「女子サッカー140年史 闘いはピッチとその外にもあり」
スザンヌ・ラック著 実川元子訳
白水社
今日、見本が届きました。書店にももうすぐ並ぶはず。
タイトル通り、女性たちが挑んだサッカー競技の140年にわたる通史と、現在世界で女子サッカーがどう発展しているかを英国ガーディアン紙で女子サッカーを担当する記者が書いた本です。
1881年にスコットランドで初めての女子サッカーの試合(イングランドVSスコットランド)が行なわれてから140年たったいまも、「女だてらにサッカーなんて……」「女子サッカーはスピードがなくてへたくそでつまらない」「 サッカーは男のものでしょ」というバッシングをネットやメディアで見かけます。一応、建前だけにしろ男女平等をめざすことが公に叫ばれるようになった今でも、女子サッカーに向けられる視線は全面的にポジティブとはいえない。
それなら140年前はどうだったか? イングランドで最初にボールを蹴り始めた女性たちは、「男性のもの」とされるサッカーを自分たちもできると示すことで、参政権を勝ち取ろうとしました。最初は女性参政権運動(サフラジェッツ)と並行していたサッカーですが、権利獲得に関心がない女性たちも楽しみでボールを蹴るようになり、またたくうちに人気スポーツになっていきました。
イングランドで女子サッカー競技が盛んになったのは、第一次世界大戦中に男性たちが戦争に駆り出され、女性たちが労働者として働くようになったことがきっかけでした。工場で働く女性たちは昼休みのレクリエーションにサッカーを楽しみ、そのうちに工場同士で対抗戦をするようになり、やがて試合は戦争による死傷者や家族を救済するための慈善興行へと発展します。
戦後も女子サッカー人気は衰えず、1921年には5万3000人の観客を集めるまでになるのですが、これに危機感を覚えたのが イングランド・サッカー協会(FA)です。自分たちの管轄外で興行する女子チームが、男子リーグの観客を奪ってしまうのではないかと恐れ、その年に「女子の試合にグラウンドを貸すことは許さない」と禁止令を発令。それからなんと半世紀にわたって、イングランドのみならず世界各国で女子サッカー競技はFIFA傘下の各国協会から、またときには法律で禁止されてしまいます。
暗黒の半世紀がすぎたころ、アメリカから起こった第二波フェミニズム運動に刺激を受けた女性たちは、またボールを蹴るようになり、たちまち人気を集めたことで、FAをはじめ各国のサッカー協会もようやく禁止令を解除しました。やっと1970年代になってからですが。
その後も紆余曲折がありながら、1991年にはFIFA主催で実質的女子ワールドカップが中国で開催され(ワールドカップの名称は使わせなかったが)、1995年から参加チームも増えて45分ハーフ前後半990分と男子と同じルールで試合が行われるようになりました。
現在アメリカやイングランドでは女子のプロリーグで試合が行なわれており、日本も2021年からWEリーグというプロリーグが発足しています。ただ世界のどこでも観客動員数は少なく、財政難にあえいでいるチームも少なくないのが現状で、それをどう乗り越えてより発展させていけばいいか、と著者はさまざまな提言をしています。
女性参政権獲得運動、男女同一賃金を求める闘い、教育の機会均等、職場や家庭における性差別の禁止、性暴力への抗議……といった女性の人権を守る闘いと女子サッカーの発展は重なっている、と著者は繰り返し訴えます。女性たちがサッカーを楽しむ権利は、女性が自分の身体と精神を守る権利の延長線上にあるのです。
来年7月下旬から8月上旬にかけて、オーストラリアとニュージーランドでFIFA女子ワールドカップが開催されます。ピッチに立つ選手や審判たちだけでなく、すべての女性たちを応援する大会になってほしいという気持ちが湧き起こってくる本だと思います。
最後に。日本女子サッカーのレジェンド、澤穂希さんが推薦文を寄せてくださいました。心から感謝です。
スザンヌ・ラック著 実川元子訳
白水社
今日、見本が届きました。書店にももうすぐ並ぶはず。
タイトル通り、女性たちが挑んだサッカー競技の140年にわたる通史と、現在世界で女子サッカーがどう発展しているかを英国ガーディアン紙で女子サッカーを担当する記者が書いた本です。
1881年にスコットランドで初めての女子サッカーの試合(イングランドVSスコットランド)が行なわれてから140年たったいまも、「女だてらにサッカーなんて……」「女子サッカーはスピードがなくてへたくそでつまらない」「 サッカーは男のものでしょ」というバッシングをネットやメディアで見かけます。一応、建前だけにしろ男女平等をめざすことが公に叫ばれるようになった今でも、女子サッカーに向けられる視線は全面的にポジティブとはいえない。
それなら140年前はどうだったか? イングランドで最初にボールを蹴り始めた女性たちは、「男性のもの」とされるサッカーを自分たちもできると示すことで、参政権を勝ち取ろうとしました。最初は女性参政権運動(サフラジェッツ)と並行していたサッカーですが、権利獲得に関心がない女性たちも楽しみでボールを蹴るようになり、またたくうちに人気スポーツになっていきました。
イングランドで女子サッカー競技が盛んになったのは、第一次世界大戦中に男性たちが戦争に駆り出され、女性たちが労働者として働くようになったことがきっかけでした。工場で働く女性たちは昼休みのレクリエーションにサッカーを楽しみ、そのうちに工場同士で対抗戦をするようになり、やがて試合は戦争による死傷者や家族を救済するための慈善興行へと発展します。
戦後も女子サッカー人気は衰えず、1921年には5万3000人の観客を集めるまでになるのですが、これに危機感を覚えたのが イングランド・サッカー協会(FA)です。自分たちの管轄外で興行する女子チームが、男子リーグの観客を奪ってしまうのではないかと恐れ、その年に「女子の試合にグラウンドを貸すことは許さない」と禁止令を発令。それからなんと半世紀にわたって、イングランドのみならず世界各国で女子サッカー競技はFIFA傘下の各国協会から、またときには法律で禁止されてしまいます。
暗黒の半世紀がすぎたころ、アメリカから起こった第二波フェミニズム運動に刺激を受けた女性たちは、またボールを蹴るようになり、たちまち人気を集めたことで、FAをはじめ各国のサッカー協会もようやく禁止令を解除しました。やっと1970年代になってからですが。
その後も紆余曲折がありながら、1991年にはFIFA主催で実質的女子ワールドカップが中国で開催され(ワールドカップの名称は使わせなかったが)、1995年から参加チームも増えて45分ハーフ前後半990分と男子と同じルールで試合が行われるようになりました。
現在アメリカやイングランドでは女子のプロリーグで試合が行なわれており、日本も2021年からWEリーグというプロリーグが発足しています。ただ世界のどこでも観客動員数は少なく、財政難にあえいでいるチームも少なくないのが現状で、それをどう乗り越えてより発展させていけばいいか、と著者はさまざまな提言をしています。
女性参政権獲得運動、男女同一賃金を求める闘い、教育の機会均等、職場や家庭における性差別の禁止、性暴力への抗議……といった女性の人権を守る闘いと女子サッカーの発展は重なっている、と著者は繰り返し訴えます。女性たちがサッカーを楽しむ権利は、女性が自分の身体と精神を守る権利の延長線上にあるのです。
来年7月下旬から8月上旬にかけて、オーストラリアとニュージーランドでFIFA女子ワールドカップが開催されます。ピッチに立つ選手や審判たちだけでなく、すべての女性たちを応援する大会になってほしいという気持ちが湧き起こってくる本だと思います。
最後に。日本女子サッカーのレジェンド、澤穂希さんが推薦文を寄せてくださいました。心から感謝です。