仕事で必要なことがあったので、ケータイ小説を読んでみた。
映画やTVドラマにもなった「恋空」ほかいくつか。
いやはや......いやはやと首を振るしかない。私はビョーキのように活字につねに飢えているのだが、読むのがこれほどつらい活字はなかったな。
ケータイ小説は、小説と銘打ってあるが小説ではない。少なくとも、私が定義する「小説」のジャンルには入らない。だってプロットってものが皆無なんだから。プロットってなんだったっけ? としばし考えてしまった。
もっと言えば、日本語の文章としても首をかしげざるを得ない。絵文字を使うのは許す(五十歩下がるが)。しかし「............」と言いよどめば、お互いの気持ちがすぐに通じ合ってコトに及ぶっていう定石はいかがなものか。
「ぼくは......」
「でも、あたし......」
〇〇(男)は××(女)を抱きしめて押し倒した。
という表現が何回も出てくると、私はたたらを踏んで百歩下がってまっさかさまに落ちるぞ。落ちた先がどこかわからないが。
しかも誤字だらけ。愛の告白で一番盛り上がるときに「ケータイが振るえる」とか出てくると、脱力するしかない。
ツッコミどころが満載、というのを超えている。いや、ツッコメないな。どこにもツッコミようがない。ずぼずぼ。
これ読んで、ハーレークイーンはエライと思いましたね。少なくともハーレークイーンというジャンルは成立しうる。水戸黄門のようなものだ。だが、ケータイ小説というジャンルは成立しえない。
水村美苗さんじゃないけれど、「日本語は亡びる」と頭を抱えたくなった。
明日にでも書くけれど、水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」は、翻訳をやっている私にとってこれ以上ないほど耳の痛い、でも、心にしみる本だった。今年のNO1かな、これが。
「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」
町山智浩著
文藝春秋
かなり話題になっている本なので、いまさら感があります。が、ちょうどオバマ氏勝利演説直前に読み終わったので、感慨さえおぼえました。
アメリカが世界中を巻き込んで暴走してきたこの8年ほどを振り返って、どうしてこうなっちゃたのかね、ということをアメリカ在住の著者が語ります。大型トレーラーのようにアメリカを暴走させたのは、歯止めのない新自由主義経済だけではなく、それをうまいことかつがされたブッシュだけでもなく(でも、先頭に立って旗を振っていたのは彼だけれど)、実は聖書に書いてあることは120%真実と言い切る信心深い善男善女だったり、生まれた地に足をつけてカントリーウェスタンをやって、外の世界に対していっさい関心がないことを誇りにしている人たちだったり、またそういう善男善女(っていうのが一番始末に負えないのは世の常)を利用するハイエナたちだ、ということが、さまざまなエピソードとともに語られます。
語り口は軽妙洒脱で、例に挙げられるトピックス(たいていはスキャンダル。でもたぶんアメリカ人は醜聞どころか美談だと思っているような話)もおもしろい! でも、章を読み進むごとに背筋が寒くなります。
とくに御用聞きメディアの偽善を暴いた「ウソだらけのメディア」はぞっとしました。私もときどき(「アニメとオッパイで稼ぐ」)FOX見て、ふーんなんておもしろく読んでいたりしたから。
ブッシュ自身ではなく、ブッシュ的なものに共鳴し、ブッシュをかついでいた人たちと、それにNOを突き付けた人たちの間には、はたして深い溝があったでしょうか? 溝はもちろん対立さえもなかったのではないですか? ブッシュをかついだ人と、オバマと一緒に「Yes, We Can」と叫んだ人たち、そのちがいはどこにあるのか? 「なんでもかんでも債権化するビジネス」が破たんした波をかぶった人と、うまいこと泳ぎ抜けた人、というちがい? 少なくとも、4年前にブッシュの再選を許した時点で、アメリカの何かが崩れたのだ、ということをこの本を読みながら痛感しました。
それでも、オバマ氏という人物が出てきたこと。差別される側、持たざる側にいた人に国の指揮を任せるということ。その点ではアメリカがうらやましい。
政治「家」が世襲制であることが当然の国には、ロクなことがない、というのも本書を読んで痛いくらい感じましたからね。
少なくとも、アメリカは断ち切らなくてはならないものを勇気を持って断つ、ということを遅ればせながらにもやったのではないかと思います。
もうね、私は2世にうんざりなんですよ。タレントでも、アスリートでも、ミュージシャンでも、アーティストでも、ポリティシャンでも、自分の力で這い上がってきた人がなってほしいです。
前も書いたかと思いますが、私は朝目が覚めると、15分間ほどうつらうつらしながらその日にやることを考えます(思い出します、と言った方が正しいかも)
外出しなくてはならない用事があると、時間を逆算して出かけるまでの時間にやることをリストアップします。
出かける用事がないときには家事をすることにしているので、洗濯や掃除や炊事でやらなくてはならないことを頭のなかでリストアップします。
最後にやるのが、仕事の段取り。前の晩にやることをチェックしてから寝るようにしているのですが、最近、勘違いや物忘れが激しいので、落ち着いた気分でいるときに「本当に今日の仕事はその順番で片づけていけばいいのか?」と自問するわけです。(それでもときどき締切の日をまちがえたり、かけるべき電話を忘れたりして大ひんしゅくを買っています。も、申し訳ありません)
一人で仕事をしているので(つまり他からノーティスは来ないので)自分で自分に「きょうはこれやりなさい」と命令するのですが、やり方としてTHINGS TO DOをスケジュール表に書き出し、つぎに付箋に一項目ずつ書いて、液晶モニターの上部の左から優先度合の高いものから順番に貼り付けておくことにしています。そうすれば入れ替えも簡単。でも、入れ替えることはあまりないけれど。で、終わったものから付箋をモニター下部に移動する。一日の終わりに、スケジュール表に書いたTHINGS TO DOリストで、終わったものに線を引いて消し、付箋を捨てます。このときの達成感がたまらない!
仕事は、私の場合この「優先順位をつける」ことで半分くらい終わったも同然です。優先すべきことを考えているときに、頭のなかが整理されるから。
最近は、家事にもこの手法を応用することにしました。洗濯(色もの)、買物(スーパーで牛乳、果物)、トイレ掃除とか書いた付箋をはがすときも、達成感。
さ、明日もがんばろうっと。



