スリランカから帰国したら、ガンバからACL優勝記念DVDなるものが届いていたので、荷ほどきももどかしく観賞しました。
......いや驚いたね。
去年の3月くらいのガンバって、こんなにひどかったんだ。
ヘタ。連携がどうのとかいう以前の問題。チームになってない。よくこんなチームで優勝できた。
点が入るのは偶然でしかないし、勝ったのもたまたま運がよかったから。
っていうか、運>>>>実力としか思えない、グループステージのガンバの戦いっぷり。(なんとなく、バレーが足を引っ張っていたような気がして...ごめん)
それがどうにかサマになってきたのが、9月に入って行なわれた決勝トーナメントから。
とくに万博で行なわれた、準々決勝第2戦、VSシリアのアル・カラマ戦は、意図をもったパス回しができていて、守備もきっちり連携がとれていて、3月のころのチームとは別モノでした。
最後にはぼろぼろになりながら戦った天皇杯決勝まで入れてくれてるのですが、チームが同じ方向を向いて、for the teamとして戦っているのがよくわかる試合内容で、あらためて「3月から9月までキャンプだったんですか?」と思いましたよ。このときになってやっと、実力>>>>>>運で勝利をつかめてました。
このDVDはもちろん優勝の感動を味わうために購入したのですが、見終わったあとに思ったのは、これはチームができあがっていって、1つの完成形になるプロセスを見る、という意味で興味深い内容だ、ということです。
Making of 2008 Perfect Gamba......って感じでしょうか?
サッカーはピッチ上の11人だけでなく、サブをはじめとする全選手、監督、スタッフ、そしてサポーターも全員で『勝利』を願ってはじめて勝利の女神はほほえんでくれるんだ、としみじみ思いました。
だからね、キャンプ中のガンバが練習試合で大宮や甲府に負けようが、期待のFW,チョ・ジェジンとレアンドロがケガして開幕が厳しそうだろうが、ええ、ええ、私はあせりませんよ(負け惜しみ)
今年のガンバは、また2009年バージョンの完成形を見せてくれそうな気がするから。
楽しみやなあ。
(あ、でも、もしかしてサポーターに「ガマンして見てくれやー。最初はスタートダッシュできへんから」と言いたいがために、この時期にこういう内容のDVDを送ってきたのか???)
スリランカの人は7割が仏教徒で、残りがムスリムとヒンズー教徒、ほんの少しキリスト教徒もいる、と聞いた。スリランカにもともといたシンハラ人と、南イ ンドから侵略してきたタミル人との間には千年にわたる対立がある。最近も「タミルの虎」なるテロ組織による自爆テロが起こった。だからコロンボ市内だけで なく、田舎のほうにもそこいらじゅうに兵士が立ち、車を止めて検問があった。(「タミルの虎」は今北のほうに押し込められて、いよいよ最後を迎えようとし ているとか。だから、今はとても安全だ、とスリランカの人たちみんなが念を押してました)
だ
が、民族的対立はあっても、宗教的な対立はない。少なくとも、現地の人は「それはないねー」と言っていた。おもしろいのは、首都コロンボ郊外の大きい交差
点で、四つの角にそれぞれ仏像、ガネーシャ像(ヒンズー)、マリア像とモスクが立っていたことだ。こういうのを「宗教の共存」っていうのでしょうかね。
それはともかく、山の上とか田圃の真中とかに唐突に出現する真っ白な仏像のお顔が、どう見てもシンハラ人にも、お釈迦様のインド人にも見えず、どちらかと
いえば中国人に近い容貌に見えることだ。もし仏様のお顔がスリランカの「イケメン基準」とすると、スリランカにはイケメンは一人もいないことになる。
ガイドのスニルさんに「イケメンがいたら写真を撮りたいので車を停めてください」と頼んだのだが、ついに車は一度も停まらなかったww。
ビルボードに登場するモデルらしき男性たちは色が白く、どこか西欧人っぽい顔で、スリランカ男子らしさを感じない。なんかすかしている(死語)ので、私の好みじゃない。それじゃどんな顔がいいのか、と言われると困るんだけれど。
成人男性ではよくわからなかったが、アンダー10くらいの男の子たちはかわいかった。とても親日の国なので、誰もが気軽に「ハロー」と声をかけてくれる。 とくに男の子たちはにまにましながら近づいてきて、目が合うとちょっとはにかみながら「ハロー」と元気よく挨拶する。私が「ハーイ!」というと、もう大興 奮。ぱーっと走っていって仲間に「あっちにヤーパンのオンナの人がいて、ハーイって言った!」(想像)というと、10人くらいで駆け戻り、それからは「ハ ロー」「ハロー」「ハロー」の大合唱。かわいい! 私は握手攻めでもみくちゃにされてたいへんだったけれど。
車の窓を開けて写真を撮っていたら、学校帰りの男の子が楽しそうに声をかけてきたのでパチリ。今回の旅で出会った一番のイケメンかも。
スリランカにたどり着く前に、モルディブに寄った。モルディブはインド洋に浮かぶ26の環礁と、そこにある1200以上の島からなる「島国」である。空港は首都のマレ市にあり、マレ島とすぐそばにあるヴィンリギ島に行政府がおかれ、そこにはビルも立っている(らしい。空港から見えた)。
国民の約半分が第一次産業である農業(ココナッツヤシや果物栽培)と漁業(カツオ漁だそうだ)に従事しているが、この国の経済を支えているのはなんといっても観光である。エメラルド色の海、真っ青な空、真っ白の砂浜、風にそよぐヤシ、一年を通して30度以上の熱帯。治安もよい(2007年に爆破事件があって、日本人も含めて死亡者が出たそうだが)。リゾート産業が成り立つのにこれ以上の立地はない。国民の99%がムスリムで、ぜったい禁酒。だが、観光客のためにリゾート内限定で販売されている。国が観光客誘致にかける熱意には並々ならぬものがある......ような気がした。
私たちが行ったのはヴァビンファルという北マレ環礁にある小さな島のリゾートだ。一周ゆっくり徒歩でまわって15分。まっすぐ突っ切れば3分。そこに49棟のコテージが立っている。12歳以下は宿泊できないので、全部大人カップル。私たちが滞在していたときには、3分の2が欧米人で、とくに多かったのがフランス人。年齢層は20代後半から30代はじめの新婚と、アッパー50の老人に足を踏み入れた人たちにくっきり分かれていた。
エメラルドの海と白い砂浜を眺めながら、ヤシの木陰でハンモックに揺られて読書した。こう書くと「わー、ステキ」と思われるかもしれない。ところが、私がそのとき感じていたのは、おしりがむずむずするような気恥かしさである。
いやはや、完璧なリゾートってなんでまたこう気恥ずかしいんでしょうね。もっと言えば、こっぱずかしい。いたたまれない。1日目はまだいい。だが、2日目に夕陽を見ながらシャンパンを飲む、なんていう企画にのっかっている自分が、たまらなく恥ずかしい。
しかも、だ。こちらがハンモックに揺られながら「チャイルド44」というスターリン圧政下で起きた大量殺人事件のミステリーなんかを読んでいると、隣のコテージの新婚カップルが、浜辺を2人で走り、水をかけあって「キャーやめてよ」「そらそら」「もうイヤーン」キャッキャッキャッとはしゃぐ。韓国ドラマも真っ青なロマンチック・シーンだ。思わず目をそむけてちがう方を見ると、水着がたるんだ肉の間に埋もれてしまって、一見裸みたいな老年カップルが、ふーふーと鼻息荒くのしのし歩いている。これまた、別の意味で目のやり場に困る。
昼時、舞台背景のような、というか、風呂屋の書き割りのような景色のなかで、話すこともなくなった中高年夫婦(→私らのこと)は、ひたすらメシ(これは毎回うまかった!)を食い、周囲の会話に耳をそばだてる。
ある日、隣のテーブルに座ったフランス人の美形カップルに思わず注目した。なんせ、その島ではめずらしく美しく、サマになっている2人なのだ。日焼けした肌を黒のバミューダに白いシャツ、ホルターネックのミニドレスなんかでキメたりしてね。ところが、この2人、あきあきした様子で(フランス人だからか?)、周囲の人たちのようにはしゃぐことがない。飽きているのはお互いに? それともリゾートに? 会話はほとんどなく、目を合わすこともなく、海を見ることすらなく、ひたすら食っている。
男(美形)が女の方に目を向けもせず、皿に向かってぼそっと聞いた。
「今日の午後、何する?」
女(超美形)が焼肉を切りながらそっけなく答えた。
「私、本読む」
男、しばらくつけあわせの野菜をフォークでいじくりまわした挙句「ほんじゃオレ、寝るわ」
女、おもいっきりそっけなく「あ、そ」
その後席を立つまで、2人は口をきくことがなかった。
わかるなぁ、その感じ。気押されちゃったんだよね、海と空に。そしてこれでもかと迫ってくるリゾート演出に。
でも、たぶん思いっきりはしゃいじゃうか、ひきこもって読書や昼寝に走るのが、リゾートの正しい2方向の過ごし方なんだと思う。
私たち? 夫は部屋のなかでパソコンをいじくりまわして過ごし、私は本を読んでました。日本にいるときとまったく変わらない。うん、まあ、スキューバダイビングやシュノーケリングもやりましたけれどね。クマノミかわいかったけれどね。
気恥ずかしいなんて言ってられない情熱的カップルか、気恥ずかしさなど超越して天上の楽園のほうが間近に迫ってきている老人か。モルディブはどっちかじゃないとこっぱずかしいところだ。そのこっぱずかしさをじっくり味わうのも、ま、オツなもんですが。
写真を撮るのがおそろしくヘタな私も、デジカメで適当に数を撮って、あとで加工とかしてごまかしてここにアップしたりしています。でも基本的に写真を撮るのは嫌いです。撮られるのも好きではないけれど、いやだいやだと逃げ回るほどではありません。
デジカメつきケータイが当然の仕様になり、高性能高機能のデジカメが比較的お手頃価格で手に入るようになり、それこそ誰も彼もが何かと写真に撮ったり撮られたりするようになり、私もご多分にもれずデジカメを持ち歩くようになり......はっきりわかったのは、写真つきケータイとかデジカメとかは、私から「見る力」をうばってしまった、ということです。見ることだけでなく、五感のすべてが安直カメラのせいで感度が落ちています。そうでない人もいるのでしょうが、私はダメだなあ。
それにまた、よほどのことがないかぎり私は撮影した画像をほとんど見返しません。先日、ケータイを機種変更したのですが、カメラ機能がこわれて1年近く使えなくなっていても何の不自由もありませんでした。
五感を働かせること。意識的に働かせること。カメラのレンズではなく、自分の目で見ること。
所詮、デジカメばかりでなく、カメラには写せない、残せないものを私は見たり、聞いたり、かいだり、感じたり、考えたりしたいはずなのだから。
記録より、記憶に残さないと、経験なんつーのは何の意味もないだろうなあ。



