ものすごく期待して見に行って、そこそこ楽しんだのだが、評価ほどではなかったかなあ。
なんというかね、クリシェに陥る寸前で踏みとどまった、という感想を抱いた。
(cliche=クリシェ ありきたりの手法。陳腐な常套手段。 ランダムハウス英和辞典より。)
北イタリア山間部の小さな村を舞台にしたサスペンス。美少女が湖のほとりで殺され、刑事が謎をといていくうちに、複雑な人間関係が浮き彫りになっていく、というあらすじ。
山間部の村にはありえないほど官能的な美少女(しかも学業優秀&アイスホッケーのキャプテンという模範生)というところで、すでにクリシェが透けてきてご用心。なのだが、この映画が私が「おもしろい!」と感じ、見る価値あり、と思ったのは、彼女に対して男性たち(父親、先生、村人たち)が抱く「妄想」が、クリシェではないのだ。官能的であるがゆえの妄想に陥らせなかった点が、監督の力量か。
ただ惜しいのは、音楽。これがね、もうクリシェのどつぼにはまっていた。メロドラマかいっ! とツッコミを入れるのが3度。音楽なしでよかったのに。
と、いろいろ言ってしまいましたが、お金と時間をかけて見る価値はあり。
とくに、インテリアや小物の使い方がこにくらしいほどうまい。刑事、容疑者、家族、被害者それぞれの家に何が置かれていて、何を食べたり飲んだりしているか、それは見ていて感心する。人物像が壁の絵一枚、棚の置物、スープ皿にまで凝縮されている。グラス一個、テーブルクロス一つにも、計算が行き届いていてすごいです。
何度も言うけれど、それだけうまいつくりなのに、なんであの音楽なんだ?
下高井戸シネマにて観賞。
南フランスにある山間の小さなバルジャック村が、学校給食と高齢者向け宅配給食を全部オーガニックにした様子を描いたドキュメンタリー。
のっけからユネスコの会議の模様とともに「この30年間でフランスではガン患者が93%増加した」とか「精子の数が50%になった」とか統計が紹介される。その上、子供たちが食べものを食べている光景がうつるとともに「ソーセージの添加物は何々で、それから引き起こされるのは??という病気」とか出てくる。恐ろしさ満点。
だから、この村では給食をオーガニック(フランス語ではビオという)にしました~というのだ。
いや、ほんとわかる。いまの食生活がとても危険だということも、農家の人たちが農薬散布による被害を受けている、ということも、ほんとわかる。
ところが、映画としては恐怖以上に退屈がおそってきて......すみません、3回くらい寝ちゃいました。数分ですがね。数字を並べたてられるのについていけなくなりました。すみませんすみませんって誰に謝っているんだか。
日々口にするものの背後にある世界の食糧事情について、考えなくてはならないということはわかっている。添加物も加工食品も、知りませんでした、気づきませんでした、ではすまない問題だということもわかっている。
でも、「食卓に政治や思想を持ち込まない」という私の基本スタンスは、どれだけ恐ろしい数字を並べられても、この映画を見た限りにおいては変わらなかったなあ。
わかる、賛同する、すごいと思う、でも心が動かない、という映画でありました。
仕事が一段落し(ちっともしていないのだが、本人気持ちとして;くらい打った気分)、しばし地下にもぐっています。現実からの逃亡生活ですね。
何をやっているかというと、映画見たり習字やったりゲーフラつくったり友だちと飲みにいったり着物着たり本読んだりDVD見たり...ひと通りやりたいことを全部やったので、今日から仕事復帰しつつあります。今日はまじめに仕事したぞ。
さて、潜伏期間についついやってしまうのが、歴史小説を読むことです。一回読んだものを、まただらだら読む。今回は吉川英治『三国志』を赤壁の戦いまで。(いつもこのへんで止まっている気がする)
私はね、劉備玄徳より曹操のほうが好きですよ。つきあうんだったら、曹操だね。っていうか、あそこに登場する人物で、つきあいたい男って数えるほどしかいませんね。話をしておもしろい男とつきあいたいって思うんだったら、いないでしょ。
DVDは相変わらずCSI(ラスヴェガスをついに全部見終わってしまった)と、『パリ 恋人たちの2日間』をやっと見ました。
ジュリー・デルピー、やるなあ。もう笑いこけてしまいましたよ。娘と一緒に見ていたのですが、いちいち「ママ、フランス人ってほんとにこうなの? ねぇねぇ、フランスの恋ってこんな風なの?」とうるさく聞くので「そうだよっ! 恋愛までアメリカン・スタンダードじゃないの、世界は」と言っておきました。しいていえば、フランス風アムールだって、ま、笑っちゃうけれどね。一番いい味を出していたのがママンと猫のジャン=リュックだったわ。しかし、猫にゴダールの名前つけるかねぇ。それとジュリー・デルピーの服が、最初はNYっぽかったのが、だんだんパリ風に着崩した感じになっていくのがおもしろい。タクシーの運転手が全員レイシストってところも、いかにもな感じで笑えました。
パパがラパンを料理するところで、ふと『グリーンカード』を思い出しました。やっぱりね、アムールには肉食わなくちゃだめ。ずっと前にパリでごはんを食べたとき、ものすごいおしゃれなカップルが、羊を3分の1頭くらいむさぼっているところに出くわして、やっぱりなぁ、と感心しましたよ。あれこそ肉食系。
私は『アメリ』にま~るで感動しなかったので(むしろ寝そうなくらい退屈な映画だと思った)、パリを描くっていうのだったらジュリー・デルピー風コメディのほうが似合っていると思いましたです。パリって、もっとわいざつな街なんだと思う。
今夜、BSでジュリー・デルピーの『distance』をやるっていうのでさっそく録画予約しましたよ。しばしはまりそうだな。あのいやーなパリ女風のジュリーちゃんに。
ところでアジア大会予選の香港戦。結局ヤットは86分も出場しちゃったのね。そのうえ、またAFCの茶番につきあうために、清水戦のあとマレーシアに行くそうで。やれやれ。お疲れさんです。
入稿したら見に行こう、とそれが楽しみだった映画。
きのうやっと吉祥寺バウスシアターにて観賞。
今季、まちがいなくNO1の傑作!
映画のラスト10分、私は知らないうちに泣いていて、くもるメガネをふきつつタイトルロールの最後まで楽しませてもらった。
(以下ネタバレ)
カナダ、トロントで結成されたヘビメタル・バンド、ANVIL(アンヴィル。金床という意味)は、1982年にリリースされたアルバム『メタル・オン・メタル』がややヒットしたくらいであとは鳴かず飛ばず。メタリカ、スレイヤー、アンスラックスといったほかのヘビメタ・バンドが成功して「大物」になっていくかたわら、「売れる!」とか「成功!」とか華々しさとは縁遠いまま、バンド結成30年以上たち、いまだに現役である。
映画は、アンヴィルの中核であるギター&ヴォーカルのスティーヴ・"リップス"・クドローと、ロブ・ライナー(ドラム)の2人の今を追いかける。2人は地元で14歳のときから音楽を通じて知り合い、バンドを結成してすでに36年もたつ。映画の最初のほうで、昔、ロブが住んでいた家の前で語る2人のシーンがある。
「ここの地下でロブはドラムをたたいていたんだ。スピーカーを外に向けてわざと聞かしていたんだよな。頭おかしいんじゃないかと思った。あんな大音響で毎日毎日。しかも好きなバンドはって聞いたら、カクタスとかいうんだぜ」というリップス。ロブはにやにやしながら「うんうん」とうれしそうにうなずく。2人とも14歳からまったく変わっていないにちがいない。(頭は薄くなり、腹は出ているが)
ロブもリップスもユダヤ系移民で、ロブのお父さんは終戦まで収容所にいたそうだ。戦争中は生きるためにはなんでもした、というお父さんとお母さんは、息子が「やりたい」ということをなんでもやらせて、たとえそれが自分たちには理解ができないヘビメタであっても、喜んで応援してくれたそうだ。
一方、リップスの家庭はユダヤ系らしくみんなお勉強がよくできることに評価が高く、ヘビメタに夢中になって高校を中退したリップスに両親もほかの兄弟姉妹も批判的。ほかの子供たちのエスタブリッシュ度がすごいんだわ。会計士とか医者とか会社社長とか...。裸にボンデージで、ヴァイブでギターを弾く弟にみんな戸惑い気味。会社社長とかいう弟は、いかにもなきちんとした服装で「アーティストだからね、もうこちらの常識は通じないんだよ」とかあきれ顔で言う。その前に「リップス、地元のバーで50歳の誕生日を祝う」なんてシーンがあって、リップス自身が長髪(後ろがややハゲ気味)をふりみだしてギターを演奏し、「魂の叫び」を吠える! いや、兄弟でこの格差は笑うしかないだろ。
14歳のときから音楽への情熱を燃やし続けて、必死になっている2人のひたむきな姿は、ひたむきであるほどおかしみを増す。周囲から「もうやめたら?」「いまさらヘビメタじゃないだろ。今の音楽シーンに合わない」「ほかにやることがあるんじゃないの(もう50歳なんだからさ)」というしごくまっとうで親身(w)な意見に揺らぎ、落ち込む2人。それなのに、ツアーの申し出があると飛び上がり、有名プロデューサーにアルバムの話を持ちかけられると顔を輝かす。その姿が無性にせつなく、失笑させられる。
妻や子供たちの支えがすばらしい。リップスの奥さんが「彼は本当に家族のことを考えていて(ここで私はツッコム。家族のことを考えていたら、一銭の稼ぎにもならない欧州ツアーなんて行かないだろ!)子供の面倒も見てくれるの。だから私は応援したいし...」と言ったところで、奥さんの頬に涙が伝う。「あれ? 私なんで泣いちゃってるのかしら」とかいうんだけれど、いや、泣いてしまう気持ちよくわかりますです。またロブの奥さんがレストランでパートに出ているシーンもあって「ほんと、私は辛抱強い妻だと思うわ」とかいう。「本当はやめてほしいと思うことも多いのよ。いろいろあるから。でも、つぎは成功するかもしれないじゃない。結局私も成功したロックスターの妻にあこがれてるのかもね」という気持ちも、ほんとわかりますです。
なかで私がもっとも感動したのがリップスのつぎの言葉。
「おれたちは復活したんじゃない。ずーっと現役なんだ」
「現役」のプロミュージシャンを(30年間も成功なしで)続けていくことは、並大抵のことじゃない。もしかしたら、今まで成功していなかったからこそ、30年間も現役でいられるのかもしれない。それでも、一度おいしい目を見て、いったんやめてから「またあの栄光を味わいたい」と「再結成」とか「復活」するミュージシャンが、えらくさもしく思えた。
いろいろ仕事をやってみたけれど、「結局これしかできない」という人がいる。天職と言うと聞こえはいいけれど、そんなかっこいいものじゃなく、ほかの何をやってもまったく能力がなくて無理、という不器用な人なのだ。現にリップスは、アルバムを制作する金を稼ごうとセールスの仕事をするのだけれど、社長から「マニュアル通りにやればいいんだ」と言われても、それがまったくできない。
融通が利かない。不器用。ヘタクソ。そういう人は、それ以外できない一つのことを生涯現役で貫くしか、生きていく道はないのだ。実は私もちょっとそういうところ(不器用、ヘタクソ、できることが少ない)、『アンヴィル』には本当に共感したし、励まされはしなかったけれどw、心が動いた。
最後に。
ヘビメタなんて......ドキュメンタリーなんて......売れないミュージシャンなんて......と敬遠しているそこのあなた。
これ見逃すと、2009年は損しますよ!
このブログ(その前はHPだった)を始めた2000年に、私は「やりたいと思っていることは、まずやってみる」と決めました。子供たちも大きくなって自分の世界を見つけ、両親の介護もまだ大丈夫。夫は夫で楽しそうにやっている(ように見える)。もう「いいわけ」はないわけです。別に「いいわけ」じゃないのだけれど、やりたいことをやろうとしたとき、「子供が...」「夫が...」「家事が...」「親が...」と先にいいわけを探して「何も今やらなくてもいいか」と自分でやめていました。最大のいいわけは「仕事が...」なんだけれど、幸いにして私の仕事はある程度自分で時間配分ができる(できないことも多いが、まあ、それはそれとして)ので、それもいいわけにしない。
だから、サッカーをやりたいと思ったらやってみて、書道をやってみたいと思ったらやってみる。でもって、やる以上はとことんやってみよう、と思うわけです。そうじゃなきゃおもしろくならないしね。今は書道にハマっちゃったかな~。こんなにおもしろいとは思わなかったですよ。しかもこんなに体力を使うとは知らなかったですよ。慣れないからか、書くと筋肉痛なんですが(しかも内転筋が痛い)。書道、奥が深い。相当楽しめそうだわ。今では週2回教室に通い、家でも書き、墨のにおい漂うところでごろ寝したりしています。
それはさておき、いくらやりたいことをやる、とか言っても、家事はあるし(一応主婦だし)、仕事はもちろんあるし(ここ数年は異常に忙しいし)、つきあいもある。そのなかでどうやって時間とお金を工面するかが問題なのですが、最近私が心しているのがつぎの3つ。
1)ある程度規則正しい生活を送る
2)「やりたいこと」はやりたいときにすぐやる
3)「やりたくないこと」をやらない
1)は言うまでもないこと。起床時間、就寝時間を決めて、その間の時間配分を決めておかないと、やりたいことをやる時間がとれません。それで1日何をやるか決めたら、それを書き出してPCにはり、時間配分します。「今日は○ページ訳すのに5時間、原稿に3時間」と時間を決めたら、その時間内にできるだけ集中する。だから、ときには電話もとらず、メールもみないし、ネットもつながない。(いつもではありませんが)
2)は、優先順位ですね。ときと場合によりますが、私のなかでは、仕事>やりたいこと>家事という優先順位がついていて、どれだけやりたくても、締切最優先。でも、家事はゴミ捨て以外は、とくに期限があるわけでもないので先にやりたいことをやる、それしかない。
でもって、実は3)が一番むずかしい。やりたくないことって、やらなくてはならない、もしくはやらなくてはならないと自分で思い込んでいることが多い。それをどこまで切り捨てられるか、です。やりたくないっていうのは言い過ぎで、やらなくちゃと思っているけれど、別にやらなくてもいいこと、と言ったほうがいいかも。
そういうわけで、とりあえず一つ締切をクリアしたいま、さーて、お習字やっちゃおう!



