Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

観る極楽

 昨晩、7月11日(火)に開催しました「女子サッカーを応援する会」実行委員会主催のオンライントークイベントをご視聴いただきありがとうございました。
 トラブルにより開始が30分遅れてたいへんご迷惑をおかけしました。
 第一部の実川による女子サッカー140年の歴史(日本含む)、 第二部現役WEリーガー荒川選手、岩清水選手に聞く女子サッカー発展への思い、そして視聴者の方々から寄せられたご意見や質問に答えるコーナーまで、なんとか予定していた終了時間までに終えることができました。
 トラブルに蒼くなりながらも、なんとか終了できました。
 ご迷惑をかけた視聴者のみなさまに申し訳ない気持ちを持ちつつも、私たち実行委員の予想を超える人数の方にご視聴いただき、実行委員一同感激しております。
 終了後のアンケートのコメント欄で寄せられたご意見でもっとも多かったのが
「一回限りのイベントに終わらせずに、息長く応援活動を続けてほしい」
でした。
  終了後に荒川選手、岩清水選手、実行委員、そしてボランティアでお手伝いいただいたスタッフの方々からも「楽しかった! また呼んでください」「つぎはこんな企画でやりませんか?」という声があがりました。
 その声に気をよくして、つぎのイベントも考えていきます。
 これからも女子サッカーをもっとサポートして、盛り上げていくように、微力ながらがんばっていきます。
 最後にもう一度。
 このたびご視聴いただいた方、本当にありがとうございました。
 今回は逃したけれど、つぎは参加したいと思っていただけるようなイベントを(つぎこそはトラブルを最小限にして)開催したいと思っております。
 これからも「女子サッカーを応援する会」をどうぞよろしくお願いいたします。
 
IMG_5058

7月20日にFIFA女子ワールドカップ オーストラリア/ニュージーランドが開幕します。
あまり報道されていなくて、「え? またサッカーのワールドカップがあるの?」という人が私のまわりでもちらほら。
サッカー日本女子代表、なでしこジャパンは1991年開催の第一回大会から9回連続の出場。2011年には世界一の頂点に立ちました。 FIFAランキングはいまは11位で、日本代表は世界の強豪国の一つです。
それなのにメディアで流れる情報は少ないし、テレビ放映がどうもなさそう。理由はFIFAが男子W杯なみの放映権料を請求しているからで、つい最近まで欧州各国も放映に二の足を踏んでいました。つい最近になって欧州ではようやく放映が決まったのですが、日本では地上波での放映はなさそうです。
その背景と理由についてはジャーナリストの島沢優子さんが的確に説明してくださっています。

ラグビーW杯と真逆…7月20日開幕の女子サッカーW杯が「全く知られてない」理由 https://gendai.media/articles/-/111970?media=frau

このことに危機感をつのらせた女子サッカーを応援する有志が立ち上がり、トークイベントを開催することにしました。実川も実行委員会のひとりとして参加しています。
日時:7月11日(火)19時〜21時 
オンライン配信 参加無料です。
申し込み:https://forms.office.com/r/K63cDfpbRs
のちほどZoomの招待状をお送りします。
 
女子サッカーイベント05

先週Netflixで「クイーン・メーカー」11話をイッキ見して、いろいろと考えさせられることが多かったので、5話くらいをもう一度見直し、もっと考えさせられました。


簡単にあらすじを説明しておくと、ソウル市長選の話です。最終的に対決する候補者は、韓国大財閥の娘婿パク・ミンジュ(元人気ニュースキャスター。キュ・スヨンが怪演)と人権派弁護士オ・ギョンスク(女性 ムン・ソリが圧巻の演技)。
娘婿にはかつて大統領選挙で参謀をつとめた経験がある百戦錬磨のカール・ユンが、そして人権派弁護士には、かつて財閥のイメージ戦略をつとめ、凄腕と評判だったファン・ドヒ(キム・ヒエがやはり怪演)がそれぞれ戦略担当の参謀となります。
相手候補のスキャンダル(ギョンスク側にはスキャンダルがないので全部捏造)を的確なタイミングで暴露して足を引っ張り、それぞれの票田にもっともアピールするイメージを打ち出すという選挙戦略がおそらくこのドラマのおもしろさであり、またストーリーを主軸となって動かしていくのが全員女性という点も注目されるところだと思います。
選挙戦では、財閥をバックにした権力の中枢を握る勢力と、権力もカネも持たない庶民との対決(対比)がわかりやすく単純化された構図で描かれます。背景としておぞましいほどの格差に起因する労働運動とそれを弾圧する暴力、性暴力とセクハラ/パワハラ、フェミニズム運動、といったテーマも毎回出てくる。
ワイロ、恐喝、暴力(ときに殺人)などの裏の事件もふんだんに散りばめられています。いやいやドラマでしょ、選挙ったって現実世界ではいくらなんでもそこまでひどいことは……とは一概には言えない。戦後の韓国(朝鮮半島)の歴史を少し知っている人なら、それもありうると思うのでは?
主人公であるファン・ドヒはおそらく40代半ば。まだ韓国が民主化されていない1970年代の終わり頃の生まれではないかと思われます。立候補する弁護士、オ・ギョンスクはファン・ドヒより少し年下で、二人とも民主化を勝ち取るための戦いを見ながら成長したのではないかと。民主化の戦いでは、国家が自国民、それも民主化運動に加わっていない人たちも「国家に反逆した」と断罪して何千、何万人も殺す事件がありました。
そして二人の女性の人生に大きな影響を与えたのが、1997年のアジア通貨危機であることが、2話、3話あたりで描かれます。
IMF危機を乗り切った韓国は大きく経済発展を遂げましたが、その裏で社会格差はおそろしいほど広がりました。父親の失業のために学歴もコネもなくなった女性のファン・ドヒは、犬のような忠誠心と財閥家族の失態を尻拭いする才覚だけで財閥企業に欠かせぬ存在となっていきます。ちなみにファン・ドヒは何かというと「犬」とののしられます。野良犬とか猛犬とか赤犬とか。
一方で、民主化を勝ち取るための運動は、労働者の人権を守るための労働運動になり、オ・ギョンスクはその象徴として描かれています。彼女は「正しいことのために猪突猛進する」サイを自称します。
その二人が、もうひとりの候補者である娘婿の性暴力をきっかけに手を結び、「よりよい社会の実現」をめざして選挙を闘います。
女性たちに何回となく浴びせられるのが「理想を追っていては政治はできない!」「現実を見ろ!」という言葉(というか罵声)。そこには女性蔑視の視線も含まれているし、選挙はマネーゲームと公言してはばからない政界の「常識」があります。
ギョンスクは何回も「自分の信条を歪めて、理想を捨ててまで、そして大事な人を傷つけてまでソウル市長になる意味がわからない。もうやめる!」と 叫ぶのですが、そのたびに彼女の理想に共鳴する人たちによって救われます。
つとめていた財閥企業に雇われた手先に認知症で入院中の父親を殺されたドヒは、怒って相手候補の参謀であるカール・ユンに会いにいきます。するとユンは「おまえの父親はファン・ドヒの父親であるがゆえに殺された」と嘯くのです。そのあと「政治の世界では人殺しとは言わない。政治において人は存在せず、思想しかないからな」「私の思想を妨げる障害物を取り除いただけだ」とすごいセリフをはくのです。当然、怒りに震えるドヒは復讐を誓うのですが、「政治の世界」の論理しか頭にないユン(そして財閥一族)にはそれは「負け犬の遠吠え」くらいにしか響かない。
 思想をつらぬくために、人は犠牲にしてもいい、というその論理。
 ユンもはまたこうも言い放ちます。「理想を追いかけるのが政治じゃないぞ。現実をみろ」
なんかわけわからんこと言っとるわ、このおっさん、という目でドヒはユンをにらみ、「私は理想を追う。よりよい社会の実現するための戦いをやめない」と主張。両者は平行線のまま。
  まあ、ファンタジーといわれればそうかもしれないけれど、私は感動しましたね。
 恋愛要素いっさいなしで、イケメンも登場しない選挙ドラマですが、見応えがありました。

昨日の試合のことがトップに来るのがいやなので、最近感動した映画のことなど。

「イーディ、83歳はじめての山登り」

 「子どものころはやんちゃだったの。父と一緒に山に登ったり、キャンプをしたり、なんでもやりたいことをやっていた。でも結婚して、子どもが生まれて、夫と子どもの世話に明け暮れて、昔の自分を忘れてしまった」
「50歳になったころ、父から一緒にスコットランドのスイルベン山に登ろうと誘われた。それがもう最後のチャンスだと思って夫に行くと言ったら猛反対されて口喧嘩をし、翌日は口をきかなかった。そして3日目、夫ともう一度話し合おうとしたら彼が脳溢血で倒れてしまった」
「それから30年、30年もよ、介護に明け暮れた。夫が亡くなったのは私が80歳のときだった。その間に父も亡くなり、スイルベン山に登る夢も消えてしまった」
 イーディがアウトドア用品の店員に、なぜロンドンで長年主婦をやってきた自分が、83歳になって突然スイルベン山に登ろうと思ったのかについての本音を打ち明けます。
 夫の死後3年たち、娘から高齢者施設に移るように勧められて家の整理をしているとき、屋根裏部屋でスイルベン山の絵葉書を見つけます。
 それはお父さんが「一緒にこの山に登ろう」と誘ってくれた絵葉書。もうそんなことはありえないと涙をこらえて持っていく荷物の間にはさんで買い物に出たイーディは、フィッシュアンドチップスの店員に「追加注文はもう遅すぎる?」と聞いたところ、「なんだって遅すぎることはないのさ」と言われた瞬間に閃くものがあって、家に駆け戻ると、深夜列車を予約し、へそくりを全部抱えて旅支度をしたのでした。
 そしてやってきたふもとの町インバネスで、偶然知り合ったアウトドア用品の店員、ジョニーをトレーナーにして、靴からスティックからテントのはりかたにいたる用具の使い方を実地訓練し、歩き方からボートの漕ぎ方までイチから教わり、いよいよ山に挑戦するのです。
「一人では無理だ、危ない。一緒に行く」と言い張るジョニーに、イーディは必死の顔で伝えます。
「ひとりで行かなきゃいけないの。お願い、ひとりで行かせて!」
 そして歩き始めました。

 イーディ(シーラ・ハンコック)のセリフ、行動、すべてに私は魅了されました。
 とくに印象に残ったのは、ジョニーの助けを振り切って、ひとり歩き始めながらまわりの景色を眺め、太陽の光が透過する木の葉に息を呑んでそっとふれてみるときの彼女の顔。「至福」とはこういう表情なのだなと思いました。
 それでも登山は甘くない。ボートを湖に浮かべようとしたときには若い女性登山者の助けを借りなくてはいけなかったし、嵐にあい、山小屋で猟師に助けられたり、そして最後には心配でやってきたジョニーの助けを借りて岩山を登ります。最初は「私はひとりでできる。助けはいらない」と言い張っていたイーディが、山頂が近づくにつれて人の助けを借りて、心底「ありがとう。助かったわ」と感謝を表せるようになる。
 ひとりでやっていこうとする頑張り。助けてもらうことのたいせつさ。どちらものがイーディを輝かせていました。
 その年で登山なんて無理に決まっている、みんなに迷惑をかける、そう言われてイーディも何回もやめようとする。
 でも「それは無理」という足かせ手かせをふりほどいて挑戦したところで、自分の持っている力に気づき、同時に人の助けを借りることのすばらしさにも気づくのです。
 だいじなことを教えられた一本でした。 

 いま新国立美術館と東京都美術館で第59回創玄展という書道の公募展が開催されています。
 私も2点出品し、近代詩文書部門で秀逸という賞をいただきました。
 記念に作品を載せておきます。
 近代詩部門はここ数年ずっと茨木のり子さんの詩文を書いています。
 今年は前々からずっと書きたかった詩文を書きました。それで賞がとれたのでとてもうれしい。
「一人でいるのは賑やかだ 賑やかな賑やかな海だよ」という詩文です。
 
IMG_4052

↑このページのトップヘ