昨日、現在新国立美術館で開催されている毎日書道展に行ってきました。
入選した作品が(恥ずかしながら)展示されています。行ってくれた人がほぼ全員「あまりにも数が多くて頭がくらくらした」「墨酔いした」とかいうほどたくさん飾られていました。そのなかにひっそり(笑)ありましたです。並べられるとやっぱりヘタが際立っていましたが、ま、これからこれから。
恥かきついでに画像をのっけておきます。
全仏オープンが始まると、どうしても寝不足になります。このセットが終わるまで、いや、このゲームが終わるまで見てから寝よう、と思うのにずるずる。とくにナダルの試合は「ついに最後まで見てしまった」ということが多い。昨年はそんなことがなかったのに、と振り返ってみれば、ナダルが早々と敗退してしまったために(ソダーリングめ!)決勝だけを見たからでした。
なので、今年は録画して情報シャットアウトで翌日の夕飯時に見ることにしました。今度は食べるのを忘れて見入ってしまうために、皿のうえのものがぱりぱりに乾いてしまう。ああ、ナダル。あなたは私の食欲も睡眠欲も奪っちゃうのね。
今朝、朝食の時に娘にせつせつと「ナダルへの愛」を語っていたら(つまり、こないだの準々決勝で見せたジャンプショットのすごさとか、試合前の強迫神経症的な儀式についてとか)、娘が苦笑しながら「ナダルはいい人らしいよ。フェデラーは性格悪いけれど」と言ってました。いやいや、ナダルも決していい人じゃないでしょう、あのプレイは。でも、そこが好き! 今夜は準決勝。メルツァーとの対戦です。加油、ナダル! ちなみにナダルの鉢巻きの色にちなんで、ライトグリーンのシュシュをつくってもらいました(娘に)。それをつけて応援するぞ!
それと......なんかついでみたいに書いてしまうトピックスではないのだけれど......(照れているのでじらす)
毎日書道展という書道の展覧会に応募させてもらったところ、なんと漢字Ⅱ類で入選しました。六本木にある新国立美術館で7月に展示されるそうです。書いたのは大好きな王昌齢Wang Chang Lingの唐詩「閨怨」Gui Yuanの一節。春日凝粧上翠楼。お手本を書いてくださった先生に何回も「これはむずかしい」と言われて、実際書いたものを見せたほかの先生からは「なんで(むずかしいのに)これを書こうと思ったわけ?」とまで言われ、まったく自信がなかったのですが、なぜか入選。なんでも挑戦してみるものですね。と同時に、やっぱり書きたいと思うものを書いていこう、という、(たぶん困った)決意も固めたのでありました。
祝辞のコメントをいただいたみなさま、本当にありがとうございます。今日は朝からばたばたしていたので、お礼が遅くなって済みません。
hirokoさん、振り返ってよーく考えてみると、「ぜひいらしてね」とたぶん社交辞令のコメントをいただいただけのご縁なのに、すぐに真に受けてトルコまで押しかけて行っちゃった私って、相当にあつかましかったですね。hirokoさんに案内していただいたイスタンブールのすべてが今も強く印象に残っています。あれからもう5年もたったなんて信じられないですね。きのうのことみたい。一緒に観戦したチャンピオンズリーグ決勝戦。あれほど強烈な試合をまだ見ていません。ほんと、すべてが忘れられない思い出です。これからもどうぞよろしく!
ひそかさん、はじめまして......なのかしら? 当ブログをお読みいただいてありがとうございます。食べること、着ること、蹴ること、読むこと、そんな好きなことを「好きだなあ」とこれからも書き続けていきたいです。またぜひコメントしてくださいね。
Connyさん、短いコメントにもかかわらず、Connyさんの充実した生活ぶりが伝わってきて、こちらこそいつも楽しませていただいています。我が家にホームステイしていた大学生がジュネーヴにいて、ぜひ来て、というのでそのうち「来ちゃいましたー」とConnyさん宅を訪問しちゃうかも。もちろん日本に里帰りなさったときにはお会いしましょう!
TAKEさん、ほんと青黒の人々についていくのは気苦労ばかりで......なんというか、ロクでもない亭主をもった糟糠の妻みたいな感じ(違)。ぜひ今度はスタジアムでお目にかかりたいです。
さんたさん、いつもブログを拝見して楽しませていただいています。サッカー、音楽、バイク、マラソン、ほんとに幅が広い! しかもセンスがいい! 万博バックスタンドでぜひご一緒したいです。
moaniさん、おひさしぶりです。教室でお目にかかったかたに読んでいただくには、ちょっと翻訳関連の内容が希薄な当ブログではありますが、これからも楽しんでいただけるような文章を書いていきたいと思っています。見限らないで、どうぞまたコメントしてやってください。
zaburouさん、1年間ほんまにありがとうございました>「今週の一言」。そうそう、zaburouさんの「ガンバ大阪データランド」(もうすぐ10周年ですね!)に書きこんだのがご縁でしたね。大分や仙台まで応援に行く私に「ガンバの関係者ですか?」と訊かれたのを覚えています(苦笑)あとせめて17回くらいは優勝の万歳をご一緒したいです。さっさと優勝しろ>ガンバ!私らがボケてしまうやんか。
olivaさん、ずーっとolivaさんと顔見知りだと信じ込んでいました。あの人かな? それともこの人かな? なんて想像をふくらましていたのに接点がなかったなんて。コメントを拝見しているうちにどんどん親しい人のような感じがしています。書道にはまられたなんてうれしいかぎり。ぜひ飲み会で初お目見えしましょう!
zunkoさん、わ、毎日見てくださっているのですか? うれし恥ずかし朝帰り(意味不明)。翻訳を初めて1年ならばもう初心者とか駆け出しではないですよ。当ブログだけでなく、翻訳の分野でもどうぞよろしくお願いいたします。
と、今回は皆様のお返事を本文で書かせていただきました。
そしてhirokoさん、ひそかさん、Connyさん、TAKEさん、さんたさんの5名の方にぜひプレゼントを贈呈させてください。遠慮はなしよー!
なんとなく知っている方々なので、もうなんとなく「これをお贈りしよう」という心づもりもできました。すべて手作りものなので、完成までにちょっとお時間をいただきますが、送らせてください。(手作りって聞いて、わ、それはちょっと......とひかないでね)
そのために、お手数ではありますが、当ブログの右コラムにある「お問い合わせ」のところをクリックいただき、データを送信いただけますか? ご面倒をかけてすみません。
moaniさん、zaburouさん、olivaさん、zunkoさん、書きこんでいただいたのにプレゼントから外れてしまってごめんなさい。お目にかかる機会があれば、ぜひ何かお礼をさせてくださいね。
それではこれからも「グラマラスライフ」をよろしくお願いいたします。
みなさま、「グラマラスライフ」立ち上げてから10年経ちました。
記念の記事をアップいたします。(PCのタイマーと実際の時間とがあっていなくて、時間差が出てしまいました。やや遅れてしまってすみませんです)
これにコメントをいただいた5名の方に、プレゼントを贈呈させていただきます。
どうぞふるってご応募(書き込み)、つまりコメントしてください。
motokoさんと友だちだから遠慮します、なんてそういうことを思っているアナタ。そんな遠慮していると、グローバリゼーションに取り残されますぞ(意味不明)さ、さ、さ、コメントしてみましょうね!
2000年から2010年増えたもの、減ったもの
増えたもの
★友だち――サイトのおかげで知り合って友だちになれた方々、それまで知り合い程度だったのに友だちに進展した方々。本当にどうもありがとうございます。サイトをやっていて何が大きいって、いい友だちができること、友だちに自分の近況を伝えることができることですね。
★自分の時間――子どもたちがしだいに自立して自分の世界を持つようになり、母親として使っていた時間が自分のものになりました。ありがたやありがたや。
★白髪――2カ月に1回ですんでいたカラーが、いまや3カ月に2回に。美容院通いが欠かせません。30代のころから増えてきた白髪は、この10年で一気に倍増、いや3倍増になった気がします。
★語彙――年齢を重ね、人間関係が広がり、生活体験も広がっていくにつれて増えなくてはならないもの、それが語彙。増えた語彙を使ってどれだけ有意義なことを伝えているか、と言われると?ではありますが。
★落ち着き――ウッソー、というあなた。これでも私はずいぶん落ち着きを増したのですよ。今でも多少のことであたふたはしますが、だいぶマシになったなあ。
★風邪をひく回数――前は10年に1回しかひかなかったのに、最近は1年に1回ひいています。熱を出すのは2年に1回かな。
★靴――この10年、ファッションで大きな変化は「サイズ24.5センチ以上のおしゃれな靴が市場に流通するようになった」ことです。足に合うおしゃれな靴を見つけるととりあえず確保するために、いまやクローゼットはイメルダ・マルコス化。
減ったもの
★体重――2000年から比べて現在はマイナス7kgです。ときどきプラス3kgいっちゃって大慌てでダイエットしますけれど。
★酒量――減ったといっても、以前が以前なのでいまだ酒豪の部類に入っちゃうかも。最近は反省して1年に1,2回「断酒月間」をもうけています。でも、以前のように友だち2人と飲んでワイン3本、ビールン本あけて猛烈三日酔い、とかそういうことはなくなりました。
★外食――ほんと減りました。飲みに行く機会もぐっと減少。おうちごはん、おうち飲みが一番とか思っています。
★グチ――自分でグチらなくなったかわりに、むしろ他人のグチを誘発する機会が増えてしまって......とほほ。
★家事労働時間――18歳以下の子どもがいるかどうかで、世帯あたりの家事労働時間は大きく変わることを実感。
これからの10年で、何が減って、何が増えるのでしょうか?
ひたすら願うのは、友だちが増えていくこと。
これからもどうぞ「グラマラスライフ」をごひいきに!!
「グラマラスライフ」は明日でいよいよ10周年を迎えます。
2000年にオープンしたサイトの10年を振り返りながら、「変わったこと、変わらなかったこと」を考えてみたいと思います。
このサイトを立ち上げたとき、私の頭の中には「ニューヨークに住む! そこで生活するう」という「計画」(笑)がありました。
別にニューヨークでなくてもいいのだけれど、とにかくどこか日本以外の場所に住みたかったのです。家族を誘ってみたけれど、全員に「論外」「一人で行ってください」と一蹴され、しかたなく「NYで一人暮らしをする私」の夢にひたっていました。
過去形にしていますが、実は夢をまだ捨てていません。選定場所の優先順位の1位はニューヨークではなくなりましたが、住んでみたい場所は増えるばかり。旅行するとすぐに、そこで生活するための具体的情報を収集し、起こりうるリスクやメリットについて考える、というまるで定年後移住計画を練る人たちのようなことをやってしまいます。
そこでサイト立ち上げからしばらくは旅行記のページをつくり、「そこで暮らすとどうなるか?」をシミュレーションしていました。
本格的に書いたのはイランと中欧とエジプトかな。でも「そこで暮らす計画」については......イランに住むのは風習が違いすぎてちょっと無理かなあ(ベールをずっとかぶっているのはつらい)......ハンガリーやチェコで暮らすのも言葉と生活習慣を習得するうえできつそうだ......エジプトは暑すぎる......といずれも却下に。
そのうち旅行記を書くこと自体に倦んで、旅行に行っても書かなくなってしまいました。これは復活させてもいいかもしれませんね。旅行者としてだけでなく、生活するつもりで異国を見る、というのも視点はもしかすると今後も必要なものかもしれません。
最初の7年ほど、日記を書くと最後に「今日の夕飯」を書いていました。サイトを始めたころ、長女は大学生、二女は中学生。長女が中学受験の塾通いを始めたときから二女が高校を卒業するまでの17年間、夕飯メニューも「お弁当に流用できるもの」を中心に組んでいました。「すてきな奥さん」みたいに自慢たらしくていやなのですが、お弁当(そして夕飯)をつくるにあたって1)加工食品は使わない。2)彩を考え、塩味、酸味、甘味、出汁味をとり合わせて必ず4品つくる。3)腐りにくいもので、薄味でもお弁当のおかずに耐えられる料理を考える。4)1週間同じ品をつくらない。という4つの原則を自分に課していたので、HPにメニューを書くのは自分用のメモの意味もありました。(でもほうれんそうのおひたしはひんぱんすぎるくらい登場している)
お弁当がいらなくなり(ときどき今でも娘たちのためにつくったりもしていますが)、家族全員が成人になった今では、なかなかそろって夕飯の食卓を囲むことはできなくなっています。それでもほぼ毎日朝と晩の食事はつくっているのですが、どうしても発想が「自分中心」になってしまう。原則のタガも外れました。私が食べたいものをつくる、というのがここ数年の料理の基本姿勢なので、わざわざ夕飯のメニューを書く気にならないのかもしれません。自分が食べた物をわざわざ公開するのも下品な行為かもしれないし。
以前の夕飯メニューを眺めていると、とてもなつかしい。つくった料理、食べた料理は、肉体的にも精神的にもその人そのものになるのだな、と感じます。
いまやサッカーサイトかと疑われるほどサッカー関連記事の件数が増えてしまった当サイトですが、ここまでサッカー色に染めるつもりは実はまったくありませんでしたし、今でもありません(きっぱり)。「ちょっとサッカー(とくにガンバ)関連記事が多すぎる」と自分でも反省していますよ。でも、止められません。だってサッカーってしょっちゅう試合があって、試合を見たら感情が揺さぶられて何か書きたい、という生理現象が起こってしまう。たまった気持ちを排出するまで落ち着きません。そこで今後に向けて、サッカーのことも書くけれど、サッカー以外の記事はもっと書きます、と一応宣言しておきます。
「どうしてもやめられないこと」「禁止されて、罰を受けるとわかってもきっとやってしまうだろう」っていうことがありませんか?
私の場合、それは「本を読むこと」「書くこと」です。
子供のころから親に厳しく「電車の中と、ベッドで寝転がって本を読むのをやめなさい。目が悪くなる」とさんざん注意されました。親の言うことを素直に聞く私でしたが、電車のなかとベッドで本を読むのはどうしてもやめられず、今も「体に悪い」「明日に差し障る」とわかっていながら、夜中まで本を読んでしまいます。本が読みたいために電車に乗ることさえあるくらいです(山手線一周とか)。本を夢中になって読んでいて、気づくと夜が白々明けていました、というのはしょっちゅう。こないだもヘニング・マンケルを読んでいてうっかり夜が明けてしまい、朝6時から朝食をつくっていたら起きてきた長女から「あれ? また読書徹夜明け? 今度は何を読んでいたの?」と聞かれました。「ほんっと変わらないね。私が物心ついたときから、ママは本を読んで徹夜していた。前後の見境なく本を読むのもいい加減にしたら」とも言われました。
当サイトでも読んだ本についてもっと紹介しようと思うのですが、書評もやっているのでなかなかちゃんとした記事が書けません。読む本がかたよっていて(ベストセラーは読まない)、みなさまのご期待に添えないっていうのもあるし。でも、短いコメント入りでも、もっと読んだ本を紹介していくことを続けたほうがいいかもしれませんね。
「書くこと」がやめられないのは、10年間、ぐでぐでとこのサイトで書き続けているのを見てもおわかりのとおり。商売で書き、サイトで書き、趣味でも書く(こっそり別ブログをつくって創作の連載をしていたこともあります。今だから言える話)。なぜサイトまでつくって書くのか? 自分でもよくわかりません。書くことがやめられない。書くことで生きている手ごたえを感じる......なんて言ったらおおげさかな? 自己表現という名前の自己顕示欲の発露。自我の垂れ流し。そう言われても、このサイトで書いて、みなさんに読んでいただくことができることを、ほんと幸せに思います。
ま、そんなこんな。
10年って短いようで長い。
いろんなことがあって、気持ちも考え方もどんどん変化してきました。
そんななかでも変わらなかったことがあるんだな、と振り返ってみると気づきます。
一度たりと変わらなかったことが一つ。
「グラマラスライフを続けていく」という気持ち。
これからの10年に向けて、今後ともどうぞご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
予告ですが、明日の0時にアップするのは「10年で増えたもの、減ったもの」の検証......です。お楽しみに。
「グラマラスライフ」は2000年5月19日にオープンしました。
来週で10周年を迎えることになります。10年間、続けてこられたのはひとえに読者の皆様のおかげ。なかには「10年間ずっと読んでいます」とおっしゃってくださる方もいらして、感激します。
そこで、いつも本サイトをごらんいただいている方に、感謝のプレゼントを贈呈しようと企画しました。
前々から10周年は何かやりたいと思っていたのですが「いやいや、こんな弱小サイトで記念品贈呈なんて実はおこがましいんじゃないか」とうじうじと考えてしまいました。でも、今朝になってようやく「自分のサイトなんだから、好きにやればいいじゃないか」と決断した次第です。
それに......どなたに、どういう形で、どんな記念品を......といろいろ考えて遅くなっていた、というのもあります。
カルトクイズを出す(クイズを考えるのがたいへんすぎる、でボツ)、コラムを募集する(以前、ニフティのFBOOKで私は「コラム道場」なんてのを主催していたことがありました。なつかしいなあ。でも私が採点するのもおこがましい......というのでボツ)......など考えては打ち消しているうちにはや1か月。
そこで無難(?)なところで、
5月19日午前0時にアップする記事にコメントを書いてくださった方に記念品をプレゼント
することにします。
ただし、コメント欄の仕様上、最大5名様まで、となります。
プラス、できれば何かしらのメッセージを書いていただけますか?
お名前だけではちょっとさびしいので。
コメントをいただいた方は、その後恐れ入りますが右コラム INFORMATIONの「お問い合わせ」よりお名前と住所、メールアドレス、そして自分のプロフィールをお送りください。
http://www.motoko3.com/contact.html
プロフィールをいただくのは、その方にふさわしい、喜んでいただける記念品にしたいからです。
ガンバサポでもないのに、宇佐美選手のユニをもらったら困惑するでしょう?(ま、それは冗談)
日ごろ読んでいただいている感謝をこめての企画です。
来週、5月19日水曜日にお待ちしております。
今週末は「母の日」ですね。こういうお仕着せの祝日にのせられてしまうのがいやだ、という人も多いでしょうが、私はわりに乗ってしまいます。なので、今年も母に帽子をプレゼントし、帰省して家事大サービスをやってきました。
母は、女王タイプです。気が強くて、しかも理詰めできます。だから喧嘩になると100%私は負けます。宇宙は自分のまわりをまわっている、と思い込んでいるのではないか、と子どものころからずっと思っていました。なんであの人からこんなに小心ものの私が生まれ育ったのか、ほんと謎です。
ところが、4年ほど前、からだ具合を悪くしたこともあってえらく気弱になったことがありました。ふつうの人なら気弱になって泣きごとを言うのでしょうが、母はちがいます。そういうときでも、怒りで表現するのです。怒りをぶつける相手はたいてい私か父です。小心者二人です。
ふだんなら「まーたお母さんが怒っている」でびびるか聞き流すかしたのですが、なぜかそのとき私ははっと気づいて胸をつかれました。
「そうか、この人はいまたまらなく不安なんだ」
老いていく不安。孤独になる不安。子どもに迷惑をかけてしまうかもしれない不安。
私はずっと親や夫に自分の不安をぶつけて「大丈夫だよ」と言ってもらうことだけを考えていました。
でもそのときやっと気づきましたね。(遅いよ)
いまや私は、親や夫に「大丈夫だよ。何も心配することはない。私がいるじゃないの」というべき立場にあるのだ、ということに。
子どもを育てて知ったのは「不安にさせてはいけない」ということでした。親の重要な(もしかしたら一番重要な)仕事は「大丈夫大丈夫。私たちがそばにいるから」とはっきり態度でも言葉でも示して子どもを安心させることです。そしていま、私は自分の親に対して、それと同じことを態度でも言葉でも示していくことがたいせつなのだ、と思っています。子どもの重要な仕事もまた、親を「不安にさせない」ことなのです。
すぐそばで暮しているわけではないから、よけいに強く思います。親を不安にさせてはいけない。何かあればもちろん、何もなくても「大丈夫。私がいるから」と伝えておきたい。
まあ、そんなことを思う「母の日」です。
で、一応私も母なんだけれどなぁ。なんかないのぉ?
土曜日に京都で会議だったので、早めに出て京都国立博物館で「長谷川等伯展」を鑑賞してきました。東京では上野まで出かけたものの、90分待ちの表示に耐えられず、以前に「琳派」も京都なら40分待ちで見られたのを前夜ふと思い出し、6時起きで新幹線に飛び乗りました。
(長谷川等伯とは何の関係もないのですが、私はこの「ふと思いついて、いきなり旅立つ」というのも好きです。前々から準備をして、周到に調べて計画を練っていく旅行も好きなのですが、時間があいたので、いきなり出かけてしまう、というのもいい。えーなんでこれを書くかというと、6月が近付くにつれて、「ふと思いついて、南アフリカに旅立つ」私がいちゃうかもしれないな~なんていう布石です)
おかげで40分待っただけで入場でき、しかも待っている間は曇りながら京都の新緑に囲まれて気分よく、ヘニング・マンケルのさむざむしくおどろおどろしいミステリーを堪能できて、とてもよかった(のかホントに?)
京都の初日に訪れた父からは「波濤図がいい。単純な繰り返しながら、海の底から湧きおこってくるエネルギーを、波を描いた線から感じる」と言われていたのですが、私が圧倒されたのは(たぶん8割の人がお目当ての)「松林図屏風」でした。
最後に展示してあり、鑑賞者の平均年齢が(たぶん)70歳くらいでお疲れがたまってくるせいか、なぜかこの屏風の前は足早に通りすぎて行く人が多く、私は落ち着いてたっぷり30分鑑賞できました。
霧が立ち込めた山に、松の影が浮かび上がっている水墨画ですが、描かれているのは遠くの山影と松のみ。松の本数もさほど多くありません。霧が立ち込めた、といっても、霧そのものは目の錯覚かな、という程度薄い墨がのせられているだけです。それでも、その絵が晩秋、もしくは初冬の人里離れた山奥で、落葉樹はすべて葉を落とし、今にも雪が降りそうな曇天の午後である、ということは伝わってくるのです。画家とともに山の中腹に立って見上げると、動くのは流れていく霧だけ。鳥や獣はひそやかにねぐらに帰り、木々のざわめきも聞こえず、空の遠くのほうでかすかにごごご、という雪の到来を告げる音が聞こえてくる。自分もまた、霧に包まれて、それが現世なのか天界なのかがよくわからなくなってくる。そんな画です。
優れた作品には、目には見えないものが描かれている。
もう一度戻って、初期のころに描かれたという「山水図襖」を見に行き、あらためて亡くなる前に等伯が画家としても人間としても、一つ抜けた境地に達したのだ、と感じました。
みぞれに打たれながら早朝の新幹線に乗った価値ある長谷川等伯展でした。
朝、ゴミ捨てと外回りの掃除のあとに、ふと庭(というか隣の家との空間)をのぞいたら、ドクダミがあちこちに顔を出していました。ご存じの方も多いでしょうが、ドクダミは根をあちこちに這わせてそこから茎が伸びて葉をつけて、繁殖していく、という植物です。だもんで、根をずるずる引っ張りながら引っこ抜くのに夢中になり、においに耐えられなくなったところでやめて玄関に行くと......なんと鍵がかかっている!!
まだ次女の外出時間ではないだろう、とタカをくくっていたのが大きなまちがいでした。
あわててどこか窓があいていないかとぐるぐる回ってみたけれど、見事にどこも閉まっています。エライ! 戸締り完璧! なんて思うはずもなくあわてました。
鍵がないだけではありません。
ケータイも、財布もない。
服はよれよれ。足元は便所スリッパみたいなサンダル。手は泥だらけ。顔はもちろん洗っていない。髪もといていない。ようするに起きぬけです。ゴミ捨て用ファッション(違)です。
外で夜中まで待つわけにはいきません。
しかたなくご近所のキムラさんたくに飛び込み、事情を話して「どうしよう!」とご相談。「鍵救急隊っていうのもあるけれど、家族の誰かの職場に取りに行ったら?」という的確な判断を下していただき、夫のケータイに電話をかけてもらいました。幸い、わりに近い(でもターミナル駅は通過するけれどね)ところで待っていてくれる、というので、あわてて走っていくことに。
「その格好で行くの?」とあきれ顔のキムラさん。
「え? ダメ?」
「いや、いくらなんでもその格好で電車乗ったら、『若年性アルツハイマーの徘徊』に見られちゃうんじゃない?」
そこでスニーカーを貸していただき、電車賃も貸していただき、ハンカチまで借りて夫の鍵を受け取りに行きました。
持つべきものは親切なご近所さんです。
夫には開口一番「この体験を教訓に、次回からはどう対処しようと考えましたか?」と聞かれました。
「え......教訓って。つぎからドクダミは生えてきても抜かない......」と全く見当はずれにしどろもどろで答える私。
「ちがう! まず、家の外に出るときには、たとえゴミ捨てでも鍵を持って出なさい。それとケータイも常時携帯しなさい。いつだって台所にほうり出しているけれど、あれじゃ意味ない!」と訓戒(?)あり。
はい、以後、気をつけます。
いつかやるんじゃないかと自分でも心のなかでひそかに危惧していたことが、まさに現実に。
春の大ボケでした。
みなさんはやらないでしょうが、一応念のために、ゴミ捨てのときの締め出しにはご注意を!
そして、ドクダミを抜くときにはケータイと鍵を忘れずに!
金曜日の夜、次女の就活のグチを思いっきり聞きながら、ミュージックステーションを眺めてました。
1990年から2009年までの各月のトップをメドレーで見ていく、というのです。
驚いたのは20年間どの年にもずーっとB'zとミスチルと福山雅治が入っていること。でもって、私はこの3人/組がどうにもこうにも苦手で、たとえば映像や音楽が流れてくると見ないふり聴かないふりをしてしまうのです。なので、出てくるたびに次女のグチにたっぷり集中しましたわん。
なんで好きじゃないの? と訊かれたので、「タイプじゃないから」と言ったら、容姿なのか声なのかとまた問い詰めるので、全部ダメ、グチやヤケになっているみたいな歌い方もいやだし、外見は論外、といったら、ママにタイプじゃないといわれても誰も痛くもかゆくもないよね、と言われてしまった。
好きなタイプはよくわからないのですが、ダメなタイプははっきりわかります。ああああ、苦手、こういう男は見たくない、そばに寄るなどもってのほか、という人はえてして人気ものだったりするのでたいへん困ります。TVつけるたびに出てきたりするから。
話変わって、今日、ガンバからファンサービスのお願いというメールが来ました。サインがほしくて道路で選手の車を止めたりするファンがいるそうで、危ないからやめましょう、というような内容だったと思います。(→うろおぼえ)そうかぁ、ファンってサインがほしかったりするんだ、と妙なところでツボでした。なぜなら私は誰かの「サインがほしい」と思ったことがないから。サインを下さいって言ったほうが相手が喜ぶかな、というときには言ってみたりしますが、基本的にはまったくいらない。というか興味がないのです。サッカー選手と個人的にお話したいともまったく思わない。プレイだけで十分さ。
サッカー選手だけじゃなく、ミュージシャンだろうがアーティストだろうが作家だろうが、サインは別にいらないなあ。でもそれは、タイプじゃないから、とかではないですよ。たとえタイプでツボにはまっていたとしても、サインしてくださいっていう発想はたぶん出てこないような気がします。
と言いながら、これまで一回だけガンバの選手にサインをもらったことがあるのです。試合前にもらえますとかいうので、並んでもらいましたよ。倉田秋選手に。ところが~~何にサインしてもらって、それがどこにあるのかがもうわからない。情けないです。申し訳ないです。だからもうサインは誰にも貰わないことにします。



