いよいよアメリカ大統領選挙が一週間後に迫ってきた。
オバマ優勢と伝えられているが、最後の最後までわからないだろうなあ。アメリカの人種偏見は外からは予想がつきにくい。
それにしても、私の知り合いのアメリカ人は、老若男女問わず、民主・共和どちらよりかも問わず、ブッシュ大統領のことを「史上最☆」と言っていたのに、なんで8年も政権とっちゃったんだか。
そんなアメリカ発の金融不安が、結局オバマに追い風になっているようなのだが、金融不安ってなによ、と思ったのがこないだのTV番組。アメリカでカード破産が非常に多くて、しかも年収1000万円の世帯で、車や別荘などをクレジットで買いまくってその日の食事にも困る破産者続出、というのをやっていて、驚いた。たぶん国民と同じことを、国自体がやっていたんだろうが、日本もバブルの時には似たようなことをやっていたんだから、ヨソのことは言えんが。
だけど、びっくりするのは「貯蓄をしましょう」「年収の範囲内で生活しましょう」ということを、大の大人が教会で勉強会を開いて学ぶ、ということだ。教会の牧師が「収入の1割は貯蓄に回す。8割で生活する」というと、感動している人が大勢いるんだ。なんでそんな当たり前のことに感動する! でもってそれが「神の声」だって。
日本人の貯蓄好き(別に好きじゃないだろうが)は、明日どうなるかわからない底知れぬ不安から来ているのだろうが、アメリカ人の浪費好きはどこから来ているんだ? 根拠のない未来への確信か?
年収1000万円の夫婦が「最高の車、最高の家、最高の服飾品、最高の暮らしを一度味わうともう落とせない。借金しても買ってしまう」というのを聞いて、小心者の私はその心境がわからないどころか、怖くなった。想像力が欠如しているのかな?
やたら円高・株安になり、実体経済への影響甚大と叫ばれ、現に私みたいな吹けば飛ぶような(つい最近まで、フケが飛ぶような、だと思っていた愚かな私)個人商店は、世界同時不況のただなかに真っ先に突っ込まれて沈んで行きそうでいやんなっちゃいます。考えてもしかたないので、考えないようにしていますが。でも、貯蓄はする。ちょっとでもいいから貯める。小心者だわ、さすが。
この2年半、ものすごーく忙しくて、なんかもうワケがわからなく来てしまったのだけれど、ここらでちょっと落ち着いて勉強しよう、という気になっています。何を勉強するか、はもうちょっと目鼻つくまでナイショですが、思い立ったら......の私はもう資料とか集めちゃいましたよ。そろそろ、次のステップを踏み出さないと。キャリア形成はまだまだこれからだから。
それでは、大学の授業にいってきます!
土曜日に乳房文化研究会定例会「女の服を着る男たち、男の服を着る女たち」があり、京都に行ってきました。
中国とフランスの異性装について、それぞれの文学者の先生に語っていただいたのですが、非常に興味深い話がいっぱい聞けてとてもおもしろかったです。異性の服を着る、というのは、セクシャルな動機もおおいにあるのだけれど、とくに女性の場合には「生き延びるために男の服を着るしかなかった」ということも歴史的によくあり、つぎつぎ実例をひいて話されると、そのエネルギーに力がわいてきたりしました。
日曜日はあまりにもいい天気のなかを、京都国立近代美術館で開催中の「生活と芸術―アーツ&クラフツ展」を見に行ってきました。
サブタイトルが「ウィリアム・モリスから民芸まで」。実はひそかなモリス・ファン。家の壁紙、カーテン、クッションにはモリスがデザインしたものをたくさん使っています。会場にあった壁紙に我が家と同じものを発見して興奮。大事にしよう。
イギリス→ウィーン→ドイツ→日本とつづく、生活のなかで使われるものを美しく、機能性にとんだものにしようという「運動」は、いまの日本にも根付いている、と私は思っています。これから先はどうかわからないけれど。ただ、いつの時代でも、ある程度社会全体に経済的安定がなければ、生活は美しくならない、というのはあるな。「役に立たないもの、美しくないものを身の回りにおかない」なんて言えるのは、やはり物質的に豊かであるからこそ出てくるぜいたくな発想なのかもしれません。
京都はほんのり紅葉が始まっていました。人気があまりない疎水べりの道をぶらぶら歩いていて、たまにネコに出会ったり、行燈屋さんをのぞいたり、お茶を飲んだりして、ほんと充実した週末でした。
ずっと抱えていて、締切を過ぎても終わらないでどーしよーかと思っていた仕事が、やっと終わりましたです。
ふ~。
今年は一気に来てしまって、それがやっとなんとか終わったわけですが、さて来年はどうなることやら。ちゃんと仕事ができますように! 今から心配してもしょうがないので、とりあえず目の前の仕事を一つひとつ片付けるしかない。
で、きのうNHK特集「病の起源」でやっていた「読字障害」の話。前回の腰痛に続いて、今回もおもしろかったです。
なぜ文字が読めないのか、という説明で非常に興味深かったのが、目で見た文字を、視覚から一回音に変えて脳が認識する、というくだりでした。
これ、翻訳のときに私がいつも感じていること。
原書を読むとき、声に出して読まないとイメージが浮かんでこないことがよくあるのです。
文字を追いかけている(黙読)だけで意味がとれず、文法的に分解したり、辞書をひきまくったり、資料にあたってみてもラチがあかないとき。私は音読してみます。すると「なーんだ、そういうことか!」と膝を打つことがしょっちゅう。っていうか、音読して初めて情景がはっきり浮かんで、それまで黙読でやっていた部分のまちがいまで見つけられることさえあります。
視覚と聴覚、言葉のとらえ方がどうちがうのだろう、とつねづね不思議に思っていたのだけれど、そうか、人は脳のなかで一度音読しているわけね。(そういう場合に音読、というのが正しいかどうかわからないけれど、でも聴覚野にいったん行くんだそうだから、やっぱり音読?)
音に変えて読んでいるのと、耳で自分の声を聞いて読むのと、それまた脳はどう区別しているのだろうか、と考えたりして。
声に出して読む、というのは斎藤先生も推奨していらっしゃいますが、とくに外国語を理解するうえではすごーく重要だと思います。声に出してはじめてわかることも多い。
昔、フランスでベルグソンを読まされたとき、ちんぷんかんぷんで頭のなかに「????」がともっていたとき、フランス人の友人と一緒に声に出して読んで、彼女の説明を聞いたら、眼の前から霧が晴れるように理解できたことがありました。
日本語として理解しようとするとむずかしかったけれど、フランス語で書かれたものを読み上げて、自分の耳で聞いてみると「あー、そういうことだったのか!」とわかってしまう。
ちなみに、それを日本人に日本語で説明しようとしたら、まったくダメでした。フランス語では説明できたのに。
つまりは理解していないってことかな。
それはともかく、外国語が苦手、という方にはぜひ「声に出して読む」ことをお勧めしたいです。
何回も読んでいるうちに、きっと上達しますって!
読むものはなんでもいいけれど、私が結構気に入っているのはNHKBSの「ABCニュースシャワー」。字幕が出るので、アナウンサーと一緒に音読すると、自分の英語のヘンさがよくわかってイタ恥ずかしく、いいです!
最近のニュースに頻出する単語が取り上げられるから、時事英語の勉強にもなるし。
夕飯はカレーにしよう。



