Glamorous Life

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観る極楽

さて、心の残る青春映画、2000年からの5本をあげます。2001年、私は47歳でした。世界を大きく変えてしまった9.11は、私自身や家族たちの生き方にも大きな影響を与えました。それがなんだったのか、という検証はまだすんでいませんが、具体的には夫も私も仕事に大きな(マイナスの)影響があったし、娘たちが就職するときの選択肢にも影響しました。
20歳過ぎた大学生の娘とは、そのころよく一緒に映画や芝居を見たり、本やCDを交換したりしていましたが、ここで紹介する映画のうち3本は娘からの推薦です。

1)「ゴースト・ワールド」2001年
恵比寿ガーデンシネマで娘と一緒に観賞。同年代の少女二人が主人公だったためか、それとも少女のうちの1人、ソーラ・バーチ演じる少女のファッションが娘の趣味にずばっとはまったためか、娘はその後この映画を友人と見に行ってあまりに話が盛り上がったので、その後またいろいろと確認のために1人で見にいったそうです。
1980年生まれの長女は、90年代の女子高生ブームのときに女子高生でした。パンツが見えそうな短いスカートにルーズソックス、茶髪、ピアスあけまくり、もちろん化粧もしていました。(どんどん過激になる娘にはらはらいらいらしながらも、それならと対抗して私もやってみました。思い切って金髪に近い茶髪にし、ピアスを開けて、派手なファッションに挑戦し、ついに娘たちに「ママ、もうやめて〜〜〜。私もやめるから」と言わせるのに成功したわけです)
大学生になるとコギャルは卒業したものの、当時流行ったお嬢様ルックにはまったく乗れず、かといって好きなパンク・ファッションに走ることもできず、どのあたりに焦点を定めるかを試行錯誤していたところだったようです。そんなときに出会ったこの映画。高校を出てもつるんではみだしものをやっている少女2人が、ど不細工なオタクにからんでいくこの映画に娘がはまるのは必然だったのかもしれません。スカーレット・ヨハンセン演じる少女(美少女)がまともに就職して、正当化路線に進んでいくのに対し、オタク男を翻弄しながらまだ髪を緑に染め、ゴスロリみたいな服を着たりしているソーラ・バーチ演じる少女に自分を重ねていたのかも。中年のブサイクで不器用なオタク男(スティーブ・ブシェミ)を振り切って、一人バスに乗って去っていく少女がかっこよく見えました。恋愛における男女の力関係が変わっていることを感じさせた映画でした。
 
2)「フラガール」2006年
やーやーやー、まさか蒼井優と山里亮太の結婚発表が今日あるとは思いもよらず、この映画を取り上げると決めていたわけですが、映画公開から13年もたって、フラガール婚が生まれたわけですね。
何回見ても泣ける映画です。時代は1966年。石炭から石油へとエネルギーが転換し、炭鉱がどんどん閉鎖される中で、廃鉱になりそうな地元の再起をかけて結成されたフラダンスの物語。実話です。
この映画の主人公はフラダンスを教える松雪泰子演じる平山まどかであり、チームの中心となる蒼井優演じる谷川紀美子なのですが、私がもっとも感情移入したのは蒼井優の母親、富司純子が演じた谷川千代でした。炭鉱という「男の職場」が行き詰まり、仕事そのものが消えようとしていた時代である1960年代、女性たちが地域を救う力となることに対して、あせり怯える男たちから猛烈なバッシングが起きます。 それに対抗して娘たちを守るために立ち上がり、女が自分の力で生きていく時代にしなくちゃ、これからはそういう時代なんです(うろ覚え)というお母さんがとてもとてもかっこよい。都会で、ダンサーとして生きてきた松雪泰子も、実は男社会の圧力に押しつぶされて逃げるように福島に来たわけですが、そこでお母さんと出会って、自分の中の力に気づき、仕事に対してそれまでとは違った取り組み方をしていきます。
1960年代、産業構造が大きく変わり、働き方も大きく変わった時代でした。今と似ています。働き方改革が叫ばれる今、時代に合わせて仕事とどう向き合うのか、考えるヒントはこういう映画にあるかもしれません。

3)「オフサイド・ガールズ」2006年
英国で女子がサッカーの試合をするようになってから140年経ちました。先日、SHUKYUという雑誌に女子サッカーの歴史について書くために10冊ほど本を読んだのですが、女子サッカーを都合のいいときだけカネのために利用し、必要がなくなるといきなり妨害にまわる男社会の理不尽に腹が立つばかりでした。FA(イングランドサッカー協会)は1920年から70年まで女子にグラウンドを貸すのを禁止していたし、西ドイツやブラジルは法律で女子がサッカーをすることを1970年代まで禁止していたって知ってました? 理由は「男子サッカーの観客が食われるから」とかいうから腹立つ。
という歴史についてはSHUKYUを読んでいただくとして、女性がスタジアムに入ることを禁止しているイランで、どうしても試合が見たいと男装してもぐりこもうとする女性たちを描いた映画です。男装がばれてつかまってしまい、スタジアムの一角に隔離された女性たちが警備している男性の兵士たちに口々に聞くのです。「なんで女性が試合観戦しちゃいけないの?」兵士たちは「え?」というとまどった顔で口ごもり、「えーっと男性たちしかいないところに女性が入ると危ないだろう?」とかいうのですが、まったく理由になっていないことを女性たちに論破されて最後には「ダメといったらダメなんだ!」で押し切ろうとする。上下支配関係ではこのやりとりはよくありますよね。「なんでダメなの?」「ダメといったらダメなんだ」答えになっていませーーん!「私は思考停止しています」を宣言しているのと同じ。
「それっておかしくないですか?」という問いかけに、「ダメと言ったらダメなんだ」と答えることの理不尽と滑稽さを描いたこの映画。今もまったく色褪せていないです。

4)「リトル・ミス・サンシャイン」2006年
娘が大好きな映画で、ついにDVDも購入し、気持ちが沈んだときには見ていたそうです。テーマとしては行き詰ってしまった家族の再生なんですが、ひたすら明るく大笑いしながら見られる、7歳の少女のおかげです。ある意味、不幸と不運のてんこ盛りといっていいほどのダメ家族なんだけれど、ダメなのは「世間」とか「常識」とかの基準に合わせて自分たちをはかるからであって、そんなものにまったくとらわれない7歳少女に、そうか自分に正直に生きていけばいいんだ、と気づかされる、という話。少女おそるべし! 少女の持つこのパワーを、世界は生かしてほしいですね
美少女コンテストに出たーい、とい7歳少女に付き添いを余儀なくされて、一家全員で旅に出ることになりますが、旅に出たときと、帰ってきたときに、家族を取り巻く状況はまったく変わってない、どころかもっと悪くなっています。経済的にも、社会的にも、状況は変わらないかもっと悪い。でも、家族の気持ちはまったく変わっています。世間や社会がどう思おうと、見栄とかプライドとかを捨てて自分の気持ちに沿って生きていく勇気を持とう、という気持ちになっている。 励まされます。

 
5)「少女は自転車に乗って」2013年
サウジアラビア初の女性監督による映画です。映画については2014年2月16日付の当ブログで書いているので、URLを貼り付けておきますね。
http://www.motoko3.com/archives/18340839.html

私も2年前からまた自転車に乗っているのですが、乗るたびに自分の中にある何かが吹っ切れたみたいで爽快です。歩くのとは違って、自分で自分の行き先を決められるみたいな気分になって、パワーをもらいます。映画の中の女の子が欲しかったのは、もちろん自転車そのものなのですが、そこに象徴されるパワーなのではないかと。厳格なムスリムの社会でも、こういう映画を女性が作り、自動車の運転もようやく許され、女性たちが少しずつ「パワー」をつけているのではないか、と思わせます。
 

あの時代、いま振り返ってみたら本当はどんなことがあったかを自分の体験から検証する「あのとき何があった?」シリーズ第三弾。今回は1970年から現在まで通して、私の心にずっと残っていて、折りあれば見直してみたい青春映画を時代順に並べてみたいと思います。並べてみて気がついたのですが、私が強く感銘を受けたのはどれも女性が主人公、もしくは女性が活動する側に立っている映画です。

1)「いちご白書」1970
1970年公開の映画でしたが、私が初めて観たのは1972年、大学1年のときでした。大学の大講堂で無料で上映されるというので、友人たちと連れ立って観に行き、終了後しばらく椅子から立ち上がれないほど衝撃を受けました。当時はまだキャンパスに立て看板が立ち並び、授業前に学生運動の闘士たちが「きみたちはそれでいいのか!」とアジるという時代。ロックアウトこそなくなったものの、学生運動はまだ熱い時代でした。この映画がまだ10代の私にぐさっと刺さったのは、男性がノンポリで、女性が活動家だったこと。東大安田講堂事件(私は高校生)で、立てこもる全共闘の学生たちは男性ばかりで、女性がおにぎりを差し入れていたことが話題になっていました。movementをになうのは男性、女性はそれをsupportする、という構図なのだと思っていた私が、この映画で「そうか、女性が社会のmovementを起こすのも許されるし、そういう女性を魅力に思う男性が現れるのだ」と初めて気づいたのです。いや〜晩稲だったね、私。

2)「ローズ」 1979
ジャニス・ジョプリンがモデルとなったこの映画は、1980年に日本公開され、観にいった会社の同僚が大興奮で「絶対に観るべき!」と息巻いて1週間くらい語り続けていました。そんなにすごい映画なら、とまだ赤ん坊だった子どもをベビーシッターに預けてこっそり観にいったという記憶があります。そしてそれだけの価値がある映画でした。ベット・ミドラーが演じるジョプリンが、ヤク漬けになったり、男にいいように使われたりしながらも、ステージに立つとものすごく強くて存在感があって、輝いていました。ジョプリンのまわりにいる人たちは、親、恋人、プロモーター、どれもこう言っちゃなんだがくずみたいな人間ばかりで、救ってやるみたいなことを言って近づいてくるけれど、結局は食い物にするばかり。それじゃ女の弱さを描いているのかというと、全然そうじゃない。ジョプリンは結局精神も肉体も破綻してしまうのですが、それでも輝きは残るのです。
ベット・ミドラーが今年のアカデミー賞授賞式で映画の主題歌「ローズ」を歌ったのですが、「Some say love, it is a river that drowns the tender reed, Some say love, it is a razor that leaves your soul to bleed……」と彼女が歌い出したとたん、新宿の映画館に座って涙を流しながら聴いたことが思い出されました。

3)「セント・エルモス・ファイアー」1985
私は30代、働くお母さんやってました。ビデオが出回りだしたころで、ビデオデッキを購入して、近所のレンタル・ビデオ屋で借りてきたビデオを子どもと夫が眠った深夜に見るのが最大の楽しみでした。ジョージタウン大学を卒業した仲間たちが、キャリア形成や恋愛に悩みながら大人になっていく過程を群像劇で描いたこれぞザ・青春映画「セント・エルモス・ファイアー」は、1回観終わって興奮が冷めやらず、3回くらい観て夜が明けた、という記憶があります。当時のレンタルビデオは1泊2日で料金取られていましたからね。
30代の私は流行りの「キャリアウーマン」というのに憧れていたのだけれど、実態はほど遠く、お茶汲みと雑務仕事しか与えられず悶々としていました。実際、自分の実力からしてそれくらいしかできなかったと今はわかるんだけれど、でも当時は焦燥に駆られていました。アメリカのキャリアウーマンはもっと輝いているんだろうなあ、と思って観たこの映画で、デミ・ムーアが演じる大手企業に就職した「キャリアウーマン」が、仲間の手前見栄張っちゃって無理を重ねるうち、経済的にもキャリア的にも破綻して自殺未遂をしてしまう、というところに痛いほど共感しました。いま見直したらチープさに辟易するかもしれないけれど、あのころの私には刺さったなあ。

4)「テルマ&ルイーズ」1991
あの結末はどうなんだ、とか、やっていることは犯罪じゃないか、とかいろいろと批判はあるでしょうが、主人公2人の決死の逃避行が痛快で、これまた私は3回くらい観ています。ジーナ・デイヴィスとスーザン・サランドンが大好きになって、しばらく2人の出演作を私は追っかけ続けていました。
2人は男から、警察から、追われて逃げるはめに陥るんだけれど、決して屈しない。それがいいことかどうかはともかく、暴力を振るわれたらふるい返し、女と思ってなめらればかにされることを逆手にとって、立ち向かって相手をひるませる。これまで腐るほど描かれてきた男の友情とか絆とか、そういうものが薄っぺらく見える女の友情物語、でした。いざというときに頼りになるのは、やっぱり女友だちだよね、ということをこの映画で認識し、それは年をとった今は確信になっています。

5)「下妻物語」 2004
この映画、大好き! 巌本野ばらさんの小説「下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」もすごく良かったけれど、映画になってますます巌本ワールドにのめりこみました(事件で残念な思いをしたけれど)。ロリータ・ファッションを愛する竜ヶ崎桃子を演じた深田恭子と、ヤンキーの白百合イチゴを演じた土屋アンナは、もうこの映画だけで映画史に残る大女優になった、とまで私は思っています。女の友情といっても、この映画では悲壮感は皆無で、爽快痛快! 茨城県下妻という微妙な田舎vs東京、ロリータ・ファッションvsヤンキー・ファッション、令嬢vs下町のビンボー娘、という両極端にあるような要素が、裏返り、溶け合い、共闘を組むってところがこの映画の面白いところ。女子高校生ブーム、お嬢様ルック、ワンランク上のライフスタイル、とかいうマーケティングの流行語が、いかに薄っぺらいかを教えてくれました。

と、ここで時間切れ。明日続きを書きます。
6)「ゴースト・ワールド」
7)「フラガール」
8)「オフサイド・ガールズ」
9)「リトル・マイ・サンシャイン」
10)「少女は自転車に乗って」
を取り上げるつもりです。


 

実はGWのしょっぱなで私事でいろいろとあって、とてもブログを更新する気にならなかったのですが、ようやくちょっと気持ちが落ち着いてきたので忘れないうちに最近読んだ本と観た映画について一言ずつ書いておきます。

観た映画
『幸福なラザロ』
Bunkamuraにて鑑賞。アリーチェ・ロルヴァケル監督。イタリア映画。カンヌ映画祭で脚本賞を獲得したそうです。20世紀後半、北イタリアの山奥で、すでに政府によって小作人制度が廃止されたことも知らずに、タバコの葉栽培でせっせと「侯爵夫人」の小作人として働く小さな村の人たち。その中に一人、ラザロという気のいい働き者の青年が、みんなにいいように使われています。そこに事件が起こって警察が山奥まで駆けつけ、侯爵夫人は詐欺を働いていたことが発覚して逮捕。村人たちはみんな都会に連れて行かれますが、ラザロだけは直前に崖から転落して山中に取り残されます。20年以上たってラザロは「復活」し、村人たちを追いかけて都会に出ていき……という内容。まあなんというか、現実とファンタジーがないまぜになった内容で、私は正直あまりおもしろくなかった。でも連休中は毎回満席。うーん。

『希望の灯り』
Bunkamuraにて鑑賞。旧東ドイツ、ライプツィヒ郊外のスーパーマーケットが舞台。若いころにギャングに入っていた青年が、更生して業務用スーパーの在庫管理係として雇われ、先輩や同僚たちにしだいに心を開いてとけこんでいく、というただそれだけのストーリー。もちろんちょっとした事件も起こるし、恋もあるし、東西統合されたあとに取り残された人々という社会問題もバックにはあるけれど、 たぶんテーマも主役もそこじゃなくて「スーパーマーケット」です。原題は「通路にて」。まさにその通り。消費社会の象徴のような巨大スーパーの通路で行き交う人たちを淡々と描いた、なんというか、ニュアンスとしては「ロードムービー」みたいな内容と私は感じました。だから「希望の灯り」っていうタイトルはちょっとどうかと思う。なぜか空席いっぱいでしたが、隣で上映されていた『幸福なラザロ』よりも私の頭の中には余韻が残りました。

『万引き家族』
WOWOWにて鑑賞。是枝裕和監督作品の中では、息苦しい路線のトップに躍り出た作品。『誰も知らない』よりも重い。で、この作品はなんといっても「安藤サクラ」がすばらしい。安藤サクラが出てくるシーンだけ、数回見直したくらいの迫力。泣けるとか笑えるとかいうシーンはほとんどないのですが、警察で取り調べを受ける安藤サクラの表情を長回しで撮ったシーンは2回観て2回とも一緒に泣きました。このシーンだけでも、安藤サクラは映画史に残る俳優になった、と私は思います。安藤サクラの演技なしでは、作品はちょっとベタな内容に堕してしまったかも。すみません、生意気言います。

読んだ本
『父が子に語る近現代史』トランスヴュー
『靖国史観〜日本思想を読みなおす』ちくま学芸文庫 
ともに思想史家の小島毅さんの著書。
平成から令和に変わるそのときに読むのにふさわしい2冊でした。2冊とも小島さんの歴史観、日本史観が明快に述べられている本です。歴史を読むとはどういうことかをあらためて問いかけられました。大河ドラマや司馬遼太郎をはじめとする歴史「小説」と、歴史とは別物であることをもう一度自分に言い聞かしています。思想史ではありますが、わかりやすくまとめられていて、しかも教科書的ではない。こういう書き方で学んでいれば、歴史がもっと身近に、そして自分に惹きつけられて読めたのに、と思いました。
上記の本、第4章「世襲」を支える「忠義」の理屈、は必読かも。
「しかし、将軍が代々世襲されるようになると、当主の器量は小さくなってきます。僕は、これは人類史上の普遍的な真理だと思います。政治は世襲でできるものではありません。ではどうするか。古来、そのための言い訳、凡庸な人物でも世襲で政治権力を継げる理由が考案されてきました。「忠」というのも、その一つです」 

『私の名前はルーシー・バートン』
『何があってもおかしくない』
早川書房 
エリザベス・ストラウト著 小川高義訳。
『オリーヴ・キタリッジの生活』を読んで以来、エリザベス・ストラウトのファンになって、どちらも読んでいたはずなのに印象が薄かったので再読。ストーリーテラーとしてはもちろん、作品構成、人物描写、どれも気を衒わず、技巧的でなく、それなのにすばらしくうまい。登場人物の人生に、じんわりと同化していける不思議な小説です。

『ある男』
平野啓一郎著。
ほぼ一晩で一気読み。「私とは何か?」を問い続ける平野啓一郎の真骨頂。推理小説とも言えるし、哲学小説みたいでもある。井戸まさえさんのご自身の体験を踏まえての『無国籍の日本人』の衝撃とは別物の衝撃ではありましたが、名前や生まれ、家族、仕事などで枠組みを作られない「自分」を考え直しました。
(失礼しました! タイトルを桜庭一樹さんの『私の男』と取り違えてしまいました。ご指摘ありがとうございます。で、ついでみたいで申し訳ないのですが、『私の男』も実におもしろかった。この本、ちょうどチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』、『ヒョンナムオッパへ』(韓国フェミニズム小説)、姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』を読んで、強い共感とともに、この(男性)社会への無神経さと強欲への苛立ちと嫌悪感に包まれていたときでした。これらの小説をひとまとめに「フェミニズム小説」としてくくるのは抵抗がありますが、やはりフェミニズムについては避けて通ってはいけない女65歳だと思うので、気持ちを落ち着けて一度「フェミニズム小説」について書きます)

アンデシュ・ルースルンド;ベリエ・ヘルソトレムの3冊
『三秒間の死角』
『制裁』
『地下道の少女』

どれも面白くて一気読みでしたが(ただし『地下道の少女』は中だるみして、しかも読み終わって「え? これでいいわけ?」でしたが)一番残ったのは『制裁』でした。人を殺してはいけない、という法律を条件付きで「殺してもしかたなかった」としたとたんに起こる社会の無秩序。死刑制度についてもあらためて問いかける内容でした。

だんだん疲れてきたので、あとは感想抜きでタイトルのみ。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』ヤニス・パルファキス著(タイトルが大げさすぎるし、長すぎる。うっかりポチってしまって、あっという間に読んでしまったが、「とんでもなくわかりやすい」というタイトルをつけた本を読むんじゃなかった、とストレスを感じた)
『償いの雪が降る』アレン・エスケンス著 創元推理文庫(おもしろく読んだのだが、主人公の青年がいい人すぎてだんだんイライラしてきた。ま、ファンタジーとして読めばいいんだけれどね)
『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』 仲正昌樹著 NHK出版新書(哲学書なのになぜか一気読み。新幹線、品川で読み始めて気がつくと新大阪終点でした。あまりにおもしろかったので、同じ著者の『今こそアーレントを読み直す』もポチってしまいました。が、ちょっと重複するところが多くて、一気読みとはいかず)
 
ほかにも書評用に何冊か読んだのですが、それはまた今度。 

正月から大傑作に出会ってしまいました。
映画「パッドマン〜5億人の女性を救った男」
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インド映画らしく、歌あり笑いありですが、内容は実話に基づいた非常にまじめな社会派映画です。私好みで、じーんと感動しました。この映画のことを教えてくれたパキスタン・南インド通のミキッチ(CONIFA応援隊)に感謝です。
舞台はインドの小さな村。熱々の新婚生活を送っていたラクシュミさんは、妻が生理が来ると屋外で就寝し、汚い雑巾のような布をあてて手当し、その布を隠して干しているのを見咎めます。
「そんな汚い布を使っていては病気になるよ」というと、妻は「恥ずかしいから二度とその話はしないで」とまったく取り合わず。
とても気になったラクシュミさんは薬屋で生理ナプキンを買おうとします。ところがわずか10枚入っているナプキンが55ルピーという高額!(1ルピー=1.5円だから82.5円。でもインドの物価からすると、デリー(大都会)で冷たい飲み物が11杯飲めるだけの金額だと字幕翻訳でアジア映画研究者の松崎環さんは書いていらっしゃいます)友達に借金してまで買い求めたナプキンを、でも妻は「そんな高いものやめて、すぐに返してきて」とまたもや拒絶するのですが、返品はできず。
仕方なくラクシュミさんは、ポケットにナプキンを隠したまま出勤。金物修理工場で働くラクシュミさんは、ある日工場で怪我をした同僚を介抱するとき、ナプキンを出血箇所に当てて応急処置をし、医者のところに運びます。医者から「いい処置だった。もし汚い布を当てていたら、腕を切り落とさなくてはならないところだった」と言います。そして「汚い布で感染症にかかり、不妊になったりときには命を落とす女性があとをたたない。もっとナプキンが普及しないことには、インドの貧しい女性たちは病気から逃れられない」という医師の言葉に衝撃を受けたラクシュミさんは「なんとかもっと安いナプキンが作れないだろうか?」と自ら試作することに。
綿や布地をただで分けてもらって作ったナプキンを妻に渡し、説得を重ねて試用してもらうのですが、「まったく使えなかった」という感想にがっかり。
そこからまるで取り憑かれたようにナプキン作りに励むラクシュミさんは、周囲の、特に女性たちから変態扱いされ、ついには母や姉妹たちは家を出ていき、妻も実家に帰されてしまいます。
ラクシュミさん、がっくり落ち込みますが、ナプキン作りは諦めません。村を出て、工科大学の先生の門をたたき「知識を分けてください」と先生の家に住み込みで働くことにしますが、いっこうに「知識」は分けられません。やがて工科大学の先生は見かねて「この機械を買えばいいじゃないか」と何千ドルもする機械の写真をネットで見せます。じっと機械を眺めたラクシュミさん「何千ドルもの機械は買えないし、それで作って高いナプキンを売ることが自分の望みではない。それなら自作します!」と教授の家を出て小さな村のぼろぼろの小屋に転がりこみ、高利貸しにお金を借りてごくシンプルなナプキン製造機を作ってしまうのです。
 でもどうやって女性たちに使ってもらったらいいのか? 悩むラクシュミさんに、救いの女神が現れます。ふとした偶然で出会って自作のナプキンを使ってもらった女性、パリーさんです。パリーさん、大都会育ちで、MBAをとって外資系企業に一発で採用されるほどの才媛。ラクシュミさんのナプキン製造機を見て感動し、発明コンテストへの出品を決めます。コンテストで見事20万ルピーの賞金を獲得したラクシュミさんに「機械の特許をとって大企業に売りなさい」と勧めるのですが、ラクシュミさんは「金儲けが自分の目的ではない。安価なナプキンで女性の生活向上をはかりたい」と断ります。その心意気に感じたパリーさん、自ら村を回ってナプキンを販売してまわり、そのうち機械の特許をとらせて今度は女性たち自身にナプキン製造工場を任せてナプキン普及率を高める、というアイデアの実行にも携わります。
 ついには国連に招かれて演説することになったラクシュミさん。通訳を断り、英検3、4級程度の英語力で感動的なスピーチをするのです。ここで私は泣いてしまいました、感動のあまり。
「お金が稼げるようになると、もっと稼いで、もっと大きな家がほしいと思うでしょう。もっともっともっと、と際限がない。でも、大きな家に住んで笑顔になるのはお金を稼いだ人だけ。ラクシュミはお金がない。でもみんなを笑顔にしたい。お金がなくて笑顔にするにはどうしたらいいか。考えます。一生懸命考えます。そこから発明が生まれます」
 ううう、泣ける。
 この映画はサクセスストーリーです。でも、貧乏で教育もない人が、発明によってお金が儲かって、有名になったという「成功物語」ではありません。
何が成功なのか。弱い立場に置かれている女性たちを「社会通念」という縄でがんじがらめに縛り上げ、健康とか教育とか自由とかいう基本的人権を奪ってしまうことに対し、「それはおかしい」とインド社会に気付かせたこと。社会通念(生理は穢れ、とても恥ずかしいこと、ナプキンは金持ちのもの、女性の生活を向上させるものは高額で当然)が貧しさを生んでいることに気付かせたこと。お金がないことが貧しさではないのです。ものがないことが貧しいことでもない。男性も女性も健康で自由に生きていけるシステムがないことこそ、貧しさを生むし、それが不幸な貧しさなのです。
 ラクシュミさんにはモデルがいます。アルナーチャラム・ムルガナンダムさん。南インドの機織り職人の家に生まれ、父親が幼いときに亡くなったために貧困の中で育ったそうです。お母さんが農園労働者として働き、彼を学校に通わせてくれたけれど、それも14歳になるまで。それからはさまざまな職を転々として生計を立てたとか。26歳のときに結婚した妻により、女性の生理の実態を知った彼はナプキン作りに打ち込み、ついに簡易ナプキン製造機を発明。女性の自助グループに機械を売って、女性たちの自立を援助していきました。社会企業家です。そう、私の憧れの社会企業家。
 映画が終わってロビーに出てきたとき、中年男性たちが「いやー、おもしろかったね」と話をしていました。「インドって遅れてるんですねー」と言ってましたが、いやいやいやいや、インドだけではない。日本だってものすごく遅れていますよ。女性の生理がどのようなものか知っている男性がいったいどれくらいいるでしょうか? 生理が恥ずかしいとか、女性の弱点だとか、そう思っている女性はどれくらいいるでしょうか? 
 日本ではナプキン普及率が18%ということはないけれど、女性の生理(もしくは更年期)についての基本的な知識を持ち、女性の身体を尊重する男性の比率は18%もいっていないと思います。
 映画を紹介してくれたミキッチに最初に「教育は大事」とか感想をメールしたのですが、一晩考えてそれは違うと思いました。
 たいせつなのは「考えること」。これはおかしいと思う感性を育み、それならどうしたらいいかを考えること。女性の身体、男女の関係、だけでなく、お金を稼ぐこと、仕事のこと、働き方、全部つなげて自分のこととして考えること。それがみんなを笑顔にする社会へと変えていく第一歩なのだ、と思います。

 尼崎市塚口の家で生まれた私は、両親がアメリカに2年間行くことになったのをきっかけに、4歳のときに母方の祖父母が住んでいた芦屋の家に引き取られました。アメリカから帰国した両親は、そのまま芦屋の家で母方の家族と同居を始めたので、私は18歳で上京するまで芦屋で生活しました。岡山で生まれ育った母方の祖父母、特に祖母は長く芦屋に暮らしていても「阪神間モダニズム」とも呼ばれる独特の地域文化に馴染めないままでしたが、父方の祖父母は、ことに祖母は当時日本の中でも最先端をいっていたファッション、レジャー、生活様式や教養を積極的に取り入れ、実践していました。まあ、なんというか、派手好き遊び好きだったのです、父方の祖母は。
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(すでに2児の母親だった祖母。大阪大空襲で焼けてしまった梅田の自宅庭で撮影したものだそうです。昭和初期の戦争前、阪神間モダニズムが華やかだった時代がしのばれるファッションです)
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(祖父母一家。右から祖父、祖母、父、叔父。冬になると大山でスキーを楽しんだとか)

 1988年、父に連れられて芦屋の浜に開館した芦屋市谷崎潤一郎記念館を訪れたときのことです。父が「グランパ(私にとっての曽祖父。父は自分の父親のことをダディ、母はママ、祖父はグランパとか呼んでいたが、母から「気色悪い」と言われてめったに言わなかった)は谷崎さんと親交があって、関東大震災をきっかけに関西に越してきた谷崎さんの家を世話したりしとった」とふともらしました。高校生のときから「細雪」が愛読書で、描かれている阪神間モダニズムの世界に親近感と憧憬を抱いていた私は、それを聞いて飛び上がりました。「なんでそんなすごい話をもっと早くに言ってくれんかったん?」と父に詰め寄ったのですが、自分の母親のモダンガールっぷり、ハイカラぶりに辟易していた父としては、あまり言いたくなかったらしい。
 でも、その話を聞いて以来、ますます谷崎文学の、それも阪神間モダニズムを描いた作品に魅かれていった私としては、現在アサヒビール大山崎大山荘で開催されている「谷崎潤一郎文学の着物を見る」という展覧会と、谷崎潤一郎記念館で開催中の「谷崎とアシア・「細雪」〜モダンと伝統」を見逃すわけにはいきません。
 というわけでまずは行ってきました、大山崎大山荘に。本の帯に「百年経ってもいかがわしい」とありますが、今の私から見ても「ようこんなデザインの着物着るわ」という柄ばかり。当時は今よりも「モダン」だったのかもしれません。今はポストポストモダンだものね。
 両親の家をたたむとき持ち帰った着物の中に、紫の文様の着物があり、「いまどきこんな柄のものを着る人はいない」という呉服屋さんの忠告を無視して洗い張りに出して仕立て直しました。そうか、これって阪神間モダニズムだったから私が魅かれたのか、と展覧会を見ながら思いました。
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 阪神間モダニズムの世界はしだいに遠ざかりつつあるのかもしれません。とくに阪神・淡路大震災後によって、大正から昭和初期にかけて建てられた阪神間の建造物が失われてしまってからはますます遠ざかっているのかも。いずれは谷崎をはじめとする文学や小出楢重の随筆などでしのぶしかないのかも。

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