観る極楽

映画はぴんときた作品だけ見ます。傑作でも大作でもなく、佳品と思える作品だけ。だからか、いつも人がまばらな映画館で、作品の世界にすっぽり包まれて過ごします。

今年はいろいろなことがありました......と書きたいところですが、あまりにもいろいろなことがありすぎたせいか、一年を振り返ろうにも記憶が混乱していてまとめられません。気がついたら1年が終わろうとしていてあせった......というか。

これまで私は「何事もがんばれば(努力すれば)なんとかなる」とどこかで思い込んでいたところがありました。でも、がんばるチャンスさえ奪われる、もしくは努力するチャンスがもともとないこともあるし、努力して結果が出ることは実は非常にまれである、と思い知らされることが多い一年でした。だからといって無気力になったり自暴自棄になったりしていいわけじゃないですけれど、あきらめる勇気を持つこともこれからは必要なのだろう、と今は思っています。いくら努力してもどうにもならないことのほうが多いのだけれど、それでもやっぱり努力はしていきたいな、というところかな、心境としては。あ~ややこしくってもどかしい。

仕事は今一つでしたが、相変わらず書道にはのめりこんでいるし、中国語のレッスンもなんとか続けているし、太極拳を始めたし、前からひそかに一人でやっていたジョギングを娘と一緒に走るようになったし、趣味は本当に充実していました。問題は健康面で、ちょっと忙しくなると「あれ? あれれ?」と思っているうちに病名がつく病気で医者にかからざるをえなくなることしばしば。ほんと、気をつけなくてはなりませぬ。

来年は健康に気をつけて、仕事をもう少しなんとかしたいです。あせらず、あわてず、あきらめず。こつこつとやっていく一年にしたいな。

今年もグラマラスライフを訪れてくださり、本当にありがとうございました。

また来年も(来年は)楽しく明るい話題を書いていきたいです。

来年もまたどうぞよろしくお願いいたします。

2012年が皆様にとって、より発展する希望に満ちた一年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

遺しておくこと

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 先日、父に同行して滋賀県信楽まで旅行してきました。(行って初めて知ったのですが、かの地に聖武天皇が740年に『紫香楽宮(しがらきのみや)』という離宮の造営したことから「しがらき」という地名がついたそうです。そのためか、信楽というよりも紫香楽と書かれている標識のほうが多かったです)。閑話休題。天気もよくて、とても楽しい旅行だったのですが、それ以上に私にとって実りが多いものとなったのは、父とゆっくり話ができたことでした。

 これまでも断片的に話は聞いていたけれど、2時間以上にわたって語ってもらったのは初めてで、私はもちろん興味深かったが、父は父で「あれ? 子どもの頃は何して遊んどったんかな?」とか「ちょっと待て。あのおじさんは戦争はどの部隊やったか? そうや、中国北方やな」とか、と記憶を手繰り寄せながら語るのが楽しかったみたいです。

 両親ともに昔の記憶をたどっていると、話が佳境に入るのはきまって戦争のときの話です。母は十代後半、父は二十代前半に第二次世界大戦が終戦を迎えたのですが「生れてからずっと、日本はあっちやこっちで戦争ばっかりしとった」と言います。そして「戦争だけはアカン。何があっても戦争だけは阻止せなあかん」というのが話の締めくくり。そのことは私たちがしっかり子どもに伝えなくてはならない、としつこく言います、はい。

 それはともあれ、両親からちゃんと聴いて遺しておかねばならないことがいっぱいあります。それが私の世代の役目なんだろうな。

早めに記録を残しておかないと、どこに行って何を見たのかをきれいさっぱり忘れてしまうので画像とともにアップしておきます。

ナポリに到着後、2日目にラヴェッロという街にレンタカーで出発。アマルフィ海岸地域一帯はイタリア屈指のリゾート地です。アマルフィ、ソレント、ポジターノ......と海岸沿いの街に滞在することも考えたのですが、海のそばだと湿気が多くて暑そう、という理由で標高350メートルのラヴェッロに決定。正解でした。

宿泊したのはヴィッラ・ルフォーロという、かつてのお金持ちの別荘のすぐ隣にあるホテル・ルフォーロ。気持ちのいいホテルで、何よりよかったのは日本人スタッフがいて、とても感じよくいろいろな情報をくださったことです。タケザワさん、ありがとうございました!

ラヴェッロ自体が全部歩いて回っても30分かからない小さな街(というか村?)で、ホテルから歩いて3分のところが中心地の広場があり、銀行、土産物屋、カフェなどすべてがそろっています。父が歩ける街であることが最重要だったので、事前チェックしておきました。

画像はホテルの部屋から見た虹。

虹1.jpg

歩いて3分のところにある街の中心となるドゥオモと広場。夜の8時ようやく日が落ち、長い夜が始まります。深夜に通りかかったら、まだ少年たちが元気に遊んでいました。

ラヴェッロ広場.jpg

アマルフィ周辺はレモン畑がいっぱい。レモンにも大小、形状、味さまざまな種類があることを知りました。レモンを使ったお酒レモンチェッロや、レモンのソースがいたるところで出てきます。タラを蒸して、レモンソースをかけた料理はシンプルながら日本人の口にあいました。

garden魚.jpg

アマルフィとポジターノに車で行ったのですが、道がうねうねと蛇行し、しかも狭く、崖っぷちを走るのでひやひやしました。結論:もうレンタカーはやめよう。崖っぷちに咲く八重のハイビスカスの背後に見えるのが崖にへばりつくようにあるポジターノの街。ハイビスカスに蜜蜂がとまっているところを撮ってみました。

八重蜂.jpg

ナポリに帰る途中にポンペイ遺跡を見学しました。これは必見! ガイドさんの説明つきで見るとおもしろさ倍増でした。なんてったって娼館の壁画が......w15歳以下禁止の画像なのでこれは割愛。

ラヴェッロに4日滞在。ナポリに帰ってきてレンタカーを返却。だってナポリっておそろしく道が狭くて複雑で、駐車はまずできない。タクシーを1日借り切って回ったのですが、正解でした。ただ問題はタクシーの運転手がYes,OKしか英語がしゃべれないこと。まるでイタリア語特訓講座を受けているようでしたが、なかなかいい運転手さんではありました。

そこで彼が切り返しなしで通った路地をご紹介。まわったところで全員で拍手しましたよ。

ナポリの路地1.jpg

ナポリの旧市街と新市街を真っ二つに分けるスパッカナポリ。その中心にあるのがジェズ教会とサンタキアラ修道院があるジェズ広場です。土曜日に通りかかったら、結婚式が行われていました。参列者らしいご婦人と並んでパチリ。ナポリの女性たちは10代はすごくスリムでかわいいのに、なぜか30近くなるとふくよかになってしまう見たい。股下がすごく浅いジーンズをはいて、ぴちぴちのTシャツを着て、5段腹を見せつけるっていうのがナポリ風ファッションらしいです。

Gesu教会.jpg

ナポリの街を一望できるヴォメロの丘に登って、サン・マルティーノのカルトジオ会修道院に行ってみました。中庭には「メメント・モリ」(死を忘れるなかれ)を象徴するガイコツの彫刻が飾られています。

マリーナ修道院.jpg

ナポリの眺望はすばらしい! 汚いとかうるさいとかいろいろ言われていますが、そんなことはまったく感じられませんでした。

ナポリ遠景(マリーナ修道院から).jpg

最後にキアイアというおしゃれショッピング街で見かけた花屋さん。花束の中心がトウガラシってところがナポリらしい? おしゃれと言うものの、実はあんまりおしゃれなファッションは見かけませんでした。探せばあるのかもしれないけれど、ミラノやローマとは段違いです。でも、だからこそ味があっていいのかも。観光客もあまりいなかったし、ついに最後まで日本人は見かけませんでした。

キアイアの花屋.jpg

ナポリ旅行

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しばしナポリと近郊の町を両親とともに旅行していました。

ヨーロッパはさすがで、美術館や教会には車椅子が用意されていて、あまり歩けない父もゆっくり観賞することができました。心配していた老親の身体の不調は一切なし。無理をしなかったことがよかったのだと思います。なかなかいい旅行でした。

帰り際に父が一言。「また来年も来たいなあ」。なんでも旅行しているうちにどんどん体調がよくなり、「いいリハビリになった」んだそうで。

少しだけ写真を載せておきます(もちろん一眼レフで撮りまくりましたよ、900枚近く。そんなに撮ってどうするんだってもんですが)

チンブローネ(小).jpg

ラヴェッロという小さな町にしばらく滞在しました。画像はヴィッラ・チンブローネという別荘の庭園で撮ったもの。かつてウィンストン・チャーチル英首相やグレタ・ガルボが宿泊した別荘が、今はホテルになっています。絶景です!

コンサート楽屋裏.jpg

ナポリでは王宮の中庭で開かれたサンカルロ劇場オーケストラの屋外コンサートに行きました。開演前に楽屋裏というか外の通路にたむろしている楽団員たち。すごくくつろいだ雰囲気......と言いたいところですが、それなりに緊張感がありました。20ユーロで2時間のすばらしいコンサートだったのですが、客はなんか知り合いばかりみたいで、観光客はあきらかに私たちだけでした。もったいない。

ナポリのイクメン.jpg

ナポリで目に付いたのがイクメン。とくに週末にはパパが街中のあちこちで子守りをしていました。カポディ・モンテの公園脇では1歳の女の子をつれたイケメンのイクメンが......。

 またおいおいアップします。

 イタリア語をむかーし勉強していたおかげで、たとえたどたどしくてもいろいろな交渉ができてよかったです。とにかく英語が通じない! フランス語も全くダメ! 道聞くのも、買い物するのも、タクシーと交渉するのも、イタリア語じゃなきゃだめって、それ、観光地としてどうよ。

いったん見始めたらなかなかやめられなくなる映画。先月から今月にかけて、試写会やら映画館やらに出かけたり、DVDを借りたりして10本ほど観たので、メモ代わりに印象に残った5本を残しておきます。

『人生、ここにあり!』イタリア映画

イタリアでは1983年に制定されたバザリア法により、精神病院が廃止されていきました。そんななかで「病んでいる」として家族、地域、社会から切り離されてしまった人たちが仕事や住む場所を確保し、自分たちで稼ぎ、生活し、恋をし......というちょっとおとぎ話のようなストーリーです。

政治、経済、社会の全般において、「病んでいる」と判を押されてしまうことで、どんどん疎外されていく人たちのために居場所をつくろう、と一人の熱血漢(→熱血ゆえに彼もまた疎外される)が奮闘します。そのうちに気がつくのです。彼こそ自分の居場所を見出すことにおいて、「病んでいる」人たちに救われていたことが。

おとぎ話のようだ、と書きましたが、実はハッピーエンドではない。いや、「エンド」がないストーリーです。東京では現在公開中。

『ボローニャの夕暮れ』イタリア映画

偶然ですが、こちらでもイタリアの精神病院が出てきました。それはひどい場所で、そこにいるだけで病んでしまいそう。これは廃止の法律ができるのも無理はない、とちょっと思ったり。それはまあ、部外者だから言えることですね。

第二次世界大戦下のイタリア・ボローニャが舞台。一人娘が同級生を殺してしまったことから物語がスタートします。父親が必死にかばおうとするが、母親は娘に対して嫌悪を示す。その理由が映画の最後まで明かされません。

ロベルト・ベニーニ監督の『ライフ・イズ・ビューティフル』に通じるのだけれど、イタリアにおける父性と母性、もしくはジェンダーの問題がこの映画の根底にある、と思いました。エゴを捨てられず、父性/母性をどうしても持てない親。そこで育つ子どもとの葛藤。この映画では(も)国家と国民との関係が、親と子の関係に投影されています。

『蜂蜜』トルコ映画

もうこれは最高! 今年NO1にすでに決定。

トルコ東部の奥深い山のなかに養蜂家の父、母と3人で暮らしている8歳のユスフ。あるとき蜜蜂が急に死ぬようになったことから、ユスフは言葉を失います。父親にだけはなんとか話せるのだけれど、学校でも母にも、何か言おうとするとひどい吃音になってしまう。なんとか蜂蜜をとろうと、父親は遠方の山に巣箱をかけにでかけ、事故にあってしまいます。そんな話。

バックミュージックも効果音も何もなし。カメラは定点に据え置かれ、セリフのある登場人物はごくわずか。ところが、動物、木々、草花、空、雲、風、そしてミツバチ......自然の一つ一つが饒舌に語るのです。神のいる世界と人間の世界の境界域にユスフはいる。そこは神話的表象にあふれたところで、空間も時間も私たちの生きている世界とはちがったあり方です。

ユスフが成長したあとを描く、『卵』と『ミルク』の三部作になっているそうで、あとの2本もぜひ観てみたいと思いました。

『100、000年後の安全』

人類誕生から10000年とされています。原発が生みだす放射性廃棄物をその10倍の時間、10万年後まで安全な場所に置いておこう、とフィンランドでは地下の奥深くに穴を掘って埋める計画が進んでいます。その模様を追いかけたドキュメンタリーです。フィンランドってことで、フィンランド留学経験ありの次女がNHKで放映されているドキュメンタリーを見て興奮して教えてくれました。

これはもう今日本人がぜひぜひ観るべき映画だと思います。私は下高井戸シネマで見たのですが、夜の回にもかかわらず年齢性別関係なく満席に近い人で埋まっていて、終わったあとみんな大きなため息をついていました。

私が印象に残ったのは、フィンランドの原子力安全委員会に宗教家がいる、ということ(10万年後という気が遠くなる時間について考えられるのは、やはり宗教家なのでしょうか)、そして委員の一人(科学者らしい)が言った一言です。

「原発に賛成か反対か、好きか嫌いかに関係なく、放射性廃棄物をどう処理するかはわれわれ人類が緊急に考えねばならない問題だ」

反原発、脱原発、そういう論議をする前に、まず日々生みだされる放射性廃棄物をどこにどう安全に保管するのか。それは緊急課題なのだと突き付けられました。

『イヴ・サンローラン』

世界的デザイナー、そして60年代から長くモード界をけん引してきたイヴ・サンローランを支え続けたピエール・ベルジェが語り部となるドキュメンタリーです。

一人のデザイナーの軌跡を追っているのですが、そこから浮かび上がってくるのは20世紀後半から今までのファッション史です。特権階級のためのオートクチュールから幅広い層へのプレタポルテ(高級既製服)、若者の台頭、コマーシャリズム、ファッションとアートの綱引き、そしてブランド化とグローバリズム......イヴとピエール・ベルジェが集めてきたアートの数々が、サザビーズで競り落とされていくシーンで終わります。「ファッション」という言葉の意味が、一つ消えたことを伝えているのか。

 

精進せよ! 

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 昨日から乃木坂にある新国立美術館で毎日書道展が開かれているので行ってきました。

 展示されている自分の作品を見てつぶやいたこと。

「こ、こりゃ~、精進せにゃならんわな」

 もしかして、ヘタ? いや、ヘタクソでしょ、こりゃ。ほかの方々の作品を見て、ほんと勉強するところがいっぱいありすぎることに気づきましたよ。

 

 というのはさておき。

 今回、文部科学大臣賞を受賞された永守蒼穹先生の「直後、黒い塊が」という作品にはどきりとさせられました。3.11について書かれた作品で、墨の黒さと迫ってくる文字の迫力にぞわっと背中を走るものがあります。墨と筆と紙で表現されるからこそのインパクト。今、この時代をどう書くのか。何を書くのか。どう書くのか。そんなことを考えさせられる書です。これは実際に見たほうがぜったいにいいと思うので、ご興味がおありのかたはぜひ新国立美術館まで足をお運びください。

 

 と、恥ずかしながら記念に自分の作品は画像アップしておきます。

 ヘタクソなインパクトを少しでもやわらげるためと、大きさを認知していただくために、自分入りです。あ、指差している上のね。

「尚想う、臥龍の図」というのです。

毎日2011 実川入選作(小).jpg

今年も毎日書道展に漢字Ⅱと近代詩文書の科でそれぞれ応募して、漢字のほうが入選しました。

一昨年の創玄展から始めて、今回の毎日展で書道展に応募するのは4回目となります。最初は「作品にすることを考えて」「これでは作品にならない」などと先生に言われても、何がなんだかわからなかったのですが、4回目にしてようやくほんのちょっとだけ「作品にする」とはどういうことなのかが見えてきたような手ごたえを感じました。これまで「超初心者」と自他ともに認めてきたのですが、ほんのちょっと見えてきたことから、これからは「超」をとって「初心者」と名乗ることにしますw

書道を本格的に習い始める2年半前まで、私の中での書道のイメージは「先生に書いてもらったお手本を上手にまねして書くこと」でした。もう少し進んで「楷書だけでなく、隷書とか草書とかかなとかいろいろな書き方で字が書けるようになる」程度の知識(?)はあったかな。私の場合、ふざけたことに「ガンバ応援のためのゲーグラを書く」ことが第一の目標だったので(2008年にはいろんなゲーフラをつくったよ......「アジア制覇!」「世界のGAMBAへ」とか)、大きな字でインパクトのあるメッセージを書きたいっていう思いはあったけれど、それは非常に特殊で(あたりまえだ)、始める動機として一番多いのは「きれいな字が書きたい」ではないでしょうか?

とにかく「大きな紙(ゲーフラの場合には布)に大きなインパクトのある文字を書きたい」というのが一つの目標だったので、始めてから1年たたないうちにやってきた書道展作品出品のチャンスに「やりたいです!」と手を挙げました。先生、うろたえながらも道具をそろえるところから(つまり初歩の初歩から)指導。そのかいあって入選したことに味をしめて、課題を与えられて制作する条幅作品に毎月応募し続け、現在にいたっています。

半紙に書くのも楽しいけれど、大きい紙に字を書くとよけいに「書道ってほんと楽しい! おもしろい!」と実感します。墨と紙と筆の3つの道具しか使わないのに、こんなに多彩な表現ができるのかとその奥の深さにはまりますね。

さてさて、今回書きたかったのは、ほんのちょっとだけつかんだ作品づくりの手ごたえのことです。

最初は先生にお手本をいただいて書く、ということで精いっぱいだったのですが、先生から「お手本をもらって書いているだけだとお手本を越えるものは書けないよ。(→お手本の足元にも及ばない力しかないのに、越えるなんてありえないのですが、とつぶやいていたことはナイショ)自分で考えないと作品づくりはできない」と言われて、それなら素材探しや書体を工夫することもやってみよう、ということになりました。書道教室の先輩たちが漢詩や詩の本を何冊も読み、字典をひいてはノートをとっている姿をずっと見ていたので、私もまねっこ。「作品になる詩文」とはどういうものかをいろいろ教えてもらって、まずは鉛筆でノートに書くところから始めました。

でもってですね、今回、この過程に一番時間がかかったのです。仕事そっちのけでノートにいくつも漢詩や詩文を書き、字典をひいて書体をいくつか書き写すこと1ヵ月以上。「これならいけるかな?」と思うと、実際の紙サイズを縮尺した寸法に半紙を切り、筆で書いてみることもやりました。なかなか大きな紙を広げて書いてみるところまでいかず、しかも素材が決まらず、で途中ちょっとあせったのだけれど、先生が「試行錯誤をしていくその過程が作品づくりにはとても重要」と何回も力説なさったので、がまんがまん。

3.11で合宿が中止になったので、一日練成会なるものに参加。今回初めて、ほかの人の作品を見ることがいかに勉強になるかを知りました。それまでは自分のことで精いっぱいだし、そもそも自分が「作品をつくっている」という意識がからきしなかったので、ほかの人のを見ても「うまいね~」と感心するだけだったのですが、今回は少しちがいました。素材を選んだ意図、書いているときの姿勢、墨の入れ方、筆の動かし方に始まり、空白の使い方、立体的に見せるための工夫と技巧、「見せ場」の字とそのほかの字の配置、といったことも見えてくるところがありました。先生方の寸評の言葉一つ一つの意味もようやくわかってきたし。

その結果、漢字にいたっては締切の10日前から書き始めた素材(尚想臥龍図)で提出。近代詩文書はあーでもないこーでもないと書き方を変えた挙句、最後の最後に書いた一枚で応募しました(でも落選したけれどね)

今回の作品づくりを通しておこがましくも、当初の目標設定基準値を少し(だいぶ?)あげました。先生方や先輩たちの作品を見ていて「あ~、こういう作品を書いてみたい」と私が思う作品は、立体的(三次元)であるだけでなく、時間の流れも感じさせる四次元的要素がある、ということがわかってきました。風が吹き抜けていく数秒間だったり、喜びや悲しみをかみしめる数分間だったり、生まれてから死ぬまでの一生だったり、ときには永遠だったり、時間の長さはいろいろなのだけれど、たしかにそこに時間が流れていることが感じられる作品っていうのがあるんですね。そういう作品に私は感動します。いつになるかわからないし、もしかすると一生書けないかもしれないけれど、目標はそこだな。

もちろんガンバのゲーフラも一つの作品。今年は書くぞ!

最後に、とても気に入っていた近代詩文書(落選、しつこい?)の画像をのっけておきます。小池昌代さんの「夏の弟」という詩。小池さんの詩がとても好きです。また続けて書いていきたいな。

夏.jpg

あーえーいーおーうー。きのうの試合はどーんと重く胸にこたえたけれど、かるーくスルーして今日は別の話題にしていいですか?(いいよ、いいよ、とガンバサポならきっと言ってくれるはず。後半の川西選手のゴールだけ見て脳裏にそれだけを刻みました)まだJリーグは2試合目。まだまだこれからですよ。それにしてもなぁ。ホラーな守備をなんとかしてください。

さて、今日はまったく別のトピックスです。

この2カ月ほど、つまり大震災前後からジツカワがエネルギーと時間を注入していたのは......書道でした。すみませんすみません、世の中がこんなにたいへんな時期になーにやってんだか、というお叱りは覚悟の上です。某書道展の応募作品締切が昨日だったもんで。制作期間2カ月。予定されていた合宿や練成会が震災の影響で(当然ながら)中止になり、自主練を中心に書いて乗り切った今回でした。

書道展の応募は今回で4回目。漢字と近代詩文書の2部門で応募したのですが、どちらも自分で探してきた素材で書くことにしました。しかも漢字は先生にお手本をもらわないで草稿を手直ししていただきながら書きます、というずうずうしさ。

そしたらですね、これが楽しかったのです。とはいっても、どんな素材にしたら作品になるかがわからず、まわりの先輩たちに教えてもらってだいたい見当をつけて詩文を選んでも、今度はどう書いたらいいのやら見当がつか。草稿みたいなもの(小さな紙に書いていくんだけれど、これがまたヘタなんだわ。草稿のために練習したりして)をつくって先生に見てもらうことも繰り返しでした。実際に書き出すまでにえらく時間がかかり、ああ、早く筆をとりたい、原寸大の紙に書きたい、と焦燥感にかられたときもありました。締切まで1カ月を切るころにまだ悶々としていて「お手本をもらっておけばもっとらくらくだったのになあ」と内心、自分の怖いもの知らずに舌打ちしたくなったりもして。

いくつか題材を選んで、先生に草稿を書いてもらって原寸大の紙に書くと......これがまたうまくいかない。題材が悪いんだか、それとも書き方が悪いんだか。いやなんてたって腕がついていかないから、自分で見ても笑っちゃうくらいつまんないものしかできあがらない。もどかしい。いらいらする。何がいけないのかって、自分のなかに「こういう作品にする」というイメージが浮かばないままに書いているのがいけない。一番ストレスがたまる。

そんなときに教室で先生から勧められて「金子鷗亭――墨ニュークラシック 次世代に伝える21世紀新古典」なる本を手に取りました。アマゾンにある本の紹介をそのまま引き写します。「中国・日本の古典文学を原文のまま書くのが「書」であった時代に、時代と共にあるべき書の姿を模索し、書の概念までを動かした一人の人物の存在があった。「近代詩文書」の生みの親にして、創玄書道会の創始者、金子鷗亭。その存在自体が、いまや現代の私たちを導く「21世紀の新古典」と呼ぶにふさわしい」

この本を読んで、というか、観賞して、あー、書とはそういうことか、と自分なりに腑に落ちるところがありました。腑に落ちるどころか、私はちょっと感動したね。 中野北溟さんという書家の方が解説をしているのだけれど、その文章がまたいい。書かれた線から読み取る呼吸、姿勢、身体の開き方、紙の上だけにとどまらない空間の作り方、時間を超えていく書を書くための古典との向き合い方といった話がとてもわかりやすくておもしろい。しかも(実際に筆を持っている自分としてはおこがましくも)作品に添えられた解説の一つ一つの話に納得がいく。人を感動させる書とはどういうものなのか。あくまでも言葉のうえだけでの理解ですが、少しだけイメージができた気がしました。(臆面もなく言っちゃうと、私はそういう書をめざしたいよ)

この本と、何冊かの古典の法帖を毎晩眠る前に眺めてイメージをふくらませ、今の自分の技量の範囲で、自分が書きたいものに近づける方法をいろいろ考えました。ってエラソーに言いながら、最終的にはぜーんぜん具体化しなかったんだけれどね。技術も経験もあまりにも不足していることを痛感しましたわん。

まあそんなこんなの試行錯誤がすごく楽しかった。学ぶことがあまりにも多いとわかって、かえってやる気も出た。始めてからまだ2年ちょっとだけれど、あらためて趣味として書を選んでほんとよかった、と思いましたです。

まだまだこれから、やることは山のようにあるな。ガンバも、私も(いきなりそこか?)

一日二行動といっておきながら、いきなり一日二投稿。なかなか守れませんな。

なかなか仕事をする気分になれないのと、旅行に行っていたので、3月は読んだ本と観たDVDがふだんよりも多かったです。

メモがわりに書いておきます。まずは本から。

『天国の風 アジア短編ベスト・セレクション』

高樹のぶ子編 新潮社

アジア10カ国の作家の短編集。作品のレベルは?だし、地域の文化風土があらわれた作品を集めた、とも言えないのだけれど、男女や家族の人間模様が描かれていて楽しく読めました。娘のゼミの先生が翻訳されているマレーシアの作家の作品が一番おもしろかったかな。

『文字逍遥』

白川静著 平凡社

パリで読了。西洋絵画を鑑賞しながら、頭の中で「象形文字であり、神聖文字である」漢字が現代まで生き延びていることを考えていました。何回読んでも発見があります。名著だな。

『日本語から考える! 中国語の表現』

こういう時期だからこそ語学のお勉強! 中国語学習を開始してそろそろ1年。なかなか上達はしないけれど、勉強する楽しさは増しています。日本語と似て非なる中国語を知る意味で興味深かった1冊。

『切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話』

佐々木中著 河出書房新社

これまたパリで読了。パリで読むと空気が同調して理解しやすくなる......ような気がしました。ルターとルソーのところがとくに。ルターの章を読んでからルーブルのキリスト教絵画を見ると、それまでとちがった構図が浮かび上がってくる......ような気がしました。

『花の下にて春死なん』

『孔雀協奏曲』

2冊とも北森鴻著

ケイコさんにお借りしました。ありがとうございます!(私信)出てくる食べ物がとてもおいしそうで、ついビールを飲みたくなりました。

『マドモアゼル・モーツァルト』

福山庸治選集

モーツァルトが本当は女の子だった、というマンガです。これまたケイコさんからお借りしました。読んでいる間、ずっとピアノコンチェルト25番を聴いてました。(モーツァルトのなかで一番好き! ベタですみません)

『我、言挙げす  髪結い伊三次捕物余話』

宇江佐真理著 文春新書

ひさびさに宇江佐さんの作品を読みました。ちょっと飽きてきたところもあるのだけれど、描かれる深川の街はやはり魅力的。

一番熱心に読んだのが実は以下の5冊。

『唐詩選』(上中下)『宋詩概説』『蘇東波漢詩選』(岩波文庫)

理由は、書道作品で書く詩文を探すため。づらのいい詩文を見つけるためには文字を追いかけて見ていかなくてはならないのだけれど、つい詩の内容を読んでしまってなかなか書くのにいい詩が見つかりません。

観賞DVDは以下に。

『ソーシャル・ネットワーク』

えーっと、この映画で言いたいのはコミュニケーション不全で人とまともな関係を築けない人が世界最大のソーシャル・ネットワークをつくりあげたという皮肉、という解釈でいいのでしょうか? それにしてもハーバード大学って奇人変人俗人の集まりって印象。東大もそうなのかな?(というと怒られる? 東大出身者が一番喜ぶ賛辞は「ほんとあなたって東大の人らしくないよねえ」でしたが、今はどうなの?)

『わたしを離さないで』

あれ? 原作と趣旨がちがわない? 原作は恋愛映画じゃないんですけれど。カズオ・イシグロはこういう映画化に抗議しないのかなあ。原作は別物?  アンドリュー・ガーフィールドは『BOY A』のほうがよかった。

『オーケストラ!』

旧ソ連時代に芸術が国家昂揚施策となっていました、ということが言いたい映画なのかもしれないけれど、編集で失敗しちゃっているので、コミカルになりすぎてその意図があまり伝わりませんでした。でも、最後のチャイコフスキー、バイオリン協奏曲で盛り上げがいい。(途中で「成功したその後のオーケストラ」という映像をはさまなきゃいいのに)諏訪内晶子さんとチェコ・フィルハーモニーの演奏をダウンロードしちゃいましたよ。

『台北に舞う雪』

途中でやめました。あまりのくだらなさと演技の下手さにだんだん怒りがこみあげたもんで。時間の無駄だった。

ついでにメモがわりに今読んでいる本。

『疾走中国』

ピーター・ヘスラー著 栗原泉訳 白水社

実はKindleで英語版を読みました。原題は"Country Driving"。中国在住の著者が車を運転して全土を回って感じた中国の変化です。

 

 

 

在欧州

| 装う快楽 観る極楽 | コメント(2)

 ベルギーを経て現在パリにいます。

 海外で迎える誕生日。

 今からディナーにいってきます。

 ネットの具合がいまいちで、画像をアップしようとするとなぜかフリーズ。

 メールの送受信もちょっとしたことでフリーズしてしまい、お返事がとどこおっています。帰国したら返信します。

 6年ぶりのパリは、

1)煙草を吸う人がまた減っていた。

2)ジョギングをする人が多すぎ。どこにいっても走る人に会う。

3)英語を話す店員が増えた。でも英語は下手だ、相変わらず。

4)歩いているアジア人はやはり日本女子がダントツに多い。

5)パリコレ真っ最中らしく、ありえない体型の人たちと出会ってしばし「身体の美しい形とはどのようなものか?」と考える。

 

 腰痛のごきげんをうかがいながら歩きまわっています。パリはどこを歩いても、完璧すぎちゃってちょっと疲れます。

 

 

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2006年より特派員と
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手段として、著者はサ
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ラクターや玩具を歴史的に
追いかけ、グローバルな
人気を獲得した謎に迫る。
米国の大衆文化との比較
が興味深い。

新刊 「サッカーが勝ち取った自由」

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マービン・クローズ著
実川元子訳
2010年サッカー・ワール
ドカップが開催される南アフ
リカ共和国は長く人種差別
政策、アパルトヘイトが敷か
れていた。圧政と闘い、投獄
された男たちは、生きるため
未来への希望をつなぐため
にサッカーリーグを結成する。
スポーツで自由を勝ち取った
男たちの知られざるノンフィク
ション。W杯のもう一つの真
実が見えてくる。

新刊 人はなぜSEXをするのか?

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「人はなぜSEXをするのか?」
シャロン・モアレム著
実川元子訳
アスペクト
なぜ浮気をしてしまうのか?
絶対不可欠のモテ要素とは?
「生涯の伴侶」を見つけるた
めに必要な感覚は?
私たちの何気ない選択に実
は自然の力が働いている。
気鋭の進化生理学者が遺
伝子、脳、身体、心理のあ
らゆる面から性の謎を解
き明かす。

新刊 英国のダービーマッチ

英国のダービーマッチ(mini).jpg

「英国のダービーマッチ」
ダグラス・ビーティ著
サイモン・クーパー序文
実川元子訳
白水社
英国8都市のライバル関係に
あるサッカークラブ同士で行
なわれるダービーの歴史を背
景に、クラブや市の関係者、
サポーター、ファンから一
般市民のダービーに寄せる
思いを描きだす。ナショナル
ではかれない「ローカル」
の発想を知るうえでも
好著。
motoko
 人生でたいせつなものは本とサッカーと料理とファッションに教えてもらった、などと言ってみたいモノカキの日常

PROFILE

 職業はモノカキ/翻訳業。書いていきたいテーマは「女」「子ども」「衣食住」。得意技はなんでも一晩寝ると忘れること。
since2000.5.19.
カウンタ