Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

観る極楽

年齢とともに衰える記憶力を活性化するために、2月の総まとめを書いておきます。
2月1日から友人と岡山旅行にいってきました。
東京から岡山まで飛行機で、パスと列車を乗り継いで津山へ。津山ではまず奈義町現代美術館を見学。磯崎新さんの建築で太陽、月、大地と名付けられた三つの展示室から成り立っており、建物自体が作品です。奈義テラスという集会所や図書館も礒崎建築。見応えがありました。1日目は津山宿泊。
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(「太陽」では荒川修作➕マドリン・ギンズによる「龍安寺・建築する身体」という作品が常設で展示されています横向きの龍安寺)

翌日に津山洋学資料館館見学。津山藩の宇多川玄随という医師が「解体新書」を翻訳したメンバー(杉田玄白、前野良沢など)と知り合う機会を得て、西洋医学に関心を持って知識を深め、のちに「西説内科撰要」を著して津山藩の洋学への道を開いたのだそうです。宇多川家は洋学といってもオランダ医学の研究者だったのですが、江戸から明治へと時代が移ろうとする時、箕作阮甫という藩の医師は、幕府の外交交渉の通訳・翻訳者として活躍します。いまとちがって辞書もなければ先生もいないところでの翻訳。しかも人の生命と国の運命を左右する翻訳者たちの軌跡を見ました。

倉敷に移動して、美観地区を中心に観光。母方のルーツは倉敷にあって、私も子どものときにはよく母や祖母に連れられて倉敷に行きました。久しぶりに訪れた倉敷は、まずJRの駅からして昔のおもかげなし。美観地区もすっかりきれいになって居住地というよりも観光地となって外国人観光客が大勢訪れていました。
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2月は映画も3本見ました。
「キャロル・キング」
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「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」
「パトリシア・ハイスミスに恋して」
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1970年代が青春時代だった私にとって、キャロル・キングの「タペストリー」は心のよりどころでした。(カーペンターズは心の友かな)。彼女が生まれ故郷のNYセントラルパークで1972年に開催したフリーコンサートの模様を追いかけた映画で、どっと当時の自分がよみがえりましたね。
それに引き換え、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのロンドン公演をおさめた映画では、あまり時代が蘇らなかった。CCRで一番覚えているのは、映画「地獄の黙示録」で流れていたスージーQなんだけれど、映画を見て「あれ?歌える!」と気づいたのは「雨を見たかい?」でした。
でもって、今年すでに7本映画を見たのですが、一番よかったのは地味な映画「パトリシア・ハイスミスに恋して」でした。書いた本がつぎつぎ映画化されて大ヒット。ベストセラーを量産したハイスミスの同性愛者として生きた人生をたどった映画は、モノ書く女の端くれである私の琴線にふれましたね。

久しぶりに会った友人と会食したり、セミナーに参加したり、サッカーも2試合見たし、この1ヶ月はとても充実した楽しい時間が過ごせました。
と思っていたら、母が転倒して頭を打つ、なんてこともあり、好事魔多し、を実感しました。

 今年一番最初に映画館で見た映画が「ケイコ、目を澄ませて」でした。聴力に障害を持つ女性、ケイコがボクサーを志す、という話。実話をもとにして、岸井ゆきのが見事に演じてました。聴こえないことが格闘技にどんな影響があるのか(いや、影響があるなんてものじゃないけれど)。男性ばかりのボクシングジムに入って、どうやって自分の居場所(練習場所や対戦試合)を確保していくか。反対する家族、とくに母親との葛藤。ミュージシャンの弟とその恋人とのあたたかい関係。そしてボクシングジムのオーナー(三浦友和好演)のまなざし。
 健常者の私は、障害や病を持つ人たちに対してつい自分とは一線を引いてみてしまって、同情したり、かばったり、何かできることはないかと探したりするけれど、この映画でケイコはそういう健常者の上から目線をきっぱり断って(ときには過剰なほどの断り方でコーチやスポンサーを怒らせる)「ちゃんと普通に扱ってほしい」という姿勢を示します。今年の私の個人的テーマが「ケア」だったので、ケアする人vsケアされる人の関係を自分に問い直す意味でとても興味深かったです。
(中断しましたが、再開)
 映画館で観た映画でもうひとつ印象深かったのが
「シモーヌ」というフランスの女性政治家を扱った映画です。「フランスには3人の偉大なシモーヌがいる。シモーヌ・ヴェイユWeil(哲学者)、シモーヌ・ド・ボーヴォワール(哲学者、作家)、そしてもうひとりのシモーヌ・ヴェイユVeil(政治家)」と言われるそうですが、この映画が扱っているのは政治家のシモーヌ・ヴェイユ。
 1927年、フランス南部の裕福なユダヤ系家庭に生まれた育ったシモーヌは、1944年ナチス・ドイツのフランス占領によって16歳で収容所に送られます。父と弟と引き離され、姉の一人と母とともにアウシュヴィッツに送られ、ソ連軍がアウシュヴィッツにやってくると「死の行進」が始まってベルゲン=ベルゼン収容所に移送される。母は結局収容所で亡くなり、父と弟も行方知らずのまま。でも姉とシモーヌは生き延びるのです。
 その後パリ大学で法学を専攻し、ポリテクニーク(フランスの政治家・司法・上級官僚養成機関)に学びます。そこで夫と出会って結婚、当時の女性にはめずらしいトップクラスの高等教育を受けながら仕事をあきらめて専業主婦になって3人の子どもを出産。しかし自身が戦争で受けた迫害の体験から、経済的・社会的・性的な差別を受ける人たちのために働かなくてはという使命感は消えることなく、夫や親族、周囲の猛反対を受けながら必死に勉強して治安判事の資格をとるのです。結婚当初からですが、もうね、夫が最悪。悪気はなくて、妻を愛しているとか言いながら、妻の使命感を「女のやることか」とか鼻で笑い、自身もユダヤ系にもかかわらず妻の強制収容所体験への理解がまったくなし。そんなだから戦後すぐに「出世の道だ」とかいってドイツに赴任したりする。妻の姉はその話を聞いて「ドイツに住むだって! 信じられない!」と怒り狂うのだけれど。
 刑務所のあまりの悲惨さに衝撃を受けて、収容された人たちの人権擁護を訴え、1970年代には人工妊娠中絶を合法化し(とくに宗教界との闘いがすさまじかった)女性の社会的地位向上に力を尽くし、その後欧州議会議長に就任して欧州統合を推進。私は欧州議会で議長に就任するにあたっての演説で涙腺決壊しました。もうすばらしすぎて。
 「私はこのために生まれてきた」と言えるだけのものが私にはあるだろうか、と映画館を出てから1時間くらい街をさまよって考えました。いまのところは、ないなあ。

 配信ドラマではここでも紹介した韓国ドラマ「クイーン・メーカー」(Netflix)がいまのところ私のなかでは一番です。最近見たなかでおもしろかったのは「ハイジャック」(イギリスのドラマ。AppleTVで視聴)かな。イドリス・エルバが実はとても好き。「刑事ジョン・ルーサー」はずっと見ていました。(今年公開の映画「フォールン・サン」はいまいちだったけれど)
 海外にも行けるようになり、今年は外で友人たちと食事する機会も多くなったためか、配信ドラマや映画を見ることが減りました。Netflixも見たいと思うコンテンツが少なくなった以上に、ゆっくりドラマを見たりする時間が減ってしまったのだろうなあ。

 昨晩、7月11日(火)に開催しました「女子サッカーを応援する会」実行委員会主催のオンライントークイベントをご視聴いただきありがとうございました。
 トラブルにより開始が30分遅れてたいへんご迷惑をおかけしました。
 第一部の実川による女子サッカー140年の歴史(日本含む)、 第二部現役WEリーガー荒川選手、岩清水選手に聞く女子サッカー発展への思い、そして視聴者の方々から寄せられたご意見や質問に答えるコーナーまで、なんとか予定していた終了時間までに終えることができました。
 トラブルに蒼くなりながらも、なんとか終了できました。
 ご迷惑をかけた視聴者のみなさまに申し訳ない気持ちを持ちつつも、私たち実行委員の予想を超える人数の方にご視聴いただき、実行委員一同感激しております。
 終了後のアンケートのコメント欄で寄せられたご意見でもっとも多かったのが
「一回限りのイベントに終わらせずに、息長く応援活動を続けてほしい」
でした。
  終了後に荒川選手、岩清水選手、実行委員、そしてボランティアでお手伝いいただいたスタッフの方々からも「楽しかった! また呼んでください」「つぎはこんな企画でやりませんか?」という声があがりました。
 その声に気をよくして、つぎのイベントも考えていきます。
 これからも女子サッカーをもっとサポートして、盛り上げていくように、微力ながらがんばっていきます。
 最後にもう一度。
 このたびご視聴いただいた方、本当にありがとうございました。
 今回は逃したけれど、つぎは参加したいと思っていただけるようなイベントを(つぎこそはトラブルを最小限にして)開催したいと思っております。
 これからも「女子サッカーを応援する会」をどうぞよろしくお願いいたします。
 
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7月20日にFIFA女子ワールドカップ オーストラリア/ニュージーランドが開幕します。
あまり報道されていなくて、「え? またサッカーのワールドカップがあるの?」という人が私のまわりでもちらほら。
サッカー日本女子代表、なでしこジャパンは1991年開催の第一回大会から9回連続の出場。2011年には世界一の頂点に立ちました。 FIFAランキングはいまは11位で、日本代表は世界の強豪国の一つです。
それなのにメディアで流れる情報は少ないし、テレビ放映がどうもなさそう。理由はFIFAが男子W杯なみの放映権料を請求しているからで、つい最近まで欧州各国も放映に二の足を踏んでいました。つい最近になって欧州ではようやく放映が決まったのですが、日本では地上波での放映はなさそうです。
その背景と理由についてはジャーナリストの島沢優子さんが的確に説明してくださっています。

ラグビーW杯と真逆…7月20日開幕の女子サッカーW杯が「全く知られてない」理由 https://gendai.media/articles/-/111970?media=frau

このことに危機感をつのらせた女子サッカーを応援する有志が立ち上がり、トークイベントを開催することにしました。実川も実行委員会のひとりとして参加しています。
日時:7月11日(火)19時〜21時 
オンライン配信 参加無料です。
申し込み:https://forms.office.com/r/K63cDfpbRs
のちほどZoomの招待状をお送りします。
 
女子サッカーイベント05

先週Netflixで「クイーン・メーカー」11話をイッキ見して、いろいろと考えさせられることが多かったので、5話くらいをもう一度見直し、もっと考えさせられました。


簡単にあらすじを説明しておくと、ソウル市長選の話です。最終的に対決する候補者は、韓国大財閥の娘婿パク・ミンジュ(元人気ニュースキャスター。キュ・スヨンが怪演)と人権派弁護士オ・ギョンスク(女性 ムン・ソリが圧巻の演技)。
娘婿にはかつて大統領選挙で参謀をつとめた経験がある百戦錬磨のカール・ユンが、そして人権派弁護士には、かつて財閥のイメージ戦略をつとめ、凄腕と評判だったファン・ドヒ(キム・ヒエがやはり怪演)がそれぞれ戦略担当の参謀となります。
相手候補のスキャンダル(ギョンスク側にはスキャンダルがないので全部捏造)を的確なタイミングで暴露して足を引っ張り、それぞれの票田にもっともアピールするイメージを打ち出すという選挙戦略がおそらくこのドラマのおもしろさであり、またストーリーを主軸となって動かしていくのが全員女性という点も注目されるところだと思います。
選挙戦では、財閥をバックにした権力の中枢を握る勢力と、権力もカネも持たない庶民との対決(対比)がわかりやすく単純化された構図で描かれます。背景としておぞましいほどの格差に起因する労働運動とそれを弾圧する暴力、性暴力とセクハラ/パワハラ、フェミニズム運動、といったテーマも毎回出てくる。
ワイロ、恐喝、暴力(ときに殺人)などの裏の事件もふんだんに散りばめられています。いやいやドラマでしょ、選挙ったって現実世界ではいくらなんでもそこまでひどいことは……とは一概には言えない。戦後の韓国(朝鮮半島)の歴史を少し知っている人なら、それもありうると思うのでは?
主人公であるファン・ドヒはおそらく40代半ば。まだ韓国が民主化されていない1970年代の終わり頃の生まれではないかと思われます。立候補する弁護士、オ・ギョンスクはファン・ドヒより少し年下で、二人とも民主化を勝ち取るための戦いを見ながら成長したのではないかと。民主化の戦いでは、国家が自国民、それも民主化運動に加わっていない人たちも「国家に反逆した」と断罪して何千、何万人も殺す事件がありました。
そして二人の女性の人生に大きな影響を与えたのが、1997年のアジア通貨危機であることが、2話、3話あたりで描かれます。
IMF危機を乗り切った韓国は大きく経済発展を遂げましたが、その裏で社会格差はおそろしいほど広がりました。父親の失業のために学歴もコネもなくなった女性のファン・ドヒは、犬のような忠誠心と財閥家族の失態を尻拭いする才覚だけで財閥企業に欠かせぬ存在となっていきます。ちなみにファン・ドヒは何かというと「犬」とののしられます。野良犬とか猛犬とか赤犬とか。
一方で、民主化を勝ち取るための運動は、労働者の人権を守るための労働運動になり、オ・ギョンスクはその象徴として描かれています。彼女は「正しいことのために猪突猛進する」サイを自称します。
その二人が、もうひとりの候補者である娘婿の性暴力をきっかけに手を結び、「よりよい社会の実現」をめざして選挙を闘います。
女性たちに何回となく浴びせられるのが「理想を追っていては政治はできない!」「現実を見ろ!」という言葉(というか罵声)。そこには女性蔑視の視線も含まれているし、選挙はマネーゲームと公言してはばからない政界の「常識」があります。
ギョンスクは何回も「自分の信条を歪めて、理想を捨ててまで、そして大事な人を傷つけてまでソウル市長になる意味がわからない。もうやめる!」と 叫ぶのですが、そのたびに彼女の理想に共鳴する人たちによって救われます。
つとめていた財閥企業に雇われた手先に認知症で入院中の父親を殺されたドヒは、怒って相手候補の参謀であるカール・ユンに会いにいきます。するとユンは「おまえの父親はファン・ドヒの父親であるがゆえに殺された」と嘯くのです。そのあと「政治の世界では人殺しとは言わない。政治において人は存在せず、思想しかないからな」「私の思想を妨げる障害物を取り除いただけだ」とすごいセリフをはくのです。当然、怒りに震えるドヒは復讐を誓うのですが、「政治の世界」の論理しか頭にないユン(そして財閥一族)にはそれは「負け犬の遠吠え」くらいにしか響かない。
 思想をつらぬくために、人は犠牲にしてもいい、というその論理。
 ユンもはまたこうも言い放ちます。「理想を追いかけるのが政治じゃないぞ。現実をみろ」
なんかわけわからんこと言っとるわ、このおっさん、という目でドヒはユンをにらみ、「私は理想を追う。よりよい社会の実現するための戦いをやめない」と主張。両者は平行線のまま。
  まあ、ファンタジーといわれればそうかもしれないけれど、私は感動しましたね。
 恋愛要素いっさいなしで、イケメンも登場しない選挙ドラマですが、見応えがありました。

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