一番苦手なものが「灼熱の夏」なので、今年の夏さにはすでに憎しみに近い感情を抱いています。朝、食卓のセットをするとき窓際に近寄ると、8時すぎの段階ですでにフローリングの床が熱くて、一瞬、皿を思いっきり床に投げつけたくなりました。投げつけてどうするつもりだったのか自分でもわかりませんが。
今はまだいいんです。心身ともに「夏になんか負けるもんか!」と闘争心を燃え立たせているから。でも、9月になってもまだ暑いと、私の闘争心は敗北感にとってかわられます。「夏バテ」という名前の白旗をあげつづけても、容赦しない卑怯な太陽にこがされて、「許して」と泣くのです。いや、本気で。
振り返ると、病気らしい病気をしない私が調子をくずすのが、3月と9月。寒さがゆるむころと、暑さが和らぐころに、身体がいうことをきかなくなるのです。とくに9月は「高熱を出す」「全身に湿疹が出る」「何かわからない虫にさされてはれ上がる」「首が回らなくなる」「太る(あ、これはちがうか)」という魔月間なのです。とくに、今年のようにやたらと湿度と温度が高い日々が6月から続き、7,8月が灼熱地獄、9月に入っても暑さが続く、という年は用心せねばなりません。
で、どうやって用心しているかというと、それはもうフリーランスの特権を生かして「外に出ない」ことです。どうしてもやむをえない用事以外は、太陽が顔を出している間に外に出ない。買い物に出かけるさえ夜です。どうしてもやむをえない用事の、たとえばゴミだしとか、外回りの掃除とか、洗濯物を干すとか。今のところ、そのすべてを娘たちに押しつけています。さりげなく。あと、仕事での外出をどうするか、それが問題。これまたさりげなく「午後6時からでいいですか?」ってことにしています。ってここに書いたらさりげなく言えなくなりますね。
さて、今週のしんどい仕事は一段落。来週もがんばろう!
iPhone4を購入しました。
朝届いて、設定に一日かかっている自分にすでに嫌気がさしています。わからないことだらけですわ。情けない。何が悲しいってWiFiにつながったりつながらなかったりすること。まったくつながらないのならともかく、なんで気まぐれに変わるのかね。
それで、みなさまの一部にはお知らせしましたが、16年使用したケータイ番号とアドレスにお別れします。(MNPにはしなかったのです)。しばし現在のケータイと併用しますが、半月後にiPhoneに切り替えることにしました。
新しいケータイ番号が知ってみたいかな、というかたはどうぞPCのほうにメールをくださいませ。
先日のトークショーで、木村さんが「10年後にはJ1にあがれるように、なんて言っていたら100年たってもあがれない。2年で昇格する、そのためにこれをする、と宣言して短期で事を進めないと10年後に世の中がどうなっているのか、はたしてそのクラブが存続できているかどうかもわからないのだから」とおっしゃっていて、続けて「2番手でいい、といっていたら、アッという間に落ちこぼれてしまう。2番はめざすべき順位ではないんですよ」とも強調していらっしゃいました。
いや、そのとおりだな、と感じる今日この頃。2番手で「いい」。何もトップにならなくてもかまわない。そう口にした時点で自分に負けてしまいます。トップになろうとして必死にがんばって、結果として運と実力がともなわずに2番、3番になるのならしかたない。でも、最初から「まあ、よくて2番かな」というときには、たいていはるかに落ちこぼれているもの。
何も競争をあおろうというのではないのですが、上をめざしてがんばらないことのいいわけみたいなのを聞くと、ときどきイラッとすることがあります。「私はゆっくりマイペースでいく。そんなにがんばらなくてほどほどでいい」というのは、たしかに一つの行き方(生き方)であって認めるべきなのだろうけれど、こと仕事に関してはそれでは生き残れなくなっている厳しい時代です。
この1年、同年齢の友人や知人が相次いで亡くなりました。人に与えられた寿命は、人が自分で思っているよりはるかに短く、がんばれるだけの体力と気力と時間も、実はほんの少ししかないのだ、ということを思い知らされました。私が「いまやりたいことをやらなければ、やらないまま死んでしまう。いまがんばらなかったら、悔いしか残らない」というと、子どもたちは「何を大げさな」と笑います。でも、私に与えられている体力と気力と時間を、今、目いっぱい使わなかったら、すべてに申し訳ない、と思います。
2番は目指すべき目標ではない、と私も思います。順位がどうのこうの、というのではなく、自分で自分に「2番」の枠をはめた時点でもうそれは甘えと逃げでしかない。
まあ、そんなことを思いながら辞書引いているんですがね。
眠いよ......。
ここんところ、ティーンエイジャーの留学生が複数人滞在する生活を送っています。
我が家の通常の家族4名は全員がアッパー20の成人で、かつ3人は働く成人だし、約1名はもうすぐ社会人なので、個×4がいるようなもの。いっときにくらべると私が負担する家事量はぐっと減りました。
ところが、ティーンエイジャーが2人ほど増えただけで、家事はふだんの1・5倍どころか、2倍3倍です。
まず炊事が3倍。ふだん朝食は半分以上娘がつくっていて、私は上げ膳据え膳で新聞読んで......ということが多いのですが、さすがに留学生の分まで早起きしてつくって、と頼むのはかわいそう。しかもつくるのは朝食だけではありません。お弁当があるのです。ああ、なつかしい、お弁当づくり。振り返ると20年近くつくってきたのに、いったんつくらなくなるとコツとか手順とか、すっかり忘れるもんですね。留学生たちを6時半には学校に送りださねばならないので、遅くとも5時半には起きて朝食プラスお弁当づくり。ふだんはお昼なんてつくったことがないのに、昼ごはんの心配までしなくてはならないのはなかなか疲れます。
でもって、夕飯はふだんの2倍量をつくっています。ティーンエイジャーの食欲はあなどれません。え? 足りなかった? ということがしばしばで、反省して品数は減らして量をいつもの倍にしました。喜ぶのはグラタン、カレー、焼きそば、うどん、ラーメン。VIVA炭水化物。VIVA10代! 一緒になって食べていたら私は一気に糖尿病予備軍にまっしぐらですから、別メニューでつくったものをこっそり食べています。
洗濯物もすごい量。最近、むしむし暑いってこともあるけれど、ふだんは3日に2回まわせば十分の洗濯機を雨が降らないかぎりほぼ毎日、しかも2回まわしています。掃除も1週間2回しかかけない掃除機をほぼ毎日。買い物もほぼ毎日行かねばなりません。食パン2斤、トマト6個、じゃがいも大6個、キャベツまるまる1個を1日半で食べきる生活はひさびさです。
まあ、それやこれやでたいへんといえばたいへんだけれど、ひさびさの10代との生活が(ストレスを感じることも多いとはいえ)楽しいといえば楽しい。
自分と家族のことは棚に上げて、10代ってほんと生活力(つまりは家事力)がないんだな、と気づきますね。洗濯物をたたんで、と渡しても、どうやってたたんだらいいのかがわからない。毎朝、ふとんをあげなさい、と口を酸っぱくしていっても、なぜかできない。電気はつけっぱなし、クーラーもつけっぱなし、脱いだ衣服、教科書、スナック菓子の袋、全部ぐっちゃぐっちゃになって転がっています。
でもよーく思い出してみると、我が子たちも10代のころは自分の部屋さえ片づけられない、自分のものさえ始末ができない、家事なんてとんでもない人たちでした。生活に対して意識を向けるためには、やはり自活しないとダメなんですね。留学がチャンスだと思うのだけれど、やはり10代は10代。まだまだ子どもです。
そういう生活もあと少し。なかなかできないことなんだから、チャンスだと思って楽しもう、と自分を励ましています。
つぎつぎ留学生ホームステイ中×ゲラ×W杯=いっぱいいっぱい
という状態です。
金曜日早朝にデンマーク戦を生観戦して応援するために、いまはひたすらがまんがまんでがんばります!
留学生は今2人。
ゲラはあと2章。
W杯は録画してある。
大丈夫だ、きっと>自分。がんばれ>自分。
祝辞のコメントをいただいたみなさま、本当にありがとうございます。今日は朝からばたばたしていたので、お礼が遅くなって済みません。
hirokoさん、振り返ってよーく考えてみると、「ぜひいらしてね」とたぶん社交辞令のコメントをいただいただけのご縁なのに、すぐに真に受けてトルコまで押しかけて行っちゃった私って、相当にあつかましかったですね。hirokoさんに案内していただいたイスタンブールのすべてが今も強く印象に残っています。あれからもう5年もたったなんて信じられないですね。きのうのことみたい。一緒に観戦したチャンピオンズリーグ決勝戦。あれほど強烈な試合をまだ見ていません。ほんと、すべてが忘れられない思い出です。これからもどうぞよろしく!
ひそかさん、はじめまして......なのかしら? 当ブログをお読みいただいてありがとうございます。食べること、着ること、蹴ること、読むこと、そんな好きなことを「好きだなあ」とこれからも書き続けていきたいです。またぜひコメントしてくださいね。
Connyさん、短いコメントにもかかわらず、Connyさんの充実した生活ぶりが伝わってきて、こちらこそいつも楽しませていただいています。我が家にホームステイしていた大学生がジュネーヴにいて、ぜひ来て、というのでそのうち「来ちゃいましたー」とConnyさん宅を訪問しちゃうかも。もちろん日本に里帰りなさったときにはお会いしましょう!
TAKEさん、ほんと青黒の人々についていくのは気苦労ばかりで......なんというか、ロクでもない亭主をもった糟糠の妻みたいな感じ(違)。ぜひ今度はスタジアムでお目にかかりたいです。
さんたさん、いつもブログを拝見して楽しませていただいています。サッカー、音楽、バイク、マラソン、ほんとに幅が広い! しかもセンスがいい! 万博バックスタンドでぜひご一緒したいです。
moaniさん、おひさしぶりです。教室でお目にかかったかたに読んでいただくには、ちょっと翻訳関連の内容が希薄な当ブログではありますが、これからも楽しんでいただけるような文章を書いていきたいと思っています。見限らないで、どうぞまたコメントしてやってください。
zaburouさん、1年間ほんまにありがとうございました>「今週の一言」。そうそう、zaburouさんの「ガンバ大阪データランド」(もうすぐ10周年ですね!)に書きこんだのがご縁でしたね。大分や仙台まで応援に行く私に「ガンバの関係者ですか?」と訊かれたのを覚えています(苦笑)あとせめて17回くらいは優勝の万歳をご一緒したいです。さっさと優勝しろ>ガンバ!私らがボケてしまうやんか。
olivaさん、ずーっとolivaさんと顔見知りだと信じ込んでいました。あの人かな? それともこの人かな? なんて想像をふくらましていたのに接点がなかったなんて。コメントを拝見しているうちにどんどん親しい人のような感じがしています。書道にはまられたなんてうれしいかぎり。ぜひ飲み会で初お目見えしましょう!
zunkoさん、わ、毎日見てくださっているのですか? うれし恥ずかし朝帰り(意味不明)。翻訳を初めて1年ならばもう初心者とか駆け出しではないですよ。当ブログだけでなく、翻訳の分野でもどうぞよろしくお願いいたします。
と、今回は皆様のお返事を本文で書かせていただきました。
そしてhirokoさん、ひそかさん、Connyさん、TAKEさん、さんたさんの5名の方にぜひプレゼントを贈呈させてください。遠慮はなしよー!
なんとなく知っている方々なので、もうなんとなく「これをお贈りしよう」という心づもりもできました。すべて手作りものなので、完成までにちょっとお時間をいただきますが、送らせてください。(手作りって聞いて、わ、それはちょっと......とひかないでね)
そのために、お手数ではありますが、当ブログの右コラムにある「お問い合わせ」のところをクリックいただき、データを送信いただけますか? ご面倒をかけてすみません。
moaniさん、zaburouさん、olivaさん、zunkoさん、書きこんでいただいたのにプレゼントから外れてしまってごめんなさい。お目にかかる機会があれば、ぜひ何かお礼をさせてくださいね。
それではこれからも「グラマラスライフ」をよろしくお願いいたします。
みなさま、「グラマラスライフ」立ち上げてから10年経ちました。
記念の記事をアップいたします。(PCのタイマーと実際の時間とがあっていなくて、時間差が出てしまいました。やや遅れてしまってすみませんです)
これにコメントをいただいた5名の方に、プレゼントを贈呈させていただきます。
どうぞふるってご応募(書き込み)、つまりコメントしてください。
motokoさんと友だちだから遠慮します、なんてそういうことを思っているアナタ。そんな遠慮していると、グローバリゼーションに取り残されますぞ(意味不明)さ、さ、さ、コメントしてみましょうね!
2000年から2010年増えたもの、減ったもの
増えたもの
★友だち――サイトのおかげで知り合って友だちになれた方々、それまで知り合い程度だったのに友だちに進展した方々。本当にどうもありがとうございます。サイトをやっていて何が大きいって、いい友だちができること、友だちに自分の近況を伝えることができることですね。
★自分の時間――子どもたちがしだいに自立して自分の世界を持つようになり、母親として使っていた時間が自分のものになりました。ありがたやありがたや。
★白髪――2カ月に1回ですんでいたカラーが、いまや3カ月に2回に。美容院通いが欠かせません。30代のころから増えてきた白髪は、この10年で一気に倍増、いや3倍増になった気がします。
★語彙――年齢を重ね、人間関係が広がり、生活体験も広がっていくにつれて増えなくてはならないもの、それが語彙。増えた語彙を使ってどれだけ有意義なことを伝えているか、と言われると?ではありますが。
★落ち着き――ウッソー、というあなた。これでも私はずいぶん落ち着きを増したのですよ。今でも多少のことであたふたはしますが、だいぶマシになったなあ。
★風邪をひく回数――前は10年に1回しかひかなかったのに、最近は1年に1回ひいています。熱を出すのは2年に1回かな。
★靴――この10年、ファッションで大きな変化は「サイズ24.5センチ以上のおしゃれな靴が市場に流通するようになった」ことです。足に合うおしゃれな靴を見つけるととりあえず確保するために、いまやクローゼットはイメルダ・マルコス化。
減ったもの
★体重――2000年から比べて現在はマイナス7kgです。ときどきプラス3kgいっちゃって大慌てでダイエットしますけれど。
★酒量――減ったといっても、以前が以前なのでいまだ酒豪の部類に入っちゃうかも。最近は反省して1年に1,2回「断酒月間」をもうけています。でも、以前のように友だち2人と飲んでワイン3本、ビールン本あけて猛烈三日酔い、とかそういうことはなくなりました。
★外食――ほんと減りました。飲みに行く機会もぐっと減少。おうちごはん、おうち飲みが一番とか思っています。
★グチ――自分でグチらなくなったかわりに、むしろ他人のグチを誘発する機会が増えてしまって......とほほ。
★家事労働時間――18歳以下の子どもがいるかどうかで、世帯あたりの家事労働時間は大きく変わることを実感。
これからの10年で、何が減って、何が増えるのでしょうか?
ひたすら願うのは、友だちが増えていくこと。
これからもどうぞ「グラマラスライフ」をごひいきに!!
ワコールが「女性の心理と下着の研究サイト」ココロスを立ち上げられています。
そのなかで、昨年(だったかな?)インタビューされた私の記事が掲載されていますので、よろしければごらんになってくださいね。ちょっと恥ずかしいけれど......(赤面)。発言が<爆>気味です。
「グラマラスライフ」は明日でいよいよ10周年を迎えます。
2000年にオープンしたサイトの10年を振り返りながら、「変わったこと、変わらなかったこと」を考えてみたいと思います。
このサイトを立ち上げたとき、私の頭の中には「ニューヨークに住む! そこで生活するう」という「計画」(笑)がありました。
別にニューヨークでなくてもいいのだけれど、とにかくどこか日本以外の場所に住みたかったのです。家族を誘ってみたけれど、全員に「論外」「一人で行ってください」と一蹴され、しかたなく「NYで一人暮らしをする私」の夢にひたっていました。
過去形にしていますが、実は夢をまだ捨てていません。選定場所の優先順位の1位はニューヨークではなくなりましたが、住んでみたい場所は増えるばかり。旅行するとすぐに、そこで生活するための具体的情報を収集し、起こりうるリスクやメリットについて考える、というまるで定年後移住計画を練る人たちのようなことをやってしまいます。
そこでサイト立ち上げからしばらくは旅行記のページをつくり、「そこで暮らすとどうなるか?」をシミュレーションしていました。
本格的に書いたのはイランと中欧とエジプトかな。でも「そこで暮らす計画」については......イランに住むのは風習が違いすぎてちょっと無理かなあ(ベールをずっとかぶっているのはつらい)......ハンガリーやチェコで暮らすのも言葉と生活習慣を習得するうえできつそうだ......エジプトは暑すぎる......といずれも却下に。
そのうち旅行記を書くこと自体に倦んで、旅行に行っても書かなくなってしまいました。これは復活させてもいいかもしれませんね。旅行者としてだけでなく、生活するつもりで異国を見る、というのも視点はもしかすると今後も必要なものかもしれません。
最初の7年ほど、日記を書くと最後に「今日の夕飯」を書いていました。サイトを始めたころ、長女は大学生、二女は中学生。長女が中学受験の塾通いを始めたときから二女が高校を卒業するまでの17年間、夕飯メニューも「お弁当に流用できるもの」を中心に組んでいました。「すてきな奥さん」みたいに自慢たらしくていやなのですが、お弁当(そして夕飯)をつくるにあたって1)加工食品は使わない。2)彩を考え、塩味、酸味、甘味、出汁味をとり合わせて必ず4品つくる。3)腐りにくいもので、薄味でもお弁当のおかずに耐えられる料理を考える。4)1週間同じ品をつくらない。という4つの原則を自分に課していたので、HPにメニューを書くのは自分用のメモの意味もありました。(でもほうれんそうのおひたしはひんぱんすぎるくらい登場している)
お弁当がいらなくなり(ときどき今でも娘たちのためにつくったりもしていますが)、家族全員が成人になった今では、なかなかそろって夕飯の食卓を囲むことはできなくなっています。それでもほぼ毎日朝と晩の食事はつくっているのですが、どうしても発想が「自分中心」になってしまう。原則のタガも外れました。私が食べたいものをつくる、というのがここ数年の料理の基本姿勢なので、わざわざ夕飯のメニューを書く気にならないのかもしれません。自分が食べた物をわざわざ公開するのも下品な行為かもしれないし。
以前の夕飯メニューを眺めていると、とてもなつかしい。つくった料理、食べた料理は、肉体的にも精神的にもその人そのものになるのだな、と感じます。
いまやサッカーサイトかと疑われるほどサッカー関連記事の件数が増えてしまった当サイトですが、ここまでサッカー色に染めるつもりは実はまったくありませんでしたし、今でもありません(きっぱり)。「ちょっとサッカー(とくにガンバ)関連記事が多すぎる」と自分でも反省していますよ。でも、止められません。だってサッカーってしょっちゅう試合があって、試合を見たら感情が揺さぶられて何か書きたい、という生理現象が起こってしまう。たまった気持ちを排出するまで落ち着きません。そこで今後に向けて、サッカーのことも書くけれど、サッカー以外の記事はもっと書きます、と一応宣言しておきます。
「どうしてもやめられないこと」「禁止されて、罰を受けるとわかってもきっとやってしまうだろう」っていうことがありませんか?
私の場合、それは「本を読むこと」「書くこと」です。
子供のころから親に厳しく「電車の中と、ベッドで寝転がって本を読むのをやめなさい。目が悪くなる」とさんざん注意されました。親の言うことを素直に聞く私でしたが、電車のなかとベッドで本を読むのはどうしてもやめられず、今も「体に悪い」「明日に差し障る」とわかっていながら、夜中まで本を読んでしまいます。本が読みたいために電車に乗ることさえあるくらいです(山手線一周とか)。本を夢中になって読んでいて、気づくと夜が白々明けていました、というのはしょっちゅう。こないだもヘニング・マンケルを読んでいてうっかり夜が明けてしまい、朝6時から朝食をつくっていたら起きてきた長女から「あれ? また読書徹夜明け? 今度は何を読んでいたの?」と聞かれました。「ほんっと変わらないね。私が物心ついたときから、ママは本を読んで徹夜していた。前後の見境なく本を読むのもいい加減にしたら」とも言われました。
当サイトでも読んだ本についてもっと紹介しようと思うのですが、書評もやっているのでなかなかちゃんとした記事が書けません。読む本がかたよっていて(ベストセラーは読まない)、みなさまのご期待に添えないっていうのもあるし。でも、短いコメント入りでも、もっと読んだ本を紹介していくことを続けたほうがいいかもしれませんね。
「書くこと」がやめられないのは、10年間、ぐでぐでとこのサイトで書き続けているのを見てもおわかりのとおり。商売で書き、サイトで書き、趣味でも書く(こっそり別ブログをつくって創作の連載をしていたこともあります。今だから言える話)。なぜサイトまでつくって書くのか? 自分でもよくわかりません。書くことがやめられない。書くことで生きている手ごたえを感じる......なんて言ったらおおげさかな? 自己表現という名前の自己顕示欲の発露。自我の垂れ流し。そう言われても、このサイトで書いて、みなさんに読んでいただくことができることを、ほんと幸せに思います。
ま、そんなこんな。
10年って短いようで長い。
いろんなことがあって、気持ちも考え方もどんどん変化してきました。
そんななかでも変わらなかったことがあるんだな、と振り返ってみると気づきます。
一度たりと変わらなかったことが一つ。
「グラマラスライフを続けていく」という気持ち。
これからの10年に向けて、今後ともどうぞご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
予告ですが、明日の0時にアップするのは「10年で増えたもの、減ったもの」の検証......です。お楽しみに。
メールの時代ではありますが、たいせつな人たちには手紙を書きます。とくに目上の方にお世話になったときには、やはり手紙でないと気持ちは伝わりません。そのために万年筆も持っています。
いや、手紙を書くためだけじゃない。単に、万年筆という筆記用具が好きで、使いたいのです。筆記用具は全部好きで、鉛筆だっていろいろ持っています。ボールペンも新しいのが出たらすぐに購入してしまう。でも、万年筆は特別です。海外ものも使ってはみましたが、お気に入りはもう20年ずっとPILOT製品。パイロットさま、ありがとう。わざわざ京橋のショールームまで行くのに、めったに買わないうえに、買うのがしょぼくてすみません。
いまの万年筆は4代目。1万円、という万年筆としてはけっして高くない......どちらかといえば安いものではありますが、だいたい5年以上もちます。残念ながら、使い込むほど味が出る、というわけにはいかず(書き癖のせいか?)、たいていペン先が割れてだめになります。
両親は私が子どものころからうるさいくらい「礼状を書け」と言いつづけました。万年筆で書かれたきちんとした礼状をもらって気を悪くする人がいるはずがない、人づきあいの第一歩はそこだ、と主張します。実際、両親、とくに父はまめに万年筆で書いた礼状を私にまで送ってくれます。それだけ言われたのに、私はなかなかマメにはなれず、失礼を重ねています。ごめんなさい。
それでも今日はせっせと手紙を書きました。プライベートでお世話になった方々と、仕事関係の方々に。
こういうことも人生におけるたいせつな「仕事」なのだな、と思います。
メールはとても便利だけれど、メールだけでは人間関係は脆弱になるような気がします。そう考えるのは、私がアナログな人である証拠でしょうか。



