーグとプロ野球の試合が延期され、悪くすると今シーズンはもう無観客試合にするしかない、いやそれもできないのではないか、リーグの再開はかなり厳しいのではないか……という声までささやかれる中で、いまあらためて「スポーツの社会的意義」みたいなことを考えています。
つまり、スポーツって社会にとって「不要」な存在なのだろうか? とか考えてしまうのです。
スポーツの試合だけでなく、現在公演中止となっている音楽のライブやコンサート、演劇やバレエなどの舞台パフォーマンス、 美術作品などの鑑賞、そういった「生」「ライブ」「リアル」なものを見たり聴いたり楽しんだりする行為は、これからいったいどうなるのでしょうか? 
感染を広げないためにたいせつなのだ、命と社会を救うためにはやめるしかないのだ、とわかっています。でも、スポーツや音楽、パフォーマンスで生計を立てている人は大勢います。試合や公演が中止になって、たちまち生活に困る人が出てくるし、倒産するクラブや企業や劇場はたくさんあるはず。再開のめどが立っていない今、大きな不安を抱えて過ごしている人たちは大勢いらっしゃるでしょう。そういう人たちへの救済が示されないままでは、感染症が収束したあとに、この社会の文化活動すべてにどんな影響がでるか、考えるとこわいです。
ここ一週間ほど、日経新聞の下段には大学受験予備校の広告がほぼ毎日掲載されています。調べてみたところ、「医学部合格○名」とうたっているところが半分以上ありました。もちろん医師志望者が増えることはいいことだし、どんな時代でも医師はたいせつな職業であり、社会を支える存在であることはまちがいない。それはよくわかっています。
でも、広告の上段の記事では、スポーツインストラクターやミュージシャンやレストランオーナーたちの、生活が立ち行かなくなっているという声が掲載されています。
記事を読み、広告を眺めた私は、うがった見方かもしれませんが、ある種の「脅し」を感じています。
「医師はどんなときでも社会から求められている職業だけれど、スポーツや音楽(そして私のような文筆業も)なんかは緊急の場合には真っ先に切り捨てられる職業だ」

試合観戦も音楽ライブを聴きにいくことも、平和で安全な社会でこそできることです。平和と安全を取り戻したときに、試合や音楽でまた感動が味わえることを願ってやみません。そのためにも、すばらしいプレーや優れたパフォーマンスを披露してくれる人たちを、こういう緊急事態にこそ守る指針をとくに政府と行政に示してほしいと思います。
スポーツも音楽も本も映画も演劇も、たしかにいまは不要不急でしょうが、社会にとって、いや人間にとってぜったいに必要なものだ、と私は信じています。

と、ここでさっき見つけたスティーヴン・キングのすてきメッセージを貼り付けます。
「もしアーティストが不要だと思っているのなら、隔離期間を音楽や本、詩、映画や絵画なしに隔離期間を過ごしてみたら」
私はここに「たとえ録画でもガンバの試合観戦なしに在宅隔離時間を過ごせますか?」とガンバサポに問いたいです。
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ついでに、フランス国立オーケストラの団員たちが、ネットを通じて演奏しているボレロの動画も貼り付けておきます。もちろんすばらしいパフォーマンスなんだけれど、よけいに生で聴きたくなります。


 

今年、5月30日〜6月7日に北マケドニアの首都スコピエで開催予定だった第4回CONIFA World Football Cupはこの日程での開催は中止になりました。
来年同時期に、同じ場所で開催するか、もしくは中止にして、2022年に第4回大会を開催するかはまだ未定です。4月1日に会長が決定して発表する、ということになっています。
http://www.conifa.org/en/2020/03/23/announcement-conifa-sportsbet-io-world-football-cup-2020/
(CONIFAからのWFC2020は中止するという通知です)
これからCONIFAの活動をどう継続し、発展させていくかについては、まずは新型コロナ・ウィルスの終息を見届けてからまたあらためて考えていくことになります。
世界が大きく変わっていっても、サッカーをともに楽しむことを通じて世界のすみずみまで友情の橋を架ける、というCONIFAの理念が必要であることは変わらない、と私は考えています。どのようにそれを実践していくかを、これからあらためて考えていきたいです。
 https://youtu.be/ZVmR_j265Xg
 

勝ったどぉぉぉぉ〜〜〜
マリノスvsガンバ 1対2
ガンバゴールは倉田と矢島 マリノスゴールはマルコスジュニオール

@日産スタジアム(味スタと並ぶ魔境)
開幕戦はいつもぐでぐでのガンバさんで開幕戦で最後に勝ったのが2011年
横浜Fマリノスがもともと苦手な上に、昨年は2タテくらってますます苦手
マリノスにはスーパーな選手がいっぱいいる上に監督3年目でチームの熟成度が高まっている
……というような数々のマイナス条件をくつがえして、ガンバさん勝ちました!

マリノスの試合前の応援歌が「レミゼラブル」の「民衆の歌」!
この歌ね、私が落ち込みそうになったときに口ずさむ応援歌なんですよ。いけないいけないと思いつつ、思わず一緒に歌っちゃいました。そのときガンバのチャントを歌っていらしたゴル裏のみなさん、ごめんなさい。
すばらしいサッカーでてっぺんをとったマリノスのみなさんに挑むガンバの面々に、民衆の歌の中にあるこの一節、「砦の向こうに世界がある、戦え、それが自由への道」ってのを送りたかったんですね。ほんと前線のハイプレスから、最終ディフェンスラインまで、みんなで築いた砦で、攻めてくるマリノスさんを跳ね返し続けました。

終了後にスタの階段を下りながら、同志に「なんかジャイアントキリングしたみたいな気分」とか言っちゃいましたよ。まだ「砦(英語ではバリケード)の向こう」には行けていない試合内容だったけれど、戦ってはいたよなーと試合を思い出しながら、帰りの電車の中でまた「民衆の歌」を脳内歌唱していました。

さて、私の記憶と記録の中では、 開幕戦はいつも張り切って万博またはパナスタでに入り、「シーズン始まるねーわくわく」気分で声を張り上げてチャントを歌う。試合、しょぼい。負けるか引き分け。帰りはしょぼんとお仲間たちとビール飲んで「これからこれから!」とか景気つけてた記憶と記録しかありませんわ。
そこで私の頭の中に「開幕戦に楽しいエキサイティングな試合を期待してはいけない」とインプットされてしまったかも。2018年と19年は開幕戦を欠席しちゃいました。

弱者のサッカーだ、とか、90分ハイプレスが続くわけないだろう、とか、攻撃は相手のミス頼みか? とか、あれこれあれこれ、せっかく前年王者を倒したという喜びにひたらずにネガティブコメントも見かけますが、私は素直に嬉しいです。
前年王者をリスペクトして勝ったのです。苦手の日産スタジアムで、苦手の開幕戦で、勝てたんです。どれだけ大きな自信が芽生えるか!
出てくる選手が全員走りまくり、足がつってもまだ走り、へろへろになりながらもからだをはり、最後の最後まで気を抜かなかった。前半で2点先取したハーフタイム、私はいやーな予感におののいていました。「魔の2点差。1点取られたら、がたがたとくずれてしまって、同点、いや逆転されちゃうんじゃないか」とね。
でも、今季のガンバさんは違いました。圧力を強めてきたマリノスさんに、受け身になりながらも耐える。耐えてまた前にボールを運ぶ。足をもつれさせながらもボールを奪う。もうね、後半1点返されてから息を止めること延べ5分くらい、、、でしたが、ふしぎと目をつぶろうとか、とても見てられない、とはならなかったのです。
むしろ、もっとガンバさんが戦う姿を見ていたい、もっと応援したい、そういう気持ちでした。
85分を過ぎた時から、ゴル裏だけでなくメインスタンドまでガンバサポみんなが大きな手拍子。何を歌っていたかもう私は記憶にないのだけれど、どうも声を張り上げていたらしく、夜中に喉が痛かったです。
あのときの雰囲気はとてもよかった。開幕戦であんなにゴル裏で一体感を感じたことはなかったかも。

開幕戦で勝利したからといって、次戦も同じような戦いで勝てるとはかぎりません。
でも、私は昨日の日産スタジアムのゴル裏で味わったあの熱い気持ちを忘れずに、今季もガンバを応援していきます。楽しみだな〜〜〜
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 アウェイでのガンバクラップはまたたまらなくおいしい!

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