Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

観る極楽

 
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 CONIFA(Confederation of Independent Football Associations独立サッカー連盟)は、マイノリティ、ルーツを持つ国を離れて生活する移民や難民、僻地で暮らす人々などに、サッカーやスポーツの試合をする場と機会を提供する趣旨で20137月に設立されたグローバルな組織です。その活動理念は「サッカーをする喜びを通して、互いの文化と社会への理解を深め、友好と親善の橋を架ける」ことにあります。日本国内においてCONIFAのこの理念を共有する人々を支援し、活動を推進していく目的でCONIFA in Japanの立ち上げを決め、現在NGOとして組織化しようと準備を進めています。

 このたび、CONIFA in Japanの主催で、サラマットFC vs シン・ブラザースFCの親善試合を行う運びとなりました。

 サラマットFC(Salamat FC)は、在日ロヒンギャの方々を中心に2017年に結成されました。サラマットとはアラビア語で平和を意味し、民族に関係なく平和にサッカーが楽しめますようにという願いがこめられています。マレーシアに本部を置くロヒンギャFAは、CONIFAのメンバーです。

 シン・ブラザースFCChin Brothers FC)は在日シン(ミャンマーの少数民族)の人たちが2016年に立ち上げたチームです。サッカーをこよなく愛するシンの人たちにとって、シンボル的な存在となっているチームです。

 この親善試合が2チームの間だけでなく、日本の人たちや、日本で暮らす外国人との交流のきっかけとなることをCONIFA in Japanでは願っています。

 

試合概要

開催日時:11月17日(日) 18時45分 キックオフ

前後半45分 15分ハーフタイム 20時30分試合終了

開催場所:赤羽スポーツの森公園競技場

試合についてのお問い合わせは、実川元子までお願いします。 

しばらくガンバのことを頭から追い払いたいし、記事のトップにきのうの完敗が出てくるのがいやなので今日はガンバと関係のない記事で2回目のブログ更新です。

私はTwitterをほとんど利用していません。仕事で持っているアカウントでは、プロジェクト進行中は1日に何度もチェックし、ツィートもするけれど、個人のアカウントではたまーにしかつぶやきません。
Facebookでは10年アカウントを持って毎日のぞいて1週間に1回は書き込んでいますが、友達申請は1)会ったことがあり、信頼できることを確認済み、2)個人的にメールをもらって「友だちになってください」と頼まれた、3)その人のアカウントの書き込みや友だちをチェックして大丈夫と判断した、という3つの条件を満たしたところでの「承認」することにしています。そこまで面倒臭いことをするのがいいのかどうかわからないけれど、「友だち」と言うからには、情報を交換し共有したいと思われる人、とか、話し合いの土壌に乗れる人、であって欲しいからです。
Twitterのフォロワーは選ぶことができないし、そもそもフォロワーであって友だちじゃないので、 こちらのツィートにどう反応するかまったく見当がつかなくて怖いのです。140文字しか書けないから、発言の意図や背景を説明するには私には足りません。でも2,000字書いたとしても、たぶん伝わらない人には伝わらないし、誤読されて人格攻撃までいたるような炎上に巻き込まれるのは時間と労力の無駄遣いと思えるので、ツィートには積極的ではありません。
パソコン通信の草創期、つまり30年以上前からネット上での発信やつながりにわりに熱心だった私ですが、最近のSNSはちょっと怖いな、距離を置きたいな、と思うときがあります。
その一つが「共感への強迫的強要」です。Facebookでの「いいね!」とか、Twitterのハートマークとか、共感を示してくれ〜〜〜と強要されているみたいで気が重くなります。共感はコミュニケーションとしてとてもたいせつではありますが、それが強迫的に強要されてしまうことは、裏返すと反論や反発に対して不寛容になってしまうと思うのです。自分とは意見が違う、というのであれば、違うという点を理論的にちゃんと言葉で説明してほしいし、それに対して発信者も理論的に応えればいい。それが社会生活を送る人のコミュニケーションの基本だと私は思います。人は違う考え方や感性を持っている生き物なんだから、なんでもかんでも他人に共感できるはずがない。でも、どこが自分と違うのか、何に対してその人が反発しているのか、少しは理解したいのです。
ところが、「炎上」とかしているやりとりを見ていると、「おまえの意見は気に入らない。こういうことを言うやつの発言は取り消せ」とか、いきなり好き嫌いの話になってしまう。好き嫌いは誰にでもあって、自分が聞きたいと思っている意見は好きだけれど、聞きたくない意見、見たくない画像には嫌悪感をもよおして、怒りさえおぼえる。すごく当たり前の感情です。でも、それは個人の好き嫌いであって、嫌いだったら無視するとか、ブロックするとか、すればいいのだけれど、なぜか嫌いな意見や画像に過剰なばかりの反応を見せる人がいます。不愉快だ、吐き気がする、こんなことを言う人はどこか精神的におかしい、という相手の人格攻撃まで、いちいち書き込まなくちゃいけないことなんでしょうか? なんてことをここに書いただけで、また反発がきそうですが。
そうはいっても、SNSがなかった時代にはとても知り合えなかった人たちと知り合い、いろいろな話が聞けるし、おもしろい本も教えてもらえるし、私自身も発信の場が広がっていいこともたくさんあります。要するに、つきあいかた、なんだと思います。
私が気をつけているのは、できるかぎりまちがった情報を発信しないこと、できるかぎり特定する個人(政治家や有名人を含む)の人格を攻撃することを書かないこと、そして好きな人の意見でも自分とは違うなと思ったら、何が違うのかを考えてから「反論」すること、そのときに「そういう意見は嫌いだ」とは書かないようにすること、です。嫌いだ、と言ってしまうと、そこで話し合いもできなくなってしまうから。
でも、当たり障りのないトピックにいいね!ばかりしているのもSNSの使い方として私自身は違うんじゃないかと思っています。意見が分かれそうなトピックにも、自分の立場をはっきり示すことも必要で、そこで好悪の感情を招かないようにどうやって発信するか、まだよくわかっていません。
この記事を書こうと思ったのは、以下のブログを読んだから、でもあります。
「物語 オーストリアの歴史」の著者 山之内克子さんの記事です。響きました。

https://note.mu/grossprinzessin/n/nd90a488cb3ed?fbclid=IwAR1HmJivVLIODwKYXqKFF0uZNQlPizvC3B7oFERqqJv-Tfrfs3jP1hXndJg


気持ちをなごませたいので(いまささくれだっている私の胸の内)近所の公園の池の蓮の花を投稿しておきます。
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朝からカーッと太陽が照りつけるかと思えば、一天にわかにかきくもり、激しく雨が降り出す、という台風の影響らしい天気が続いています。今日は天皇杯 ガンバvs法政大学観戦にいくのですが、このぶんだと久々に雨にうたれる「修行観戦」かなあ〜〜〜

ということはさておき、2004年に購入したテレビの調子が悪くて、そろそろ買い替え時期なのではないか、とBCASカードを抜いたりさしたりしています。
2年前にまったく映らなくなって修理に来てくれた電気屋さんが、「この型はもう製造中止になっていて部品がありません。今回は幸いうちに在庫があったからいいけれど、つぎに映らなくなったら買い替え時期じゃないでしょうか?」と言われました。それでもまだ買い替えていない。買い替えようかな〜〜と思いつつ、腰が上がらない。なぜなら、我が家はテレビをほとんど観ないから。
という言い方は正しくないな。
テレビ局が放映している番組をほとんど見ない、というほうが当たっている。
NHKの国民的人気(ってなんだよ?)の朝ドラや大河ドラマも、民放のお笑いやドラマも、歌番組(というのはまだあるのでしょうか?)も、ワイドショー(まだそういう番組はあります?)もこの20年間ほとんど見たことがない。
子どもたちが家にいたときにはそういう番組も見ていたらしいが、私はそのころは仕事が忙しくて、夕飯食べたら仕事に戻っていたのでよく知らないのです。
私がテレビ受像機をつけて視聴するのは、WOWOWでやっている映画の録画と、たまにリーガやテニスの試合と、Jリーグ開催時期にBSでやっているサッカーの試合や日本代表の試合、それくらいかな。1日に1回はつけるようにしているけれど、休憩時間中に30分程度録画してあるものを観るくらいです。
 最近は映像をタブレットで一人で見ることが多いのです。サッカーの試合はDAZNで、映画やドラマはWOWOWやプライムで、お気に入りのNHKドキュメンタリーもオンデマンドで視聴します。夫がサッカーだけでなくスポーツが全部好きでないので、嫌がる夫の前でスポーツの試合を観る気にはなりません。食事時間中だとタブレットを隣の椅子の上においてこっそり盗み見しながら一人観戦。ゴール決まっても騒げないので、つらいわ〜〜〜。夫は映画にもドラマにもお笑いにもいっさい興味がないし、私もドラマやお笑いは観ない。というわけで、私自身の「観る」という行為はタブレットのほうが中心になっています。
そんな我が家なので、吉本の芸人をおそらく2人くらいしか知らないし(夫は今回騒動になっていた宮迫も田村なんたらも知らなかった。というよりも、テレビでこの2人を見たことがなかったそうだ)、誰がジャニーズで誰がK-POPなのか区別がつかない。
高齢者に入る私でさえもこれだけテレビ番組をテレビで観ることがなくなっているのだから、今後、テレビ放送はすたれていくのでしょうか? それとも我が家はテレビ視聴における平均家庭ではないのか?
いや、そんなことより、我が家はテレビ受像機を買い替えるべきなのでしょうか? その前にNetFlixに加入を検討したほうがよさそうだな。
 

さて、心の残る青春映画、2000年からの5本をあげます。2001年、私は47歳でした。世界を大きく変えてしまった9.11は、私自身や家族たちの生き方にも大きな影響を与えました。それがなんだったのか、という検証はまだすんでいませんが、具体的には夫も私も仕事に大きな(マイナスの)影響があったし、娘たちが就職するときの選択肢にも影響しました。
20歳過ぎた大学生の娘とは、そのころよく一緒に映画や芝居を見たり、本やCDを交換したりしていましたが、ここで紹介する映画のうち3本は娘からの推薦です。

1)「ゴースト・ワールド」2001年
恵比寿ガーデンシネマで娘と一緒に観賞。同年代の少女二人が主人公だったためか、それとも少女のうちの1人、ソーラ・バーチ演じる少女のファッションが娘の趣味にずばっとはまったためか、娘はその後この映画を友人と見に行ってあまりに話が盛り上がったので、その後またいろいろと確認のために1人で見にいったそうです。
1980年生まれの長女は、90年代の女子高生ブームのときに女子高生でした。パンツが見えそうな短いスカートにルーズソックス、茶髪、ピアスあけまくり、もちろん化粧もしていました。(どんどん過激になる娘にはらはらいらいらしながらも、それならと対抗して私もやってみました。思い切って金髪に近い茶髪にし、ピアスを開けて、派手なファッションに挑戦し、ついに娘たちに「ママ、もうやめて〜〜〜。私もやめるから」と言わせるのに成功したわけです)
大学生になるとコギャルは卒業したものの、当時流行ったお嬢様ルックにはまったく乗れず、かといって好きなパンク・ファッションに走ることもできず、どのあたりに焦点を定めるかを試行錯誤していたところだったようです。そんなときに出会ったこの映画。高校を出てもつるんではみだしものをやっている少女2人が、ど不細工なオタクにからんでいくこの映画に娘がはまるのは必然だったのかもしれません。スカーレット・ヨハンセン演じる少女(美少女)がまともに就職して、正当化路線に進んでいくのに対し、オタク男を翻弄しながらまだ髪を緑に染め、ゴスロリみたいな服を着たりしているソーラ・バーチ演じる少女に自分を重ねていたのかも。中年のブサイクで不器用なオタク男(スティーブ・ブシェミ)を振り切って、一人バスに乗って去っていく少女がかっこよく見えました。恋愛における男女の力関係が変わっていることを感じさせた映画でした。
 
2)「フラガール」2006年
やーやーやー、まさか蒼井優と山里亮太の結婚発表が今日あるとは思いもよらず、この映画を取り上げると決めていたわけですが、映画公開から13年もたって、フラガール婚が生まれたわけですね。
何回見ても泣ける映画です。時代は1966年。石炭から石油へとエネルギーが転換し、炭鉱がどんどん閉鎖される中で、廃鉱になりそうな地元の再起をかけて結成されたフラダンスの物語。実話です。
この映画の主人公はフラダンスを教える松雪泰子演じる平山まどかであり、チームの中心となる蒼井優演じる谷川紀美子なのですが、私がもっとも感情移入したのは蒼井優の母親、富司純子が演じた谷川千代でした。炭鉱という「男の職場」が行き詰まり、仕事そのものが消えようとしていた時代である1960年代、女性たちが地域を救う力となることに対して、あせり怯える男たちから猛烈なバッシングが起きます。 それに対抗して娘たちを守るために立ち上がり、女が自分の力で生きていく時代にしなくちゃ、これからはそういう時代なんです(うろ覚え)というお母さんがとてもとてもかっこよい。都会で、ダンサーとして生きてきた松雪泰子も、実は男社会の圧力に押しつぶされて逃げるように福島に来たわけですが、そこでお母さんと出会って、自分の中の力に気づき、仕事に対してそれまでとは違った取り組み方をしていきます。
1960年代、産業構造が大きく変わり、働き方も大きく変わった時代でした。今と似ています。働き方改革が叫ばれる今、時代に合わせて仕事とどう向き合うのか、考えるヒントはこういう映画にあるかもしれません。

3)「オフサイド・ガールズ」2006年
英国で女子がサッカーの試合をするようになってから140年経ちました。先日、SHUKYUという雑誌に女子サッカーの歴史について書くために10冊ほど本を読んだのですが、女子サッカーを都合のいいときだけカネのために利用し、必要がなくなるといきなり妨害にまわる男社会の理不尽に腹が立つばかりでした。FA(イングランドサッカー協会)は1920年から70年まで女子にグラウンドを貸すのを禁止していたし、西ドイツやブラジルは法律で女子がサッカーをすることを1970年代まで禁止していたって知ってました? 理由は「男子サッカーの観客が食われるから」とかいうから腹立つ。
という歴史についてはSHUKYUを読んでいただくとして、女性がスタジアムに入ることを禁止しているイランで、どうしても試合が見たいと男装してもぐりこもうとする女性たちを描いた映画です。男装がばれてつかまってしまい、スタジアムの一角に隔離された女性たちが警備している男性の兵士たちに口々に聞くのです。「なんで女性が試合観戦しちゃいけないの?」兵士たちは「え?」というとまどった顔で口ごもり、「えーっと男性たちしかいないところに女性が入ると危ないだろう?」とかいうのですが、まったく理由になっていないことを女性たちに論破されて最後には「ダメといったらダメなんだ!」で押し切ろうとする。上下支配関係ではこのやりとりはよくありますよね。「なんでダメなの?」「ダメといったらダメなんだ」答えになっていませーーん!「私は思考停止しています」を宣言しているのと同じ。
「それっておかしくないですか?」という問いかけに、「ダメと言ったらダメなんだ」と答えることの理不尽と滑稽さを描いたこの映画。今もまったく色褪せていないです。

4)「リトル・ミス・サンシャイン」2006年
娘が大好きな映画で、ついにDVDも購入し、気持ちが沈んだときには見ていたそうです。テーマとしては行き詰ってしまった家族の再生なんですが、ひたすら明るく大笑いしながら見られる、7歳の少女のおかげです。ある意味、不幸と不運のてんこ盛りといっていいほどのダメ家族なんだけれど、ダメなのは「世間」とか「常識」とかの基準に合わせて自分たちをはかるからであって、そんなものにまったくとらわれない7歳少女に、そうか自分に正直に生きていけばいいんだ、と気づかされる、という話。少女おそるべし! 少女の持つこのパワーを、世界は生かしてほしいですね
美少女コンテストに出たーい、とい7歳少女に付き添いを余儀なくされて、一家全員で旅に出ることになりますが、旅に出たときと、帰ってきたときに、家族を取り巻く状況はまったく変わってない、どころかもっと悪くなっています。経済的にも、社会的にも、状況は変わらないかもっと悪い。でも、家族の気持ちはまったく変わっています。世間や社会がどう思おうと、見栄とかプライドとかを捨てて自分の気持ちに沿って生きていく勇気を持とう、という気持ちになっている。 励まされます。

 
5)「少女は自転車に乗って」2013年
サウジアラビア初の女性監督による映画です。映画については2014年2月16日付の当ブログで書いているので、URLを貼り付けておきますね。
http://www.motoko3.com/archives/18340839.html

私も2年前からまた自転車に乗っているのですが、乗るたびに自分の中にある何かが吹っ切れたみたいで爽快です。歩くのとは違って、自分で自分の行き先を決められるみたいな気分になって、パワーをもらいます。映画の中の女の子が欲しかったのは、もちろん自転車そのものなのですが、そこに象徴されるパワーなのではないかと。厳格なムスリムの社会でも、こういう映画を女性が作り、自動車の運転もようやく許され、女性たちが少しずつ「パワー」をつけているのではないか、と思わせます。
 

あの時代、いま振り返ってみたら本当はどんなことがあったかを自分の体験から検証する「あのとき何があった?」シリーズ第三弾。今回は1970年から現在まで通して、私の心にずっと残っていて、折りあれば見直してみたい青春映画を時代順に並べてみたいと思います。並べてみて気がついたのですが、私が強く感銘を受けたのはどれも女性が主人公、もしくは女性が活動する側に立っている映画です。

1)「いちご白書」1970
1970年公開の映画でしたが、私が初めて観たのは1972年、大学1年のときでした。大学の大講堂で無料で上映されるというので、友人たちと連れ立って観に行き、終了後しばらく椅子から立ち上がれないほど衝撃を受けました。当時はまだキャンパスに立て看板が立ち並び、授業前に学生運動の闘士たちが「きみたちはそれでいいのか!」とアジるという時代。ロックアウトこそなくなったものの、学生運動はまだ熱い時代でした。この映画がまだ10代の私にぐさっと刺さったのは、男性がノンポリで、女性が活動家だったこと。東大安田講堂事件(私は高校生)で、立てこもる全共闘の学生たちは男性ばかりで、女性がおにぎりを差し入れていたことが話題になっていました。movementをになうのは男性、女性はそれをsupportする、という構図なのだと思っていた私が、この映画で「そうか、女性が社会のmovementを起こすのも許されるし、そういう女性を魅力に思う男性が現れるのだ」と初めて気づいたのです。いや〜晩稲だったね、私。

2)「ローズ」 1979
ジャニス・ジョプリンがモデルとなったこの映画は、1980年に日本公開され、観にいった会社の同僚が大興奮で「絶対に観るべき!」と息巻いて1週間くらい語り続けていました。そんなにすごい映画なら、とまだ赤ん坊だった子どもをベビーシッターに預けてこっそり観にいったという記憶があります。そしてそれだけの価値がある映画でした。ベット・ミドラーが演じるジョプリンが、ヤク漬けになったり、男にいいように使われたりしながらも、ステージに立つとものすごく強くて存在感があって、輝いていました。ジョプリンのまわりにいる人たちは、親、恋人、プロモーター、どれもこう言っちゃなんだがくずみたいな人間ばかりで、救ってやるみたいなことを言って近づいてくるけれど、結局は食い物にするばかり。それじゃ女の弱さを描いているのかというと、全然そうじゃない。ジョプリンは結局精神も肉体も破綻してしまうのですが、それでも輝きは残るのです。
ベット・ミドラーが今年のアカデミー賞授賞式で映画の主題歌「ローズ」を歌ったのですが、「Some say love, it is a river that drowns the tender reed, Some say love, it is a razor that leaves your soul to bleed……」と彼女が歌い出したとたん、新宿の映画館に座って涙を流しながら聴いたことが思い出されました。

3)「セント・エルモス・ファイアー」1985
私は30代、働くお母さんやってました。ビデオが出回りだしたころで、ビデオデッキを購入して、近所のレンタル・ビデオ屋で借りてきたビデオを子どもと夫が眠った深夜に見るのが最大の楽しみでした。ジョージタウン大学を卒業した仲間たちが、キャリア形成や恋愛に悩みながら大人になっていく過程を群像劇で描いたこれぞザ・青春映画「セント・エルモス・ファイアー」は、1回観終わって興奮が冷めやらず、3回くらい観て夜が明けた、という記憶があります。当時のレンタルビデオは1泊2日で料金取られていましたからね。
30代の私は流行りの「キャリアウーマン」というのに憧れていたのだけれど、実態はほど遠く、お茶汲みと雑務仕事しか与えられず悶々としていました。実際、自分の実力からしてそれくらいしかできなかったと今はわかるんだけれど、でも当時は焦燥に駆られていました。アメリカのキャリアウーマンはもっと輝いているんだろうなあ、と思って観たこの映画で、デミ・ムーアが演じる大手企業に就職した「キャリアウーマン」が、仲間の手前見栄張っちゃって無理を重ねるうち、経済的にもキャリア的にも破綻して自殺未遂をしてしまう、というところに痛いほど共感しました。いま見直したらチープさに辟易するかもしれないけれど、あのころの私には刺さったなあ。

4)「テルマ&ルイーズ」1991
あの結末はどうなんだ、とか、やっていることは犯罪じゃないか、とかいろいろと批判はあるでしょうが、主人公2人の決死の逃避行が痛快で、これまた私は3回くらい観ています。ジーナ・デイヴィスとスーザン・サランドンが大好きになって、しばらく2人の出演作を私は追っかけ続けていました。
2人は男から、警察から、追われて逃げるはめに陥るんだけれど、決して屈しない。それがいいことかどうかはともかく、暴力を振るわれたらふるい返し、女と思ってなめらればかにされることを逆手にとって、立ち向かって相手をひるませる。これまで腐るほど描かれてきた男の友情とか絆とか、そういうものが薄っぺらく見える女の友情物語、でした。いざというときに頼りになるのは、やっぱり女友だちだよね、ということをこの映画で認識し、それは年をとった今は確信になっています。

5)「下妻物語」 2004
この映画、大好き! 巌本野ばらさんの小説「下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」もすごく良かったけれど、映画になってますます巌本ワールドにのめりこみました(事件で残念な思いをしたけれど)。ロリータ・ファッションを愛する竜ヶ崎桃子を演じた深田恭子と、ヤンキーの白百合イチゴを演じた土屋アンナは、もうこの映画だけで映画史に残る大女優になった、とまで私は思っています。女の友情といっても、この映画では悲壮感は皆無で、爽快痛快! 茨城県下妻という微妙な田舎vs東京、ロリータ・ファッションvsヤンキー・ファッション、令嬢vs下町のビンボー娘、という両極端にあるような要素が、裏返り、溶け合い、共闘を組むってところがこの映画の面白いところ。女子高校生ブーム、お嬢様ルック、ワンランク上のライフスタイル、とかいうマーケティングの流行語が、いかに薄っぺらいかを教えてくれました。

と、ここで時間切れ。明日続きを書きます。
6)「ゴースト・ワールド」
7)「フラガール」
8)「オフサイド・ガールズ」
9)「リトル・マイ・サンシャイン」
10)「少女は自転車に乗って」
を取り上げるつもりです。


 

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