活字中毒患者です。朝15分読まないと起き上がれない。最低1時間読まないと眠れない。夢中になって読んだ本を教えずにいられない。おもしろい本、 常時募集中!
『ヴァギナ・モノローグ』
イヴ・エンスラー著
岸本佐知子訳
白水社
今週末に「性を語る」という座談会に出席することになっていて、錚々たるメンバーを見てくらくらきているところです。
何を語ればいいのか......たぶん99%聞き役になりそう。圧倒されそう。
で、最近読んだ性にまつわる本を探していて、一番印象に残ったのがこの本。
イヴ・エンスラーは劇作家で詩人。ヴァギナについて200人の女性にたずねたインタビューをもとに「一人芝居=モノローグ」を書き、1996年からソーホーの劇場で上演しました。その舞台は大あたりで、賞もとり、いまも世界中でロングランを続けています。
この本はその作品をもとに、エンスラーがインタビューした女性たちのエピソードやヴァギナについてのさまざまな問いかけとその答え、新聞記事のクリッピン グなどを集めたもの。断片的なものが連なっているのですが、読みとおすとそこから浮かび上がってくるのは、女性の「性」について真正面から(あまりにも真 正面から)対峙したときの素直な感動です。フェミ的立場からだったり、恋愛がらみだったり、思春期や妊娠や更年期といった婦人科系の話だったりすることは あっても、ごくふつうにヴァギナと対峙することは女性にはないんじゃないでしょうか?
対峙して「感動」なんてあるのか? という人こそ、この本を読んでほしいと思います。
たぶん男性たちはあまり感動しないと思う......っていうか嫌いなんじゃないかな。そもそも男性は「対峙するのは、男だけに任せといてほしい」とか言い出しそう。
それはともかく、そういや渋谷のブックファーストでこの本を買ったとき、レジカウンターの若い男性の店員さんの手が一瞬留ったような気がしたのは私の気のせいでしょうか? たぶん気のせいね。
今日は次女の誕生会で、お友だちの若いきれいなお嬢さんたちがどっといらっしゃいました。パーティーのメイン料理はコート・ダニョー。ケーキも果物を満載したのをつくりました。20歳。ぱーっと花開くような年齢ですね。
イヴ・エンスラー著
岸本佐知子訳
白水社
今週末に「性を語る」という座談会に出席することになっていて、錚々たるメンバーを見てくらくらきているところです。
何を語ればいいのか......たぶん99%聞き役になりそう。圧倒されそう。
で、最近読んだ性にまつわる本を探していて、一番印象に残ったのがこの本。
イヴ・エンスラーは劇作家で詩人。ヴァギナについて200人の女性にたずねたインタビューをもとに「一人芝居=モノローグ」を書き、1996年からソーホーの劇場で上演しました。その舞台は大あたりで、賞もとり、いまも世界中でロングランを続けています。
この本はその作品をもとに、エンスラーがインタビューした女性たちのエピソードやヴァギナについてのさまざまな問いかけとその答え、新聞記事のクリッピン グなどを集めたもの。断片的なものが連なっているのですが、読みとおすとそこから浮かび上がってくるのは、女性の「性」について真正面から(あまりにも真 正面から)対峙したときの素直な感動です。フェミ的立場からだったり、恋愛がらみだったり、思春期や妊娠や更年期といった婦人科系の話だったりすることは あっても、ごくふつうにヴァギナと対峙することは女性にはないんじゃないでしょうか?
対峙して「感動」なんてあるのか? という人こそ、この本を読んでほしいと思います。
たぶん男性たちはあまり感動しないと思う......っていうか嫌いなんじゃないかな。そもそも男性は「対峙するのは、男だけに任せといてほしい」とか言い出しそう。
それはともかく、そういや渋谷のブックファーストでこの本を買ったとき、レジカウンターの若い男性の店員さんの手が一瞬留ったような気がしたのは私の気のせいでしょうか? たぶん気のせいね。
今日は次女の誕生会で、お友だちの若いきれいなお嬢さんたちがどっといらっしゃいました。パーティーのメイン料理はコート・ダニョー。ケーキも果物を満載したのをつくりました。20歳。ぱーっと花開くような年齢ですね。
「モンテ・フェルモの家」
ナタリア・ギンズブルグ著
須賀敦子訳
ちくま文庫
一気に読み終えました。教えてくださってありがとう>Matsunoさん。
同じ著者・訳者の「ある家族の会話」もすばらしい作品・すばらしい訳なのですが、こちらもすばらしかった。
60年代、モンテ・フェルモ(不動の山、という意味)にあるマルゲリーテの館に集まっていた若者たちが、中年になって自由奔放の生きてきた青春時代の代償を払いながら生きていく、と、簡単にいってしまえばそういう内容の小説です。
書簡集で書かれているので、人間関係が最初つかみにくい。何人もが複雑に関係しあっていて、感情も絡み合うのですが、キーワードは「モンテ・フェルモの 家」です。彼ら彼女らが青春を送ったその場がずっとありつづけるはずだったのに、がらがらとくずれていってしまう悲劇が描かれます。
主人公は2人の男女。
イタリアでの生活をすべて捨てて、ローマの家も売って、アメリカの兄のところに身を寄せようとするジュゼッペ。
マルゲリーテの館で暮らしているルクレティアは、ピエロという夫と結婚生活を送り、4人の子どもをもうけているが、ジュゼッペと一時期愛人関係にあったという女性。
2人にからむのが、ジュゼッペが誰かに産ませたけれどいっさい面倒を見なかった息子。ルクレティアと不倫する男。その男の愛人。みんなの面倒を一手に引き受ける母性愛に満ちた女性。
ほかにもいろいろ出てくるのですが、全員が「ここではないどこかに自分の居場所があるはずだ」と思いこんでいる。それが悲劇の元凶です。
ジュゼッペはそう思ってアメリカに行くし、ルクレティアはそう思ってモンテ・フェルモを捨ててローマに行く。
でも、どこにも彼らの居場所はないのです。
居場所をつくるんは「家」という物理的空間ではない。
「家族」という関係性でもない。
どんなに退屈であっても、わずらわしくても、自分で「居場所」をつくって、そこに責任を負わねば「居場所」に落ち着けないのです。
でも、いい歳をして誰もそれに気付かない。というか、気づきたくない。
読み終わって、なんだかとても哀しくなりました。
デラシネ、という言葉が浮かびました。
読後、どうしても須賀さんの翻訳がもっと読みたくなって、また「マンゾーニ家の人々」を引っ張り出してきています。
ナタリア・ギンズブルグも、イタリアの詩人のサハも、ユルスナールも、須賀さんがいなければ私は知り合えなかった。
あらためて須賀さんのすごさを感じました。
夕飯は豚汁、ほうれん草のたまごとじ、お寿司
ナタリア・ギンズブルグ著
須賀敦子訳
ちくま文庫
一気に読み終えました。教えてくださってありがとう>Matsunoさん。
同じ著者・訳者の「ある家族の会話」もすばらしい作品・すばらしい訳なのですが、こちらもすばらしかった。
60年代、モンテ・フェルモ(不動の山、という意味)にあるマルゲリーテの館に集まっていた若者たちが、中年になって自由奔放の生きてきた青春時代の代償を払いながら生きていく、と、簡単にいってしまえばそういう内容の小説です。
書簡集で書かれているので、人間関係が最初つかみにくい。何人もが複雑に関係しあっていて、感情も絡み合うのですが、キーワードは「モンテ・フェルモの 家」です。彼ら彼女らが青春を送ったその場がずっとありつづけるはずだったのに、がらがらとくずれていってしまう悲劇が描かれます。
主人公は2人の男女。
イタリアでの生活をすべて捨てて、ローマの家も売って、アメリカの兄のところに身を寄せようとするジュゼッペ。
マルゲリーテの館で暮らしているルクレティアは、ピエロという夫と結婚生活を送り、4人の子どもをもうけているが、ジュゼッペと一時期愛人関係にあったという女性。
2人にからむのが、ジュゼッペが誰かに産ませたけれどいっさい面倒を見なかった息子。ルクレティアと不倫する男。その男の愛人。みんなの面倒を一手に引き受ける母性愛に満ちた女性。
ほかにもいろいろ出てくるのですが、全員が「ここではないどこかに自分の居場所があるはずだ」と思いこんでいる。それが悲劇の元凶です。
ジュゼッペはそう思ってアメリカに行くし、ルクレティアはそう思ってモンテ・フェルモを捨ててローマに行く。
でも、どこにも彼らの居場所はないのです。
居場所をつくるんは「家」という物理的空間ではない。
「家族」という関係性でもない。
どんなに退屈であっても、わずらわしくても、自分で「居場所」をつくって、そこに責任を負わねば「居場所」に落ち着けないのです。
でも、いい歳をして誰もそれに気付かない。というか、気づきたくない。
読み終わって、なんだかとても哀しくなりました。
デラシネ、という言葉が浮かびました。
読後、どうしても須賀さんの翻訳がもっと読みたくなって、また「マンゾーニ家の人々」を引っ張り出してきています。
ナタリア・ギンズブルグも、イタリアの詩人のサハも、ユルスナールも、須賀さんがいなければ私は知り合えなかった。
あらためて須賀さんのすごさを感じました。
夕飯は豚汁、ほうれん草のたまごとじ、お寿司
おもしろかった本、ほかに3冊ほど。
『生物と無生物のあいだ』福岡伸一著 講談社現代新書
駅構内の書店に平積みされているベストセラーは基本的に読まない(読みたくない)のですが、その日、新幹線新大阪駅で「読む本がない!」ことに気づいて、時間がなかったので大急ぎで買ったのがこの本。
で、たーいへんにおもしろく、2時間あっという間でした。
分子生物学という、私には理解不能なはずの学問を、これだけおもしろく惹きつけて読ませる力量はたいしたもんだ。
生命とは何か?
生きていく、とはどういうことなのか?
それまで考えたことがなかった視点から「生」を考えるヒントを与えられました。
分子生物学を理解したかどうかはともかく、考え方として学ぶ点が多々ありました。
『越境のとき--一九六○年代と在日』鈴木道彦著 集英社新書
この日記にも書いたのですが(2007年6月7日付)、衝撃を受けた本の1冊でした。
フランス文学者で、プルーストの訳者である鈴木氏が、人生の大半にわたってかかわってきた在日の問題を語っていらっしゃいます。
「か かわる」とはどういうことなのか? という命題をつきつけられた本でした。そうか、「かかわる」の反対語は「逃げる」なんだ、と気づきました。「かかわ る」ことのたいせつさと、「逃げる」ことの卑怯さ。自分はそれがちゃんとわかっているのだろうか、としばし問いかけます。
読んでほしい本の一冊。
『ユルスナールの靴』須賀敦子著 河出書房文庫
マルグリット・ユルスナールの評伝ともエッセイともつかない本で、今年読み返した須賀氏の本(アントニオ・タブッキとナタリア・ギンスブルグの訳書もふくめて)のなかで、一番心を打った一冊。
この本を読んだのをきっかけにユルスナールの代表作で傑作『ハドリアヌス帝の回想』を読んでいるところです。
夕飯は肉じゃが、鶏ひき肉団子入り野菜スープ
ところで......がんばっているんだけrど、ぜんぜんやせないよっ!
『生物と無生物のあいだ』福岡伸一著 講談社現代新書
駅構内の書店に平積みされているベストセラーは基本的に読まない(読みたくない)のですが、その日、新幹線新大阪駅で「読む本がない!」ことに気づいて、時間がなかったので大急ぎで買ったのがこの本。
で、たーいへんにおもしろく、2時間あっという間でした。
分子生物学という、私には理解不能なはずの学問を、これだけおもしろく惹きつけて読ませる力量はたいしたもんだ。
生命とは何か?
生きていく、とはどういうことなのか?
それまで考えたことがなかった視点から「生」を考えるヒントを与えられました。
分子生物学を理解したかどうかはともかく、考え方として学ぶ点が多々ありました。
『越境のとき--一九六○年代と在日』鈴木道彦著 集英社新書
この日記にも書いたのですが(2007年6月7日付)、衝撃を受けた本の1冊でした。
フランス文学者で、プルーストの訳者である鈴木氏が、人生の大半にわたってかかわってきた在日の問題を語っていらっしゃいます。
「か かわる」とはどういうことなのか? という命題をつきつけられた本でした。そうか、「かかわる」の反対語は「逃げる」なんだ、と気づきました。「かかわ る」ことのたいせつさと、「逃げる」ことの卑怯さ。自分はそれがちゃんとわかっているのだろうか、としばし問いかけます。
読んでほしい本の一冊。
『ユルスナールの靴』須賀敦子著 河出書房文庫
マルグリット・ユルスナールの評伝ともエッセイともつかない本で、今年読み返した須賀氏の本(アントニオ・タブッキとナタリア・ギンスブルグの訳書もふくめて)のなかで、一番心を打った一冊。
この本を読んだのをきっかけにユルスナールの代表作で傑作『ハドリアヌス帝の回想』を読んでいるところです。
夕飯は肉じゃが、鶏ひき肉団子入り野菜スープ
ところで......がんばっているんだけrど、ぜんぜんやせないよっ!
いよいよ12月です。
早いなぁ(ため息)
心のどこかで、生きることはひまをつぶすことである、などと不埒なことを考えているためか、時間が飛ぶように過ぎていくことにさほど抵抗はないのですが、それにしても1年が過ぎていくのが恐ろしく速くなっていくのには抵抗感があります。
ふり返ってみて、今年、時間を忘れるほど夢中になって読みふけった本があるだろうかと考え、5冊くらいしかないことに愕然としました。
5冊あればいいんでしょうけれどね。
最近では『言葉の海へ』(高田宏 洋泉社)がおもしろかった。古い本の復刻版ですが。『言海』を完成させた大槻文彦の生涯をたどったドキュメンタリー。言葉と国語の関係を考えるうえで、示唆に富んだ本でした。
『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著 岸本佐知子訳 白水社)も一気読み。読み終わってしばらく、自分がどこにいるかがわからなくなっていて、ぼんやり窓の外を眺めていました。いい小説を読んだっ! という満足感あり。英語でも読んでいたのですが、ちょっと私の解釈とちがっていたところがあって、英語を読み返して「ああ、そうだったのか」と納得しなおす訳文でした。
あと3冊はベッドサイドにあるので、また明日。
夕飯は野菜たっぷりタイカレー、カリフラワーとトマトのサラダ。
早いなぁ(ため息)
心のどこかで、生きることはひまをつぶすことである、などと不埒なことを考えているためか、時間が飛ぶように過ぎていくことにさほど抵抗はないのですが、それにしても1年が過ぎていくのが恐ろしく速くなっていくのには抵抗感があります。
ふり返ってみて、今年、時間を忘れるほど夢中になって読みふけった本があるだろうかと考え、5冊くらいしかないことに愕然としました。
5冊あればいいんでしょうけれどね。
最近では『言葉の海へ』(高田宏 洋泉社)がおもしろかった。古い本の復刻版ですが。『言海』を完成させた大槻文彦の生涯をたどったドキュメンタリー。言葉と国語の関係を考えるうえで、示唆に富んだ本でした。
『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著 岸本佐知子訳 白水社)も一気読み。読み終わってしばらく、自分がどこにいるかがわからなくなっていて、ぼんやり窓の外を眺めていました。いい小説を読んだっ! という満足感あり。英語でも読んでいたのですが、ちょっと私の解釈とちがっていたところがあって、英語を読み返して「ああ、そうだったのか」と納得しなおす訳文でした。
あと3冊はベッドサイドにあるので、また明日。
夕飯は野菜たっぷりタイカレー、カリフラワーとトマトのサラダ。





