ドーン(原稿を送付したときに胸にこだました響き)
いやはや今日もまた午前様ですか。
あと少しツキモノがあるかもしれませんが、とりあえず翻訳は終わり。
ふ~こんなにたいへんな本は久しぶりです。いや、まだ終わってはいないけれど。
とにかくちょっと休みたい。精神的にすごく負担だったので、終わらせないと休めないと思いました。だからどうしても今日は休む。気にしないで休む。(たぶん今から寝て起きたら10時かな)
もう1冊のゲラ読みは明日からにしよう。
ほとんどツイッターだ、こりゃ。
創玄展に応募させてもらって入選したので見に行ってきました。
しみじみ思いましたね。
こりゃずうずうしかったって。
みなさん、すばらしい作品でした。
自分で書いてみて、はじめてわかることってあるんですね。
ああ、この作品は心打つものがあるなあ、とか。
書いてある内容と字があっているなあ、とか。
書道は奥が深い。
楽しいです。
つぎもがんばろう。
恥かきついでに作品をのっけておきます。
指差しているところです。
ちなみに書いているのは空海が最澄にあてた「風信帖」の一部です。
年をとりました。
お誕生日おめでとう>元子さん
昨晩、小学校からの友だち(恐ろしくも半世紀つきあっているのですよ!)9人と居酒屋で飲みました。
いや~飲んだぞ、私。途中から飛ばしまくってたもん。はしゃぎまくる私と、あきれながらも(そして「飲みすぎ注意報」を出しつつ)つきあってくれたみんな、ありがとう! 2軒目の店で、誕生日も祝ってもらいました。
おかげで今朝は起きられず。酔っ払い、継続中。
毎年、「去年の誕生日は何をしていたかな?」と思うので、記録と記憶のために書いておきます。
ま、そんなで6時30分の目覚ましをとめたまま爆睡し、起きたら9時前。すでに家には誰もいないw
ごめんごめんと一人謝りながら洗濯機回すこと3回(今日しか晴れないというからあせった)
生協の日なので、あわてて注文票を書いて届いたものを冷蔵庫に納め、入りきらなかった野菜を天日干し。
「菊とポケモン」(仮題)のレフェレンスを作成。
途中で郵便が届く。今翻訳中の本の参考文献。参考文献なのに、読んで理解するのに苦労する。
そしてつぎの書道展のお手本。
自分で訳したジャック・プレフェールの詩の一節。それと王昌齢の漢詩の一節。
お手本、すばらしい! お手本を飾っておきたい。これ、私が書けるんだろうか?
朝から就活に出かけていた娘帰宅。「今日は誕生日のプレゼントとしてご飯をつくる」と言ってくれる。でも、昨晩徹夜だったそうで、沈没。結局私がごはんをつくり、ケーキまで焼いた。
さて、今から代表戦を見よう。私への誕生日プレゼントは流れのなかからのGOALでいいから>ヤット
何かあったわけではないけれど、いい一日でした。まだ終わっていないけれど。
生まれて初めて書道展なるものに応募しました。
「創玄書道展」
http://www.sogen.or.jp/1000%20index%20frame/framepage.htm
二ヵ月ほどかけて、「風信帖」という空海から最澄にあてた手紙の一節を大きな紙に書きましたよ。
自分から「応募してみたい」と宣言しておきながら、先生に「ま、なにごとも挑戦ってことで」と軽く言ったら、「出す以上は入選を狙わなくてはだめです」と注意されました。そりゃ最初から「無理だけど」では先生にも書道展にも失礼だった、と反省して書き続けること160枚。最後は「まだ納得しない。何かをつかみかけている気がするからもう少し書きます」という私を、「いや、もういい」と先生に制されました。「書けば書くほどいい作品ができるわけじゃないですよ」と何回も先生に言われたのですが、ほら、信条が「質は量についてくる」って人だもんで、つい暴走してしまい。12月は墨のにおいのなかで眠りましたよ。
でもって、そのかいあってかどうか、入選しました。
いや~子どもが受験に合格したときよりだんぜんうれしいわ!
3月7日~12日まで東京都美術館に飾られるそうです。うわっ! 美術館だって!
なんかね、はずみがついちゃって、ますますのめりこみそうです>書道。
ぜーんぜんうまくいかないところが、楽しい。やればやるほど、深みにはまっていくところが、おもしろい。
でもね、なんとなく予感がします。
私は字がうまくなることはないだろうなあ。お手本通りに美しい字を書くことは無理なような気がしてなりません。器用じゃないから。でも、別の道もあるかなあ、ということを期待しよう。別の道......ほら、味のある字、とかあるじゃない!(苦笑)
さっき、「あなたの今年を一文字であらわすと」というのをやってみたら「猫」でした。
なんで? 猫は好きじゃない......というかまったく興味がないのですが。
それはともかく、個人的に今年をあらわす一文字を選ぶとすると、「繁」です。白川静さんによれば「繁」という字は敏という字に糸を組み合わせた文字で、敏は髪飾りに手をそえて盛装した婦人の形、糸をつけると髪飾りがいっぱいついていることをあらわし、「しげし、おおい、さかん、しげる」という意味になるそうです。
今年は「やりたいことはみんなやる」と決めて、思い切っていろいろやったのですが、おかげでゆっくりぼーっとする時間がまったくとれませんでした。寸暇を惜しんでなんかやっていたなあ......はっきり言って、そういう状態はあまりよくない、と反省しています。2010年はもう少し余裕をもって生活したい。結局眠る時間を削るから、体調も悪くなっちゃうしね。
とはいいながら、「繁忙」ではあったけれど、楽しく充実した一年でした。
今日、ばたばたとおせちをつくたtり、年末の宴会の準備をしながら、ふとキッチンの窓から明るい日差しを見て、元気に働けて、一年の終わりに「いい一年だった」と思えるのは本当にありがたい、となんだか手をあわせて感謝したくなりました。家族や友人やまわりの方々みんなのおかげで、そういうことが言えるのだなあ、としみじみ思います。
あと30分で始まる2010年。
どうぞみなさまにとって、2010年がよい年でありますことを、心よりお祈り申し上げます。
今年も「グラマラスライフ」を訪れてくださり、本当にありがとうございました。
2010年に10年目を迎える本ブログを、何卒変わらずごひいきいただきますよう、よろしくお願いいたします。
『ウェブはバカと暇人のもの』(中川淳一郎著 光文社新書)という本が今年ヒットした。
私も目を通しましたよ。同感! とうなずくところが8割だったかな。(ちょっと乱暴な言い方にひいてしまうところが2割くらい)
こうやって自分もHP(ブログ)を10年近く前から延々とやっているのだから、私もバカで暇人なんだと自覚している。ケータイも結構いろいろ使っているしね。
でも、先日(というのは1か月前)、iPhoneを購入しようかと見ていて、ふと思った。
ばかばかしい。これ以上ネットやモバイル機器に振り回されるヒマと時間があったら、ほかにやることは山のようにあるだろうって。だからやめた。電車のなかでiPhoneやモバイル機器をいじっている人って、なんかマヌケに見えるし。(ケータイをいじっている姿はもっとマヌケなんだ、ということに最近気づいた)
昨日、忘年会で会った方が「よくわからないのは、ケータイ代金に何万円も払って、カネがないからファストフードを食うってやつ、優先順位がなんかまちがってないか?」と言っていて、まったくそのとおりだと思った。
ネットを眺め、不要不急でないメールを書き、ツイッターをチェックするのにまで時間を使い、挙句の果てに締切に追い詰められて仕事で徹夜する私も、まったく優先順位をまちがっている。
「バカにも暇人にもなりたくない」からってわけではなく、本当は仕事に追い詰められているからなのだが、ネットとケータイに使う時間を最近減らしている。ケータイの電源を入れるのが一日一時間くらいしかなく、外出時に携帯を忘れること一回や二回ではなく、いったいどこがケータイなんだ、という状態。ウェブもやむをえない以外は見ないようにしている。意図的にネットにつなげないところにPC持って行って仕事をすることも多い。
生きていくのにたいせつなことは、ウェブのなかにも、ケータイのなかにも、ない。
むしろそれに時間とお金をかければかけるほど、人生は貧しくなっていく気がする。
と、そういうことをブログで書いている私は、おおいに矛盾しているのだけれど。
さささ、仕事に戻りましょう。
冒頭にこまどり姉妹のお姉さん、長内栄子さんのステージでの語りがひとこと入る。
「私たちはね、歌が好きで、歌いたくてやってきたわけじゃないんです」
バックに、砂嵐のなかで撮影したみたいな、北海道の炭鉱風景のモノクロ映像が流れる。一時、景気がよくていい暮らしをしていた、というが、戦後、お父さんが炭鉱夫の職業病である結核にかかって一家は稼ぎ手を失い、お母さんが三味線で民謡を歌いながら生計を支えることになる。銭函から釧路まで、一家は食いつめて転々と居場所を変え、その間に歌い手はお母さんからまだ幼かった姉妹に代わる......。
と、話を急ぎすぎた。
女性監督の片岡英子氏が撮ったドキュメンタリー映画、『こまどり姉妹がやってくるヤァヤァヤァ』は、昭和の激動期を文字通り生き抜き、今も現役で歌い続けているエンタテイナー、こまどり姉妹(長内栄子さん、長内敏子さん)のドラマチックな物語である。と同時に、ドラマチックな時代の物語でもある。「こまどり姉妹、なつかしいなあ」という人や「え、まだ現役なの?」という人はもちろん、「それ、WHO?」という人も十分に楽しめる映画である。
映画は、双子の歌手を通して、人が「生き抜く」ことの強さと尊さを描いている。
12歳で東京に出てきて、「一番安い宿屋があるところに連れていってください」と言ったらタクシーに連れられた山谷に寝泊まりし、浅草で夕方から午前2時まで「流し」で歌っていた、という思い出を語る姉妹。語られることは、よく考えると(というか、私のような立場から見ると)相当に悲惨なのだが、姉妹の語り口はあくまで明るい。お姉さんの栄子さんのほうはときおり涙をぬぐったりするが、ぬぐいながらも実にユーモラスな言葉が出てきて、思わず笑ってしまう。自分たちを客観的に見る目を持ち、自虐めいた言葉を吐きながらも、自分にも他人にもやさしい気持ちを失わない人なのだな、と思う。
こまどり姉妹は21歳のとき「浅草姉妹」でレコードデビューし、紅白歌合戦にも出演。人気が出て、収入も莫大になり、家も建て、両親も安心したという28歳のとき、妹の敏子さんがステージに出演中にファンの18歳の少年に刺身包丁で切りつけられるという事件が起きる。
そこで2人が思ったことは「事件はね、そりゃショックでしたけれど、『ああ、ようやくこれでやめられる。ふつうの生活ができる』とほっとしたところがあったの」だったそうだ。
ところが、信頼していた人がお金を使い込んだだめに大借金を背負って、やめるにやめられない。そのうちにお母さんが病気で亡くなり、敏子さんは末期癌の宣告をされ、それを伝えたショックでお父さんが亡くなってしまう。敏子さんは奇跡的に回復したものの、治療費と療養費でまたまた借金。「成功して、家を建てて、やれやれ、これでやめられる、と思ったらまた何かが起きて歌うことがやめられなくなるの」と栄子さんは言う。。「ふつうの生活がしたい」とそれだけを呪文のように唱えて願っているのに、ようやくそんなささやかな夢がかないそうになったときに、裏切られ、切りつけられ、病が襲う。
ところが、こまどり姉妹のお二人がすごいのは、つねに明るくて、落ち込んだりくさったりすねたりしないで(←ここが重要)、しかもぜったいに人の悪口を言わないことだ。どれだけ打ちのめされる出来事に出合っても「おかげさまで力がわいてきた」とか「助けてくれる人がいてほんとにありがたい」「いろいろな人にお世話になった」というばかり。借金取りに追われて逃げ出した銭函を訪ねて、重くたれこめた空の下でどどーんと打ちつける荒波を見ても「あら~なつかしいわねえ。でも、景色はずいぶん変ったわ。あのころと少しも変わっていないのはかもめだけね」なんてさらっと言ったお二人の顔を見たとき、「人間、すごいわ」と心から思った。
エンディングは、「付けまつ毛と厚化粧をしなきゃとても皆さんの前には立てない」というお二人が、スパンコールがいっぱいついた振り袖姿でステージ歌う「ソーラン渡り鳥」だ。
その前に栄子さんが言う。「今やっとね、歌があってよかった、お客様に喜んでもらえる歌を歌い続けてきてよかった、と思えるようになった」
私はここで涙が出てきて、「ソーラン渡り鳥」が流れる間メガネをはずしてナプキンで涙をぬぐっておりました。
いい映画でした。
ものすごく期待して見に行って、そこそこ楽しんだのだが、評価ほどではなかったかなあ。
なんというかね、クリシェに陥る寸前で踏みとどまった、という感想を抱いた。
(cliche=クリシェ ありきたりの手法。陳腐な常套手段。 ランダムハウス英和辞典より。)
北イタリア山間部の小さな村を舞台にしたサスペンス。美少女が湖のほとりで殺され、刑事が謎をといていくうちに、複雑な人間関係が浮き彫りになっていく、というあらすじ。
山間部の村にはありえないほど官能的な美少女(しかも学業優秀&アイスホッケーのキャプテンという模範生)というところで、すでにクリシェが透けてきてご用心。なのだが、この映画が私が「おもしろい!」と感じ、見る価値あり、と思ったのは、彼女に対して男性たち(父親、先生、村人たち)が抱く「妄想」が、クリシェではないのだ。官能的であるがゆえの妄想に陥らせなかった点が、監督の力量か。
ただ惜しいのは、音楽。これがね、もうクリシェのどつぼにはまっていた。メロドラマかいっ! とツッコミを入れるのが3度。音楽なしでよかったのに。
と、いろいろ言ってしまいましたが、お金と時間をかけて見る価値はあり。
とくに、インテリアや小物の使い方がこにくらしいほどうまい。刑事、容疑者、家族、被害者それぞれの家に何が置かれていて、何を食べたり飲んだりしているか、それは見ていて感心する。人物像が壁の絵一枚、棚の置物、スープ皿にまで凝縮されている。グラス一個、テーブルクロス一つにも、計算が行き届いていてすごいです。
何度も言うけれど、それだけうまいつくりなのに、なんであの音楽なんだ?
下高井戸シネマにて観賞。
南フランスにある山間の小さなバルジャック村が、学校給食と高齢者向け宅配給食を全部オーガニックにした様子を描いたドキュメンタリー。
のっけからユネスコの会議の模様とともに「この30年間でフランスではガン患者が93%増加した」とか「精子の数が50%になった」とか統計が紹介される。その上、子供たちが食べものを食べている光景がうつるとともに「ソーセージの添加物は何々で、それから引き起こされるのは??という病気」とか出てくる。恐ろしさ満点。
だから、この村では給食をオーガニック(フランス語ではビオという)にしました~というのだ。
いや、ほんとわかる。いまの食生活がとても危険だということも、農家の人たちが農薬散布による被害を受けている、ということも、ほんとわかる。
ところが、映画としては恐怖以上に退屈がおそってきて......すみません、3回くらい寝ちゃいました。数分ですがね。数字を並べたてられるのについていけなくなりました。すみませんすみませんって誰に謝っているんだか。
日々口にするものの背後にある世界の食糧事情について、考えなくてはならないということはわかっている。添加物も加工食品も、知りませんでした、気づきませんでした、ではすまない問題だということもわかっている。
でも、「食卓に政治や思想を持ち込まない」という私の基本スタンスは、どれだけ恐ろしい数字を並べられても、この映画を見た限りにおいては変わらなかったなあ。
わかる、賛同する、すごいと思う、でも心が動かない、という映画でありました。
仕事が一段落し(ちっともしていないのだが、本人気持ちとして;くらい打った気分)、しばし地下にもぐっています。現実からの逃亡生活ですね。
何をやっているかというと、映画見たり習字やったりゲーフラつくったり友だちと飲みにいったり着物着たり本読んだりDVD見たり...ひと通りやりたいことを全部やったので、今日から仕事復帰しつつあります。今日はまじめに仕事したぞ。
さて、潜伏期間についついやってしまうのが、歴史小説を読むことです。一回読んだものを、まただらだら読む。今回は吉川英治『三国志』を赤壁の戦いまで。(いつもこのへんで止まっている気がする)
私はね、劉備玄徳より曹操のほうが好きですよ。つきあうんだったら、曹操だね。っていうか、あそこに登場する人物で、つきあいたい男って数えるほどしかいませんね。話をしておもしろい男とつきあいたいって思うんだったら、いないでしょ。
DVDは相変わらずCSI(ラスヴェガスをついに全部見終わってしまった)と、『パリ 恋人たちの2日間』をやっと見ました。
ジュリー・デルピー、やるなあ。もう笑いこけてしまいましたよ。娘と一緒に見ていたのですが、いちいち「ママ、フランス人ってほんとにこうなの? ねぇねぇ、フランスの恋ってこんな風なの?」とうるさく聞くので「そうだよっ! 恋愛までアメリカン・スタンダードじゃないの、世界は」と言っておきました。しいていえば、フランス風アムールだって、ま、笑っちゃうけれどね。一番いい味を出していたのがママンと猫のジャン=リュックだったわ。しかし、猫にゴダールの名前つけるかねぇ。それとジュリー・デルピーの服が、最初はNYっぽかったのが、だんだんパリ風に着崩した感じになっていくのがおもしろい。タクシーの運転手が全員レイシストってところも、いかにもな感じで笑えました。
パパがラパンを料理するところで、ふと『グリーンカード』を思い出しました。やっぱりね、アムールには肉食わなくちゃだめ。ずっと前にパリでごはんを食べたとき、ものすごいおしゃれなカップルが、羊を3分の1頭くらいむさぼっているところに出くわして、やっぱりなぁ、と感心しましたよ。あれこそ肉食系。
私は『アメリ』にま~るで感動しなかったので(むしろ寝そうなくらい退屈な映画だと思った)、パリを描くっていうのだったらジュリー・デルピー風コメディのほうが似合っていると思いましたです。パリって、もっとわいざつな街なんだと思う。
今夜、BSでジュリー・デルピーの『distance』をやるっていうのでさっそく録画予約しましたよ。しばしはまりそうだな。あのいやーなパリ女風のジュリーちゃんに。
ところでアジア大会予選の香港戦。結局ヤットは86分も出場しちゃったのね。そのうえ、またAFCの茶番につきあうために、清水戦のあとマレーシアに行くそうで。やれやれ。お疲れさんです。



