「漱石の漢詩を読む」(古井由吉著 岩波書店)をヴェリタというウェブマガジンで書評したのだが、これが滅法おもしろかったのです(最近、明治と大正の作家の本ばかり読んでいるので、言葉が古い)。
漢詩を作るぞ、と意気込んでみたものの、韻を踏むのはもちろん、対句や平伏もわからず、岩波ジュニア新書「漢詩入門」(一海知義著)とにらめっこしながら、とりあえず二聯をめざして奮闘中です。
で、いきなり漢詩は無理なんで、まずは俳句をつくって、それを漢字にあてはめてつくってみてはどうか、と電車のなかで、道を歩きながら、必死にひねっております。むずかしい。
なかなかぱっとしたのができないので、「一茶俳句集」(岩波文庫)を買って読みました。
すると、これがまあ、なんともおしゃれな俳句ばかりなのです。おしゃれっていうより、洒脱。
たとえばこんなの。
「秋風や あれもむかしの 美少年」
思わず噴き出しました。わかるなー。いますよ、そういう人。頭の後ろのほうに秋風が吹いて、ああ、むかしはきっとモテちゃったりしたんだろーなー、とかいうひと。今もちょっとまちがっていたりしてね。
「花の陰 あかの他人は なかりけり」
今日、たまたま緑道を歩いたら、陽気に誘われたのかとても込んでいて、みんな楽しそうでした。この句が浮かんで、一茶さん、うまいこと言うなあとあらためて感心。
「風ひやり ひやりからだの〆り哉」
冬のはじめの句なんだけれど、今日みたいな花寒の日には思い出したり。
で、私の句はとてもまだ他人様にお見せできるレベルではないので割愛。
ソウルに行ってきました。
ただいま韓国留学中の娘と会って通っている大学と寮を見学し、「IKKOのきれいを磨くin韓国」(文藝春秋)を片手にコスメグッズを購入し、仁寺洞で書道用の筆を購入し、全州ビビンパップと韓国宮廷料理とソムロンタンを食べ、AFC FCソウルVSガンバ大阪の試合を観戦し、充実の2泊3日でした。
よ~く考えると韓国はこれですでに6回目。で、娘がこれだけちゃんと韓国のことを勉強しているのに、私があまりにも何もしないのはあんまりだと深く反省し、ハングルのせめて読み方だけでもちゃんと学んでいこう、と勉強しました。3時間くらいw
なので、今回は一番何をやっていたかというと「ハングルを読む」こと。
読んでも、意味がわからないので結局役立たずではあるのですが、とりあえず推測はつく。「ビ......ビン......パ......ップ」......、ああ、ビビンパップね、というくらいは。
地下鉄で反対方向に乗ってしまい、手近な人に「ヨギガ オディエヨ(いまどこにいますか?)」と聞いたら、みんなが韓国語でまくしたててくれるのだけれどその答えがわからず、結局車両中の人を巻き込んで道案内してもらったり(でも、私の発音が悪くて、目的地とはちがう駅でおろされてしまった......w)、毎回気をつけなくてはと思っているのにソムロンタンの朝鮮ニンジンを食べておなかを壊したり、失敗は数々あれど、ま、今回もソウルフルソウルでありました。
韓国コスメについてと、試合のことについてはまた別に。
マリコさんから「本の話はおもしろいよ」と言ってもらったので、「給付金の12,000円でお願い、本を買ってシリーズ」第二弾です。
念 のために言っておくと、これはあくまで私が、たとえば夢中になって電車を乗り過ごしたり、明日はテストだというのにやめられなくて徹夜してしまったり、授 業中に読んで休み時間になったのにも気づかなかったりした本、だということです。ほかの人にとっては、同じ作家でもほかの本がイチオシ、ということもある でしょうし、傑作の評価は別にあるかもしれません。
でも、私が成長した1960年代~1970年代はじめごろ、その後の精神形成に大きな影響を与えたのは、夢中になった本たちでした。
「いつか本に埋もれた生活をしたい」というのが夢だったし、「いつか本を書く人になりたい」というのは大望でした。その夢や大望をかなえてくれるような気がした本を紹介してみたいと思います。
今回は「フェミニズムと性に目覚めさせた(爆笑)本」シリーズで。
「二人のロッテ」ケストナー
岩 波書店の少年少女向け単行本にはすぐれた作品が数多くおさめられていて、幼稚園から小学校にかけての私の精神形成にこれらの作品が与えた影響ははかりしれ ない。当時、美しい装丁のこの本は高価だったので、学校の図書室で借りて読むしかなかった。だが、誕生日とクリスマスのプレゼントとして、父方の祖母に大 手書店につれていってもらって数冊ずつ買ってもらうのが恒例になって、それはそれはうれしかった。
最初に買ってもらったのが、忘れもしないこの本。小学校3年 生のときと記憶していて、デパートの書店で買ってもらったこの本を、最上階にあったレストランで食事する間もおしく、そっと取り出して祖母と母がしゃべっ ている間読み始めたら周りの物音がいっさい聞こえなくなるくらい没頭し、前におかれたアイスクリームがすっかり溶けてしまって母に叱られたのを覚えてい る。
ケ ストナーのシリーズは全部好きで、「エーミールと探偵たち」「サーカスの小人」「飛ぶ教室」のどれも夢中になって読みふけったが、離婚した(別居している だけ?)両親に一人ずつ引き取られて別々に育った双子が、サマーキャンプで出会って取り換えっこして生活する、というストーリーがあまりにベタにステキす ぎて泣けた。だがその後、リカちゃん人形で「二人のロッテ」ごっこを一人空想遊びでやっているとき、ハタと気づいた。
「これって、女が一人で子育てするほうが経済的にも精神的にもずっとたいへんだ、母親に引き取られた子どもは、お手伝いをいっぱいするいい子でいなくちゃいけないんだ。それって、なんかおかしくない?」
はからずも、小学生でフェミニズムに目覚めさせてくれた二人のロッテだった。
「放浪記」林芙美子
たしか中学二年の時、たてつづけに三回くらい読み返したことがある。小学生のころから私は(今もだけれど)モノを書く女にものすごく憧れていて、モノカキ となった女性の話を何冊もむさぼるように読んで、自分がどうしたらその仲間入りができるかを探っていたのだけれど、思春期の初期に出会ったこの本によって 「私にはとてもモノカキになる資質がない」とうちのめされた。嫌いな言葉だけれど「生き様がちがう」と思った。もっと言えば、書きたい欲求を貫きとおす姿 勢、というか、書くための活力、というか、そんなものがちがう。
女であることとモノカキであることの葛藤。やりたいことをやり、好きな男に好きといい、落ち着きたいけれど落ち着けず、書きたい書きたいと筆をとり、そし たらふしだら、とか、あばずれ、とか、後ろ指をさされる苦しさ。自分に耽溺しているようで恐ろしいほど突き放して観察する冷徹さ。
いきなりオトシますが、林芙美子さんがついた多くの職業で私が一番「自分に資質がない」と痛感したのが、女給、でした。理由は「脚が太いから」。そのころの日記に「こんな脚ではキャバレエにつとめられない」とか真剣な悩みがつづられていて、いとをかし。
「牝猫」コレット
この本を読んで以来、「猫を飼っている」「猫が好き」という男が言ったとたん、あ、無理、と遠ざけてしまうようになったことをここで打ち明けておく。
コレット、すごいよ! ここには猫=女の共通点があますことなく書きつづられていて、猫型女にはまった男の悲劇(喜劇)も暴露している。
あのね、猫も女も相手が仲良くしようと寄ってくればくるほど逃げて、相手がそっぽをむくとすりよっていくもんなんです。そこのダンシ、よく覚えておくように。
「愛の妖精」ジョルジュ・サンド 宮崎嶺雄訳
ふ たごの兄弟が、野生の少女ファデット(たぶんジプシーなんだと思う。わからんが)に最初は反発しながらも魅かれていき、活発で単純で「男らしい」弟が結局 結婚する、という少女漫画のようなお話。夢中でした。病弱でうじうじして弟ばかりが頼りで、嫉妬でファデットをいじめまくる兄ちゃんに。これはラブストー リーというより、ダメ兄ちゃんの成長物語だ。
この本を読んで私が学んだことが2つ。
① 美しくセクシーだが、男の従属物にならずに一人の女として生き延びるためには、この人しかできない、という才能を磨いて人助けすることが重要。(ファデットは「薬草で治療できる」「精神医学の知識がある」ことで、性的魅力を隠すことなく生きていけた)
② フランスパンは外側の硬いところが美味。私がこの本に夢中になった1960年 代後半当時はまだ「フランスパン」なるものが日本で普及しておらず、たまにフランス料理やにつれていってもらったときには、硬いところを捨てて、中の白い やわらかいところだけを食べていた。でも、それはナンジャクモノのすることだと知って、以来、硬いところをガマンして食べるようになった)
「愛する時と死する時」エーリッヒ・マリア・レマルク 山西英一訳
「西部戦線異状なし」と「凱旋門」が代表作のレマルクだが、私は最初に出会ったこちらの本にすっかりハマってしまい、「西部戦線~」のすごさに気づいたのはずいぶんあとになってからだった。
ナチス時代のドイツの歴史に翻弄される男女のメロドラマ。美しく、清純で、でも強く生きている女性と、正義感あふれ、でも矛盾を抱えつつ戦いにいかされる 男性。なんといってもこの二人が会えそうで会えなくて、会ったらすぐに別れざるをえなくて、いったいいつになったら結ばれるのか、とじりじりしながら読み 切らされるところがたまらない。長じてから読み返したら、あまりのメロメロメロドラマっぷりにのけぞったのだけれど、ま、16歳くらいの女の子を骨抜きにするストーリー展開だったな、と納得。
その後、最後に必ず別れがあるけれど、そのおかげで究極のラブストーリーになるメロドラマに私は夢中になることがよくわかった。映画でいえば「ターミネーター」(爆)とか。
「中世炎上」瀬戸内晴美
想 い出深い本だ。高校二年の時、だったと思う。授業中に読んでいて、シスター(私は厳格なカトリック校に通っていた)に没収された。しかも、読んでいた箇所 が強烈な濡れ場(死語)で、ヨダレがたれそうなほど夢中になっていたので、シスターがすぐそばにいるのに気づかなかったのだ。
あとで呼び出しをくらって、親に渡すようにと「まだ読むには早すぎる本があると思いますので、ご家庭でもお子様が何を読んでいるかを把握なさり、アドバイスなさるように」とか書かれた手紙を託された。渡さなかったけれど。
後深草院の寵愛を受ける二条という女御が主人公。天性の色気があって、彼女を見た男はみんな「いけない、いけない、この人は院のオンナ」とわかっていながら忍んでいってしまい、そのカラダにすっかり溺れてしまう......というお話。どう? 16歳が夢中になりそうでしょ? 週刊誌に連載されていたのをこっそり読みふけり、単行本になったときに内緒で買い求め、授業中に読む、という暴挙に出た。だって、やめられなかったんだもん。
シスターに見つかったときに読んでいた箇所は今もはっきり覚えている。
妊娠した二条のはちきれんばかりの丸い乳房にほたるがとまって、静脈が浮いているその乳房をほんのり照らす。で、ほたるで二条が感じてしまって、院だったか誰だったか、その男がむしゃぶりついてしまう、というところ。今書いていてもエロチックすぎ。
寂聴さんはやはりこういうものを書いたその先に出家なさったのだろうか。
「序の舞」宮尾登美子
新聞小説で連載されていたときに、朝が来るのが待ち遠しいくらいだった。
上村松園という女流画家を知って、図書館でその作品集を探し、本書のタイトルになっている「序の舞」を特別な哀しみをもって眺めたのを覚えている。
な んとなく、で確かめたわけではないが、宮尾作品に一時期ハマりまくっていた私には、今読み返すとこの「序の舞」のときに、宮尾さんがほとばしるような勢い で書いていた気がしてならない。上村松園という女性の画家に自分を重ね合わせて、一人の創作者としても喜びや苦しさをともに味わいながら書きすすめたよう な気がする。それはまた、上村松園がモデルとして描く女性たちへの思いを重ね合わせているのと似ている。
創 作者として認められたい、でも描きたいものを描きたい、という二つの欲求が有名になるほど開いていくことへの葛藤。さまざまな挫折のなかで、それでも筆を とりたい、これを描きたい、という創作欲求の激しさ。そんなものが私生活の波乱万丈とともに一本貫かれている。今も忘れられない一冊だ。
定額給付金が支給ってことで、どう使おうかなとお考えの皆様。
本を買うっていうのはどうでしょうか?
12,000円あったら、かなりたくさん買えますぜ。
というので、私が10代のころに寝るのを惜しんで読み、今も忘れられない本をご紹介するシリーズをつくってみました。
100冊くらい紹介したいところだけれど(実は100冊リストアップしたんだけれど)12,000円で100冊はきついと思うので、軽く50冊くらいを目標に。
ちなみに以下の本は全部アマゾンで買えます。
「モンテ・クリスト伯」アレクサンドル・デュマ 新庄嘉章訳(と思う)
もういろいろなところで書いているので割愛するが、私が初めて「大人の本」に出会ったのは中学1年生にあがる春休みのこと。
玄関脇の廊下にあった鍵付きの本棚の鍵を「もう大人の本を読んでもいい」と言って母が渡してくれた。わくわくしながら開けたところに、世界文学全集(筑摩書房だったと記憶しているのだが、確認ならず)のほか、吉川英治、松本清張などがぎっしりつまっていた。
最初に私が手に取ったのがこの本。春休み、私の心はエドモンド・ダンテスとともに泣き、恨み、復讐を果たしてもむなしい、という「大人の旅」に出ておりました。
翻訳は新庄嘉章氏だった、と記憶している。憧れていた翻訳家の一人。
この本で性の秘密を知った、というのを今打ち明けておこう。(未婚の母がカトリック国で激しく糾弾されるシーンで、えええー、結婚せんでも、ベッドでいちゃついただけでも、子どもができるんや、と仰天して、さっそく調べたのは言うまでもない)
「コンティキ号漂流記」トール・ヘイエルダール 水口志計夫訳
読んだのは小学生のとき。図書館で借りて読んで、あまりにもおもしろくて夢中になったので、ねだってねだって買ってもらい、ぼろぼろになるまで読んだ。
いまだにこの探検小説以上の作品に出会っていない。
古代の人の移動を証明するために、古代人と同じつくりのイカダに乗って太平洋を横断する人類学者の話。実話だとわかっていても、ヘイエルダールさんがあまりにハンサムなのと、文章があまりにうまいのと、話ができすぎなのとで、どうしても物語のような気がしてならなかった。
「可愛いエミリー」モンゴメリ 村岡花子訳
私 のティーン時代は、モンゴメリに明け、モンゴメリに暮れた、といってもいいほど、モンゴメリ一色だった。「赤毛のアン」シリーズ(一番好きだったのが「ア ンの夢の家」。ギルバートとの浜辺の新居にあこがれた)はもちろんのこと、この「エミリー」のシリーズ、「丘の家のジェーン」「パットお嬢さん」「果樹園 のセレナーデ」まで、舐めるように読んでいた。
なかでもこの「可愛いエミリー」は、「どうしても書かずにはいられない」というエミリーにとても共感し、影響され、毎日私も何か書いていた。モノカキになれたのは、エミリーのおかげかも。
「新書太閤記」吉川英治
実はこれも読了したのは小学5年生くらい。親にナイショで読んでしまった。「今日は1冊だけにしておこう」と決意しているのに、どうしてもやめられなくて、20巻近くあったのを10日間で読み切ってしまい、目がはれるわ、気持ちが悪くなるわ、で親に怒られた。
そ れくらいおもしろかった。当時の赤い表紙に黒い墨字でタイトルがかかれた装丁が忘れられない。あれはとてもいい装丁だった、といまだに思う。新聞小説から 単行本化されたためか、ところどころに挿絵が入っていて、寧々の田舎くさい顔とか、竹中半兵衛の貧乏くさい感じとかに影響された。
「細雪」谷崎潤一郎
谷 崎は思春期の女の子をあやしい気持ちにさせるので、どうしても電車のなかで読めなかったのだが(「痴人の愛」とかカバーをかけても恥ずかしかったし)、 「細雪」は地元が舞台ということもあり、友だちと電車のなかで「四姉妹の誰に一番共感するか?」なんて話題で盛り上がって、楽しかった。ちなみに私は一番 下の妙子にあこがれていた。雪子だけは許せん、こんな女とはぜったいに友だちになれない、と思った。雪子のせいで、私はいまだに病弱なふりをするオンナが 嫌いだ。
「風と共に去りぬ」マーガレット・ミッチェル 大久保康雄 竹内道之助訳
ウ エスト47センチなんてありえないし、スカーレットな女には死んでもなれないだろうけれど(気が弱いから)、せめて男に「服買って」「楽しいところ連れ てって」と言えるくらいにはなりたい。それがかなわないなら、神様、どうかバトラーのような男と、結婚とは言わないが、つきあうくらいはさせてください、 と不謹慎に祈った16の秋。
「デミアン」ヘルマン・ヘッセ
私の額にもしるしが出てほしい、どうかお願いと念じながら寝て、朝起きて必死に眺めたけれど、ついに出なかった。
デミアンに熱中したあと、「ポーの一族」を読んで、なぜかデミアンが重なったのだが、なぜだろう?
「陽のあたる坂道」石坂洋次郎
忘れもしない。TV化されたとき、石坂浩二が二男役をやったのだ。田園調布の多摩川土手の景色を描くシーンがあって、私もマネして芦屋川の土手の風景を油絵で描いたのだ。15歳のほろほろした思い出。
「ギリシャ神話─付北欧神話」山室静
暗 記するくらい何回も読んだ。おかげで、いま翻訳するとき、何かと役立っている。ギリシャ神話の神様たちと、とても親しくつきあっているような気になる。一 番好きだったのが、ダフネとナルシスの物語。やっぱりね、自分がかわいいとかかっこいいとか思いこんじゃうと、悲劇が起こるんだ、と自戒した(ウソ)
「八月の光」ウィリアム・フォークナー 加島祥造訳
フォー クナーといえば、「サンクチュアリ」だよ、とか、傑作は「響きと怒り」だ、といろいろ言われるが、私にとって今も忘れられないのが「八月の光」だ。アメリ カ南部のキリスト教的束縛と抑圧、それに対抗する人の強さややさしさがしみこむような話だった。今読んだらちがう印象を持つかもしれないけれど。少なくと も、この本には「サンクチュアリ」にはない明るさとか希望があったように思う。
「赤と黒」スタンダール 桑原武夫訳
大 学生のとき、友達とだらだら「人生」について(笑)話していて、フランス文学専攻の先輩(ものすごくかわいかった)が「ジュリアン・ソレルのような生き 方って、理解できるんだけれどついていけない」みたいなことを言ったら、その先輩に憧れていた男の子が「そうかー、俺はやっぱりアグネス・チャンがいいな あ」と言ったので、みんな一瞬シーンとなって、あとは爆笑、失笑!
つづきはまた。
トレッドミルを1時間走っても、距離が9キロってどうなってんねん!(怒りのあいさつ)
はいはいはい、誕生日を迎えてしまいました。ハッピバースデイ・トゥ・ミー。ふー(ろうそくをふきけしたつもり)
で、トレッドミルを本人の気分としては「快走」しながら考えていたのは、タイトルの「教養は裏切らない」ということでした。
「努力は裏切らない」とよく言われるけれど、努力の方向や種類がまちがっているせいで、いくら本人が努力しているつもりでも見事に結果に裏切られることはよくあります。あと、運や才能もあるしね。
それじゃ時間と手間をかけて身につけるもので、裏切らないものはなにかな、とはーはー汗をぬぐいながら考えました。
「体力? うーん、体力に裏切られることもままあるしなあ、どすこい*」
「忍耐力? いや、これはあっさり裏切るでしょ、こんちくしょー*」
「理性? ははは、理性に裏切られた人をたくさん見てきたぞー、くそ*」
そうだ、教養。これは裏切らないんじゃないか。世間は「教養主義」とかバカにするが、ちがうね。世界の成り立ちや、物事の基本的しくみや、人間の在り方や、奥深い楽しみや、悩みや苦しみの対処法などを知識として、または理解して自分のものにしておくこと。それこそが教養じゃないか。それは死ぬまで財産になるし、いざというときに役立つ。
よし、今年は教養を磨くことを目標にしよう。
と思って、今日は自分への誕生日プレゼントに「漢詩入門」(一海知義著 IWANAMIジュニア新書)、「漱石詩注」(吉川幸次郎著 岩波文庫)、「漱石の漢詩を読む」(古井由吉著 岩波書店)を購入しました。
そう、いま私のなかで教養=漢詩なんです。
明治の人はかっこよかったなあ。(明治だけじゃないが)
さらさらさらっと漢詩をつくって、すらすらすらっと筆で書いたんだもんなあ。それこそ教養。
(*はすべて、走っているときの自分へのかけごえです。これが五言絶句あたりで言えたら教養人?)



