Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

観る極楽

 尼崎市塚口の家で生まれた私は、両親がアメリカに2年間行くことになったのをきっかけに、4歳のときに母方の祖父母が住んでいた芦屋の家に引き取られました。アメリカから帰国した両親は、そのまま芦屋の家で母方の家族と同居を始めたので、私は18歳で上京するまで芦屋で生活しました。岡山で生まれ育った母方の祖父母、特に祖母は長く芦屋に暮らしていても「阪神間モダニズム」とも呼ばれる独特の地域文化に馴染めないままでしたが、父方の祖父母は、ことに祖母は当時日本の中でも最先端をいっていたファッション、レジャー、生活様式や教養を積極的に取り入れ、実践していました。まあ、なんというか、派手好き遊び好きだったのです、父方の祖母は。
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(すでに2児の母親だった祖母。大阪大空襲で焼けてしまった梅田の自宅庭で撮影したものだそうです。昭和初期の戦争前、阪神間モダニズムが華やかだった時代がしのばれるファッションです)
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(祖父母一家。右から祖父、祖母、父、叔父。冬になると大山でスキーを楽しんだとか)

 1988年、父に連れられて芦屋の浜に開館した芦屋市谷崎潤一郎記念館を訪れたときのことです。父が「グランパ(私にとっての曽祖父。父は自分の父親のことをダディ、母はママ、祖父はグランパとか呼んでいたが、母から「気色悪い」と言われてめったに言わなかった)は谷崎さんと親交があって、関東大震災をきっかけに関西に越してきた谷崎さんの家を世話したりしとった」とふともらしました。高校生のときから「細雪」が愛読書で、描かれている阪神間モダニズムの世界に親近感と憧憬を抱いていた私は、それを聞いて飛び上がりました。「なんでそんなすごい話をもっと早くに言ってくれんかったん?」と父に詰め寄ったのですが、自分の母親のモダンガールっぷり、ハイカラぶりに辟易していた父としては、あまり言いたくなかったらしい。
 でも、その話を聞いて以来、ますます谷崎文学の、それも阪神間モダニズムを描いた作品に魅かれていった私としては、現在アサヒビール大山崎大山荘で開催されている「谷崎潤一郎文学の着物を見る」という展覧会と、谷崎潤一郎記念館で開催中の「谷崎とアシア・「細雪」〜モダンと伝統」を見逃すわけにはいきません。
 というわけでまずは行ってきました、大山崎大山荘に。本の帯に「百年経ってもいかがわしい」とありますが、今の私から見ても「ようこんなデザインの着物着るわ」という柄ばかり。当時は今よりも「モダン」だったのかもしれません。今はポストポストモダンだものね。
 両親の家をたたむとき持ち帰った着物の中に、紫の文様の着物があり、「いまどきこんな柄のものを着る人はいない」という呉服屋さんの忠告を無視して洗い張りに出して仕立て直しました。そうか、これって阪神間モダニズムだったから私が魅かれたのか、と展覧会を見ながら思いました。
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 阪神間モダニズムの世界はしだいに遠ざかりつつあるのかもしれません。とくに阪神・淡路大震災後によって、大正から昭和初期にかけて建てられた阪神間の建造物が失われてしまってからはますます遠ざかっているのかも。いずれは谷崎をはじめとする文学や小出楢重の随筆などでしのぶしかないのかも。

観たい観たいと思いながら、時間とチャンスがなかった映画2本を最近観てきました。
「スリー・ビルボード」 (マーティン・マクドナー監督 主演のフランシス・マクドーマンドがアカデミー賞で主演女優賞、警察署長を演じたウッディ・ハレルソンが助演男優賞、で話題)

「女は二度決断する」(私が敬愛するファティ・アキン監督作品。カンヌ映画祭でパルム・ドール賞を惜しくも逃すも、主演のダイアン・クルーガーが女優賞を受賞)


まずは「スリー・ビルボード(Three Billboards)」(えーっと細かいこと言うようだけれど、ビルボーズ、と複数にしない理由がビルボーズだったらわかりにくい、というのだったら、「3枚の広告板」とか直訳にしたほうがまだ意味が伝わるのでは?)
ネタバレしない程度にあらすじを書いておくと、ミズーリ州の田舎町で、娘がレイプされた上に焼き殺されたにもかかわらず、7ヶ月たっても捜査がいっこうに進展しないどころか、周囲も警察も過去の事件にしてしまうのではないかと怒った母ミルドレッドは、町外れの道路脇の大看板3枚を借り受けて警察署長あてのメッセージを掲出した。
「私の娘はレイプされて焼き殺された」「 まだ犯人はつかまっていない」「どうして、ウィロビー署長?」
車で町にやってくる人の目に、いやでも入る赤の地に黒ででかでかと書かれた強烈なメッセージ。
それで娘を殺された母親に対して同情が集まるだろう、と思いきや、ミルドレッドは町中の人たちから「ウィロビー署長に対してなんてひどいことをするんだ」「いくらなんでもやりすぎだ」と非難される。
なぜなら、ウィロビー署長は人望厚く、美しい妻に子どもたちがいる理想の家庭を築いていて、しかも癌で余命がさほど長くないとみんな知っていたから。
なぜなら、ミルドレッド自身が気が強いおばはんで、娘は品行方正というわけではなかったし、ミルドレッドの夫は自分の娘と変わらない女の子と浮気して家を出ていってしまっていて、家庭は崩壊していたから。
人格者の警察署長 対 気が強く愛想がないかわいげのない女
女に勝ち目はありませんね。娘が惨殺されたのだから同情が集まってもよさそうなものだが、田舎町の人たちはミルドレッドと彼女がやったことに対してごうごうたる非難を浴びせるのです。
それどころか、看板の製作を引き受けた会社に警察官が押し入って、ミルドレッドに言われるままに看板を立てたという理由で、青年社長をぼこぼこにしてしまう。なのに、警察官はおとがめなし。 
おまけに、ミルドレッドが働いている土産物店の女性店長(ミルドレッドの唯一の友人)は、ミルドレッドに加担したという理由で逮捕され、留置所に入れられてしまう。
だが、この映画がすごいのは、田舎町の狭いムラ社会の人間関係はコワイね、とかそういう話に落とし込んだりしないところです。ハリウッド映画にはめずらしく、クライマックスもなければ、ハッピーエンドもない。
観客はひたすら問いかけられ、考えさせられます。
善人とは何か? 正義とは何か? 
ミルドレッド自身も途中でその答えが見つからないことに気づきます。ウィロビー署長も、彼を慕うあまりに署長に楯突く人たちに暴力をふるっていた警察官も、あれ? 自分たちがやっていることは、正義なのか、いいことなのか、と疑問が湧いてくるのです。
自分が拠り所にしていた善悪の判断、正義不正義の境目が揺らぐことで、町は恐怖に陥れられます。
そして、娘の復讐のために正義の闘いを挑んだはずだったミルドレッドでさえも、最後には自分が拠り所とすべきものを探す闘いの旅に出る、、、、。ま、私のうがった見方ですが。

そして「女は二度決断する」。これまた「闘う女」が主人公なのですが、実はこの映画をどうとらえたらいいかまだ結論が出ていません。
ファティ・アキン監督が描きたかったのは、ドイツの移民問題でもなければ(移民問題は物語の背景、だと思いますが)、家族を奪われた女性の復讐ではなく、もっと人間の本質に迫る普遍的なテーマだったのではないかと思います。
あらすじを簡単に書いておくと、ドイツ北部の町、ハンブルク。ドイツ人の女性カティヤは、トルコ系移民(というかクルド人)の夫と6歳の息子と暮らしていました。ある日、息子を夫の会社に預けて臨月の女友だちと遊びに出かけて会社まで帰ってきたら、夫たちがいたビルが爆弾テロで吹き飛ばされ、夫も息子も殺されたことを知らされます。なぜ? どうして? と悲しみのどん底に突き落とされるカティヤ。
 やがて警察の捜査で、ネオナチの若い夫婦が犯人として逮捕されるのですが、裁判で決定的な証拠がないことと、カティヤと夫が学生時代に麻薬をやって刑務所に入っていたことが心証を悪くしたこともあって、ネオナチ夫婦は無罪放免になってしまいます。そしてカティヤは犯人夫婦がギリシャに潜んでいることを突き止め、後を追う、、、、あとはネタバレになるので書くのをやめておきます。
映画の中で私がとても印象に残ったシーンが2つあります。
1つは、裁判で検死官の女性が淡々と夫と息子の検死報告書を読み上げるシーン。幼い息子が亡くなったときの模様を、身体の破損状態(熱風を吸い込んで喉が焼けただれ、爆弾に仕込まれた釘が全身に刺さり、、、、)で知らされるカティヤ。私はこのシーンで、自分の身体にも痛みを感じました。喉や腕に疼痛を感じたほど。カティヤは読み上げられている最中にふらふらと立ち上がり、裁判が行われている部屋を出ていき、廊下であえいで苦痛に身体を震わせました。
2つ目は、裁判が終わったあと、タトゥショップで刺青に大きく刺青を入れるところです。(しかも刺青の絵柄が「サムライ」って!)その前に女ともだちに「気が遠くなるほど痛いんだけれどね」と言っていたはずの刺青を、まるで自分への罰のように入れるカティヤ。
この2つのシーンだけでなく、衝撃的なストーリーをアキン監督は言葉以上に身体で描いている、身体に語らせている、と思いました。
痛みや苦しみの表現だけではありません。ドイツ人とクルド人、ギリシャ人などの民族による「相違」、男性・女性の性的身体の「相違」、テロリストの若者とその親という世代的「相違」など、「相違」を身体で表現することによって、問題は「相違」にあるのではないことに気づかされます。
うーん、うまく言えない。もう少し消化が必要です。

私が若いころには、女性は対男性、対男性が既成化した社会に闘いを挑んでいたのだけれど、闘う対象は少し違ってきたのではないか、という印象を持った2本の映画でした。
ただ一つだけ言えるのは、闘い続ければいつかは必ず勝つのだということ。闘いを放棄した時点で、みじめな敗残者になってしまうのだ、ということ。それを教えてくれた映画でもありました。
 

この半年、ずっと緊張してエネルギーを放出しっぱなしだったためか、今、行動を起こすためのエネルギーがなかなか満タンになりません。充電が50%のまま使っていると、あっという間に21%(低電力モード)になるわがIPhoneのようです。
こういうときは家事です。掃除、洗濯、炊事に片付け。ただ体を動かしさえいれば、目に見える「成果」があげられる家事。風呂を洗ってピカピカにし、「成果」に自己満足していると、心の中からふと聞こえてくるのが悪魔のささやきです。
「このまま仕事(社会生活)から引退しちゃおっかな〜」
「趣味だけを楽しむと割り切って、悠々自適生活しちゃおっかな〜」
「家事と遊びだけで十分じゃないっかな〜」
「もう年が年なんだしさ〜。体力追いつかないわ」
「何をいまさら社会貢献なんて」
「誰も私の社会貢献なんて期待していないわ〜」

でもね、わかっているんです。64年も付き合ってきた「自分」には、社会参加を止めることなんてできっこないってことが。
3日前、もうへとへとに疲れて倒れそうだったときには悪魔に心を譲り渡しそうになっていました。時差ボケ+孫のお守りで連続した睡眠が取れず、後頭部にずーっと鈍痛を感じている状態では、健全な前向き思考はできませんね。
もう限界と思ったところで、木曜日の夜から毎日9時間眠って、PCを立ち上げず、メールを読まず、返事も書かず、アポを入れず、ただひたすらテレビでワールドカップの試合を無心に見て、ゴールに歓喜しているうちに、少しずつ少しずつだけれどエネルギーが充電されていきました。
そして今朝、3日ぶりにPCを開いて、送られてきた文書を読んで「ああ、私にもまだできることがある! これがやりたい!」と心が動いたのを感じました。
行動を起こせば軋轢もある。何かしら志を持って動けばいやでも人とぶつかるし、ときには自分が摩耗するような理不尽に遭遇して、激しく喧嘩もしなくちゃならない。陰口、悪口、誹謗中傷にも晒される。そもそも自分でいいと思ってやっているのに、理解し、賛同してくれる人は少数だし、ましてや実際に応援してくれる人なんてめったに出会わない。
でも、それを知っているからこそ、同じような志で行動している人を、私は応援したいと思うのです。少なくとも、応援するために自分が持てる能力、体力、気力を使いたいと思います。 
なぜなら、私は、今のこの社会を、世界を、少しでもよい方向へ、少しでも多くの人が笑顔になる方向へと変えたいと思っているから。
青臭いこと言っているのは百も承知。
さあ、もう少しエネルギーを充電して、気持ちだけでなく体も頭も動かそう。
(本文とは関係がない画像をのっけます。ロンドンで宿泊していたコリンデールから4駅ロンドン中心部に向かったハンプステッドという町がとってもかわいくて、おしゃれで気に入りました。なんでも高級住宅地らしい。その写真と、ロンドン中心部での「W杯に行くぞ!」という気合いの写真です)
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 (上はハンプステッドのジェラート屋さん。ここのジェラートはとっても美味しかった。でもイタリアのチェーン店らしい。下はハンプステッドのあちこちにある花屋さん。園芸本場の国らしく、種類も多いしセンスも抜群)

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(イングランド頑張ってね! 今夜はパナマ戦)
 

キプロス島について書かれた日本語の本で、簡単に入手できるものは1冊しかありません。
「キプロス島歴史散歩」 澁澤幸子著 新潮選書
最初は図書館で借りて読んだのですが、ガイドブックがほとんどない以上、これを持っていくしかないと古本で買いました。ちなみにAmazonで1冊だけ残っていた新刊を購入していたのは、なんと北キプロスまでCONIFAの会議に出席したいと単身やってきた大学生O君でした。O君、きみはすごい! 生まれて2度目の海外旅行で北キプロスに1人でやってくるなんて! しかもその目的がCONIFAの総会に出席するためだなんて! 私もCONIFA紹介記事を書いてきた甲斐があったというもの。「日本から一人でやってきたんだよ! CONIFAに関心があるからっていう理由だけで、15時間ほどかけて自腹でやってきたなんてすごくない?!」と紹介するとCONIFAメンバーはもう大喜びで、大歓迎されていました。北キプロスで私よりはるかにもてはやされていたO君。CONIFAアジアの未来を託したいと思ったくらいです。
さて、会議終了後、O君と1日半キプロスを観光しました。レフコシャにある「国境」を越えて南のニコシアに行って、キプロス・リーグの試合をテレビ観戦したり、西にある「リゾート地」ガジマーウサ(ファマグスタ)に乗合バスで行ったり、と連れ(しかも男の子)がいるおかげで1日半の観光も充実したものとなりました。
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(北キプロス側の街、レフコシャでは壁面に「アート」が描かれている家や店舗がたくさんありました。それを見てまわるのも観光のお楽しみ、のようです)
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(でも、まあ北キプロス側のレフコシャの街並みはこんな感じ。中心部でも)

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(「国境」も二人で越えればこわくない。そして国境を越えて南のニコシア側に入ったとたん、このにぎわい)
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(パフォーマンスをしているお兄さんを囲む観光客も気前よくお金をあげてました)

その後訪れたキプロス島の西側にあるアンタルヤの観光でも思ったのですが、「遺跡をあまりにも無造作に放置している!」
まずは「遺跡放置状態」だったガジマーウサ探訪からです。ガジマーウサ、もしくはファマグスタと呼ばれる町は、ぎりぎりで北キプロスに入っている島東端にある町です。かつては島の中心地だったところです。紛争終了後に町のギリシャ系住民は南側に、南のトルコ系住民は北側に強制移住させられたとか(以後、情報は「キプロス歴史散歩」よりの引用です)南北に無理やり分けられたんだなあ、という痕跡も街のあちこちにありました。
町が作られたのは紀元前285年、アレクサンドロス大王没後のヘレニズム時代にエジプトに誕生したプトレマイオス朝がキプロスを領土としたとき、ガジマーウサの前身となるサラミスに都市を築いたそうです。ローマ時代には北のギルネと並んで、サラミスはローマにワイン、銅、オリーブなどを輸出する貿易港として大いに繁栄したとか。ローマ時代からビザンティン時代の初期まで、キプロスの中心地はサラミスだったそうです。
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(地中海一繁栄していた交易港のおもかげはいまはなし@ガジマーウサの港で)

その後エルサレムからユダヤ人が住み着き、コンスタンティウス帝(337−361年在位)が町の名前をコンスタンティアとして復活させたり、647年にはシリアを支配していたウマイヤ朝の攻撃に晒されたり、12世紀にはトルコに迫害されたアルメニア人が移住して現在のガジマーウサの基盤を築いたり、とつぎつぎと外敵に狙われるのですが、最も繁栄させたのは十字軍です。ガジマーウサは聖地エルサレムを訪れる巡礼者や商人の中継地隣、地中海ナンバーワンの交易センターとして繁栄しました。
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(バスが終着地、ガジマーウサに到着するなり目に飛び込んでくるのはヴェネチアが支配していた15世紀末に築かれたこの城壁跡。テンションが↑)
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(城壁内にはコミュニティの人々が集まって協議をしたであろう会議室とか、交易している品々を保管していた倉庫とか、迷路のようなところに宿泊施設などがありました。しかし、長く放置状態でつい最近になってこの遺跡の重要性に着目したヨーロッパが、大々的な修復に乗り出したとか)
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(ヴェネチアの紋章であるライオンのレリーフが刻まれているオセローの門。オセローっていったい??と思ったけれど、もしかしてイギリスが植民地にしていたときにシェークスピアの影響で命名したのでしょうか?)
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(城壁内の旧市街には人々の暮らしがあります。トイレを借りてチャイを飲んだカフェにはご近所らしきおじいさんが店番をしていました。っていうか、店の人はいったいどこに行ったんだよっていうくらい、人がいない閑散とした通りでした)
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(写真上:キプロス島はどこにいっても猫だらけ。歩いている人よりも歩いていたり寝ている猫の数のほうが多い! カフェでもお客さんのかわりに猫が座っておりました。
写真下:オスマン・トルコ帝国支配時代に帝国にたてついたムスタファ・ケマルが幽閉されていた地下牢への入り口はこちらでございます。ケマルは建国の父と広場に銅像が建っていましたが、人気は今ひとつで近代トルコ建国の父はやっぱりアタチュルクらしいです)
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(閑散としているガジマーウサ旧市街ですが、こういう雰囲気のある路地が見受けられるということは、おしゃれな人も住んでいるのでしょうか?)
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(最後に、乗合バスです。レフコシャからガジマーウサまでは40分と言われたけれど、停留所があるともないとも言える箇所で何回も停車して、学生さんが大学前で降りたり、通院しているらしきおじさんおばさんが病院前から乗り込んだり降りたりしているので、結局1時間以上かかりました)

アンタルヤの遺跡についてはつぎのエントリーで。

 



「わたしは、ダニエル・ブレイク」
ケン・ローチ監督はもう80歳を超えているのにこんなにすごい映画を撮る! 
サッチャー以降に見捨てられてしまった人々が、どうやって自尊心を保ち、生き延びようとしているかをあたたかく(でもたいへんにシリアスに)描いています。
2017年春に新宿で鑑賞。大泣きしました。



「でんげい〜私たちの青春」
大阪の在日コリアンの高校が伝統芸能を競う全国大会に出場するまでのドキュメンタリーです。
これまた席から立ち上がれないほど感動で大泣きしました。
とにかく出演者たちのまっすぐな青春が眩しすぎる。 こういう青春があるんだ、と心から羨ましかったです。



「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣」
これまたドキュメンタリー映画です。ウクライナの片田舎出身の天才ダンサー、セルゲイ・ポルーニン。19歳で英国ロイヤル・バレエ団の最年少プリンシパルになるものの、23歳で突然退団。その後、ロシアに行って一からデビューし直しまた人気を掴むものの、燃え尽きてダンサーを引退することを決意。
引退記念として友人に振り付けてもらって踊った映像をYou Tubeでアップしたところ、大きな反響を呼んでまた続ける気力を取り戻す、というストーリーです。
天才ゆえの苦しみ、でも踊らずにはいられないその思い、いろんなことを考えさせられました。 
彼が引退を決めて撮った映像がこれ↓



ほかにもあったのだけれど、重くなるのでまずはここまで。 

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